• 動画台本「国防を仕事にする。-”死の商人”へのご招待」


 これは、「とある我が国の防衛産業=兵器メーカーが、就活学生相手にプロモーションビデオを作った」と想定しての、その「ビデオの台本」である。兵器メーカーのプロモーションにかこつけて、防衛産業=軍需産業=兵器メーカーの意味と意義と矜持と誇りを描こうという試みである。


 
 -ロングショット。低い一段の「教壇」と「教卓」。その向こうに立つ一人の男(私(ZERO)を想定)。その背後に横長の黒板。「教室」。-

 「おはよう、諸君。我が”教室”へようこそ。
  本日は諸君に、我が社の業務の一つである”防衛産業”のお話をしよう。
 一応此処に集まられたのは、我が社の我が”防衛産業”に一定の興味のある方々、と承知している。実際我が社の我が”防衛産業”に就職を考えて居る来春卒業予定組や、再就職組も居るようだな。
 はたまた、”我が国の防衛産業って、何するの?”と言う興味本位。或いは”平和国家である我が国に、防衛産業なんて不要だ!!”って”防衛産業否定論者”まで、居そうではあるな。
 まあ、なるたけそんな”防衛産業否定論者”を含めて、本日は、我が国の防衛産業について、説明していこうと思う。
 ああ、最後の方に質疑応答のコーナーを設けるつもりなので、長く喋りたい方はそこまで一寸我慢して欲しい。そこまでに、こちらからの問いかけには答えてほしいものの、長くはチョイと遠慮してくれ。
 最後の質疑応答コーナーならば、如何なる反論も異論も、時間の許す限り歓迎するので、この点だけは、一寸ご承知頂きたい。」
 
 「では諸君。始めるとしよう。 
  Now We START. by名無し@夕陽のガンマン」

 

  • (1)「君の人権を、生命財産を、保証している主体は何か?

 「さて、チョイと話は変わるが、質問だ。此処にお集まりの諸君は須く日本国民で、大して生命の危険を感じること無く此処に集まり、また無事に家に帰れると、殆ど無意識に期待していることだろう。


 私自身がそうだ。今、この次の瞬間に軍用ライフルで武装した侵入者(まあ、男が多そうだが、男とは限らない。)がその銃をフルオートでぶっ放して我が人生を完了させる、なんて事態は、余り想定していない。
 そんな程度には諸君らの人権も、生命財産も、保証されている、と思っている訳だが、さて、そんな「ある意味呑気な状態」を現出し、諸君らの人権や生命財産を、保証してくれているモノは、何だと思う?」

 「そこの最前列右端の君。君はどう思う?
 言っておくが、こうした設問に”正解を言い当てる”のは余り意味が無い。重要なのは、諸君が、諸君自身で考えることだ。私は後にこの設問への”回答”を述べる心算だが、それを”教える/教えた”とは思わないで欲しい。早い話、私が後の述べる"回答"を”正解”とは思わず、”大いに疑え。”と推奨しているのだ。
 つまりは”模範解答は一応用意してあるが、正解は、無い。”と言っても過言ではない。故に、何を回答しても、それはそれで"あり"と言うことだ。
 で、どう思う?」
 
 「憲法?我が国だから、日本国憲法だな。成る程基本的人権の遵守を謳っているし、一つの回答だろう。だが、日本国憲法自身には、”強制力が無い”点は弱いだろうね。例えば誰かが”日本国憲法を無視して誰かの生命財産を脅かした”としても、それを掣肘する強制力は、日本国憲法自身には無い。
 だが、一つの回答ではある。ありがとう。」

 「さて、他に意見のある人はないかな?そこ、最後列左端の君は、どうだい?やはり日本国憲法かね?」

 「弁護士。就中、人権派弁護士と。成る程、裁判や訴訟となると、確かに心強い味方だね。先ほどの回答である”日本国憲法”の担い手、代理執行人、と言う考え方も出来るから、コレも立派な答えだ。
 難点を上げるとしたら、裁判沙汰や訴訟以外では、余り役に立たない所かな。諸君らの奪われた財産を取り戻すのには役に立つだろうが、諸君らの生命が脅かされ、奪われたとしても、相手を刑務所乃至死刑台に送るのが関の山。尤も、その事により”諸君らの生命を守る抑止力”となってくれる、可能性もあるな。ありがとう。」

 「さて、他に意見は無いかな。後から三列目の真ん中の君。そう、君だ。君の意見は如何かな?」

 「警察。成る程、強制力のある政府機関だね。コレも先ほどの回答たる人権派弁護士と同様に、”日本国憲法の代理執行者”と考えることが出来そうだ。一般市民や或程度の反社会的勢力に対抗できるだけの武力もあるから、強制力もある。まあ、我が国の警官がその拳銃を使うことは滅多に無いが、我が国で合法的に拳銃を射撃できる数少ない職業の一つでもある。諸君の生命財産を守るという点では、やはり抑止力としての効果が高そうだね。ありがとう。」

 「さて、他には無いかな?日本国憲法、人権派弁護士、警察、と出たわけだが。」

 「無いようならば、私の”回答案”を示そうか。
 私の考えるところ、諸君らや私の基本的人権はじめとする人権や、生命財産を保証しているのは、主権国家たる我が国・日本だ。
 主権国家たる我が国がしっかりとあるから、法秩序もある。法秩序もあるから、日本国憲法も(ある範囲で)遵守されるし、裁判や訴訟も成立するし、治安も維持され、犯罪は(ある範囲で)処罰される。主権国家が無かったら、こうは行かない。」

 「主権国家を失った場合、と言う点で、ユダヤ人の歴史を想起するのも無駄ではないだろう。古代ユダヤ王国は、古代ローマ帝国に滅ぼされて以来、ユダヤ人は”主権国家を持たない民”、謂わば流民として広く世界中に散らばった。その”失われたユダヤ人主権国家”を、第2次大戦後に「復活」させたのが今のイスラエルだ。先頃以来のガザ紛争始めとして、数多の実戦経験を持ち、「中東一」と言って良いぐらいの軍事強国であり、それ故に「悪役扱い」されることも(今となっては)多いし、その人口比率に一定の「非ユダヤ人」を含んでいて、今日では「ユダヤ人の主権国家」と断定しかねる部分はあるのだが、建国当初の(今よりは大分小さい)イスラエルは、「ユダヤ人の主権国家」として「復活」した事は間違いない。
 「復活」する以前の「主権国家無きユダヤ人」が、ナチスのホロコーストはじめとする(*1)数多の迫害や虐殺を受けたが故に、”ユダヤ人主権国家”は、ユダヤ人長年の・・・実に二千年にもわたる”悲願”だったのだ。」

 「ユダヤ人及びイスラエルと比較すると、我が国・日本というのは実に対称的であることに気づかないかね?
 我が国は、島国で、大陸・支邦とは日本海という”結構な難所(*2)”に守られ、遮られ、"歴史を文字として記録する以前から、国があった"ために、”歴史を遡ると、神代の昔に遡ってしまう国”である。”有史以前から国があり、それが連綿と続いている。”こんな国は、滅多に無い。
 ”万世一系”と言うのも、”皇紀27世紀”と言うのも、”混じりっけ無しの事実”とはしかねるモノの、”伝承としての史実”ではある。故に、日本人(の多く)は「日本という国・主権国家は、あるのが当たり前」という感覚であり、一般的に国防意識というか、国家意識というモノは、かなり低い。「水と安全はタダ」などと言う言葉に、それは表れていよう。
 ”水と安全はタダ”なんて感覚/意識は、中東のイスラエル・ユダヤ人からすれば、”何を言っているんだ?!お前は!!!”ってなモノだろう。」
 
 「それは何も、ユダヤ人に限った話では無い。「世界的標準」或いは「世界史的標準」からするならば、水も、安全も、主権国家も、「相当に高価なモノ」であり、「タダ」だとか「あるのが当たり前」という方が、異常異様異端なのである。」
 

  • <注記>
  • (*1) ユダヤ人差別、ユダヤ人迫害、果てはユダヤ人虐殺まで、「ナチスドイツの専売勅許」とは、思わないことだ。「ドレーフェス事件」とか、「ポグロム」なんてキーワードで、検索かけてご覧な。 
  •  
  • (*2) 同じ島国ながら、イギリスとヨーロッパの間にあるドーバー海峡なんて、”海峡”ってぐらいで狭く、時期が良ければ、"訓練した人間ならば、泳いで渡ることも可能"な海だ。 


 

  • (2)「主権国家を安泰とする、国家安全保障の主体は何か?」

 「では、「あるのは”当たり前=当然”ではない」、「相応に高価」な主権国家を、安全安泰せしめているのは何だろうか?主権国家が主権国家として、その国民の生命財産を、法秩序を、国内治安を確保できるのは、何故か?

 ま、十分予想が付くことだろうが、私が此処で断言宣言したいのは、「主権国家の主権を守り、安泰とするのは、(少なくともその一つは、)軍隊であり、軍事力である」と言うことだ。

 より上位・広義の概念として、「抑止力」と言うことも出来そうだ。抑止力とは突き詰めれば、「外国が我が国へ戦争仕掛ける気を無くさせる力」と定義出来、その典型的な例が「精強なる軍隊」や「強力な兵器」でもある、「軍事力」だ。
 
 但し、「抑止力」は往々にして「軍事力」をさすことが多いが、そればかりではない事にも留意が必要だろう。軍事力を「ハードパワー」と表現するのに対して、外交力を「ソフトパワー」と表現したり、その間や中間や混合・混成物を「スマートパワー」と表現する事もある様だが、「外交力」にせよ「スマートパワー」にせよ、「抑止力として期待される、事がある」事には留意すべきだろう。

 何を言いたいのかというと、先ほど私は「主権国家たる我が国を安泰とするモノ」として「軍事力」を強調したが、より上位概念として「抑止力」がそれであるとすることも出来、その場合は、世上「軍事力とは対立的なモノ」にして往々にして「悪なる軍事力」に対して「善なる外交力」とイメージされる「外交力」も、「抑止力たり得る」と言うことであり、同時に、外交力と軍事力というモノが「善悪と言う、対立し相容れないモノ」ではなく、「相補的・相関的なモノでもあり得る」と言うことである。

 「砲艦外交」って    言葉・概念が、「外交力」と「軍事力」の「相補的関係」を、端的に示していよう。「外交力」も「軍事力」も、広義の「抑止力」であり、その目的は我が国の安泰=国家安全保障であり、国益だ。

 では、軍隊は、何を以て「軍隊」として十全に機能し、その軍事力・抑止力を発揮するのであろうか?
 
 戦時捕虜の処遇を定めた「ジュネーブ条約」では、その「戦時捕虜たり得る資格のある"軍隊"」を、「国家に連なる明白な指揮系統の元で戦闘に従事している事」と、「国家の軍隊である事を示す明白な標識、通常は軍服であるが、最低限腕章などを付け、軍人であると明示していること」を要求している。この二つの条件が満たされなければ「戦時捕虜としての待遇」は受けられないし、この二つの条件を満たさずに戦闘に従事していれば、それは「犯罪者=テロリスト」として裁かれる事もある。まあ、多くの場合はその場で銃殺か絞首刑かで死刑に処されるだろうね。
 それは兎も角、「ジュネーブ条約に基づく戦時捕虜たる資格」である「軍隊としての指揮系統」と「軍隊としての標識(軍服)」さえあれば「軍隊・軍人と認められる」かも知れないが、「軍隊として十分十全な抑止力を持つ」とは、到底言えないだろう。

 「軍隊として十分十全な抑止力を持つ」為には、「十分十全な軍事力」たり得ると、認められなばなるまい。そのために必要なのは、「指揮系統」は必要だろうが、それと「軍服」だけでは、まるで不足だろう。

 「十分十全な軍事力」たり得る為には、武器・兵器をはじめとする「十分十全な装備」と、それを駆使するだけの訓練を積んだ結果としての「精兵」。更にそれらの「数=兵力」も重要だろう。」

 

  • (3)「現代的軍隊の装備はほぼ全て商品であり、科学技術の結晶である。」

 

 「さて、「十分十全な軍事力」を発揮するための「装備」「精兵」「兵力」の内、「装備」は、軍服から銃火器、火砲、車両、艦艇、航空機に至るまで、ほぼ全てが「商品」であり、これを販売流通させる「商人」から国が「買って」居る。所謂死の商人とも言われる業界で、その一部が「軍需産業」であり、「兵器メーカー」であり、我が社のその一翼を担っている訳だ。ああ、軍服は作っていない、と、思うがな。
 
 「死の商人」というと、随分否定的なイメージを持たれる様だが、武器・兵器に限らず、今現在あるモノの殆どは「商品」なのだから、「武器・兵器を専門的に製造するメーカーと、これを商う商人」が居るのは当たり前。それがイヤなら、「兵士個人個人が手作りの武器を持つ」しかなくなる。そうなると、兵士が持てる武器は、良い処「竹槍」って事になりそうだな。
 「竹槍しか武器を持たない軍隊」が、現代的な軍隊と相対峙したらどうなるかは、想像に難くなかろう。二百三高地やバラクラバの騎兵突撃なんか、問題にならないぐらいの惨状になるのは必定だろう。

 あ、「二百三高地」というのは、20世紀初頭、日露戦争に於ける旅順要塞攻略戦の「白眉」だ。コンクリ製の近代要塞に、張り巡らされた有刺鉄線と新兵器だった機関銃に対し、歩兵突撃を繰り返した我が軍は、屍山血河を築いた事は、日本人ならば、忘れる訳にはいかないな。まあ、最近の学校ではそんな戦史は教えない、らしいが。

 「バラクラバの騎兵突撃」ってのは、もう半世紀ばかり遡ったクリミア戦争の話。未だ機関銃は発明されていなかったが、布陣した砲列と待ち構える歩兵の銃列に対して騎兵突撃をかけたイギリス軍は、突撃する正面の砲と、両側面の歩兵の銃で散々撃たれて、壊滅的な損害を出した。テニスンって人が詩にうたったために、更に有名になった、惨劇・悲劇だ。

 歩兵の銃が単発式の時代でも、そうなった。今では軍用小銃は、全自動射撃出来るのが当たり前。昔流に言えば、「歩兵の数だけ機関銃がある」様なモノだ。
 
 つまり、「死の商人」を拒否拒絶し、「商品としての武器・兵器」を否定した軍隊というのは、「必敗の軍」であると同時に、誠に悲惨な目に遭うことが、明白なんだ。また、そんな「必敗の軍」では、抑止力たり得ない。
 
 言い替えるならば、左様な「兵士の惨状」を防ぐために、さらには「必敗の軍」ならざる確かな抑止力のためには、「死の商人」が販売する武器・兵器は不可欠であり、そこに「死の商人」の、軍需産業の、明確明白な意味・意義がある。

 更に言えば、現代兵器・武器は、単に「商品として販売され、流通している」ばかりではない。簡素な銃剣から、高度な火砲、車両、艦艇、航空機に至るまで、少なくとも「現代的な工業技術の結果」であるし、特に高度なモノは「最先端、乃至それに準じた科学の結晶」でもある。
 例えば、測距や誘導などに使われるレーザーは、量子力学無しでは扱えないし、航法に使われるリングレーザージャイロは、相対性理論を利用している。相対性理論は最早「最先端の科学」とは言い難いが、相対性理論を応用した商品・工業製品は未だ多くはない。
 
 であるならば、「兵器開発が、最先端科学及び科学技術を牽引する」場合も、あることは、特筆大書すべきだろう。

 身近なところでは、インターネットの原型は軍事通信技術であるし、カーナビに不可欠な航法衛星GPSも元はと言えば軍の技術だ。
 また、航空機の発達に軍用機の技術開発は大いに貢献している。全金属製機、低翼単葉機、ジェット機、何れも軍用機の開発技術が元になっている。
 諸君の家のキッチンにもあるであろう電子レンジは、軍用レーダのマイクロ波技術が元祖となっている。軍のマイクロ波技術開発がなければ、今の電子レンジはない。「民間で独自に開発し、遂に電子レンジを実現した」可能性も、無いではなかろうが、そんな面倒くさくも時間のかかる道は選ばれず、軍の技術をベースにした、「軍事技術の民生転用」としての電子レンジが開発され、普及して、今日に至っている。

 言い替えるならば、軍事研究反対!」を唱えるヤツバラは、航空機もインターネットもカーナビも電子レンジも、全て拒否して利用しないと言う、強い意志を示すべきなのである。ま、そんなお偉いセンセイには、お目にかかったことはないが。学術会議はじめとして、な。。」

 

 

  • (4)「駕籠に乗る人、担ぐ人。そのまた草鞋を作る人。」

 「「駕籠に乗る人、担ぐ人。そのまた草鞋を作る人。」って言葉がある・・・まあ、都々逸ってヤツだな。言っていることは、「世の中、色んな人が居て、それぞれの役割を果たして、それで世の中が成立している」って事だろう。
 
 流行言葉で言えば、「職業の多様性」なんて表現も出来ようが、そんな「尤もらしいが胡散臭い」表現よりも、「駕籠に乗る人、担ぐ人。そのまた草鞋を作る人。」って方が、即物的で実感がある様に思われる(*1)。
 
 さて、その伝で言えば、だが、最前述べた通り、我々、私や諸君らの「身の安全」を或程度保証してくれているのは、主権国家たる我が国・日本であり、その日本を安全安泰たらしめている少なくとも一翼が、軍事力であり自衛隊である。その自衛隊が十全に抑止力を発揮する上で不可欠なモノの一つが、十分な装備であり、兵器・武器である。
 而して、その武器・兵器は、商品であり、科学技術の成果であり、当然それを研究開発し製造し販売する者が居る。

 その「兵器を研究開発し、製造し、販売する者」の一端を担っているのが、我が社である。」

 「"国家と共に歩む三菱"ってのが、我が国最大の軍需産業である三菱重工の古くからのモットーでね。三菱重工が”国家と共に歩む”限り、”死の商人"を廃業することは、無い、と、私(ZERO)は思っているし、期待している。」

 「 これは三菱重工が"死の商人"であることによって、”我が国の安全安泰に寄与している”と言う、誇りであリ、期待である、と言うことだ。
 これは、ある種の人間に対する挑戦状でもあるな。」

 「さて、私(ZERO)が本日話したかったことは以上だ。我が国の軍需産業の特徴とか、世界に於ける軍需産業の各国での位置とか、細かい話は色々あるが、それは、まあ、次回でも良かろう。今回は、軍需産業、兵器メーカー、”死の商人”の意味と意義に関連する部分に絞った。」

 「では、中にはお待ちかねの諸君も居ろう、約束通り、質疑応答と議論の時間とする。
 何か質問、意見、異論、異議はあるかね?
 勿論あるだろう。其奴を吐き出し、ぶつけ合おうじゃぁ無いか。」

 「Now We START!」
 

  • <注記>
  • (*1) と言うよりは、「多様性」って言葉の恣意的適用により、この言葉自体が非常に胡散臭く思える様になった、と言うのが、実情・実感だな。