• .愛は、勝つ。ー 実写版「City Hunter」(Netflix2024年)


 嘗て、「磯野家の謎」と言う、漫画&アニメ「サザエさん」の世界観、背景、設定、裏設定、その他諸々を、解説だか妄想だか深読みだかした本が出版された。これが結構売れたそうで、当時既に「斜陽産業」と言われていた出版業界は、二匹目三匹目四匹目N匹目のドジョウを狙って、「サザエさん」以外の漫画やアニメやその他についての解説/妄想/深読本を次々と出版した(*1)。

 そんな「時流に乗った本」を、私(ZERO)は立ち読みの斜め読みぐらいでしか読んだ覚えは無いが、その頃数多あった「磯野家の謎」はじめとするこれら解説/妄想/深読本は、大凡二種類に大別出来る様に思われた。

 一つは「磯野家の謎」に始まるこのブームを当て込んで、一儲けも二儲けもしようという本。ある意味「浅ましい」が、ある意味「商売だから当然」とも言い得るし、ある種「プロ意識の産物」としての解説/妄想/深読本。こう言うのは、儲けるのが主眼だから、解説/妄想/深読の対象は、「サザエさん」と同様、或いはそれ以上に人気であったり流行であったりするモノを選んでいた様だ。

 もう一つは、「磯野家の謎」とは無関係に、タダひたすら、(人知れず、かも知れない)ある対象を愛で、愛し、研究考察し、その結果を(「磯野家の謎」ブームを契機として、)発表・発刊・発行した本。ある種の「作品に対する愛の結晶」であり、こう言う本は多くは作れなさそうだ。
 
 で、この二つの内、どちらを読みたいか、と言われれば、私(ZERO)ならば、圧倒的に「後者」なのである。「好きこそものの上手なれ」と言うべきか、その対象が何であれ、「作品に対する愛」に対しては原則的に相応の敬意を表するべきだ、ってのが、ある種の「マニア」であることは恐らく自他共に認めるであろう私(ZERO)の持論であるから。
 況んや、その対象に私(ZERO)が共感出来、共有出来るモノならば、尚更後者である。まあ、前者ってのにも興味は無いではないが、先ずは「同好の士」に共感したい、と考えるのが、人情と言うモノだろう・・・・残念ながら、そんな解説/妄想/深読本は、発見出来た覚えがトンと無いが。

  • <注記>
  • (*1) さらには、「盛り込める限りの情報を、最初から漫画に盛り込んでしまおう」って「裏返し」とも「逆突き」とも言えそうな漫画を、相原コージって漫画家が試験的に描いて見せていた。
  •  まあ、それだけ、「一世を風靡した」ってことだ。 


 

  • 1. 必ず、最後に愛は勝つ。


 「磯野家の謎」はじめとする解説/妄想/深読本なんてモノを久々に思い出したのは、Netflixで動画配信された実写版"映画(*1)"「City Hunter」を観たから・・・もとい。これでは順番が逆だ。実写版「City Hunter」を観る為にNetflixに加入して鑑賞し、予告編やYoutube動画でも十分明白であった北条司原作の漫画及びアニメたる「City Hunter」に対する尋常ならざる作品愛を確認・堪能・共感したから、である。
『シティーハンター』予告編 - Netflix (youtube.com)


 左様「共感した」のである。それは即ち、私(ZERO)自身がCity Hunterのファンであり、北条司のファンであることの自白・告白でもある。

 City Hunterを全く知らない人のために手短に解説すると、北条司原作の(基本)劇画調の漫画で、東京は新宿を拠点とする凄腕のスイーパー(万揉め事始末屋)「City Hunter」として知られる冴羽獠(と、その相棒)を主人公とする、一種の悪漢小説(ピカレスクロマン)である。超人的な身体能力及び射撃技術と、冷静明晰なる頭脳と、無類の女好きを同時実現した主人公は、ある種の「理想像」といえるだろう。少年ジャンプに連載されたのが1985年から91年と言うから、連載開始からだともう40年近い。
 その後テレビアニメとなり、漫画原作には無い話も数多ある(が、基本的には漫画に忠実な)テレビアニメとして1,2,3,91と4シリーズも放映され、その後も度々劇場版アニメが作られ、最新作は2023年劇場公開の「シティハンター 天使の涙(エンジェルダスト)」であるそうだから、アニメも40年近いロングセラーであり、且つ主人公・冴羽を声優・神谷明が一貫して演じている点も、特筆大書して良かろう。
 ジャンルとしては、「アクション・コメディー」とか「ラブ・コメディー」ともされるそうだが、それらの要素も相応に含まれているのは確かだ。また、その後日談とも続編とも言える漫画「エンジェル・ハート」を北条司自身が描いているほか、スピンオフ作品も小説、漫画とあって、「広範にわたる影響力・浸透力」を示している。

 



 City Hunterの実写映画化も、既に何度か実施されており、比較的メジャーな「ジャッキー・チェンを主人公・冴羽にした」作品がその嚆矢であるらしい。が・・・「City Hunterなのは、冒頭5分だけ」なんて評価もある様で、幾らジャッキー・チェンが得意で「強み」であろうが、「冴羽獠がカンフーで戦う」ってのは「興ざめ」だろう。私(ZERO)なんざ、見ようという気も起きなかったし、今後も見そうにない。
 2019年にはおフランス製の実写版「シティハンターThe Mobvie 史上最香のミッション」が製作・公開された。フランス製だけに、登場人物は軒並み白人なのだが、何しろ監督・主演したフィリップ・ラショーって人が原作「シティハンター」の大ファンで、その「好き」が昂じて実写映画にしちまったってんだから、「その意気や壮」とすべきだろう。
 聞くところによると、日本語版吹き替えに当たって、アニメ「シティハンター」で冴羽役を演じる声優・神谷明に日本語吹き替え(勿論、冴羽獠役)をオファーしたのだが、神谷明は「自分は、アニメの冴羽獠役の声である」として、断ったのだ、とか。
 オファーする方もオファーする方だが、断った方も断った方で、どちらも「原作に対する愛」によるモノ、と、私(ZERO)は解釈している。

 左様、「リスペクト=尊敬」と言うよりは、「愛=執着=執念」である。

 とある動画において、「実写化作品は、原作の再現性という点で、二つのレベルに大別される」と言う説を唱えていた。一つは、「金を大してかけない程度で、再現する。」と言う「コスパ重視」レベル。もう一つは、「再現に命を賭ける。」レベル、なんだそうな。
 「イヤ、中間はないのかよ獠」って突っ込みは当然あるが、今回の鈴木亮平主演「シティハンター実写版」は、「後者の、”命を賭ける”レベルだ。」と、その動画は断定しており・・・私(ZERO)はこれに同意するモノである。

 【NETFLIX】シティハンター【出来がいい】でも〇〇が足りない!(ネタバレほぼなし) (youtube.com)

 「原作の再現に、命を賭ける」というのも、ある種の「愛」であり、「執着」であり、「執念」であろう。

 而して、アニメでも漫画でもそれを「実写化」するに当たっては、「原作に対するリスペクト」は当然ながら(*2)、「原作に対する愛=執着=執念」が、必須なのではないか、と、私(ZERO)は本作を見て感じたのである。それが、章題「必ず、最後に、愛は勝つ」に繋がっている。

 沈着冷静に、冷徹に言えば「原作に対する愛=執着=執念」があったとて、その実写化映画が成功するとは限らないだろう。再現性が高かろうとも、売れないかも知れないし、受けないかも知れないし、駄作にも黒歴史にも、なり得る、と考えるべきだろう。精神論や根性論で、全てが解決する訳がない。
 
 だが、「実写化映画の成功」には、「原作に対する愛=執着=執念」は、「十分条件ではないかも知れないが、必要条件ではある」のではないか、と、私(ZERO)は考え、否、感じたのである。
 
 それ故の、この章題である。「必ず、最後に、愛は勝つ。」。鈴木亮平の長年の積年の「シティハンターに対する愛=執着=執念」が、遂に具現化実体化したのが本作であり、その「愛=執着=執念」が故に、本作は邦画として希に見る様な「実写化成功作」となっている、乃至なりつつある、様に、私(ZERO)には思われる。

  • <注記>
  • (*1) 基本的に映画館で上映されない動画を、「映画」と呼ぶのは、些かならぬ抵抗がある、のだが。 
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  • (*2) 「それすら怪しい」実写化映画ってのは、心当たりがないでも無いが。 


 

  • 2. 邦画離れしたガンプレイ

 本作で特筆大書すべきもう一つの特徴は、主人公を演じる鈴木亮平の見せるアクションシーン、取り分け(章題にした通り)ガンプレイである。


『シティーハンター』メイキング映像 - 鈴木亮平・森田望智が語る舞台裏 (youtube.com)


 一般的に言って、邦画はガンプレイが苦手だ。これが刀剣による立ち回りとなれば、「殺陣師(たてし)」と呼ばれる「伝統的専門職集団」が黙っていないので、相当に高いレベルとするのにさしたる苦労はない。だが、江戸時代からこちら、日本人にとって銃器は「縁遠い存在」であり、兵役もなくなった戦後ともなると「銃の構え方も知らない」者がゴロゴロ居る様な「銃無き社会」なのが日本だ。それ自体はある意味「結構なこと」で、「映画のガンプレイが優秀な銃社会(例 アメリカ)」と「映画のガンプレイがショボい銃無き社会(典型的例 日本)」と、「どちらが良いか獠」と問われれば、後者が良いに決まっている。
 
 が、「銃無き社会」では「優れたガンプレイの映画は作れない」ってロジックは、無い。「銃無き社会」では、「ショボいガンプレイの映画でも、そこそこ売れる」と言うだけである。「ガンプレイ」を評価し、批評する映画ファンが「少ない」から、当然、そうなる。

 だ・が・今回実写化されたのは、北条司原作の「シティハンター」である。原作たる漫画にも、幾つも「光るガンプレイ」があったし、アニメでは、確か2の「新宿に仕掛けられた原爆の起爆装置を、コルトパイソンの銃弾3発で解除する」シーンなんて痺れるガンプレイがある。シティハンター実写化に当たり、「優れたガンプレ」は、「必要不可欠」とは言いかねるかも知れないが、「相当なアドバンテージ」ではあろう。

 本作で冴羽獠を演じる鈴木亮平は、本作中で使用する6種類(コルトパイソン、コルトローマン、MP5K、ベレッタF92(多分)、M4カービンと・・・グロックか?)の銃全てのモデルガンを(自腹で獠)購入し、練習に努めたと言う。

 その「練習の成果」が、「優れたガンプレイ」もとい、「邦画離れした、優れたガンプレイ」として、本作の随所に見て取れる。ネタばらしになるといけないので、一つだけあげると、冒頭近くにヤクザの事務所を襲撃し、5,6人のヤクザを徒手格闘戦で圧倒する冴羽に対し、とうとう銃を持ち出してきたヤクザのシーンがあげられよう。冴羽は難なくその銃を取り上げ、分解して「暫く使えない様にする」ってシーンなのだが、この「銃の分解」が凄いのである。
 視線は相手に向けたまま、手元なんか見ないで、ヤクザから取り上げた自動拳銃(グロック、かなぁ・・・)の、マガジンを落とし、スライドを引いて薬室を空にし、そのままスライドとレシーバーを分解し・・・・までは「私(ZERO)でも、練習すれば、ナンとか」と思える。ああ、その速度に追いつくのは、また別だがな。(いや、正直、ちょっとやそっとじゃぁ「追いつける」とは思わない。)
 でも、此処で終わらないのだ。鈴木亮平=冴羽獠リは。右手にレシーバー、左手にスライドを持った状態で、左手一本で、スライドから復座バネ抜いて飛ばしてみせる。繰り返す、左手一本で持った状態のスライドから、復座バネを抜いて飛ばす、のである。
 当人も「むっちゃ練習した」と言い、「本番撮影では一発で出来て、自分でも吃驚した」と語っているが・・・こう言うのを、「入神の技」というのだろうな。

 

  • 3. シリアスとコミカルの瞬時切り替え

 だが、「優れたガンプレイ」ならば、銃社会であるアメリカのアメリカ映画の方が、一日も二日も長があろう。最近のアメリカ映画は私(ZERO)は見ていないので知らないが、「ジョン・ウイック」シリーズとかは、ガンプレイで評価が高いのだとか。

 しかーし!!、「シティハンター」は、冴羽獠は、「ガンプレイだけ」では成立しない・・・否、冴羽獠の本質・本体・最大の特徴にして、殆ど存在理由とも言えそうなのは、一言で表せば「もっこり」である【強く断言】。
『シティーハンター』ティーザー予告編 - Netflix (youtube.com)

『シティーハンター』冴羽獠のもっこりダンス - Netflix Japan (youtube.com)
 「もっこり」無くして、冴羽獠無く、「もっこり」なくして、「シティハンター」無し【もっと強く断言】。

 「もっこり」。中々便利な言葉である。本来の意味は、多分「勃起した男性性器」に対する「形容詞」であろう。そこは日本語の便利な曖昧性により、「もっこりする」「男性性器が勃起する」という直接的な意味合いの動詞にもなれば、「美人な女性を見て、触って、アレコレして、興奮する、喜ぶ、盛り上がる」という間接的な意味合いにもなる。更には、「もっこりチャン」と名詞化すると、これまたかなり曖昧なことに「男性性器が勃起する様な魅力的な女性」も意味するし、「もっこり美女」となると「美女」に更なる付加価値を追加する形容詞ともなる。無論、褒め言葉であり、肯定的な付加価値だ。

 



 男性性器とは色んな意味で関連・関係・因果・因縁があるので、ツイフェミあたりが発狂しそうな言葉「もっこり」ではあるが、その「もっこり」で端的に表現出来る冴羽獠のコミカルな部分と、先述の「ガンプレイ」で表現出来る冴羽獠のシリアスな部分。その二つのギャップと、瞬時の切り替えが、冴羽獠のある種「ギャップ萌え」でもあるし、恐らくは「シティハンターを実写化するに当たっての最大の障壁・障害」でもありそうだ。

 その「シティハンターを実写化するに当たっての最大の障壁・障害」を、大俳優・鈴木亮平は美事にクリアしている。それも、トンデモナイレベルで、だ。

 どれ程トンデモナイかというと、アニメで冴羽獠の声を演じ続けている神谷明が、「アニメは、こちら(声優)の演技に合わせて絵を描いてくれるから、出来た。自分で実写化・実演は、出来ない。」と断言するレベル。冴羽獠歴30年以上を数える大先輩が、脱帽しているのである。鈴木亮平の冴羽獠演技=シリアス/コミカル切り替えに。
 
 これもネタばらしになるといけないから、多くは書けない/書かないが、「いよいよ最終決戦直前」って所で、暴力団組長(橋爪功)からかかって来た電話で、「生きて返って来たら・・・あの店、貸し切ってやるよ。」との組長の激励の言葉に、手放しで大喜びする冴羽獠=鈴木亮平の表情激変は、必見モノだ。

 あ、橋爪功の「老暴力団組長ぶり」も、結構なモノだぞ。あの、人の悪い笑顔ったら、ないからな。

 

  • 4. 再び言う。「必ず、最後に、愛は勝つ。」

 橋爪功演じる老暴力団組長は、本作オリジナルキャラ、だと思う。その他、コミカルな冴羽獠にも「原作漫画程のハチャメチャな女好きぶり」はない。これは、原作漫画が連載され、アニメ化された、1980年代から1990年代と、21世紀に入って20年以上も経過した現代との「時代の違い」が大きかろう。「ポリコレ(政治的な正しさ(爆笑))」とか「フェミ(女性優先主義(もっと爆笑))」とか「多様性(死ぬ程爆笑)」などの「極端な主張」ならずとも、女性に対する接し方などが「原作漫画そのままの冴羽獠」では、「許容されない」は言い過ぎとしても、「万人受けを妨げ、新たなファン獲得の障害となる」のは否めなかろう。

 そのため、本作の、鈴木亮平=冴羽獠は、漫画原作よりは「弱毒化」され(*1)、「時代に迎合した」部分も、なしとはしない。

 だが、そんな「弱毒化」されても尚、否、「”弱毒化”されたが故に」、なお一層明確鮮明となり、溢れ出しているのが、本作「実写版City Hunter」に於ける「原作漫画&原作アニメに対する愛=執着=執念」である!・・・と、古手のCity Hunterファンであり、北条司ファンでもある、私(ZERO)には思われ、感じられる(*2)。
 
 故に、再度言う。「必ず、最後に、愛は勝つ。」

 これが精神論であり、根性論であり、また普遍的ではない、と言うことは認めよう。

 原作に対する愛=執着=執念は、実写化成功の必要条件ではあっても、十分条件でないことも、認めよう。

 だが、本作、「実写版City Hunter」は、その「原作に対する愛=執着=執念」故に、「間違いなく、成功する。」と、私(ZERO)は確信している・・・・と言うよりは、「絶大なる確信を持って、期待している。」というのが正しいか。

 「最後に、愛は勝つ。」と言うのは、ある種の理想像である。それ即ちある種の理想論であり、書生論とも言い得よう。

 だが、その理想は、書生論は、本作「実写版City Hunter」では、現実化し、事実となるだろう。
 

  • <注記>
  • (*1) 一方で、「アニメ版冴羽獠」には、近い様に思われる。 
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  • (*2) それ即ち、「時代に合わせた原作改編」を、本作の場合は「肯定的に考えて居る」と言うことに、他ならない。