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「数の力」で改憲論議そのものを封じてきたのが、「護憲派」であろうが。―【東京社説】国会の改憲論議 「数の力」の慢心捨てよ
「護憲論者」とか「憲法擁護派」とか言うと、尤もらしくもそれらしく聞こえるが、どうも戦後この方の「日本国憲法を変えるな」と主張する者の相当部分は、単なる「日本国憲法信者」であり、有り体に言って「傍から見れば、タダの気違い」。而してそれは、「日本の憲法学者の大半にも当てはまる」のでは無かろうか、と思えてくる今日この頃である。
下掲する東京新聞社説も、そんな「感想」を更に強め、ほぼ「確信」に近いところに至らせてくれる。
極単純に言えば、「日本国憲法は、変えるな!」と主張する者は、「致命的な程に知的怠慢か間抜け」か、「気違い」なのではなかろうか。
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(1)【東京社説】国会の改憲論議 「数の力」の慢心捨てよ
国会の改憲論議 「数の力」の慢心捨てよ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/336484?rct=editorial
2024年6月28日 07時23分
23日に閉会した通常国会で自民党は改憲原案を提出せず、党総裁の岸田文雄首相が目指す9月までの総裁任期中の改憲実現は困難になった。
そもそも改憲が必要な切迫性はなく、裏金事件で信頼を失った自民党には改憲を主導する資格もない。改憲に拘泥せず、暮らしの立て直しを優先すべきである。
通常国会では衆院で9回、参院で4回、憲法審査会で実質的な議論が行われた。審査会での議論は2021年10月の岸田政権発足以降、衆院で49回、参院で21回に上る。改憲に強い意欲を持っていた安倍晋三政権より頻繁だ。
一部の条項では論点整理も行われている。特に、大規模災害などで国政選挙の実施が困難になった場合、国会議員の任期を延長する緊急事態条項創設を巡り、衆院の自民、公明、日本維新の会、国民民主各党と院内会派「有志の会」の5会派は、慎重な立憲民主党抜きで条文化を進めようとした。
もっとも現行憲法は、衆院解散後の緊急事態発生を想定し、参院のみで国会の機能を維持する緊急集会規定を明記する。参院側は同規定を重視し、自民内にも緊急事態条項創設に慎重論がある。
幅広い合意があると言い難く、衆院の5会派が「数の力」による条文化を断念したのは当然だ。
16年の参院選後、衆参ともに改憲に前向きな勢力が、国会発議に必要な3分の2以上を占める状態が続く。衆院5会派の「立民切り」の姿勢には、多数であるが故のおごりがにじむ。
憲法審運営の基礎を築いた初代衆院憲法調査会長の故中山太郎氏は生前、改憲勢力が衆参で3分の2以上になったことについて、与党内に芽生えた「いざとなったら押し切れる」との慢心が与野党を分断し、建設的な議論を阻害していると指摘していた。
憲法はどの政治勢力が権力の座に就こうとも従うべき基本法。改憲が必要だとしても、政権を担う可能性がある野党と幅広い合意を目指すことが当然だ。裏金事件を機に、政権交代の可能性が取り沙汰されるならなおさら、多数派は慢心を捨てなければならない。
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(2)改憲は、自衛隊発足以来の宿題だ。「変えるな」論者は、「自衛隊抜きの安全保障」を、論証しろ。
言うまでも無かろうが、日本国憲法には、自衛隊に関する記述も、我が国の軍隊に関する記述も、無い。それどころか、憲法9条には「戦力不保持」が明記されている。
それ故に、自衛隊発足以来、自衛隊は「軍隊ではない」とか「戦力ではない」とか言うロジックで、「合憲である」と、ある意味相当「無理矢理な憲法解釈」が為されてきた訳である。それは、他でも無い日本国憲法が、「滅多なことでは改憲出来ない様な改憲規定」を擁しているからでもある。事実、「日本国憲法はその初版以来80年間も、タダの一文字も改訂されていない」。事実上の「不磨の大典」となっている。
だからこそ、であろうか。上掲東京新聞や日本憲法学会の大半は、「日本国憲法を、変えるな!!」と主張するのだが、左様に主張するセンセイガタが、「軍隊も戦力も、勿論自衛隊も無い、日本国憲法そのままの状態の我が国が、如何にしてその国家主権、領土領空領海、国民の生命財産を保持し、堅持し、守るのか」という議論、論理、ロジックを、主張したり議論したり説明したりしているのを、私(ZERO)は聞いたことも読んだ事も、殆ど無い。
言い替えよう。「日本の憲法は、変えるな!」と主張する者たちは、「我が国の国家安全保障に対する意識が、根本的に欠如している」と、私(ZERO)は考え始めている・・・「好意的に解釈するならば」だが。
何しろ、「軍隊も、戦力も、勿論自衛隊も無い、日本国憲法そのままの状態の我が国が、如何にしてその国家主権、領土領空領海、国民の生命財産を保持し、守るのか?」という議論を、「憲法変えるな」と主張する者が為した例は、嘗ての社会党(今の社民党)の「憲法9条が最大の抑止力」って言う謎理論(*1)と、弊ブログでも記事にした山口二郎なる憲法論者(「憲法学者ではない」らしい。)の「憲法議論40年間の集大成」であるらしい「領土領空領海限定の、”専守防衛隊”創設(*2)」ぐらいしか、私(ZERO)は知らない。
日本にも憲法学会って立派な学会があり、相応の数の憲法学者や憲法学生が毎年輩出されていると言うのに、この体たらく・・・と言うよりも、凄まじいばかりの知的怠惰、と言うべきか。
ああ、「好意的に位解釈するならば」だ。
些かでも邪推を巡らすならば、「日本の憲法は、変えるな!」と主張する者たちに「我が国の国家安全保障に対する意識が、根本的に欠如している」様に見えるのは、「其奴らが、日本侵略を狙う外国の手先であるから」。左様に考える法が、我が国としては安全安心安泰であろう。
更に言い替えよう。「日本の憲法は、変えるな!」と主張する者たちは、「日本の敵である」。左様に考えた方が、安全側である、と、私(ZERO)は考えて居る、のだ。無論、上掲社説を掲げる東京新聞も含めて、な。
「そんなことは無い」と言うならば、「日本の憲法は、変えるな!」と主張する者たちには、「軍隊も、戦力も、勿論自衛隊も無い、日本国憲法そのままの状態の我が国が、如何にしてその国家主権、領土領空領海、国民の生命財産を保持し、守るのか」という議論・説明を、大々的に公式に行うべき、であろう。
「日本侵略を値ら外国の手先ではない」と、その身の潔白を示すためには、な。
そんな「身の証を立てた」例が、「殆ど無い」という現状を、「日本の憲法を、変えるな!」と主張する方々は、一体どう考えているんだろうねぇ。「侵略者の手先」と、疑われているんだがな。
World Wounder.
- <注記>
- (*1) と言うより、単なる思い込み。
- (*2) 「そんな"専守防衛隊"ならば、憲法に記載が無くても良いのか?」とか、「シーレーンも海外交易も守らないで、貿易立国たる我が国が安全安泰な訳が無い・・・どころか、確実に飢えるぞ。」とか、突っ込み所満載だが、「憲法9条が最大の抑止力」よりは、未だ議論の余地があろう。
- でもなぁ、40年間憲法議論してきて、これかよ。ご愁傷様だな。