• その「懸念」、煽っているのは、己らだ。マッチポンプも大概にしろ。-【毎日社説】防衛相の靖国参拝 旧軍との決別に疑念招く


 「タイトルを見ただけで、腹が立ってくる社説」ってのも久しぶりだ。そりゃ、私(ZERO)は「殆ど生まれながら右翼」であるから、アカ新聞共とは「意見を異にする」のは「デフォルト状態」であり、それだけに「ふざけるな!」となることもままある。だが、それでもこちとらは、「森羅万象皆我が師」と自らに言い聞かせつつ、異論異説を求めてアカ新聞社説なんぞチェックしているのだから、「タイトル見ただけで、腹が立ってくる社説」ってのは、珍しい。

 そんな「誠に稀有」というとかなり大仰だが、滅多に無い経験をさせてくれたのが、下掲毎日新聞社説である。

  • (1)【毎日社説】防衛相の靖国参拝 旧軍との決別に疑念招く

防衛相の靖国参拝 旧軍との決別に疑念招く

 

 

https://mainichi.jp/articles/20240822/ddm/005/070/100000c

毎日新聞

2024/8/22 東京朝刊

English version

866文字

終戦記念日の朝、靖国神社を訪れる参拝者=東京都千代田区で8月15日午前6時1分、小出洋平撮影

 木原稔防衛相が今月15日に靖国神社を参拝した。自衛隊を率いる閣僚として、過去への反省を欠いていると受け取られかねない。

 

終戦の日に靖国神社を参拝に訪れた木原稔防衛相=東京都千代田区で8月15日午前8時27分、手塚耕一郎撮影

 現職の防衛相による参拝は3例目で、終戦の日は初めてとみられる。防衛庁時代の2002年には、中谷元・同庁長官が8月15日に参拝した。

 

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本殿参拝を終えた「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーら=東京都千代田区で8月15日午前10時25分、小出洋平撮影

 首相や閣僚の参拝は繰り返されてきた。06年8月15日には小泉純一郎首相が、13年12月には安倍晋三首相が参拝し、中国や韓国など近隣諸国の反発を招いた。

 

 国の指導者が戦没者に対する追悼の意を表明するのは、自然な行為だ。しかし、靖国の参拝には問題がある。戦前は軍国主義を支える国家神道の中核だった。1978年には、極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪になったA級戦犯が合祀(ごうし)された。

 

 

 戦後日本は東京裁判を受け入れ、憲法が掲げる平和国家の理念を堅持してきた。終戦の日は、その歩みを確認する機会だ。木原氏は「私人の立場」で参拝したと説明するが、こうした経緯や意義に背を向けるものだ。

 

 旧日本軍は戦後解体された。民主主義体制下で発足した自衛隊は、制度的に断絶された組織だ。

 

 懸念されるのは、自衛隊の一部で最近、旧軍の戦死者を祭る靖国とのつながりを強めるような動きが見られることだ。

 

 

 今年1月には、陸上自衛隊の幹部らが集団で参拝していた。政教分離の観点から、部隊参拝や隊員への参加強制を「厳に慎むべきである」とした、防衛事務次官通達との整合性が問われた。

 

 防衛省は私的参拝であり通達違反ではないと結論付けたが、行程を記した実施計画が作られた上、公用車が使われており、組織的な参拝だと見られても仕方がない。

 

 

 4月に、自衛官OBの元海将が靖国の宮司に就いたことも両者の接近をうかがわせる。戦前には、陸軍大将が宮司を務めていた。

 

 防衛省・自衛隊で旧軍との連続性を意識するような動きが生じているとすれば、由々しき事態だ。木原氏の参拝は、そうした風潮にお墨付きを与えかねない。

 

 平和と国民を守るという自衛隊発足の原点から逸脱することがないように目を光らせる。それこそが、政治の果たすべき役割だ。

 

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  • (2)お国を守る英霊に、旧軍も新軍もあるモノかよ。

 毎日新聞に限った話では無いが、大日本帝国と大日本帝国陸海軍に対する絶対悪視や推定有罪ってのは、アカ新聞などで良く目にし耳にするところ。ある種の差別乃至偏見だと思うのだが、これは一体、なんなのだろうねぇ。「自分たちは、大日本帝国及び大日本帝国陸海軍(=「旧日本」と、括れそうだな。)とは決別した、”新生日本人”である!ってパフォーマンス(と言うより、自己陶酔)なのだろうか。
 「過去の日本の過ちを、通説に反省している!気でいやぁがるのかも知れないが、我らが先人にして己らが先人を不当に貶めることは、ある種の自虐趣味でも自己否定でもあるし、一種の差別でもあるのだが。

 第一、絶対悪なんてシロモノは、絶対善と同じぐらいに、滅多にあるモノでは無い。
 って事は、「絶対悪視」や「絶対善視」ってのは、本質的に「思い込みである/勘違いである」公算大と考えるべきだろうに。

 況んや、大日本帝国陸海軍と我が自衛隊三軍の間には、「我が国国防の大任にあたる」と言う、特筆大書して良い共通項がある。この点に於いて彼我の断絶や乖離など、ある筈も無い/あってはならない。
 「大日本帝国陸海軍は、大東亜戦争に敗れたのだから、我が国国防の大任に失敗しているのだ!って非難/批判/ロジック派あるだろう。だがそれは、「大日本帝国陸海軍に反省すべき点、改善すべき点がある」と言うだけであり、「絶対悪視し、全面否定し、断絶すべき」理由とはならない。

 大日本帝国は、近隣諸国の植民地化を企み、帝国陸海軍がその尖兵となった。故に、断絶すべき存在であり、断絶すべき過去である!」って思想・主張・ロジックはあろうし、アカ新聞たる毎日新聞なんぞはそんな思想に大いに染まっていそうだが、当時の我が近隣たる極東アジアでは、「植民地ではない」のは我が国とタイぐらいで、仏領、蘭領、英領などの植民地だらけ。「大日本帝国の植民地化」は、基本的に「西欧列強との植民地争奪戦」でしかない。
 

 西欧の植民地を、我が国が植民地化することを、「植民地化だ!」と非難される筋合いは、無い。

 従って、植民地化した罪」を以て大日本帝国や大日本帝国陸海軍を「断絶すべき」とするのは、不当である。

 上掲毎日新聞の言う「旧軍との決別」に対してすら、上記の通り彼我の乖離は相当なモノである。が、この程度は十分予想できる範囲であり、「タイトルを見ただけで腹が立つ」程ではない。
 
 「タイトルを見ただけで腹が立つ」のは、上掲毎日社説タイトルに在る旧軍との決別に疑念招く」の「疑念」故、である。

 上掲毎日社説でも縷々取り上げられて居る通り、何に付けカンに付け旧軍との決別に対する懸念」を煽り、煽りまくっているのは、間違いなく紛うこと無く毎日新聞はじめとするアカ新聞共だ。今回槍玉に挙がっている「現職閣僚の靖国神社参拝」とて、「何の問題にもならず、問題視もされなかった」時代があることを想起すべきだ。手前ぇらで散々煽り焚きつけてきた「懸念」を理由に「防衛相の靖国神社参拝」を非難し、阻止しようとするとは、マッチポンプも大概にしやがれ。

 敢えて断言しよう。「平和と国民を守る原点」に、大日本帝国陸海軍も自衛隊三軍も、変わりは無い。
 従って、大日本帝国陸海軍と自衛隊三軍への「連続性・継承」は、あって当然。「無い」としたら大問題。「無くせ」と言うのは、論外だ。