• 機関長たち-ゴジラ-1.0外伝

(1)謝辞
 本稿を、偉大なる映画「ゴジラ-1.0」の脚本を書き、監督もし、特技監督も兼任した山崎貴氏に捧げる。
 
 尚、本作は映画「ゴジラ-1.0」のネタバレを相応に含んでいる。従って読者は読み始める前に、映画「ゴジラ-1.0」を、一度でも聴取することを、強くオススメする。

 


(2)前書き
 映画「ゴジラ-1.0」は、アカデミー賞視覚効果賞をはじめとする数多の賞に輝いているが、そんな「他人が授与した賞」なんぞには関係なく、私(ZERO)にとっての紛れもない大傑作である。ロードショウ上映中の映画を複数回映画館で鑑賞するさえ初めてであるというのに、本作を私(ZERO)は、映画館で、自腹で、十回以上鑑賞し、毎回ボロ泣きで、あのシーンとこのシーンでは必ず(帝国海軍式)敬礼を捧げた。それぐらい「私(ZERO)にとっての大傑作」である。

 だが、神ならぬ身の人の為すこと故、完全無欠完璧無瑕疵って事は、先ずあり得ない。「私(ZERO)にとっての大傑作」たる「ゴジラ-1.0」とて、私(ZERO)自身が不満に思う点が、無い訳ではない。

 「情報統制は、この国の、お家芸だ。」って秋津艇長の捨て台詞には、そんな科白を吐く秋津艇長(佐々木蔵之介)の姿を賛嘆しつつ、「情報統制が我が国のお家芸ならば、我が国はミッドウエイ海戦に勝っている。」と言い返したくなるし、「ガイガーカウンター付きのブイ」で海中のゴジラを検知するのは、先ず無理だ(*1)。


 本作屈指の名科白である、「海神作戦前夜の、野田さんの名演説」にも、やはり突っ込みたくなる所はある。軍用機に脱出装置が普及一般化するのは第2次大戦後の話で、第2次大戦機は基本的に、パイロット自身の手でキャノピーなりドアなりを開けて、自らの足で脱出しなければならず、キャノピーを吹き飛ばす火工品さえ稀有な存在。「最低限の脱出装置すら付いてない」のは、第二次大戦では「グローバルスタンダード」だ。
 更には、大東亜戦争にせよそれ以前の日清日露戦争にせよ「死ぬための戦い」と断言するのは言葉が過ぎよう(*2)。また、「一人の犠牲者も出さないことを、誇りとしたい。」の決め科白に、「その意気や壮」とは言うものの、「そうは行かないだろう。」って突っ込みたくなる。
 
 左様、本小説は、そんな「そうは行かないだろう」って、野田演説に対する「突っ込み」の拡張発展版である。
 

  • <注記>
  • (*1) 水は、極めて優秀な放射線遮蔽材であり、「水か土1mで、放射線は百分の1に減衰」ってのが、私(ZERO)が(多分中学生の頃に)覚えた「減衰率」。コレが正しいならば、2m離れたら1万分の1。3m離れたら百万分の1。海中水中のゴジラの放射線を、海面に浮いているブイが検知するのは、先ず不可能だ。 
  •  
  • (*2) 靖国神社に祀られている御霊の多くは、「死ぬために死んだ」とは、とても思われない。神風特攻隊員とて、「自らの死を以て、他者を活かすために、死んだ」と考えるのが、筋でもあれば、妥当でもあり、また、供養でもあろうが。 

 

  • 小説「機関長たち ーゴジラ-1.0外伝」

1.決戦前夜-宵の口 一

 「ヤツが現れた!」って噂は、瞬く間に広がった。

 「ヤツ」。「超巨大未確認生物」とも「ゴジラ」とも呼ばれる、銀座を再び廃墟にした怪物。「放射熱線」とか言う、広島・長崎に投下された原子爆弾以上の破壊力で、我が国に新たな災厄をもたらした、「憎むべき敵」。

 帝国海軍無き今、人は(未だ)居るが、フネはない。イヤ、海没処分になるところを返還されたフネはあるが、なけなしの重巡「高雄」以外は、砲も魚雷も外された丸腰の駆逐艦が4隻だけ。そのなけなしの「高雄」がヤツの「放射熱線」で派手に轟沈させられてるんだから、笑えるというか、泣けるというか・・・

 それでも、動かせるフネがあり、為すべき任務があり、その任務で我が国土、皇土、国民を、ヤツのもたらす暴虐と破壊から守れる、かも知れないとあれば、否やはない。粛々と任務を完遂する、までだ。そう腹を括って、俺たちは、「元帝国海軍軍人」は、再び集まったんだ。
 正直、砲も魚雷も外された駆逐艦達を見るのは辛かった。高雄の8インチ主砲はヤツには効果なかったらしいが、我が駆逐艦の必殺の酸素魚雷ならば、或いは・・・とも思わないではない。
 「駆逐艦乗りの悪い癖、だな。」と、思わず自嘲が漏れる。俺たちはあの酸素魚雷を敵主力艦に命中させることを殆ど唯一の生き甲斐、「存在理由」と言えそうな程の重大事と叩き込まれていたんだ。対空戦闘や、対潜戦闘、果ては離島への物資食料の「ネズミ輸送」にこき使われ、損耗消耗していくなんて対米戦=大東亜戦争は、想像して居なかった。必殺必中を期された酸素魚雷も、「撃てた奴が珍しい」し、「当てた奴」はもっと珍しい・・・イヤ、正直、今でも未だ「羨ましい」と思うんだが。

 それでも俺は、俺たちが、死んだ奴も生き残った奴も、あの戦争で「役に立てなかった」とは思わない。確かに戦争には負けたが、思えるモノかよ。勝ちもあれば、負けもあるのが、勝負であり、戦争ってもんだ。生き残った俺たちは未だしも、死んでいった奴らが「役に立てなかった」なんて抜かす奴ぁ、速攻でぶん殴ってやりたくなる。

 増えたけどな。そう言う奴ら。

 「…思えば、この国は命を粗末にし過ぎてきました。脆弱な装甲の戦車、補給軽視の結果、餓死・病死が戦死の大半を占める戦場・・・戦闘機には、最低限の脱出装置さえ付いていなかった。仕舞いには、特攻だ、玉砕だと・・・だからこそ、今回の、民間主導の今作戦では、一人の犠牲者も出さないことを誇りとしたい。
 今度の戦いは、死ぬための戦いじゃない。
 未来を生きるための戦いなんです。」

 万雷の拍手を以て喝采された、今回の作戦立案者である野田先生の名演説も、俺は素直には聞けなかったし、拍手もおざなりだった。
 あの戦争で、大東亜戦争で死んでいった奴らぁ、「死ぬために戦った」訳じゃぁねぇ、だろう、としか、思えなかったから。
 そりゃ、中にはそう言う奴も居たかも知れないが、俺が知っている奴らぁ皆、「生きたかったが、適わずに死んだ」か・・・「己が死ぬことで、誰かを活かそうと願った」かのどちらかだった。

 こりゃ、今夜は、一杯やらないことには、眠れそうにないな。野田先生は「皆さんは可能な限り、今夜は自宅に戻って、家族と過ごして下さい。」と言われたが、こちとらぁ独り身で家族もヘッタクレも無い。
 
 一人手酌酒ってのも、悪くはないんだが、今夜はチョイと訳ありだ。誰か格好な鴨は居ないかと、探すと・・・居た、居た。ネギ背負って鍋まで背負ってそうな鴨が。駆逐艦夕風機関長、清水。あいつぁ背が高いから、何処行っても目立つ。オマケに底抜けのお人好しだから、こんな時でも無理聞いてくれそうだ。

「よぉ、清水機関長。所帯持ちのあんたが、今晩暇な訳ぁないが、一杯だけ付き合えや。」

 「最後の晩餐って奴だ。」とは、口には出さなかった。

 

 

  • (a)決戦前夜-宵の口 二

 「皆さんは可能な限り、今夜は自宅に戻って、家族と過ごして下さい。」と野田さんに言われてから、妻の顔が脳裏に浮かんで仕方が無い。
 こんな事では、任務に支障が出かねない、とは思うが、浮かんでくるモノは止めようがない。仕舞いには「未だ見ぬ我が子の顔」まで浮かんできた。あいつ、「絶対、男の子よ。」なんて何度も断定断言するから・・・

 気を取り直して聞くことに集中し直すと、野田さんの声が聞こえてきた。

 「だからこそ、今回の、民間主導の今作戦では、一人の犠牲者も出さないことを誇りとしたい。
 今度の戦いは、死ぬための戦いじゃない。
 未来を生きるための戦いなんです。」

 喝采の拍手を送りながら、内心呟いていた。

 『野田さんらしいなぁ。』

 昔から親交があった訳じゃない。それどころか、今回の「海神作戦」立案以来の、短い付き合いでしかない。
 艦長達とは違って機関長って役職は「縁の下の力持ち」だ。最大速力をいつでも出せるよう、煙幕を張れるよう、機関を整備し、動かしているが、それらが「出来て当たり前」で、「出来なかったら、切腹モノ」と、機関学校でも散々叩き込まれた。
 そんな「縁の下の力持ち」である機関科の俺たちにも、作戦立案者の野田さんは色々気遣ってくれた。無人操舵・・・と言うよりは「針路固定」にアレコレ技術的難しさがあったためでもあろうが、普通は「針路の固定に、両舷機関出力のバランスが関与する」なんて気づかないモノだろう。戦時中は兵器の開発に携わっておられたそうだが、随分と広範な知識をお持ちであることも、その人間的温かみも、理解するのに大して時間はかからなかった。

 と同時に、技術士官らしいと言うか、「後方勤務臭さ」というか、「理論、理想が先行して、現実・現場とは乖離する」傾向が、感じられないでも無かった。まあ、そこが、野田さんの良い処、でもあるんだが。

 なにしろ相手は、あの「超巨大未確認生物」ゴジラだ。第一段作戦だけで我が夕月と欅を磨り潰す大胆な作戦でも、そうそう簡単にはいかない。その夕月と欅の「無人航走計画」も、突貫工事でなんとか目処は立ち、形にもなったが、アレコレ心配事は絶えない。
 
 それが「理想と現実」、「理論と実践」のギャップと言うモノだ。

 そんなことを考えて居ると、早速「家族と共に過ごす」為に退艦、もとい、退庁する動きが始まった。再び妻の顔と「未だ見ぬ我が子」の顔が戻ってきそうだ、と思っていたら、背後から声が掛かった。

「よぉ、清水機関長。所帯持ちのあんたが、今晩暇な訳ぁないが、一杯だけ付き合えや。」
 
 声に振り返ると案の定、關機関長だ。叩き上げの駆逐艦乗り。一水兵から機関長までずっと駆逐艦に乗り続けて、生き字引とも生き神様とも「帝国海軍の至宝」とも、言われることがあるらしい。それどころか。「もう一寸戦争が長引いていれば、間違いなく艦長」だとか、「艦長職を打診されたが、拒否して機関長に止まった」とか、色んな噂というか、伝説のある人。
 
 『機関学校出ってだけで、機関長になった』僕なんかとは、偉い違いだが、何かと縁があり、付き合いがある。

 そんな關機関長のお誘いだ。断る訳には行かないな。

「ああ、關機関長。了解しました。お付き合いしましょう。」

 でも、一言、付け加えなければ。

 「でも、一杯だけですよ。」

 それぐらいの時間なら、あいつも許してくれるだろう。
「未だ見ぬ我が子」も。

 

 

  • 2.決戦前夜-宵 一

 「一杯だけ」で終わらなかったのは、俺の性だな。何となく言いそびれて、そのくせ言いたくて、「まあ一杯」「もう一杯」と杯を重ねてしまった。

 俺と違って、向こうはKA持ち(妻帯者)なんだ。帰してやらないと。

 コレが「最後の一杯」と心に決めて清水機関長の杯を満たしながら、俺は漸く話し始める。
 
 「ウチの娘は、どうにもじゃじゃ馬でなぁ。手が掛かるよぉ。」

 いきなり切り出した話題だが、そこは機関学校出のエリート機関長様だ。咄嗟に「ウチの娘」は「駆逐艦・欅」で、「手が掛かる」のは「機関のこと」と理解し、察してくれた。
 コレだから、頭の良い人は好きだよ。

 「ああ、あの娘は昔から、そういうとこありましたね。
  でも、そこを手なづけてらっしゃったのが、關さんでしょう。」

 肩書き抜きってのも悪くない。帝国海軍が無くなって、シャバに帰って、それでも階級意識とか、軍人根性とか、抜けない奴も居るけれど、清水機関長殿は違う。

 「そう言って貰えると嬉しいねぇ。だけど最後の最後で、そのじゃじゃ馬ぶりでしくじったら、目も当てられねぇやな。」

 知らぬ間に湧いてきた唾を飲み込むために、俺は一息付く。自分でも知らない間に、緊張しているらしいや。

 「で、なあ・・・俺ぁ、最後まで、あの娘に付き合おうと思うんだ。」

 さりげなく言った、心算だった。出来ることなら、冗句か何かと聞き流してくれて、他日「アレは、そう言う意味だったのか。」と気づいて貰えれば、最高だ。本望だ。そう思っていた。

 甘かった。途端に奴さん、表情が変わった。若くて良い男なんだから、眼光鋭く睨まれると、凄いんだコレが。

 「野田さんの”演説”、聞かれましたよね。
  あれは、一種の命令じゃぁ、ないでしょうか。」

 一瞬で悟られた。俺が明日、「戦死」する気だって事を。
 コレだから、頭の良い人は嫌いだよ。

 「うん、まあ、野田先生には、悪いと思ってる。だから出来ることなら、野田先生にも、他の誰にも、秘密にして、あんた一人の胸に仕舞っておいてくれないかな。
 アメちゃんではMIA、戦闘中行方不明ってぇらしいや。其奴になったって、ことで、ひとつ。」

 ”ならば、何故自分に知らせたのか?!”って詰問されたら、俺も返答に困るところだ。何となく、なんだよなぁ。「明日は死のう」って決めたのも、その前夜に一杯やろう、って決めたのも、その相手に清水機関長殿を選んだのも。

 「そうですか。」

 そう言うと、奴さん、杯に口をつけて、ゆっくりと飲み干しやがった・・・あれ、なんか反応がおかしくないか?
 エッ。奴さん、笑いやぁがった。だから、その美男子で微笑むってのは、反則だって。

 「実はウチの娘も、最近は結構じゃじゃ馬なんですよ。」

 杯を持つ俺の手が、止まった。序でに心臓まで止まった、気がした。
 酒を吹き出さなかったのは、呑み込んで口に含んでなかったからだ。口の中に残ってたら、残らず盛大に吹き出していたこと、間違いない。

 「待った。待った。待った。待った。待ったった。」

 噛んだ。こんなに慌てたのは何時ぶりだろう。米潜の夜間レーダー雷撃よりもひでぇ。顔色が変わっているのが、自分でも判る。絶対、部下には見せられない面だ。

「悪いことは言わない。頭冷やして考え直せ。
 あんたぁ、若いし、頭も切れる。これからの日本に、絶対必要な人だ。
 だ、第一、帝国海軍が無くなったって、この国が海軍無しで居られる訳ぁ無ぇんだ。俺のカンじゃぁ数年も待てば、日本海軍は復活する。その時、あんたが居ないで、どうすんだよ。」

 心底、真剣に、そう思う。そうで無くっても前の戦争で良い奴、優秀な奴タンと亡くしているんだ。兵は叩けば何とかなる、ってところがあるが、士官は、指揮官は、持って生まれた才も、訓練も、年月も必要だ。そう簡単にはいかない。
 未だ生きていて先も長い優秀な士官・指揮官は、幾ら居ても足りないぐらいなんだよ。

「伝説の關機関長にそこまで言われるとは、光栄の至りですね。
 でも、私程度の人材なら、他にも居ますよ。」

 だから、居ねぇって。こっちには。この世には。この先には。

「か、カミさんどうすんだよ。産まれてくる子どもは。
 父無し子に寡婦じゃ、お前、そうで無くても厳しいって時に、たまったモンじゃぁねえぞ。」

 こうなりゃ、泣き落としだ。浪花節だ。妻にとっての夫も、子にとっての父親も、唯一無二だぞ。替えは効かねぇぞ。なあ、おい、そうだろう。

 そうだ、と言ってくれ。納得してくれよ。頼むよ、オイ。

「義父が健在でしてね。”いつ、死んで帰って来ても、大丈夫だ。”って、戦時中は随分発破かけられましたよ。
 一寸した、意趣返し、でもあります。」

 あ、また笑いやぁがった。
 こりゃダメだ。
 こう言う笑顔する奴ぁ、俺ぁ良く知っている。こうなると、もう、何が来たって梃子でも動かねぇ。覚悟の決まった面だ。戦時中に、イヤになる程見てきた。

 何度見ても、イヤなもんだ。その覚悟を決めさせちまったのが、この俺と来たなら、尚更だ。
 コレで、俺ぁ地獄行き決定だな・・・いや、それはもう前からだがら、どうでも良いが、この人道連れにしたとあっちゃぁ、あっちで待っていそうな奴らに会うのが、閻魔様よりおっかねぇや。
 あいつら全員、極楽の方に行ってねぇかな。無理かな。

「野田さんの”演説”、ね。大変結構でしたが、僕としても思うところが、無い訳じゃぁ無いんですよ。」

 そんなもんですかねぇ。そう思いながら、俺は最後の杯を一気に飲み干した。
 やっぱり、頭の良い人の考えることは、俺なんかじゃぁ判んねぇや。

 

 

  • (a)決戦前夜-宵 二

「俺ぁ、最後まで、あの娘に付き合おうと思うんだ。」
 
 關さんの言葉は、決定打だった。
 
 誘われたときから、何かありそうな気はした。一杯だけの筈が、二杯、三杯と杯を重ね、何か言いたそうだが言い出せない關さんの様子は、それを確信に変えた。
 何しろ、今夜は決戦前夜だ。野田さんの名演説があっての早じまい、早上がりを、「付き合い」で損耗させるなんて、關さんらしくない。
 僕とあいつの結婚も、あいつの懐妊も、僕以上に喜んでくれた關さんが、何か言い出しにくくて、この「決戦前夜の貴重な時間」を消費している。その「何か」を考えたとき、当然、「思い当たる節」があった。

 關さんは、明日、艦に残って、「戦死する」心算だ、と。

「野田さんの”演説”、聞かれましたよね。
 あれは、一種の命令じゃぁ、ないでしょうか。」

 我ながら、声が鋭くなる。無論我々も、野田さんも、もう軍人ではない。大体、帝国海軍すら既に無い。だからこその、「民間主導の海神作戦」であり、我々も、皆も、民間人として参加・参集しており、便宜上慣れ親しんだ階級や役職で呼んでは居るが、純然たる「民間人」、「シャバの人間」だ。
 だからこそ、の野田さんが掲げた「誰一人死なない、死なせない」という「方針」だ。それがある種の「理想論」であることは認めるけれど、その「理想」に、その「思想」に、「關さんの戦死」は、傷をつけかねない。

「うん、まあ、野田先生には、悪いと思ってる。
 だから出来ることなら、野田先生にも、他の誰にも、秘密にして、あんた一人の胸に仕舞っておいてくれないかな。
 アメちゃんではMIA、戦闘中行方不明ってぇらしいや。其奴になったって、ことで、ひとつ。」

 ・・・つまり、關さんは、明日「艦と運命を共にして、"戦死"する」心算だが、それを「誰にも知られたくない」し、特に、「野田さんには知られたくない」って事だ。
 それはつまり、野田さんが掲げた「理想」に關さん自身が賛同し、多としつつ、その「理想」と「海神作戦完遂」と言う「現実」とのギャップ=乖離を、己が命で埋めよう、としているって事になる。

 ”關さんらしい。”それが、僕の率直な感想だった。確かに、無人操舵=針路固定に両舷機関のバランスは不可欠で、そのバランスを普通は、今までは、機関員の目と手で、有人で、実施してきた。
 海神作戦第一段の、欅と夕風の目的は、奴=ゴジラに熱線放射を吐かせる事なのだから、体当たりする衝突コースに載せて、針路固定する必要がある。「じゃじゃ馬な機関」に両舷機関のバランスが崩れたら、あらぬ方向に行ってしまい、奴を怒らせ、ビビらせ、放射熱線を吐かせることが、出来ないかも知れない。

 だから、艦に残って、機関の面倒を見る。「じゃじゃ馬機関」をなだめすかす。実に、關さんらしい。

 「誰も死なない海神作戦」って「理想」を掲げる野田さんも、その「理想」の影で「人知れず戦死しよう」って關さんも、二人とも、それぞれらしい。

 翻って、僕はどうだろう?

 未だ大分残っている杯に手を伸ばし、ゆっくりと呑みながら、僕は、僕らしさ、俺らしさ、自分らしさについて、考えた。
 あいつと二人、子どもを育てる。シャバの会社に勤めて、定年まで勤め上げ、孫と会うのを楽しみにする定年後を迎える。悪くないな。
 
 でも、僕らしいかな。自分らしいかな。
 違う気がするな。

 酒杯に残った酒の表面を、一寸見つめる。あいつの顔でも浮かんで来るかと思ったが、酒は、酒のままだった。

「そうですか。」

 言いながら、自分が笑みを浮かべている事に気付いて、自分でも驚く。
 なんだ、簡単なことじゃないか。
 再三叩き込まれ、部下達にも訓示訓練してきた、「海軍精神」。シャバじゃぁ近頃は随分評判悪く、露骨に蔑視されることも多いけど、僕の紛れもない根底であり、芯でもある。今更免れようも無い。誤魔化しようもない。

 四面海もて囲まれし、我が敷島の厳島。
 外なる兵を防ぐには、陸に砲台。海に船。
 
 そんな軍歌の一節が、不意に思い出される。そう、今では砲台は無いが、船ならば、ある。我らが、駆逐艦・夕月が。

「実はウチの娘も、最近は結構じゃじゃ馬なんですよ。」

 迷いが無い、って言ったら、嘘になる。あいつに報告、もとい、申告するのは気が重いが、申告しない訳にも行かない。怒るだろうし、悲しむかも知れないが・・・あいつなら、大丈夫だ。と、此処は甘えさせて貰おう。
 幼馴染みで、結婚以来どころか、知り合った頃からずっとお世話になりっ放しな気もするが、コレが最後・・・とは、一寸言えないなぁ。

「待った。待った。待った。待った。待ったった。」

 關さんの大声で、意識が現実に戻る。「血相変えて、慌てる關さん」なんて、世にも珍しいモノを拝めた。コレは、あっちへの良い土産話になりそうだ。
 嵐だろうが、敵襲だろうが、奴=ゴジラだろうが、關さんを慌てさせるなんて、想像すらできなかった。
 で、何を「待つ」と言うんです、關さん。

「悪いことは言わない。頭冷やして考え直せ。
 あんたぁ、若いし、頭も切れる。これからの日本に、絶対必要な人だ。」

 ”それは、貴方の方でしょう。”と内心混ぜっ返すと、僕の笑みは更に深くなる。「帝国海軍の至宝」「機関の生き神様」こそ、新生日本海軍には必要でしょうに。

「だ、第一、帝国海軍が無くなったって、この国が海軍無しで居られる訳ぁ無ぇんだ。俺のカンじゃぁ数年も待てば、日本海軍は復活する。その時、あんたが居ないで、どうすんだよ。」

 關さんのカンは当たることで有名です。そのカンも当たると良いなぁ。
 でもね、機関学校を出てなくても、機関長なんて肩書きが無くても、優秀な機関兵はまだ随分残ってます。今次「海神作戦」にも従事し、経験を積む者も居るし、その大半は野田さんが生きて連れて帰ってくれる、と期待できます。

 GHQさえ何とかすれば、新生日本海軍も、その栄光も、存外なくらいに近い将来だと思いますよ。ひょっとして、帝国海軍以上の栄光だって、夢じゃぁ無い、と良いなぁ。

「伝説の關機関長にそこまで言われるとは、光栄の至りですね。
 でも、私程度の人材なら、他にも居ますよ。」

 見てみたかったですけどね。新生日本海軍。多分最初は、アメ公のお下がりでしょうけれど。黒船を見て腰を抜かしてから、僅か80年で戦艦大和を建造した我が国に取って、それぐらいの差が、なんでしょう。

「か、カミさんどうすんだよ。産まれてくる子どもは。
 父無し子に寡婦じゃ、お前、そうで無くても厳しいって時に、たまったモンじゃぁねえぞ。」

 ああ、そう来ましたか。実に關さんらしいし、良い手です。
 唯一つ誤算だったのは、あいつが、私や關さんなんかより、よっぽど「人間が出来ている」ってことですよ。それはもう、先の大戦で、骨身に染みて痛感させられましたし、感謝しかないんですけどね。

「義父が健在でしてね。”いつ、死んで帰って来ても、大丈夫だ。”って、戦時中は随分発破かけられましたよ。
 一寸した、意趣返し、でもあります。」

 義父さんを引き合いに出したのは、一種の口実です。「死んで帰って云々」は、大東亜戦争が我が国の敗北で終わった際に、随分と丁寧に謝罪されたから、それでチャラってことにしてます。
 でも、まあ、可愛い初孫を、無碍にはしますまい。その点、安心出来るというか、信用しています。

「野田さんの”演説”ね、大変結構でしたが、僕としても思うところが、無い訳じゃぁ無いんですよ。」

 「誰も死なない戦争」って理想は理解しますし、尊いとも思いますが、現実はそれほど甘くは無い。
 ヤツを倒すには、相応に対価・代価が、必要なんだと、僕は思いますよ。

 

 

  • 3.決戦前夜-深夜 一

 店を出たときのほろ酔い加減は、夜風に吹かれているウチにかなり醒めた。家路を目指し、家の灯りが見える頃には、すっかり素面、と言って良さそうだった。
 退庁したのは、結構早い時間だったのに、「一杯だけ」のはずの關さんとの付き合い酒が長引いて、こんな時間になってしまった。灯りが点いているってことは、あいつは未だ起きている。 

 いや、問題は、「未だ起きている」ことじゃぁ、ないんだが・・・・

 「只今」。玄関でかけた帰宅の挨拶に、「お帰りなさい。遅かったのね。」と、いつも通りに元気に優しく答えてくれる、「あいつ」。我が妻。我が女房殿。
 
 幼馴染みで、同い年。誕生日はあいつの方1,2カ月先行してて、そのためもあって、「姉さん女房風」を吹かされることが多い。当人は、僕が生まれたときのことを「覚えている」と主張しているが、「物心つく」のは普通、もっと先の話だから、流石に僕も信じては居ない。

 僕と並んでも見劣りしない上背は、日本女性としてはかなりの長身で、それが当人の一寸したコンプレックスだったりするのだが、そこがまた可愛いんだ。上背ばかりでは無く、スタイルも、一寸日本人離れしているのが、僕の密かな自慢の一つだ。

 「御夕飯は?一応用意したんだけど。」
 「うん、ああ、軽く頂こうか。」
 
 ちゃぶ台の上には、何皿か並んでいて、ご丁寧にお銚子まで付いている。皿の上は、僕の好物ばかりが並んでいる。呑んできた後だけど、一寸摘まもうかなって気にさせる様な盛り方だ。イヤ、実に、有り難い。
 お猪口が二つ並んでいるのは、ご愛敬、って所だろう。ちゃぶ台に座って箸を取ると、妻が隣に座って、お猪口に酒を注いでくれる・・・二つ分。

 「ご・相・伴。」
 一寸イタズラっぽく笑った妻は、乾杯もそこそこにその杯を一気に呑み干す。
 未だ一杯目に手も付けかねている僕を尻目に、妻は早くも二杯目を手酌で注いでいる。一寸、いつもより速いペースだ。そこに「何か」を感じてしまうのは、どうも杞憂では無いようだ。
 
 「で、来るんでしょ。ヤ・ツ。」
 ほうら、やっぱり。妻の笑みが更に深くなリ、肉食獣を思わせる。「ヤツ」。超巨大未確認生物。「ゴジラ」・・・って、

 「どうして、知ってるんだ?」
 コレは是非、問い質さなけりゃいけない。「指揮官の義務」ってヤツだ。『ミッドウエイ敗戦の戦訓が、未だ活かされてない』とあっては、死んでいった奴らも浮かばれまい。まあ、それを言うなら、僕自身も、か。
 妻は一寸申し訳なさそうな、でも反省はして居なさそうな表情になる。おどけた調子で、言葉を続ける。

 「お隣さんが、ね。
  あっ、直接教えてくれた訳じゃ無いのよ。唯、ご主人が今日は早上がりしたから、ご馳走作るんだって、買い出しに走ってったの。
 ほら、お隣のご主人も、貴方と同じ、ナントカ作戦関係者でしょう。」
 「海神作戦」。このネーミングは、妻の気に入らないらしく、未だに言い間違えたり、忘れた(フリをした)りする。厳めしい、軍人臭い名前が、お気に召さないらしい。
 その点では、全く「軍人の妻らしくない」んだが・・・

 「でも、貴方は、中々帰って来なかった。」
 妻の声が途切れる。笑みはそのまま。別に攻める訳でも無いが、僕にはこの「沈黙の空白」は耐えがたかった。

 「ウン。付き合いでね。ホラ、機関長仲間の、關さん。」
 弁解じみた僕の科白に、妻の表情が変わる。イヤ、笑顔は笑顔なんだが、さっきまでの肉食獣じみた、何か企んでいるような「ほくそ笑み」から、透明な、邪心の欠片も無いような、笑みに。「神々しい」と言っても良さそうな、ぐらい。
 あ、こりゃダメだ。僕は内心、妻に全面降伏を覚悟する。
 
 「ああ、結婚式の2次会で、裸踊りした人ね。」
 關さんも、ヒドい覚えられ方をしている。イヤ、妻に悪気は無い、と思うんだが。
 でも、その台詞とその表情は、かなりの違和感があるよ。

 「で、二人して、明日は死ぬことに決めた、と。
  一寸妬けるわねぇ。」
 ズバリ、核心を突いて来たことに、僕は虚を突かれた。オマケにその台詞と、表情との乖離が凄まじく、慌てる、と言うか、狼狽する。
 「明日死ぬ覚悟」とバレたことよりも(イヤ、バレてくれた方が好都合、って考えが、頭の片隅にはあった。)、「バレたぞ」と告げる科白の諧謔と、その神々しいと言って良いぐらいの笑顔との、今まで見たことも聞いたことも無いような組み合わせに、僕は「動転した」と言って良い。

 「スマン!」
 思わず、飛びすさるようにして離れつつ、妻に対して土下座していた。顔さえ上げることを憚られる僕の頭上に、妻の言葉が続く。

「やっぱりねぇ。
 ここまで図星だと、笑えてくるわね。
 ひょっとしたら、違うんじゃ無いかって、期待もあったんだけどねぇ。
 やっぱり、貴方は、貴方ね。」

 頭下げて蹲ったまま、動くことも出来ない僕に、妻の方が近づいて来たらしい。吐息を感じられそうな至近距離から、妻のささやき声が聞こえる。
 
「そんな人を好きになっちゃったんだから、仕方ないわね。
 前の大戦で、すっかり覚悟は決めさせられたし、明日は笑顔で送ってあげるわ。」

 こういう所は、本当に、絵に描いたように、「軍人の妻」らしい。それはもう、前の大戦で散々身に染みており、それ故に、今回もまた、僕は妻に甘えている。有り難いやら、情けないやら。
 妻は更に近づいて居る。耳元で囁くような距離。身体のあちらこちらは、接触している。イヤ、押しつけられている。

「でも、今夜の貴方は、未だ、私のモノ。
 覚悟してね。」
 
 『お手柔らかに』と、言いたかったが、とても口に出せる雰囲気じゃぁ無かった。
 こりゃひょっとして、明日の決戦よりも、今夜の前哨夜戦の方が、キツいかも知れないなぁ。

 

 

  • (a)決戦前夜-深夜 二

 清水機関長殿と別れてからも、家に帰る気にはなれなかった。とは言え、馴染みのS(芸者)の所に行くのも、新手のSの所に行くのも、気が乗らなかった。それを言うなら、未だ呑み足りない気はするが、呑む気にも余りなれず、誰かと呑む気にはもっとなれなかった。
 結局、もう閉まっていた酒屋を無理矢理開けさせて、一升瓶一本だけ買い、後は手酌で一人酒でも呑もう、と帰途に着いたが・・・家の灯りが点いてやぁがる。
 出るときに消し忘れた、訳が無い。って事は、誰かが俺の留守に勝手に上がり込んでいる、って事だ。
 空き巣狙いなら大間抜けだ。こちとらぁ、明日の決戦前にチョイと気が立ってるんだ。相手が何者であろうと、帝国海軍の叩き上げ士官を舐めるモンじゃぁ無いことを、とっくりじっくり教えてやる。
 手にしていた一升瓶を、静かに地面に下ろす。足音を殺して、入口に近づく。一寸手をかけ、動かしてみると、動く。カギは掛かってない。
 家の中の何者かは、ご丁寧にカギも開けて入った訳だ。
 一間の小さな借家だ。入口を開けたら、即接近戦だろう。そう判断した俺は、速攻で扉をガラリと開けて突入した。
 突入しながら、叫ぶ。先手必勝、ってヤツだ。

 「空き巣狙いめ!覚悟しろ!!。帝国海軍生き残りは、伊達じゃぁねんだぞ!!」
 「大きな声をお出しじゃ無いよ。ご近所迷惑じゃぁ無いか。アタシだよ。」

 入口を開けると、一間の部屋。いつものちゃぶ台と、その上に何皿かの料理と、徳利と杯。その向こうに座る和服姿の女性。

 馴染みのS(芸者)、銀千代だ。長い付き合いじゃぁ無いが、俺としては深い付き合いの方だ。それは良いんだが、売れっ子芸者の銀千代が、こんな時間に俺の家で、何やってやぁがるんだ?イヤ、それ以前に、どうやって入った?
 
 「勝手に上がったことは、悪かったよ。でも、”空き巣”は無いだろう。
 ハナは外で待ってたんだけどさ。親切に大家さんがカギ開けてくれたんだよ。」

 大家め、余計なことしやぁがって。

 「突っ立ってないで、お入りよ。」
 「入るよ。俺のウチだ。遠慮なんかするかい。」 
 土間から上がろうとして、酒のことを思い出し、一度表へ出て一升瓶を回収する。「最後の晩酌」だ。安酒だが、大事に呑もう。
 そんなこと考えながら戻ると、銀千代の奴ぁ徳利から杯二つに酒注いでやぁがる。手回しの良いこった。

 「呑んできたんだろうけど、未だ、いけるンだろう。チョイと付き合いなよ。この銀千代姉さんと、さ。」
 店で呑みゃ、この一杯で幾らになるか、と勘定しつつ、俺ぁ未だコイツの意図が読めねぇでいた。コイツにゃぁ、悪いが、今日はそんな気分じゃぁなかったから、だ。
 「そりゃ、ま、酒は飲めるけどよ。お前ぇと呑むったら、チョイと話が別じゃぁ無ぇか。店じゃ無くって、商売っ気抜きでも、さ。」 
 二つの杯をなみなみと満たした銀千代は、徳利を静かに丁寧にちゃぶ台の上に置くと、俺の方へと向き直った。
 「来るんだろう。アレ。未確認ナントカ、って、デカブツ。」

 コレだからウチの防諜網はザルだってんだよ。そりゃ今回は民間主導の作戦で、「元軍人」ばかりで「現役の軍人」なんて薬にしたくたって居ないンだが、それにしたって「昨日の今日」どころか、「今夕の今晩」ってのは、ヒドくないか。
 アレが人語を理解していたり、或いは人間側にアレに通じる裏切り者が居たら、明日の決戦どころか、アレとの戦争は、絶対に勝てねぇな。

 「手前ぇ、何故それを知ってやぁがる。事と次第に依っちゃぁ、タダじゃ済まねぇぞ。」

 流石に言葉が荒く、厳しくなる。「タダじゃ済まねぇ」って凄んだところで、帝国陸海軍も軍法会議も無い今の状態じゃぁ、何がどう「済まねぇ」のか俺にも判らねぇが・・・「タダじゃ、済ましたくない」「済まないで欲しい」って言う、希望・願望でしか無いが、凄まない訳にも行かねぇや。ある意味、「帝国海軍の意地」ってヤツだ。

 「憚り様。この花街に起こる事で、この銀千代姉さんの知らないような事ぁ、何一つないんだよ。アンタが今日、美男の清水機関長とさし呑みしたことも、その後酒屋叩き起こした事も、皆お見通しさね。」

 今度は俺の個人情報と来たよ。そりゃ銀千代姉さんったら、店一番の売れっ子だ。情報は裏も表も集まりやすいンだろうけど・・・限度ってモノがあるんじゃぁねぇか?MPも憲兵も、裸足で逃げ出しそうだ。

 「アレが来るとなりゃ、明日は念願の”艦隊決戦”だ。アンタのことだからそうなるとアタシの所になんか来ず、他の芸者の所へ行く、と踏んでたんだ。」

 悪くねぇ読みだな。実際はそうはならなかったが、半分は「当たり」だ。

 「そうなりゃ、その知らせが来る、手筈だったのさ。
 頃合を見てアタシがそこへ踏み込んで、お決まりの"男の取り合い"が始まり、どさくさに紛れてアンタは、アタシに刺される。」
 
 オイオイ、随分物騒なこと考えてやぁがったな。

 「殺しゃしないよ、心得てる。でもアンタは、当面動けない。”艦隊決戦”はあんた抜きで実施される。
 そうなりゃ、あたしはアンタに恨まれ、殺されるかも知れないが・・・アンタは生き残る。
 そう言う算段で、医者にも警察にも根回しして、めぼしい芸者にも話は通しておいたのさ。」

 コレだから、女はおっかねぇ。イヤ、銀千代姉さんはおっかねぇ、と言うべきか。

 「花街挙げての、銀千代姉さん一世一代の大舞台、だったんだけどねぇ。全部、おジャンさ。
 同情して欲しかぁないけど、愚痴ぐらいは聞いて貰いたいね。」

 言い終わると姉さんは、自分自身の愚痴を呑み込むように、一気に杯を干す。いつもながら惚れ惚れするような呑みっぷりだ。俺も釣られる様にして、杯に手を伸ばす。

 一口で判る。こりゃ、相当に良い酒だ。滅多に手に入りそうに無い上物だ。とてもじゃぁ無いが、店じゃ呑めない。高過ぎて、手が出ない。
 いや、それはそれとして、だ。姉さん、俺を刺す気なら、何も俺んちに上がり込んで酒肴用意しておく理由がねぇな。一服盛る、気かぁ?そう気が付いて、杯を持つ手が止まる。
 飲み慣れない酒なら、何か入ってても、気が付きようが無い。疑う訳じゃぁ無いが、こちとらぁ「明日」があるんだ。

 「明日」しか無いけどな。

「良い酒だろ。
 念のために言うけど、酒以外何も入っちゃ居ないよ。 
 アンタを刺す気満々だったんだけどね。その気も失せたさ。
 駆逐艦二ハイと、清水機関長まで巻き込んでの豪勢な心中とあっちゃぁ、アタシなんざぁ出る幕もありゃしない。」

 清水機関長を巻き込んだのは、俺の本意じゃぁ無いんだが、結果としてはその通りだ。グウの音も出ねぇ。
 しっかし、本当に何から何まで知ってやぁがるなぁ。

 「そう、心中には、ね。」

 姉さんが身を乗り出し、ちゃぶ台を回り込むようにして接近してくる。狭い部屋じゃぁ、後ずさりも出来ない。する気も無いが。

 「夜は長いよ。月の巡りも良いんだ。
 ”帝国海軍の至宝”が子胤。しっかりキッチリ、残していって貰うよ。」

 受けて立とうじゃぁ無いか、姉さん。
 俺は杯の残りを飲み干して、一寸した覚悟を決めた。

 

 

  • 4.決戦当日-早朝 一

 帝国海軍第二種軍装(夏服)。目にも鮮やかな純白・詰め襟の制服が、皺一つ染み一つ無い状態で、僕の目の前にあった。肩章もボタンも、磨き抜かれたようにピカピカだ。帝国海軍が無くなったとき、軍服も制服もまとめて処分し、作業服だけ改装して使い回してた、と思ったんだが・・・

 ついさっき、妻に起こされ・・・叩き起こされた、筈だが、未だ夢を見て居るみたいだった。こんなピカピカの帝国海軍軍服を目にするのは、初めてかも知れない。

「こっそりね、隠して置いたのよ。何しろ、この軍服着こなした貴方ったら、惚れ惚れするぐらいにカッコ良いんだから。」

 妻が笑う。イヤ「隠して置いた」服をこの状態にするには、少なくともアイロン掛けと真鍮磨きは必須だ。相応に手間も時間もかかる。それも、「隠して置いた状態から、取り出してから」だ。いつの間に、それだけの準備を・・・この「決戦当日」に合わせて。

「何事も無ければ、ね。何十年後かに、貴方の葬儀の際に、貴方の棺に入れてあげよう、って思ってたの。”最後の奇襲(サプライズ)”ってね。
 でも、こうして使う方が、意味・意義が大きい、と思ってね。」

 一寸言葉が湿っぽくなるが、気づかないフリをしよう。

「ありがとう。心の底から、ありがとう。 
 でもコイツを着て外を出歩くのは、少なからず問題だよ。MPにでも見つかったら、刑務所行きかも。」
 そうなったら、僕は本「海神作戦」には参加出来ない。それは、絶対避けたい。夕風は僕の船で、夕風機関員は僕の指揮下の部下だ。ちゃんと脱出を見届けないと。

「この早朝よ。GHQもMPもGPUも未だ寝てるわよ。
 夜討ち朝駆けは、戦の基本でしょ。」
 GPUなら起きていそうだが・・・咎め立てる権限が無い、か。全く、君と来たら。
 おどけた口調と科白だが、妻は真剣だ。そう、此処で「この服は着ない」と僕が言い出したら、僕を殺して死体にこの海軍制服を着せて送り出しそうなくらいに。僕の妻の「真剣」は、伊達じゃぁ無いんだ。これも、先の大戦・大東亜戦争で、骨身に染みている。

「判った。早速着替えて、行って来るよ。朝の、早い内に。
 真珠湾以来の奇襲を、MPとGHQに喰わしてやろう。」

 諧謔には、諧謔で答えるのが、大抵正解だ。特に妻に対しては、そうだ。

「そう。でも、本番は、その先よ。忘れないで。」

 妻の表情が一寸曇る。「本番」=「海神作戦」。僕と、夕月は、生きて帰らないであろう、だが、ヤツも唯では済まさない、必死の作戦。
 必殺、だと良いんだが、そこは響と雪風に任せることになる。

「ご武運を。」
「必死な笑顔」ってのは、初めて見た気がする。鬼気迫るような必死さ、真剣さを込めた微笑みで、海軍式敬礼を送る妻は、この世のモノとは思えないぐらいに、美しかった。

 

 

  • (a)決戦当日ー早朝 二

 なるたけ音を立てないようにして、寝床を抜け出し、髭剃りを済まして、手早く着替えた。一間の貸家で、水道は外で共同ってのは、幸いだった。寝ている姉さんを起こさずに髭を剃れた。

 と、思ったんだが・・・・

「行くんだね。」

 寝ているウチに、家を出ようとした所で、未だ薄暗い部屋の中から、姉さんに声をかけられた。未だ夜も明けていないし、灯りも点けていない部屋の中では、声が聞こえるばかりで、顔も見えないが・・・多分、それで良いんだろう。
 多分、それが良いんだろう。
 
 「ああ。姉さんのお陰で、良い仕事が出来そうだ。ありがとうな。」

 些かならず情けないが、何か吹っ切れて、スッキリした、気がする。清水機関長を巻き込んじまったことも、多分、地獄で閻魔様よりもおっかない先人・先輩たちに会うだろう事も、「運命」とか言う「便利な言葉」で呑み込めた、気がする。

 それも、姉さんのお陰で。

 全く、男なんてのは、単純なモノだ。男である俺自身が言うんだから、間違いねぇや。

「礼なんざ止してくれよ。好きで、勝手にやったことさね。」

 言いながら、なんだか声が湿っぽいのは、ご愛敬・・・と思ったら。
 
「でも良いかい。
 生きて還るのは勘弁するけど、失敗して還るのは許さないよ。
 さぁ、行っといでぇ!」
 最後は、追い立てられるように家を出た。俺の家なんだが・・・家賃は溜めてるけどな。
 まあ、家賃溜めまくりの俺の家も、そこから怒鳴られて送り出されるのも、俺らしい、と言えば、俺らしい、か。

 

 

  • 5.決戦当日ー朝 一

 目立った。

 家を出て公共交通機関で、岸壁に着くまで、注目の的だった。未だ早朝で、人通りが少ないのが、せめてもの救いだった。
 帝国海軍の軍服は、終戦まではごくありふれたモノだったし、純白詰め襟ってのは米海軍にもあるから、「さして目立つまい」と期待したのだが、何しろ戦後この方「ピカピカの帝国海軍軍服」なんてのは絵空事でしか無かったところへ、この身なりだ。道を行く人、すれ違う人、誰も彼もが僕のことを注視凝視する。
 だが、不思議と敵意や反意は感じなかった。寧ろ、好意的な、温かい視線だ。大東亜戦争に敗れたりと雖も、帝国海軍の威光未だ衰えず、と言うところか。
 イヤ、それもコレも、帝都を恐怖と破壊の渦に叩き込んだ、超巨大未確認生物=ゴジラに対する恐怖と、その裏返しとしての「旧帝国海軍」に対する期待の、現れなのだろう。
 GHQのお情けで、武装外して丸腰の駆逐艦4ハイしか無い、「旧帝国海軍」に対する、だが・・・それは同時に、「新生日本海軍に対する期待」でもある。
 やっぱり、見たかったなぁ。「新生日本海軍」。軍艦旗はどうするんだろう。米海軍に倣うと、国旗である日の丸ってことになるけど。

 一度なぞ、未だ小学校前であろう男の子が真剣な表情で敬礼を送ってきていて、僕もしっかりキッチリ答礼せざるを得なかった。あんな真剣な敬礼を無視出来る肝っ玉は、僕には無い。

 駆逐艦・夕風の舷門当直も、敬礼しながら、嬉しそうに話しかけてきた。

「お見事です。機関長。艦長にも伝えます。皆の士気も上がるでしょう。」
 
 勘弁してくれ。艦長が「知っていた」となったら、艦長の責任問題にもなりかねないんだぞ。

「イヤ、妻が用意してくれたんだよ。隠して置いたんだって。 
 今回のことが無かったら、何十年後かの僕の葬儀で、棺に入れる心算だったんだってさ。」
 あ、余計なこと言ったかな。舷門当直の声が一段と大きくなった。
「お美事です。機関長・副官(夫人)殿。必ず、艦長にも伝えます!!」

「ああ、伝えるのは艦長程度に止め、それも非公式に、こっそりと、お願いしたいな。」
 本当に公開・公知されると、アレコレ困る人が出て来そうなんだから。妻まで罪に問われたら・・・あいつはGHQ相手でも、引く訳が無い。第二次大東亜戦争勃発だって、あり得るぞ。勘弁してくれぇ。

 

 

  • (a)決戦当日ー朝 二

 意図して早めに家を出た。だから、早めに着いた。
 イヤ、先客がいる訳が無い時間だったのだが・・・先客がいた。駆逐艦・欅の機関室に。

「なんだ、お前。ひょっとして、帰らなかったのか?」

 朝早くから機関室での作業を始めていたらしい、若い上村機関員は、油汚れの付いた愛嬌のある顔を上げる。
 
「あ、オヤッさん。おはようございます。
 いやぁ、”帰る”ったってねぇ・・・・」
 そう言うと、上村は一寸苦笑いのような笑みを浮かべる。それで俺は、自分の迂闊さを思い出す。そう言えば、コイツの家族は・・・

「親父もお袋も妹も、家毎B公にヤラレテるし、もてないから馴染みのS(芸者)も無い。
 だったら、最後の晩ぐらい、コイツと添い寝ってのも、悪くないかなって、ね。」
 ”コイツ”と右親指で我が駆逐艦・欅の機関を指す。
 悪くない考えだ。お前、良い機関長になるんだぞ。そんなことを心中呟くが、勿論表には出さない。

「馬鹿野郎。モテないのも馴染みのSが無いのも、手前ぇの器量・度量の問題で、アメ公のせいじゃぁねぇぞ。」

 ご両親と妹さんは、米軍の性だけどな。あの「戦略爆撃」って奴ぁ、何度聞いても虫酸が走る。いけねぇ、また腹が立ってきた。

 「仕事熱心なのぁ良いが、寝不足のフラフラで、最後の最後でドジりやがったら、承知しねぇぞ!」
 腹ん中に湧いてきた怒りをぶつけるようにして、上村に発破をかける。
 「ドジりゃしませんよ。コイツの最後の花道だ。盛大に送り出してやりましょうや。」
 頷きながら、俺は腹ん中で付け加える。

『まあ、俺は、送り出される方、なんだけどな。』

 

 

  • 6.決戦 一

 海神作戦第一段は、駆逐艦・欅と夕風の突進から始まった。超大型不明生物・ゴジラの「必殺技」であり、重巡高雄を一撃で爆沈どころか消滅させた、原子爆弾級、或いはそれ以上の威力を持つ「放射熱線」。コレをゴジラに吐かせて、第二段の響・雪風が仕掛ける隙を作る。それが第一段のペア、欅と夕風の任務だ。
 そのために欅と夕風は、真っ先にゴジラへと突進しつつ、その放射熱線が響と雪風に及ばぬよう、微妙な針路調整=変針と、その後のゴジラへ向けての正確な直進が必要とされた。 
 そのための仕掛けや設備は、些かならず急拵えなモノではあったが、「コレしか、手はない。」という冷厳な事実は、突貫工事と精神論とを頼りとしつつも、一定の成果と目処を得ていた。

「針路、目標へ向け定針! 目標、ゴジラ!!」

 旋回の弧を描いていた航跡が直線へと変わり、舳先がゴジラを目指す。 

「針路定針、ヨーソロー。
 両舷、最大戦速。舵輪固定。総員退艦用意。」

 元より最小限の人数で動かされていた両艦だが、ゴジラが放射熱線を吐く前に退艦し、艦から十分離れなければならない。実のところ「無人の定針航行」よりも難事だったのが、この脱出過程で、舷側に垂らした縄ばしごから海面へ救命胴衣をつけて下り、並走する船外機付きボート=回収艇で回収する訓練が、何度も行われた。
 「退艦用意」の命令に、両艦の両舷から網状の縄ばしごが下ろされ、それに連なるような形で回収艇が並走する。最大戦速で疾駆する駆逐艦とボートが並走出来るのは、米軍供与の強力な船外機のお陰だ。
 船外機に米国製の強力なエンジンを得られたのは、直接介入を政治的理由で避けたGHQと米軍も、「人命救助のため」とあっては無碍に出来なかったため、らしい。

 「舵輪固定完了。針路良し。
  総員退艦。繰り返す、総員退艦g!!」

 舵輪がロープで固縛されると、「総員退艦」命令が下り、艦内の各員は持ち場を離れての脱出が始まる。海神作戦第一段は、最終局面へと突入した。

 

 

  • (a)決戦 二

 「ほら、退艦命令だ。皆ご苦労さん。ホラ、行った、行った。」

 未だ残っていた機関員を機関室から追い立てるようにして出す。本より、退艦命令は出ているのだから、僕が追い立てるまでも無く、皆最上甲板へ、更には脱出の為の回収艇へと、急ぎ足で歩を進める。
 そのまま行ってくれれば、こっちは有り難い。こっそり抜け出せるのが、ベストだ、と思っていたんだが・・・そうは行かなかった。

 「機関長、お先にどうぞ。」
 
 最後尾に居た兵の一人が、振り返って言った。訝るような表情。いつもと違う口調。一寸した違和感。だが、十分だった。
 こりゃ、バレたな。

 「イヤ、僕は良いから。先に行って。」
 余計な一言が、トドメだったみたいだ。途端に、それまで相応の急ぎ足で退艦しようとしていた兵達の足が、一斉に止まった。 
 オイオイ。駆逐艦長から退艦命令が出ているだろう。機関長より、駆逐艦長の方が、偉いんだぞ。
 
「機関長とご一緒で無ければ、行きません。」
「我々は、機関長の、指揮下に在ります。」
 ・・・君達はとっくの昔に軍人じゃぁ無いし、僕だって正式には機関長でも無い。コリャァ、帝国海軍軍服が妙なことを引き起こしちまったかな。
 一寸だけ、妻の心遣いが恨めしく思える。イヤ、死に装束としては、最高なんだけどね。

 「僕は、今でも、諸君の上官かな?」

 僕の問いに、勢い込んだように元気な返事が返ってくる。

 「勿論です!機関長!!」
 ウン、僕の帝国海軍軍服も、君らの発言も、GHQに知られたら、結構な問題になりそうだけどね・・・この際、帝国海軍の威を借りるとしよう。

「ならば、駆逐艦・夕風機関長として、諸君の上官として、命じる。
 退艦し、退避し、生き残れ。
 生き延びて、百才まで生きて、子供、孫、曾孫のことまで、事後報告せよ。」

 百才ってのは切りの良い数字だからで、相当無理を言っている、って自覚はある。
 だけど、それぐらい長生きして、この国の将来を、見届けて欲しい、って願望でもある。「一人十殺」って程、無理な命令じゃぁ無いだろう。と思う。
 それぐらいかければ、新生日本海軍も復活しているだろう、って期待もある。
 
「以上が、僕の、駆逐艦・夕風機関長としての、最後の命令。最後の我が儘だ。
 此処まで、拙い僕の指揮と我が儘に付き合ってくれて、ありがとう。
 だけど、ここから先は、僕と夕風、二人きりにしてくれないかな、頼むよ。」

 思わず、知らず、頭を下げる。なんだか、昨日から頭下げっぱなしな気がするが、これも「積悪の報い」ってヤツかな。
 
「機関長!」

 泣きそうな声を上げる者も居る。その気持ちもわかるから、敢えて厳しいことを、厳しい口調で言う。

「命令は聞こえたな。
 復唱は良い。
 命令を実行しろ。帝国海軍の名誉を穢すな。
 行け!」

 僕が大声で命じるのは珍しい。珍しいからこそ、効果はあった。ご丁寧に最後の敬礼をしてから、全員が退艦に走った。
 全員分の敬礼に答礼し終えて見送ると、僕は夕風に、夕風の機関に、向き合った 
 
「さて、最後のご奉公だ。頼むよ、夕風。」

 

 

  • (b)決戦 三

 「オラ、退艦命令だ!全員退艦!!!」
 ”蜘蛛の子を散らす様”とは行かないが、日頃鍛え上げてきた部下共は、それなりに機敏に退艦行動へと移った。敗戦以来、暫くブランクがあったにしては、良い動き、と言って良かろう。ここのところ大急ぎで鍛えた甲斐があるってもんだ。
 此奴らも、まあ、俺の息子みたいなモノだな。そんな柄にも無い感慨を抱きながら、最後の一人まで出ていったことを確認。此奴らのこの動きを見るのも、怒鳴るのも、コレが最後かと思うと、流石に来るモノがあった。
 新生日本海軍のために、残せるモノは、粗方残したな、とか思いながら機関の守に戻ろうとしたら、妙なヤツに出っくわした。上村機関員だ。
 「お、お前ぇ、こんな所で何やってやぁがる。手前ぇの持ち場は、此処じゃねぇだろう!」
 
 声が怒声になり、いつも通りのドスも利くが、奴さん、涼しい顔してやぁがる。

  「持ち場の仕事は終わりましたよ。あっちは総員退艦済み。残っているのは此処ぐらいでしょう。」
 一寸言葉を切ったヤツは、それまでのにやけ面から、真顔になりやぁがった。
 
 「オヤっさん。残る気でしょう。付き合いますよ。」
 俺の周囲は、こんなヤツばっかかよ。清水機関長で沢山だ。いい加減にして欲しいな。
 こうなりゃぁ一つ、策ではめるしか無いな。腹ん中でそう呟きながら、別の言葉を発する。

  「そうか、お前ぇが、な。大きくなったモンだ。」
  親愛の情を込めて、肩を叩いてやる。奴さん、はにかんだように微笑んでやぁがる。
  良い笑顔だ。其奴を見せてやりゃぁ、銀千代姉さんだってイチコロだぞ。

  さて、と。

  「あれ、あんな所に?」
  ヤツの背後の一点を、何気なく指す。奴さん、釣られて振り返る。急所が曝される。

 そこへ、一撃。

 綺麗に決まったのは、天の助けってヤツだろう。習ってから何度も練習したが、こんなに綺麗に決まったのは初めてだ。
 失神し、くずおれるヤツを抱きかかえ、担ぎ上げる。この時ばかりは、戦後この方の世間の栄養状態に感謝する。奴さん、ろくなもん喰ってないから、軽いこと、軽いこと。
 そのまま急いで最上甲板まで上がる。勝手知ったる道だ。
 欅の両舷に垂らされた縄ばしごの先、回収艇が未だ一隻だけ残っていた。乗っているのは、ウチの、機関科の連中だ。こりゃ都合が良い。
 
 「オーイ、手前ぇらぁ!!」
 
 艇の上から彼奴らが振り仰ぐ。速く、とかナントカ言っているのも居るが、こちとらはそうは行かない。
 「コイツ投げ下ろすから、受けとれぇ。受けとったら、サッサと退避しろぉ。
 本艦はコレより、全力航行に入る。とばっちり、喰うンじゃぁねぇぞぉ。」

 肩から振り下ろした上村は、首尾良く艇内の奴らに受け止められた。やれやれ、一安心だ。
 「俺の事ぁ、野田さんには内緒だぞ。MIA・戦闘中行方不明ってことにしとけ。
 其奴が目覚めたら、其奴にも言っとけよ。」

 未ぁだ文句のある奴ぁ居るようだが、回収艇の艇長は理解してくれたらしい。短く敬礼を寄越すと、艇を脱出コースへと向けた。

 よし、コレで良い。

「欅よォ。戦時中は随分とひもじい思いをさせちまったなぁ。
 今回の燃料は、アメ公の奢りの上物だ。量もタップリあらぁ。」

 これだけの上物の燃料が、大戦中にタップリあれば、と、思わないでも無いが、そもそも燃料の原料でもある石油資源を禁輸されての戦争だッたのだから、欅に限らず、帝国も帝国海軍もひもじかったのも、無理は無ぇなぁ。

 だが、今回は、タップりある。オマケに、目標は目と鼻の先の、片道出撃だ。燃料は、使い放題、って事だ。

「駆逐艦・欅が本領。見せつけてやろうぜ。」

 

 

  • (c)決戦 四・・・・・・・・・・・・夕風機関室

 「両舷機関一杯。
  ウン、良い調子だ。ありがとう。」

 誰へ言うでもなく・・・いや、違うな。僕以外誰一人居なくなった夕風機関室で、機関の騒音と振動、計器と体感と長年のカンで、五感と全身で、駆逐艦夕風の機関を検知感知しながら、僕は夕風機関に、夕風自身に、話しかけているんだ。

 傍から見たら、独り言にしか見えないだろうけれど、なぁに、誰に見られるモノでも無い。

 嘗ての船乗りは、「フネに魂がある」と信じたそうだが・・・別に「嘗て」に限ったことじゃぁ無い。帝国海軍艦艇には、それぞれに「艦内/艇内神社」があり、簡素な神棚であっても乗員はこれに手を合わせ、願いや想いを託す。それは、「神社」を通じて「神」に託す、って一面もあるが、もう一面に「船霊様にお願いする」って側面もあるのだろう。つまりは早い話、艦に、艇に、お願いしているんだ。

 我が国では、「付喪神」と言って、百年の長きにわたって使い続けられたモノは、日用品でも神様に昇格する、事になっている。
 その過程には、神社仏閣のような宗教施設や宗教団体、他の神仏も関与しないのだから、これは「信仰」と言うよりは「風習」で、それだけに骨がらみで、人間の根源的な部分に繋がっている。

 って事は、だ。屹度「新生日本海軍」の艦艇にも、艦内神社はあるだろうし、「付喪神」のような「擬神化思想」も残るだろう。
 新生日本海軍でも、機関長は、時には「機関様にお願いする」事がありそうだ、と思うと、なんだか楽しくなってくる。

 「よぉし。じゃ、もう一寸速度あげようか。夕風。」

 より速度を上げ、前に出られれば、夕風が囮になって、欅は救えるかも知れない。
 そうなったら、關さんは大不満かも知れないが、その技術と経験とは「生き延びる」。

 そうなれば・・・新生日本海軍にとって、幸いこれに過ぐるは稀有だろう。

 

 

  • (d)決戦 五・・・・・・・・・・・・欅機関室

 「両舷機関一杯!ヨーソロー。」

 俺以外誰も居なくなった機関室で、機関の騒音に負けないぐらいの大声を張り上げる。上物燃料は欅機関の「お口に合った」らしく、調子は上々、欅は今までに無かったぐらいにご機嫌だ。

 これで燃料がアメちゃん製でなけりゃぁ、俺の方も「ご機嫌」なんだが・・・


 まあ良いさ。先の大戦の原因となった燃料でも、先の大戦で苦杯舐めさせられた電探やら近接信管やらの電子機器でも、今に追いついて、追い抜いてみせるから、覚悟しやぁがれアメ公め。

 だが、今は、あのデカブツ「ゴジラ」だ。ヤツに放射熱線吐かせて、後に続く雪風・響に「付け入る隙」を作るのが、先行する俺たち、欅と夕風の任務だ。

 だが、ヤツが放射熱線を吐きさえすれば、こちとら任務完遂。それを欅一隻で達成できれば、これに越したことはない。

 そのための機関一杯への増速だ。これでヤツがビビって、こっちへ向けて放射熱線を吐けば、ひょっとして、夕風は助かる、かも知れない。そうなれば、俺の心中に付き合おうなんて酔狂な清水機関長も生き延びる。俺はあの世で幾らかマシな待遇にありつける、かも知れない。
 
 「そうだ。煙幕も張ってやれ。」

 速度的にはマイナスになるが、黒煙を盛大に吐く欅は、夕風よりも「大きく見える」かも知れない。そうすれば、奴ぁ夕風よりも欅にビビる、かも知れない。
 上手くすれば、欅の煙幕で、夕風が隠れる・・・・事は一寸無理か。

 「何でも良いや。やれることは全部やろうぜ。頼むぞ、欅。」

 煙幕張ったら、後の掃除が大変なんだが、今回はそんな心配も要らねぇ。
 「後のこと考えなくて良い」ってのは、意外なくらいに調子が良いな。癖になるといけねぇが。
 
 「帝国海軍最後の煙幕だ。盛大に行くぞ、欅。」

 

 

  • (e)決戦 六

 接近してくる二つの物体を、「彼」は認めた。片方は黒煙を吐き出しているが、どちらも同じぐらい急速に近づいてくる。
 似たような物体には、最近何度も遭遇している。その内の一つは、前後から火を吐きながら、「攻撃」してきた。吐く火と共に吐き出されるらしい「攻撃」は、「彼」の分厚い皮膚を貫通し、相応の「痛撃」を与えた。
 その「痛撃」の記憶に、「彼」は怒りを覚え、思い出し、「彼」の為し得る最大限の攻撃を、反射的に実施させた。

 ゴジラの放った放射熱線は、一瞬にして欅と夕風の両駆逐艦を白熱の火球へと変えた。

 「海神作戦第一段階は、予定通りに成功した。
  駆逐艦・欅 夕風に、爆沈時の生存者無し。」 

 公式記録には、その様に記載された。

 

・・・to be continue