• ジェンダーが、「フリー」な訳無い。考えろ。男は子供を産めなかろうが。

  • (1) 「ジェンダーフリー」なる主張・思想

 ジェンダーフリーって、「宣伝文句」がある。どうも、「良いこと」乃至「無条件に良いこと」かの様に考えて居る人が、世間には相当数「居る」らしい(*1)。
 そりゃ、「間違いと気違いは、何処にでもある/居る」ってぐらいだから、「ジェンダーフリーとは、無条件に良いこと」と考える間抜けな大馬鹿が「存在する」事は、まあ致し方ない部分が多々あろう(コレも「多様性」の一環、でもある。)が、あんまり数が多いと、チョイと困ったことも出て来るから、偶には釘ぐらいは刺しとかないとな。

 要は、タイトルにも取った通りだ。「ジェンダーが、”フリー”な訳が無い。」。僅かでも知性と良識があれば、殆ど自明なことだ。
 

  • <注記>
  • (*1) その「筆頭」とは言わないが、一例が、日本共産党だ。そりゃぁ「殆ど生まれながらの右翼」たる私(ZERO)なんぞとは、相性が悪かろうよ。 


 

  • (2) ジェンダーってのは、人間では男と女、だけだ。

 「ジェンダー」とか、片仮名で表記して何か「新しいモノ」かの如く見せかけているが、平たく言って「性別」である。人類・ホモサピエンスの性別は男=雄と女=雌、しかない。コレは基本的に、生物学的に、無い。


 無論、極一部、奇形としての「男でも女でも無い性別」の人が居る事は知っている。私(ZERO)は会ったことも無いし、聞いたことも「ほぼ無い」ぐらいだから、相当に少数なのだろう、とは当たりもつく。
 故に、「人類・ホモサピエンスの"ジェンダー"は、男と女だけ。」と断定断言しても、何の違和感も、少なくとも私(ZERO)には、無い。
 
 処が、所謂「ジェンダーフリー」を主張する方々は、この「ジェンダー」が幾つもあると主張される。それも、3つとか4つとかでは無くて、十も二十もあるのだと。「俄には信じ難い」なんざ通り越して「頭がどうかしている」としか私(ZERO)には思えないのだが。


 人類に限らず、生物種を例にとっても、「雄と雌の二元論的性別」以外の性別を持つ種ってのは、確か「中性」とか「雌雄同体」ってのがあるぐらい。勿論「性別が無い、単一性の生物」ってのも居るが、4つ以上の性別を持つ生物なんてのを、私(ZERO)は知らない。

 無論、理系とは言え生物選択者では無かった私(ZERO)が「知らないだけ」って可能性は、認めなければならないが。
 
 それにしたって我らが人類の「性別」とも言うべき「ジェンダー」が、十も二十もあるという、論拠根拠が何であるか、と問い質す前に、「なぁにバカなこと言ってんだオイ。」ってのが先に立つのが正直なところだ。

 況んや、そのジェンダーなるモノが、自己申告で自己決定できるなんて主張は、「唯の詭弁」以上のモノには全く思えない。「覗き目的で女湯に侵入した生物学的男性が、”自分は女だ!”と主張している」のと、一体何が違おうか?イヤ、全く、毛筋ほどにも「相違がある」とは思えない。


 ああ、外科手術と医学の発達により、「性転換」がある程度可能になり、「トランスジェンダー」と呼ばれる人々がいることも知っている。男から女に「性転換」して女性スポーツに参加し、五輪メダルを取っちまうような事例も在るのだから、な。今の所、逆(*1)は居ないようだが。
 また、左様な「トランスジェンダー」は、「人工的に作られ、増やされた、奇形」と見ることも出来る。
 「人工的に作られ、増やされた、奇形」の為に、従来従前の常識的な「性別」が見るも無惨に破壊されるのが、「良い」とか「正しい」とか言う、感覚というかセンスというか、考え方が、私(ZERO)なんぞにはサッパリ判らない。有り体に言えば、「理解しよう」という気さえ起きないな。
 確かに「新しい」かも知れないが、それだけだ。新奇と言うより、珍奇だろう。
 

  • <注記>
  • (*1) 女から男に「性転換」して、男性スポーツに参加し、メダルを取った例を、私(ZERO)は知らない。
  •  「知らないだけ」かも知れないが。 
  •  

 

  • (3) 「ジェンダーフリー社会」とは「デストピア」である。

 で、更に判らない、と言うか「理解を絶する」のが①「自己申告でジェンダーは決定される」って主張と②「ジェンダーフリー」=「ジェンダー間に差違は在ってはならない」って主張と③「多様性推進」=「DEI」≒③A「会社役員、議員などの"選ばれる人"には"各ジェンダーから一人以上ずつ選ばれる"べきだ」って主張は、大抵同じ人、同じ集団から出ている、ってことだ。
 コレに先述の④「ジェンダーは、十も二十もある」って主張が「合流」すると、コレはもう「この世の地獄を作ろうとしている」としか思えない。
 分けても、①と③Aと④の「同時実現」は「相性劣悪」だ。その意味するところは、各政党は「全てのジェンダーフルセットの、少なくとも候補者を揃えなければならないであり、更には、役員会や議会は、全てのジェンダーフルセットでなければならないである。十も二十もあるという「ジェンダー」にどんなモノがあるのか私(ZERO)は知らないし、知ろうとも思わないが、十も二十もあっては「極少数しか居ないジェンダー」も必ずある筈で、そのジェンダーである議員なり役員なりってのは、「人数の割には過大な発言力・影響力を持つ」事になる事は間違いようが無い。


 大体、斯様な事を「同時実現した」場合、会社役員なり議員なりになる手っ取り早い方法は、「新たなジェンダーを創設し、自分がその第1号にして唯一の人間になる」事になる。「ジェンダー」の数は、更に増えるだろうな。
 それで会社や議会が真面に動くと、考えられるとは、何と楽観的・・・と言うよりは、「ジェンダーフリー」ってお題目のためには、そんなことは目をつぶる、って事なのだろう。
 会社はそれで下手うてば「潰れる」から淘汰されるだろうが、議会はそれで下手やっても「潰れない」から、かなり厄介だぞ。
 ああ、議員の4分の1は必ず女性にする」とか言う「クオーター制」ってのも、そんな「同時実現社会=デストピア」と同工異曲、同じ穴の狢、だけどな。
 「クオーター制」の下で「男性から女性にトランスジェンダーして女性議員になる」って事例は、未だ無さそうではあるが・・・「未だ無い」ってだけ、だろうな。

 

 

  • (4) 考察「完全なるジェンダーフリー社会」

 さて、此処でチョット視点を変えて、章題にしたとおり「完全なるジェンダーフリー社会」を想像してみよう。此処で言う「ジェンダー」とは、世の「ジェンダーフリー」論者が言うように「男と女」どころではなく、十も二十もある「ジェンダー」であり、その相互間の差別どころ格差も「無くなった」という「完全なるジェンダーフリー社会」だ。
 世の「ジェンダーフリー」論者は、コレを「バラ色の未来」と描いてみせて止まない、らしいのだが、それでは「会社も議会も真面に機能しない」事は前章で述べたとおりだ。

 だが、そんなモノでは済まないだろう。前章では「会社役員や議員などの"選ばれた人”」だけを「ジェンダーフリー」にした、だけである。「完全なるジェンダーフリー」という以上、雇用も賃金も「ジェンダー格差」は許されない。ありとあらゆる、少なくとも「雇用を希望する人が居る」職業は「全ジェンダーフリーフルセット」であることが要求されよう。例外は、「特定ジェンダーから雇用を希望する人が居なかった場合」のみとなる。
 無論、雇用された後の給与も「ジェンダー間の格差」は認められない。十も二十もある「ジェンダー」には、それぞれ得意不得意がありそうだが、そんなジェンダー由来の得手/不得手の結果としての「給与格差」も「無くす」ことが求められよう。
 コレが、販売員の売り上げ実績のような「比較的容易に、短期間の内に定量的に評価が出来る指標」があるならば、歩合制なり成功報酬なりで「平等だが、能力に応じて評価が為された給与」と出来ようが、長期にわたる研究とか、各種のサポート業務とか「目に見える成果の出にくい」職業ではそうも行かない。そう言う傾向は今でもあるのだが、「同一労働同一賃金」の美名の下、「労働時間に応じた一律給与」になることは、想像に難くない。
 となれば、「不得手な労働を時間をかけてゆっくりやる」方が「得手な労働を短時間で完全に仕上げる」よりも、給与が高くなる。高くしないと、「ジェンダー間給与格差の是正」にならない。
 であるならば、当然,,、会社として競争力が低下するのは明白だろう。喩え得意で短時間で終わるような仕事でも、ゆっくり時間をかけて、端的に言って「怠けた」方が、「金になる」のだから。「有能な働き者」が「怠け者」になるのに、そう時間はかかるまい。先述の「会社役員のジェンダーフリー化」ほどには「目に見えて劇的な損害/被害は、無い」かも知れないが。

 ああ、そうだ。「指揮官」ってのは、ある意味究極的な「選ばれた人」だよな。隊長や司令官ったら、唯一人で、幕僚とか参謀の補佐は受けるが、決定決心し、命令を下すのは、隊長/司令官/指揮官唯一人の権限と責任において、だ。
 「指揮官をジェンダーフリー化した日には、隊長/司令官/指揮官は一人ではあり得ず、「ジェンダーフルセット」の十人だか二十人だか知らない「大所帯」の「司令官隊(*1)」になろう。仮に「多数決で命令を下す」って事が予め決められたとしても(イヤ、「多数決」自体が、「ジェンダーフルセット」で実施された場合は、ある種の「ジェンダー格差」とならざる終えないはず(*2)だ。)、どう贔屓目に見ても、「即断即決なんぞ夢のまた夢」であり、「兵は拙速を尊ぶ」なぞ薬にしたくても出来ない。仮に極めて優秀な、「必ず正しい判断をするジェンダーフルセット司令官隊」であったとしても、命令を発するまでの遅れが故に、「相当に弱い軍隊」とならざるを得まい。特に、後手・防御になると、それは顕著になるだろう。
 況んや、誤判断する普通の人間であれば、「判断の正誤に関わらず、判断が遅い」ジェンダーフルセット司令官隊が指揮する軍隊は、さらに弱い、ことになる。

 「弱い軍隊は、平和主義の証」とか抜かすバカも居そうだが、「弱い軍隊」は戦争誘因だ。

 言い替えるならば、「完全なるジェンダーフリー国家」は「相当に戦争に弱い国」であり、即座にでは無いかも知れないが、何れ戦争には負け続けて、遠からず滅亡する、ことになろう。

 他でも無い。「完全なるジェンダーフリー化した軍隊」が、その誘因となるだろう。

 即ち、「ジェンダーフリー化は、亡国への道である」と言うことであり、「ジェンダーフリー推進論」とは「亡国論」に他ならない。
 

  • <注記>
  • (*1) 少なくとも分隊。下手すると小隊だ。 
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  • (*2) 即ち「ジェンダーフリー軍隊のジェンダーフルセット司令官隊」は、元来「全員一致で無ければ、命令を下せない」。
  •  即ち「全員一致に意見集約されるまで、命令が出ない」訳だ。負けるための軍隊みたいなモノだな。
  •  ああ、「先手を取って攻撃開始する」だけなら、出来るかも知れないな。それで「勝ちきる」事が出来れば良いの、かぁ?
  •  だとすると、「指揮官をジェンダーフリー化した」軍隊は、随分な攻撃偏重・先制攻撃金科玉条・防御必敗の軍隊に、なりそうだな。 


 

  • (5) 「男が普通に妊娠出産する」か、「女は普通、妊娠出産しない」世の中になら無い限り、「ジェンダー」が「フリー」な訳が無い。

 無論、この章題で言う「ジェンダー」とは、「性別」のことであり、「男」と「女」しか無いのが、基本だ。
 その上で、「妊娠出産」ってのが人類にとって生物学的に(また、社会的にも、経済的にも)一大イベントであり「大事業」であることは殆ど「万古不易」なのであるから、現状及び見通せる限りの将来にわたって「妊娠出産するのは、女性」である限り、少なくとも「完全なジェンダーフリー」になんぞ、なる訳が無い。
 
 章題にした二者の内、「男が普通に妊娠出産する」の方は、見通せる将来にわたっても、またちょっとやそっと延長し延翼したぐらいでは到底実現不可能な事である(幸いなことに。)。
 だが、もう片方の、「女は普通、妊娠出産しない」方ならば、現在の技術でも一応実現可能だ。即ち、妊娠・出産を自然懐妊&分娩に依らず、人工授精と人工子宮による「試験管ベイビー」にのみ依ることで。

 これ即ち、古典的デストピア小説である「素晴らしき新世界」の描き出している世界である。まあ、あの小説は、「試験管ベイビーにのみよる完全な人口管理」と、胎児の頃からの化学的・心理学的条件付けに依る鉄壁の階級社会を描いている訳だから、「男女間のジェンダー格差」はひょっとしたら「無い」かも知れないが、別種の格差が厳然として「ある」世界であり、その「厳然たる格差」故に、古典的・先駆的な「デストピア小説」たり得ている。

 ジェンダーフリー」という主張・思想から、「素晴らしき新世界」に描かれるデストピアまでには、相応に距離があるのは事実だ。
 だが、その距離は、恐らくは「ジェンダーフリー」主張者が考えるほどには遠くないだろう。 
 また、ジェンダーフリー」なる主張が、「素晴らしき新世界」に描かれるデストピアへの第一歩たり得ることは、自覚・自認すべきであろう。

 まあ、無理だろうけどねぇ。
 「ジェンダーフリー」が「無条件で良い」なんて考えられてしまうようなオツムテンテンのお花畑には。