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何が何でも「改憲阻止」ー【東京社説】岸田首相と改憲 自らの延命に使うとは
言うもサラなりであろうが、私(ZERO)は「改憲派」である。
イヤ、それどころか、「日本国憲法なんざぁ、糞だ。」ぐらいに思っている。「改憲派」どころか「侮憲派」と言っても良いぐらいの、「過激改憲論者」と言えそうだ。
これに対して、世の大半の憲法学者(*1)や、アカ新聞や、野党の大半などは「護憲派」ばかりであり、東京新聞なんざぁその典型だろう。まあ、アカ新聞だしね。
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- <注記>
- (*1) 日本国憲法を純粋に学問のの対象と捉えるならば、「憲法学者」には「護憲派も改憲派も(同数や伯仲とは言わぬまでも)相応に居る」のが「常態である」筈なのだが、「改憲派の憲法学者」なんてシロモノは、トンと覚えが無い・・・どころか、会った事も読んだことも聞いたことも無いぐらい。
- 私(ZERO)が、「日本の憲法学者は、半分(以上)気違いだ。」と、断定断言確信するに至った、要因の一つである。
- イヤ、「憲法学者」が「護憲派である」事を以て「気違い」と断じる心算は無いが、「護憲派で無ければ、憲法学者ではない。」と断定しても良さそうな現状・惨状は、「日本国憲法を学問の対象とする者の集団」としては、少なくとも異常異様である。
- それが飽くまでも「日本国憲法を学問の対象とする者の集団」であるならば、ある種の思想統制が為されている、と考えるべきだ。
- 或いはハナっから、「日本国憲法を学問の対象とはしていない」か、だろう。それ即ち、「日本憲法学会の、自殺・自滅・自己否定」に他ならないのだが。
(1)【東京社説】岸田首相と改憲 自らの延命に使うとは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/346083?rct=editorial
2024年8月8日 07時54分
岸田文雄首相(自民党総裁)が7日、党憲法改正実現本部に出席し、来年が結党70年となる同党が党是としてきた「憲法改正の論議を進めるようお願いする」と指示した。内閣支持率が低迷し、9月の党総裁選を前に首相交代論が公然と語られる中、自らの延命のために改憲論議まで利用しようとするのなら、驚きを禁じ得ない。
先の通常国会では衆参両院の憲法審査会での議論は進まず、首相は会期末に近い6月19日の党首討論で、泉健太・立憲民主党代表に「憲法改正で責任ある対応をお願いしたい」と一方的に要求した。
通常国会で憲法審での議論が進まなかったのは、自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件の影響だ。にもかかわらず、その責任が野党側にあると言わんばかりの首相の発言は筋違いも甚だしい。
首相は同本部で、憲法9条に自衛隊を明記する改憲案について、8月末を目指して論点を整理するよう求め、議論を加速するよう指示した。
自民党はこれまで、過去に例のない衆院憲法審査会での閉会中審査の可能性も探ってきたが、強引な姿勢が立民など野党側の反発を招いて実現していない。首相の意欲は空回りしている。
そもそも憲法改正の発議は立法府たる国会の権能であり、行政府の長たる首相が改憲論議を主導してはならないのは当然だ。
岸田氏の総裁再選を支持しない議員でも改憲には反対しづらいという事情を逆手にとって、改憲を持ち出すことで求心力回復を図ろうとするのは改憲の政治利用にほかならない。慎むべきである。
同本部は憲法54条が定める参院の緊急集会に関し、活動期間は厳格に限定されず、機能は国会の権能すべてに及ぶとする見解をまとめた。緊急事態条項の新設に慎重な参院側に配慮したのだろう。
ただ、衆院解散後に災害などの緊急事態が生じた場合でも現行憲法の規定によって国会機能を維持できると認めたに等しい。改憲の必要性がないにもかかわらず、強引に改憲を主張するのは、改憲の自己目的化にほかならない。
憲法改正は、改憲しなければ国民生活に著しい影響が生じる場合に限られるという原点に立ち戻るべきだ。首相が自らの延命のために、期限を切って議論を急がせるなど言語道断であり、憲政史に汚点を残すだけである。
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(2)その「原則」に則れば、我が国は確実に滅びるな。
- 1> 憲法改正は、改憲しなければ国民生活に著しい影響が生じる場合に限られるという原点に立ち戻るべきだ。
・・・そんな「原点」を、いつ、誰が決めたってんだぁ?
第一、「憲法9条を改憲しなければ、国民生活に著しい影響が生じる」状況ってのは、典型的なのは「開戦」だろうよ。戦争が始まって、自衛隊が(期待されている通り)懸命に文字通り命を賭けて戦っているのに、憲法上に軍隊たる自衛隊の位置付けが無い、ってのは、「国民生活に著しい影響が生じる」事は間違いない。
で、そこから改憲するのかね?戦争が始まって戦時下にあり、先ず間違いなく我が国土が戦場となり、国民が戦火に曝されている状況で?「泥棒を見て縄をなう」より未だヒドい。遅きに失すると言うより、大間抜けの大馬鹿野郎だ。
イヤ、それどころか、そんな事態に至るまで憲法9条を改憲発議すらせず、日本国憲法上自衛隊を無視しろというのは、敗戦確実の亡国への道である。その時に、東京新聞は、正真正銘掛け値無しの売国奴にして国賊である、事になろう・・・未だ、そうで無ければ、だが。
第一、先述して触れた、東京新聞の主張する「原点」=「憲法改正は、改憲しなければ国民生活に著しい影響が生じる場合に限られる」は、以前の東京新聞社説で主張していた「改憲は、改憲の声が国民の中から澎湃と起こってから議論すべきだ。」って主張との整合・整理はどうなっているのか?「国民生活に著しい影響が出る」ならば「改憲の声が国民から上がる」事になりそう、ではあるが、「改憲を求める国民の声」には「現憲法下の国民生活への著しい影響」は、必ずしも必要では無かろうに。
即ち、上掲東京社説が掲げる「原点」=「憲法改正は、改憲しなければ国民生活に著しい影響が生じる場合に限られる」は、以前の東京新聞社説よりも改憲の条件を厳しくしており、より改憲を阻止阻害している主張である。
「改憲を求める国民の声」も「現憲法下での国民生活への著しい影響」も、単なる遅延策、遅滞戦術、嫌がらせの足引っ張り以上の、どれ程の意味・意義があろうか。
もっと言うならば、「軍隊が必要であり、実在しながら、憲法にその記載が無い」って状態は、「国民生活への著しい影響」だと、私(ZERO)なんぞは評価するぞ。
更に更に言えば、上掲社説タイトルにある「自らの延命」って批判が的外れだって事は、その後岸田首相が次期自民党総裁選に出馬しないことを表明することで実証して見せている。
根拠と言い、非難と言い、ロジックと言い、全く見るべき所無い社説だな。