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小説「機関長たち ーゴジラ-1.0外伝」(下)
機関長たち-ゴジラ-1.0外伝 | 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心 (ameblo.jp)
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7. 後日 一
春風楼で教えてもらった住所は、横浜だった。横浜と言っても、大分内陸の方で、遠くには丹沢連峰と富士山が見える。多摩丘陵地帯なので、坂道にも事欠かず、海も見えなきゃ、潮の香もしない。「港・横浜」のイメージとは大分かけ離れている。
そこの長屋の一角が、銀千代姉さんの現住所、と聞いて来た。
「ごめん下さい。こちらは、春風楼の銀千代姉さんのお宅、でしょうか?」
玄関先から声をかけると、奥の方から張り艶のある女性の声がする。
「ああ、そうだよ。
玄関は開いてるから、入っておくれな。こちとらは、一寸立ち上がるのも億劫なんで。悪いけど。」
言われるままに玄関の引き戸を開けると、二間続きの奥の部屋、ちゃぶ台の向こうに和服姿の女性が居る。年格好と良い、大きく目立ってきたお腹と良い、この人が銀千代姉さんに違いない、と、確信する。
「春風楼切っての売れっ子芸者」と聞いたけど、さもありなん、と思わされる。
「”春風楼”とも”銀千代”とも、縁を切ろうと思ってここまで引っ込んだんだけど。まあ、店とも縁切っていないし、当面は無理かね。
で、アタシが春風楼の銀千代姉さんだよ。そちらさんは、何処のどちらさんで、なんの用だい。」
一寸、どころでは無く緊張する。自分が知っているS(芸者)とは、格が違うというか、迫力が違う。そりゃ、オヤッさんの相方って事は、「オヤッさん並み」って事なんだけど。
「じっ、自分は、元帝国海軍・上等機関兵曹の上村と言います。オヤッさ・・・關機関長には随分目をかけて頂きました。
自分も海神作戦に参加した一人です。多分、關機関長と最後に言葉を交わした人間です。」
一通り、考えて居た口上をまくし立ててから、手にしていた風呂敷包みを開ける。幾らかの現金と、郵便貯金通帳。通帳の名義は、關機関長になっている。
あの日。いつの間にか回収艇の甲板にひっくり返って仰向けに空を見ていることに気づいたあの日。自分の懐にねじ込まれていた、間違いなく關機関長の「遺品」だ。
「正直、自分は気を失っていたので不明な部分が多いのですが、こちらは關機関長の”遺品”です。
上官にも同僚にも相談したところ、”春風楼の銀千代姉さん”にお渡しするのが、最善であろうとの結論に至り、本日、お持ち致しました。
受けとって頂けませんでしょうか。」
正直、現金は兎も角、郵便貯金通帳は「受け取り拒否」される可能性が考えられた。良い処「死者の郵便貯金通帳」だし、オヤッさんは公式公的には「戦闘中行方不明」になっているから「厳密に言えば、死者ではない」って事になり、口座から預金を下ろすことも、遺産として相続する事も「法的には出来ない」可能性がある、そうだ。
それでも、オヤッさんがこの「遺品」を渡そうと、残そうとしたのは、銀千代姉さんに違いない、ってのが、駆逐艦欅・機関科一同の結論だった。
だから、自分は此処へ来たんだ。
もし突き返されたら・・・仕方ない。神棚にでも祀って、御守りにでもするさ。そんなことを考えて居たら・・・
銀千代姉さんは、身重なことなんか忘れたような身のこなしで、すっと立つと、どこからか一升瓶とぐい飲みを魔法のように取り出して、自分の横に座った。
「そう。あの人の遺品を届けてくれて、ありがとう。確かに受けとったよ。
でも、それよりも、話しておくれよ。あの日のことを。あの人の最後を。」
一升瓶から器用にぐい飲み二つに酒を注ぎ、一つを自分の前に置くと、ぐい飲みを置いたその手を、そっと自分の大きくなったお腹に添えて、銀千代姉さんは続けた。
「あの人の”忘れ形見”って事になる、この子のためにも、ね。」
了解しました。姉さん。でも・・・
「自分、下戸なので。お酒は勘弁して下さい。
あの日のことは、自分の覚えている限り。全部お話しします。」
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(a)後日 二
久しぶりに、目が覚めた。
人間もそうらしいが、いい加減歳を重ねたワシも、この頃はうつらうつら眠っていることが多い。ワシの周囲が以前程には騒がしくなくなったから、と言うのもあろうが、まあ、普通に考えて「歳のせい」なのだろう。
無論、ワシは、唯のモノであり、軍艦でしか無いから、人間のような生物学的な寿命も年齢も無い。そうは言っても、モノなのだから、経年変化経年劣化と言うモノはある。
嘗ての船乗りが言う通り、船に魂というモノは、ある。現にワシはこの様に、自意識と自我を保って、此処にある。経年で劣化変化はしたものの、未だ船の形を保っているからこそ、ワシは他の兄弟姉妹や同期や数多の後輩たちよりも長いこと、この世に止まっている。
若い頃は、それはそれは元気なモノじゃった。西洋の島国で生まれて、東洋の島国であるこの国に「最新鋭戦艦」として艦隊に編入され、我ながら八面六臂の大活躍。仕舞いには、北の大国の遠征艦隊を壊滅させて、相手の全戦艦を海の底に叩き込むか降伏させて、我が方の損害水雷艇三隻のみという、海戦史上最も完全無欠無瑕疵に近い勝利を記録した。
飽くまでも「無瑕疵に近い」だ。これを完全無欠とうたっては、失われた3隻の水雷艇にも、それ以上に多い我が方の死傷者にも、申し訳が立たなかろう。
斯くして「救国の英雄」となり、栄光を極めた、と言って良いワシだが、その後爆沈したり、引き揚げられたり、記念艦として保存されたりした。陸岸に雪隠詰めとなって、「フネ」とは言い難い状態となっても、ワシは生き続け、色んなモノを見てきた。
随分立派に成長した後輩たちも見たし、航空機なんて「小さな仲間」を載せた艦も見た。
その「小さな仲間」だった航空機が大挙して押し寄せてくる様も、相当な数に一時は上った後輩たちがその数を減らし、力尽きていく様も見た。
その後に襲来した、なんとも形容しがたいデカブツも、其奴相手に、どう言う訳が砲も魚雷も外した小さな後輩4隻が出撃するのも見た。
委細は判らぬが、その内二隻は帰って来て、歓迎を受けて居たから、あのデカブツをどうにかした、らしい。我が後輩は、なかなかやりおる。
思えば、今回目が覚めたのは、あのデカブツ襲来以来、かも知れないな。
陸岸を見ると、親子連れがやって来る。2,3才ぐらいの男の子と、その母親らしい。母親は、日本人としては随分上背があるようだが、顔立ちや言葉からすると、日本人らしい。この辺りに最近増えた外国人、では無いようだ。
男の子は・・・ほう。ワシを目覚めさせたのは、お前さんかな。未だ年端も行かぬ子供ではあるが、端倪すべからざる「魂の輝き」がある。嘗て、ワシに乗りこんだ男たちにも引けを取らぬ・・・いや、それ以上の、輝きが。
これは、滅多に無いことだ。
ワシは自意識をしっかりと持ち、二人の会話に集中することにした。
「これが、三笠。戦艦・三笠。我が国を救った艦よ。」
女性はやはり母親のようだ。男の子に噛んで含めるように、教え諭している。
「お父さんの、乗っていた、フネ?」
少し舌足らずに、男の子は尋ねる。それは一寸、計算が合いそうに無いな、坊主。
「いいえ、お父さんよりもうんと先輩。お父さんのお父さんやお爺さん。ハッ君からすると、お爺さんや曾お爺さんぐらいの人達が、乗って、戦い、我が国を守ったフネよ。」
女性の言葉は何処か誇らしげで、ワシも嬉しくなる。あの頃は、ワシも若かった・・・
「でも、今は、余り強そうじゃ無い。」
男の子の、率直にして残酷な感想に、女性の表情が一寸曇る。ワシも面目ない思いをする。
ワシ自身には如何ともし難いのだが、今ワシを管轄している米国・米軍のヤツバラは、ワシの艦体を利用して、ダンスホールだの水族館だのの訳の判らん上構設えやぁがったものだから、若くハンサムだった頃のワシの面影は微塵も無い。
「そう・・・これは一寸ヒドいよね。GHQにねじ込んでやろうかしら。」
女性の表情が変わり、肉食獣を思わせる凄みのある笑顔になる。
「大和撫子」というと、「か弱く、お淑やかな手弱女」というイメージも強いが、本来我が国の女性は、そんなに弱い存在ではない。
史実で言う卑弥呼は、紛れもない一国の指導者だった。
伝説で言う乙橘姫は、己が身命を賭して夫のために活路を開いて見せた。
史実も伝説も、我が国の女性は、相当な「強さ」を見せている。
その意味で、この女性の風貌や体格は一寸「日本人離れ」しているが、その魂は、美事なまでに日本人女性=大和撫子である、と言えよう。
この子にして、この親あり、と言うところか。このお嬢さんも、なかなかの傑物らしい。ワシはなんだか、嬉しくなってきた。
「でも、本当に強いフネならば、またカッコ良くなるよ。」
母を慰めるように言った男の子は、そこで一度言葉を切り、ワシの方を真っ直ぐ見た。恐ろしく真剣な、とても子供とは思えないような表情で、続けた。
「ならなければ・・・僕が、する。」
烈風が、吹き付けて来るような気がした。男の子の放つ「気」が、ワシに、ワシにさえ、その様に感じさせた。ワシを凝視する男の子の両眼が、異様なまでの光を宿していることを、ワシはまざまざと見せつけられた。
『この子は・・・・やる。』
ワシの徒に長い生涯でも、こんな経験、こんな感覚は初めてのことだ。イヤ、長生きはするモンだ。
それと同時に、ワシはもっと長生きしたくなった。戦艦としての威容も失い、唯『老醜をさらしている』としか思えなかった我が現状に、一縷の望みが湧き、一筋の光が差した。
ある意味、「生き甲斐が出来た」と言うことであり、ある意味「存在理由が見つかった」と言うことでもある。
ようし。こうなったら徹底的に長生きしてやろう。この子の行く末も、この子の子孫の行く末も、それを言うならば、一時は殆ど全滅してしまったが最近また少しずつ増え始めた我が後輩たちの行く末も、徹底的に見届け、見守ってやろう。
『老いの一徹』、甘く見るで無いぞ。
「そうね、貴方なら出来そうね、八郎。何と言っても、お父さんの息子、だものね。」
女性の口調も眼差しも、格段に柔らかくなる。「子を見る母」というヤツだ。こればかりは単なるモノであるワシの理解の外だが、それだけに、羨ましく思うことがある。
「じゃあ、GHQは暫く保留にしてあげましょうかね。」
そう言って、笑う女性の表情に、ワシは思い出していた。子を思う母の愛情の深さは、子に仇なすモノに対する母の怒りと憎悪と表裏一対だ、と言うことを。
その愛が深ければ、その怒り・憎悪もまた凄まじいものになる。
GHQってのが何者か、ワシには判らんが・・・同情を禁じ得んな。
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8.歴史的補遺 記念艦 戦艦「三笠」
日露戦争に於ける連合艦隊旗艦であり、当時最新鋭の戦艦であった三笠は、日清戦争後の我が国海軍拡張の一環として英国に発注・建造された。
東郷平八郎連合艦隊司令長官座乗&指揮で日露戦争を戦い抜き、そのハイライトと言うべき日本海海戦に於いて、ロシアのバルチック艦隊相手に大胆な敵前大回頭(所謂「東郷ターン」)で遠距離反航戦から近距離同航戦へと持ち込み、鍛えに鍛えた射撃技量と、続く水雷艇隊の夜襲、翌日の追撃とで、バルチック艦隊の全戦艦を撃沈乃至鹵獲した上、ロシアのウラジオストック基地に到着できたロシア軍艦は巡洋艦2/駆逐艦1の3隻のみ。而して我が方の損害は、撃沈されたモノ水雷艇3隻のみと言う、空前絶後のワンサイドゲームを実現。「史上最も完全な海戦上の勝利」として、ギネスブックにも記録される。
日本海海戦の直後に火薬庫の爆発事故で大破着底する惨事に見舞われたが、引き揚げられて戦線復帰。
大戦間期の海軍軍縮条約時代(所謂、海軍休日Naval Holiday)には流石に旧式化のため廃艦と決まったが、「第一線復帰できない状態」とすることで、記念艦としての保有が認められ、記念艦化される。
その後、第二次大戦敗戦により三笠保存会が解散する等の影響で、三笠は荒廃し、艦上にダンスホールや水族館が作られて遊興施設となる惨状に見回れたが、国内外からこれを惜しむ声が上がり、艦上構造物を復元するなどして、嘗ての艦容を復元・復活させて記念艦「三笠」として、今も「三笠公園」の中に展示されている。
米国のコンスティテューション、英国のヴィクトリー共々「世界三大記念艦」とされていると共に、「現存する最古の鋼製艦」として、その価値は高い、とされている。
三笠は今も、見守っている。
Great MIKASA is watching YOU.
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(4)後書き 主人公、二人
「機関長たち」ってタイトルはかなり早期に決まっていた。駆逐艦・欅と駆逐艦・夕風の「海神作戦第一段ペア」の機関長ペアを主人公にしよう、って事も決めた。
この時点で、本小説の基本的構成「主人公二人に依る、交互モノローグ」って構図が決まった。二人が登場する同じ場面は、双方の立場から交互に「語る」って趣向だ。これが、中々面白いことになった。
先ず、二人の会話が決まる。その会話を軸として、それぞれの視点、想いが、芝居のト書きを書くようにした埋まっていく。滅多に無いが、偶にある「小説の出来方(*1)」だ。こう言う「出来方」するときは、登場人物の科白が「聞こえて」来る。因みに、關機関長の声は、「秋津艇長」こと佐々木蔵之介だ【強く断言】。
その流れが、主人公二人の「亡き後」まで引き続いて、最終章での「戦艦三笠のモノローグ」として、ある種「結実」している。
その正否、評価は、読者諸兄にお任せするとして、私としては、書き始め当初には想像だにしていなかった「戦艦三笠の登場」って「意外な結末」に、相当な満足感と高揚感を覚えている。
考えてみれば、横須賀の三笠は、ゴジラ第一次上陸の際の「最終防衛線突破」も、熱線放射で発生した東京のキノコ雲も、海神作戦に出動する駆逐艦4隻も、その内の雪風・響の帰港も、皆「見ている」はずなのである。
そして・・・今も、「見ている」。世界三大記念艦の一隻にして、我が国に現存する最後の戦艦として。
我が小説最終章の主人公には、願っても無い「ゲスト出演」であった。ある意味『三笠の船霊に導かれた』結果、かも知れない。
- <注記>
- (*1) 間違っても「書き方」ではない、と思う。意識して意図して「そうなる」とは、とても思えない。
- 書いている/書いた当人が言うんだから、間違いなかろう。