• 子供だましー【沖縄タイムス社説】「こどもの日」と平和 学び行動 続ける努力を

 
 「子供だまし」って言葉を、私(ZERO)は好まない。そりゃ、子どもというモノは、大人より経験も知識も乏しいのが一般的であろうから、「騙しやすい」可能性はあろう。

 だからと言って、「子供だまし」で、「大人には通用しそうにない嘘でも、子ども相手ならば通用するだろう。」と断じるのは、相当程度「大人の傲岸不遜」と思われてならない。年を食い、年月を経ているからとて、「賢い」とも「聡明」とも限るまい。早い話、「子供だまし」は、「大人が思う程には、子ども相手にさえ通用しない」様に、私(ZERO)には思われるのだ。

 一言で言えば、「子どもを、舐めるな。」ってことだ。

 そんな、「私(ZERO)の嫌いな言葉」である「子供だまし」をタイトルにしたのは、無論、下掲する沖縄タイムス社説が唱える「日本国憲法擁護論」が、「子供だまし」と思えたから。

 それも、「子ども相手にさえ、通用しそうにない、子供だまし」とね。

 「子供だまし」。私の苦手な言葉です(*1)
 

  • <注記>
  • (*1) メフィラス語法として、一時期流行したなぁ。 


 

  • (1)【沖縄タイムス社説】「こどもの日」と平和 学び行動 続ける努力を

 

「こどもの日」と平和 学び行動 続ける努力を

2024/05/05 05:00沖縄タイムス

 

[社説]「こどもの日」と平和 学び行動 続ける努力を

 

外務省で質問する上原一路さん(左)=2022年

 

(沖縄タイムス)

 

 きょうは「こどもの日(ひ)」。戦後(せんご)間(ま)もなくできた「祝日(しゅくじつ)」を決(き)める法律(ほうりつ)で最初(さいしょ)に定(さだ)められた九(ここの)つの祝日の一(ひと)つです。

 

 祝日を選(えら)ぶに当(あ)たり当時(とうじ)の国会(こっかい)が第一(だいいち)の基準(きじゅん)としたのは「新(あたら)しい憲法(けんぽう)に沿(そ)っていること」でした。

 

 世界(せかい)に例(れい)がない「こどもの日」は、平和(へいわ)憲法の下(もと)で新(あら)たな国(くに)づくりへ、子(こ)どもたちにかけた期待(きたい)の大(おお)きさの表(あらわ)れでもあったのです。

 

 その子どもたちから今(いま)、平和を求(もと)める声(こえ)が上(あ)がっています。

 

 最近(さいきん)では2021年(ねん)、核兵(かくへい)器(き)を持(も)ったり造(つく)ったりすることを禁(きん)じる国連(こくれん)の「核兵器禁(きん)止(し)条約(じょうやく)」に賛成(さんせい)するよう日本(にほん)政府(せいふ)に求める署名(しょめい)活動(かつどう)が、全(ぜん)国(こく)の高校生(こうこうせい)たちによって実施(じっし)されました。

 

 中心的(ちゅうしんてき)な役割(やくわり)を担(にな)ったのは、平和について学(まな)び行動(こうどう)するサークル「高校生平和ゼミナール」です。1978年に広島(ひろしま)で誕生(たんじょう)し、その後(ご)各地(かくち)に広(ひろ)がりました。

 

 県内(けんない)からも高校生3人(にん)が参(さん)加(か)。その一人(ひとり)、4月(がつ)に京都(きょうと)の大学(だいがく)へ進学(しんがく)した上原(うえはら)一路(ひろ)さん(18)に、平和に関心(かんしん)を持ったきっかけを聞(き)きました。

 

■    ■

 

 きっかけの一つは小学(しょうがく)4年生の頃(ころ)に家族(かぞく)で名護市(なごし)の「瀬嵩(せだけ)の浜(はま)」を訪(おとず)れた時(とき)のこと。貝(かい)一つ一つに名前(なまえ)があると母親(ははおや)から聞き、「面白(おもしろ)そう」と思(おも)ったそうです。

 

 同時(どうじ)に知(し)ったのは、基地(きち)を造るためこの海(うみ)がもうすぐ埋(う)め立(た)てられるということ。「きれいな海をなぜ埋め立てるの?」と疑問(ぎもん)が湧(わ)きました。

 

 6年生の時には学校(がっこう)の勧(すす)めで平和ガイド講習(こうしゅう)に参加。最初(さいしょ)は嫌々(いやいや)でしたが、お年寄(としよ)りが子ども時代(じだい)に経験(けいけん)した沖縄戦(おきなわせん)の話(はなし)を聞き、もっと知りたいと思うようになったのです。

 

 「平和と言(い)うとハードルが高(たか)いようだけど、平和は身近(みぢか)な問題(もんだい)」と上原さん。「なぜ」と「知りたい」を重(かさ)ねて考(かんが)えるようになったと話(はな)してくれました。

 

 小橋川(こばしがわ)仁菜乃(ひなの)さん(16)も身近なことから平和に関心を持った一人です。

 

 昨年(さくねん)、うるま市の自宅(じたく)から徒歩(とほ)10分(ぷん)の場所(ばしょ)に自衛隊(じえいたい)の訓(くん)練場(れんじょう)ができると聞いて「静(しず)かな環境(かんきょう)はどうなるんだろう」と不安(ふあん)になりました。

 

 母親と一緒(いっしょ)に住民(じゅうみん)説明会(せつめいかい)に参加。中学(ちゅうがく)で習(なら)った憲法を思い出(だ)し、防衛省(ぼうえいしょう)の担当者(たんとうしゃ)に「なぜ9条(じょう)があるのに訓練をする必要(ひつよう)があるのか」と疑問をぶつけました。

 

 答(こた)えは早口(はやくち)で、ほとんど聞き取(と)れなかったそう。一方(いっぽう)、建設(けんせつ)反対(はんたい)の声の高まりを受(う)け、防衛省は先月(せんげつ)、計画(けいかく)の撤(てっ)回(かい)を決めました。

 

■    ■

 

 「おかしい」と思ったら声を上げること?。2人の経験(けいけん)は、私(わたし)たちに大切(たいせつ)なことを教(おし)えてくれています。

 

 今もいろんな国(くに)で戦争(せんそう)や紛(ふん)争が起(お)きており、平和は当たり前(まえ)ではありません。

 

 戦後80年近(ちか)く日本が戦争をしなかったのには「戦争の放(ほう)棄(き)」を定めた憲法9条が大きく影響(えいきょう)しています。

 

 一方、その憲法には自由(じゆう)と権利(けんり)は「不(ふ)断(だん)の努力(どりょく)によって保持(ほじ)する」ともあります。

 

 平和であるためには常日頃(つねひごろ)からの国民の努力が重要(じゅうよう)なのです。

 

 一人一人が考え、異(こと)なる考えであれば話し合(あ)い、争(あらそ)いを避(さ)けるために行動(こうどう)する。平和はそうした積(つ)み重ねでしかつくれないことを、大人(おとな)も子どもも知る必要があります。

 

 そして、すでにそれを実践(じっせん)している子どもたちの声は、尊(そん)重(ちょう)されるべきだと思います。

 

  • (2)子どもでも、チョイとひねてりゃ、騙されまい。


 「子ども」ってのも定義が色々ありそうだが、小学生なら当確で、中学生まで、ってのは一つの目安だろう.高校生以上になると「子ども」ってよりも「青年」とかナントカ「半成人」「半大人」として扱った方が良さそうだ。

 上掲沖縄タイムス社説が「子ども向け」なのは明らかだろう。全て(でも無いな・・・)の漢字に括弧書きで「読み仮名」をつけているのだから、小学校低学年でも「平仮名を読めるならば、読める」様になっている。


 「小学校低学年でも読める」社説として、巧みに己が主義主張をすり込もうって訳だ.「ヒトラーユーゲント方式」とでも呼ぶべきか。まあ、共産圏のあちこちでも、小説「1984」世界でも、同様の手法は見られるから、別にナチの専売特許ではない。

 「すり込もうとしている己が主張」の最たるモノが、憲法9条信仰であろう。「小橋川仁菜乃さん」とか言う16才(*1)の子は「自衛隊の訓練場説明会」で、

1> 「なぜ9条(じょう)があるのに訓練をする必要(ひつよう)があるのか」と疑問をぶつけました。

って事になっている。無論、かかる姓名の「16歳児」が実在するかどうかも、実際その場でその様な質問をしたかどうかも、疑える余地は大いにある。オマケに、

2> 答(こた)えは早口(はやくち)で、ほとんど聞き取(と)れなかったそう。

とも上掲社説にはあるから、上記1>質問に対する回答を当該「小橋川仁菜乃さん」は「理解出来なかった」って事であり、上掲沖縄タイムス社説を書いた記者は、その説明会のその場に居合わせた訳ではなく、「小橋川仁菜乃さん」にインタビューして上掲社説を書いている、って事になる(*2)。

 上掲1>に現れているのは、その「裏返し」たる日本国憲法9条があれば、訓練は必要ないという発想であり、さらには日本国憲法9条があれば、自衛隊は必要ない」という思想である。
 
 上掲1>は、未だ「小橋川仁菜乃さん」なる「16歳児」の発言の引用、って事になっているが、より直接的には、以下の様に「社説の地文」として、それ即ち「沖縄タイムス社の公的公式な主張」として、明記されている。

3>  戦後80年近(ちか)く日本が戦争をしなかったのには
4>「戦争の放(ほう)棄(き)」を定めた憲法9条が大きく影響(えいきょう)しています。

 

 斯様な詭弁には騙され引っかかる大人も相当数あるだろう。が、子どもであろうとも、「健全なる猜疑心」を身につけた「チョイとひねたガキ」ならば、こんな詭弁には騙されまい。

 詭弁の一つは、「時系列の前後関係を以て、因果関係と断定していること」。
 一寸考えれば判るはずだが、「時系列の前後関係は、必ずしも因果関係ではない。」。「戦後80年近く日本が戦争をしてない」ことも「その戦後80年近くの間、憲法9条は実在した」ことも事実だが、その二つが「同時代であるから」とて「因果関係がある」とは限らない。


 と言うよりも、その二つの「同時併存」を強調する言説は数多あるが、その因果関係を説明した言説ってのは、未だ嘗て見たこと聞いたこと読んだことが無く、上掲沖縄タイムス社説でもその因果関係は「自明として、説明すらしていない」。
 それ即ち「説明不要なぐらい自明」と言いたいのだろうが、私(ZERO)も「チョイとひねたガキ」も、そんな「論理の直結」は許容しない。左様に主張するならば、そのロジックをじっくりとっくり説明すべきである。

 もう一つの詭弁は、「日本国憲法9条に縛られて日本が戦争を仕掛けなければ、日本が戦争になることは無い。」と言う独断。
 

 日本国家憲法9条は、所詮「日本国の憲法の中の一条文でしかない」のであるから、それが影響し掣肘するのは、タダ我が国・日本のみである。これ即ち、「我が国から戦争を開始し、仕掛けることを阻害・阻止する」効果は。「ひょっとしたらある」かも知れないが、外国から我が国に戦争を仕掛けることに対しては、「何ら効果・効力・霊験・御利益は、無い。」と考えるのが、常識的判断というモノだ。

 ああ、憲法9条を掲げる我が国を侵略したら、その国は、終わる」とか言う「9条信仰」が世の中にあることは知っているさ。だが、イラクはクウエートを併呑しても、それだけでは「終わり」となら無かったし、ロシアはウクライナを侵略し、一時は首都キーウを陥落せん勢いだったが、未だ終わらず戦争継続中だ。クウエートやウクライナに「憲法9条はなかった(*3)」だろうが、「あったら、もっと酷いことになった」だろうさ。
 
 「憲法9条」こそ無いものの、ロクに装備も軍隊もなかった韓国は、北朝鮮に侵略されて危うく釜山まで占領されそうになり、その戦争=朝鮮戦争は未だ継戦中だ。で、そんな戦争を仕掛けた北朝鮮は、今でも未だ「在る」。

 我が国の憲法の一条でしかなく、我が国の行動を掣肘するばかりの憲法9条が「戦後80年近(ちか)く日本が戦争をしなかった」ことに「大きく影響したと断定断言出来るのは、我が国から戦争を仕掛けなければ、戦争にはならない」と言う、凄まじいまでの独断・断定・偏見・狂信の結果に他ならない。

 中国や北朝鮮やロシアの核恫喝は、こいつらには聞こえないか、都合良く忘れているのだろうさ。

 だが、そんな「化けの皮」は、たとえ「何も知らないガキンチョ相手」でも、長続きはしない・・・と、期待したいな。
 

  • <注記>
  • (*1) って事は、高校生だよなぁ。また、間抜けな16才だな。実在するならば、だが。 
  •  
  • (*2) 無論、「小橋川仁菜乃さん」が実在するとして、だが。
  •  実在しているとして、裏ぐらい取って書いているんだよな。この社説は。 
  •  
  • (*3) そりゃ、普通は「無い」さ。普通、国には、軍隊があるからね。