• 笑わせる。「戦争に備える」は、国の責務だ。-【琉球新報社説】離島住民避難先提示 戦争準備認められない

 
 Parabellum(パラベラム)。私(ZERO)の知っている数少ないラテン語(*1)の一つだ。意味は、「戦いに備えよ」。

 だが、そんな「ラテン語としての意味」よりも、「9mmパラベラム」と言う、主として自動拳銃や短機関銃(*2)に使われる拳銃弾(*3)の名前の方が有名だろう。
 「拳銃弾の商品名」、それも、第1次大戦から現代に至るまでのロングセラー&ベストセラーの軍用拳銃弾の名前になってしまうぐらいだから、「Parabellum 戦いに備えよ」って「キャッチフレーズ」は、相応の訴求力・説得力がある、と、私(ZERO)には思えるのだが・・・世の中には丸腰の者は撃たれない」=「戦いには備えるな」と主張する気違いも相応に居る。そう言う気違いが「平和主義」とか自称・自賛していることも、ままある。

 戦いに備えない」ってことは、(少なくとも一面)「戦争誘因である」なんて冷厳冷徹な事実・現実・史実・歴史的教訓は、こう言う気違いには、判らない/見えない/理解出来ない、らしい。
 
 そりゃ「平和主義」なぁんて高等高邁高尚なモノと考えるよりは、単なる利敵行為=外国の侵略者の尖兵と考えて置いた方が、安全側だな。
 

  • <注記>
  • (*1) 他は、Mement Mori(メメント モリ)ぐらいか。 
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  • (*2) 俗に言う「マシンガン」。本当はMachine Gunってのは「機関銃」で、小銃弾を使うんだけどねぇ。 
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  • (*3) 9mmパラベラム弾を使う回転式拳銃も、無い訳ではないらしい。単発銃とかも、あるかもなぁ。 


 

  • (1)【琉球新報社説】離島住民避難先提示 戦争準備認められない

離島住民避難先提示 戦争準備認められない

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-3174380.html

 

公開日時

2024年06月09日 05:00

 

#社説

<社説>離島住民避難先提示 戦争準備認められない

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 政府は、「台湾有事」を念頭にした先島諸島5市町村の住民ら12万人の避難計画を巡り、九州北部・山口の県知事に避難受け入れを担当する市町村の案を示した。戦前の集団疎開をほうふつさせる計画だ。戦争への備えが進むことに危うさを禁じ得ない。

 

 沖縄が戦場になることを前提とした計画は受け入れられない。政府は、島々が標的になる南西諸島の軍事要塞(ようさい)化を止め、有事を回避する外交に全力を挙げることだ。

 

 政府が3日の九州地方知事会議で示した案では、宮古島市の住民は福岡、熊本、宮崎、鹿児島の4県、石垣市の住民は山口、福岡、大分の3県で受け入れる。竹富町は長崎県、与那国町は佐賀県、多良間村は熊本県としている。

 

 九州への避難が実行される時は、島々が戦火に巻き込まれ、土地や建物が破壊される危機に直面する。財産を手放し、仕事や学校を離れた住民たちがいつ島に戻れるかは分からない。避難先で生活基盤を確立できる保障もない。離島住民に対する過酷な想定が、「国民保護」の名によって覆い隠されている。

 

 避難先に指定された各県では避難者が滞在する施設の選定や食料の備蓄、医療体制構築が求められる。避難が長期化した場合の教育や就労支援も検討していくという。避難先となる地域に及ぼす負担や影響についても十分に共有されているか疑問だ。

 

 九州地方知事会長の河野俊嗣宮崎県知事が「積極的に取り組みたい」と語るなど、会議では前向きな声が相次いだという。沖縄県の窮状に手を差し伸べないわけにいかないという、人道的な立場からの各知事の協力表明だろう。

 

 だが、戦争は自然災害における救援・避難とは異なる。外交の失敗がもたらす人災だ。国の失政のツケを住民や都道府県に負わせるのは筋が違う。何より政府が計画の策定を急ぐのが、中国の「脅威」に対応した軍備強化の一端であることは見過ごせない。

 

 南西諸島で日米一体の軍事要塞化が進む。先島では宮古、与那国、石垣島にミサイル部隊を備えた自衛隊駐屯地を開設し、民間の空港・港湾を軍事利用できるようにする。自衛隊が米軍と軍事行動する態勢を整えながら、一般住民を前線から退避させる準備が九州への避難計画だ。

 

 しかし、住民保護が戦時下でいかに机上の空論に終わるかは歴史が証明している。沖縄戦を前にした集団疎開では、九州に避難する児童らを乗せた船が沈められるなど多くの悲劇を生んだ。疎開地でも食糧難に苦しんだ。疎開で住民を守れないことを沖縄県民は身をもって知っている。

 

 離島住民の生命、財産を本当に守るのであれば、万が一にも避難計画を発動させてはならない。緊張緩和に向けて平和外交を積み重ね、南西諸島の軍備強化を止めれば、住民の避難計画もおのずと策定の必要がなくなる。

 

  • (2)「戦争準備を認めない」ってのは、立派な利敵行為で、戦争誘因だぞ。大間抜けなのか、邪悪なのか。

戦争準備を認めない」ってのは、立派な利敵行為で、戦争誘因だぞ。大間抜けなのか、邪悪なのか。

 戦争準備を認めない」ってことは、少なくとも一面「戦争準備の妨害」だ。「戦争準備を妨害するのだから、当然平和的で、美しくも正しい行動だ!ぐらいに考えて居るのかも知れないが、「戦争準備が完全な国に対しては、戦争は仕掛けにくい」=「戦争準備が不完全な国に対しては、戦争を仕掛けやすい」=「戦争準備が無い国は、切り取り勝手の草刈り場」って、冷厳冷徹な現実/事実/史実を、上掲社説を掲げる琉球新報は「理解出来ない」・・・・ってことに、なっている。つまりは、琉球新報は「善なる間抜け」ってことに、なっている。一応。

 いや、「理解出来ない」なんて、好意的な善意に基づく解釈では無く、少々「穿った見方」かも知れないが、ハナっから我が国及び我が国防の弱体化を狙った、外国の手先である」と「解釈」しておいた方が、良いのでは無かろうか。少なくとも、安全側だろう。
 
 大体、戦争なんて大事(おおごと)は、国にしか出来ないのだから、一般的に国は、国家は、「次の戦争に備えて、万全な準備」を行い、以て「次の戦争を抑止し、勃発/惹起させない」義務がある。

 言い替えれば国が「戦争の準備をする」のが当たり前で、至極当然。
 国が、「戦争の準備を怠る」のは怠慢。
 国が、「戦争の準備をしない」なんてのは、論外だ。

 その国に、「戦争準備をするな」と主張する上掲琉球新報社説は、立派な利敵行為であり、日本侵略の片棒を担ぐモノである。
 仮に琉球新報が、完全なる善意に基いて、自主的・自発的に斯様な主張を社説として掲げていても、だ。

 そんなことはトテモシンジラレナイ、がね。