私のチョウセンジン蔑視発言を、リブログしておこう。

 私は。他でも書いたが、差別をなくせるとも、無くすべきだとも考えていないし、内心の自由を蹂躙する事なく差別を無くせるとも思っていないから、「差別をする自由」ないし「差別を許容する自由」を、主張しているのでね。