• ゴジラ-1.0並びにゴジラ-1.0/C(モノクロ版)は、必見である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在も絶賛・・・かどうかは兎も角、未だ公開・上映中である(*1)邦画「ゴジラ-1.0」並びに「ゴジラ-1.0/C(モノクロ版)」は、必見である。コレは、自分で言うのも何だが「平凡」とか「平均的」と言うには程遠い私(ZERO)と「いささかでも共通点のある人」などと言う狭い範囲に限った(*2)>話ではない。


 逆に本作をオススメし難いのは・・・そうだなぁ、日本人とか日本と言えば絶対悪に決まっているし、日本人には人間らしさなんて、ある訳がない!!!」と狂信盲信しているようなチョウセンジンか支那人か似非日本人(*3)ぐらいだろうか。

 それ以外の多くの人には、是非ともご覧いただきたいのが、本作である。アカデミー賞の特殊映像賞にノミネートされているが、特殊映像賞にしかノミネートされていないのは「おかしい」とさえ、私(ZERO)には思えるほどだ。作品賞だろうが監督賞だろうが主演男優賞だろうが「十分狙える」とさえ思っているし、ブルーリボン賞だかではそれらを「総ナメにした」そうである。

 断っておくが、私(ZERO)は怪獣映画もゴジラ映画も別に好きではない。本作の前に見たゴジラ映画(且つ、多分怪獣映画)は「モスラ対ゴジラ」のリメイク版で、「見なければ良かった」ってのが、率直な感想だった。「たまには邦画を応援しようとして、失敗した。」と思ったモノだ。

 第一、巨大ロボットアニメすら「理不尽である」と原則拒否している私が、怪獣映画なんぞ、そうそう見る気にはならない。だから、ゴジラに限らず、ガメラそのほかの邦画も、ハリウッド映画も、見る気にならなかったし、見ていない。ジュラシックパークさえ地上波のテレビで見たきりで、別に二度見ようとも思っていない。

 そんな私(ZERO)が本作「ゴジラ-1.0」を見る気になったのは、大東亜戦争を戦った大日本帝国陸海軍兵器が登場するから」という、「いささか不純な動機」であったことは認めよう。そこの貴方が、そんな「不純な動機」を抱くとは全く期待しない。

 第一、いささかネタばらしをすると、本作では「大東亜戦争を戦った大日本帝国陸海軍兵器が登場は、する。」が、「大活躍してゴジラを倒す」訳ではない。時代背景として戦後間もなくの、未だ自衛隊さえ発足する以前の我が国で、本来我が国の防衛を担うはずの占領軍GHQ=米軍が我が国防衛を放棄した「代償」として提供されたのが、種々の大日本帝国陸海軍兵器であり、それ故に、駆逐艦4隻/雪風/響/夕風/欅は砲は外され魚雷も(恐らく)搭載していない。謂わば「丸腰状態」だ。

 そんな絶望的な状況で、如何に戦うか?そもそも、「誰が、戦うのか?」。帝国陸海軍は既に無く、自衛隊もない。先述の通り米軍も動かない。

 うーん、ネタばらしになるので詳しくは書けないが、「誰が、戦うのか?」に答えた、「兵児モンのみ来よ!」シーンと私(ZERO)が名付けている「雪風駆逐艦長演説シーン」とその後の聴衆の反応は、本作の白眉の一つだ・・・他にもいくつも白眉はあるが。「なけなしの白米」シーンも、結構「来る」ぞ。
 
 「全く、良い迷惑だよぉ・・・・」(*4)

 本作を一言で言い表すのはかなり難しいし、色んな切り口、考え方があるだろうが、私(ZERO)としては戦後日本の再発見を挙げたい。本作の冒頭シーンこそ未だ大東亜戦争中ではあるが、映画の大半は戦後程なく、主な部分は1947年・昭和22年。未だ大東亜戦争の傷跡深く、主人公自身「大東亜戦争中に敷設された機雷の掃海(*5)」を、生業として戦後の日本で生きている。

 「生きている」。そう、主人公はじめとして、登場人物一人一人が「生きている」様が深く掘り下げられ、描かれているのが、本作の特徴の一つである。「戦後日本の再発見」とも関わるが、人間ドラマが深く、大きいのが本作であり、その点が「怪獣映画と人間ドラマの融合」とも評される所以であろう。極端な話、本作は「アカデミー賞特殊画像賞」にノミネートされているモノの、そのVFXシーンを全部抜いたとしても「作品として成立する」し、相応の「傑作映画」たり得るほどに「人間ドラマが熱い/厚い」のである。

 それ故にこそ、私(ZERO)のような「大東亜戦争を戦った大日本帝国陸海軍兵器が登場するから」等という「不純な動機を持つ者」以外の、広く一般の人に、本作をお勧めするのである。

 端的に言って、私(ZERO)は、本作を今までに9回見た。カラー版のオリジナルを7回。モノクロ版を2回。その内4DXでは、3回見た。全て映画館で、自腹でだ。「ロードショーを自腹で2回見る」事さえ初めてだと言うのに、だ。断って置くが、私(ZERO)は趣味は偏向していると思うが(*6)相応の「映画ファン」であり、此処十数年ほどは大部ご無沙汰して入るが、学生時代には週一に近いペースで映画を見ていた。(ロードショーは高いので、3本立てが多かった、気がするが。)

 更に序でに言えば、9回見た。9回ともボロ泣きしているし、あのシーンとこのシーンでは毎回敬礼を捧げている。捧げざるを得ない程、没入している、と言うことだ。

 これは・・・如何に最近のAV機器が普及発達しようとも、なかなか映画館には敵わないところ。私(ZERO)は、本作(の一回目)を見た後に、前作たる「シン・ゴジラ」を見たのだが、DVDで家内視聴したきりなので、私(ZERO)の「シン・ゴジラ」評が今一つで、本作と比べると「圧倒的な差」とさえ言えそうなのは、「映画館で『シン・ゴジラ』を見ていないから』と、思えないことも無いぐらいだ。
  
 でもなぁ、登場人物の浅さ、人間ドラマの希薄さは、映画館とは関係ないよなぁ。主人公・矢口(=十兵衞/明智光秀)とライバルの対立関係とか、掘り下げればもっと重厚なドラマに仕立てられたろうに。名前だけ出て来るが1シーンだけとか、肩書きだけとかの『使い捨てキャラ』が多いのも、映画館のせいじゃないよなぁ。

 そんな「余り高くは評価できない」前作「シン・ゴジラ」の日本国内興行収入に、未だ本作が及ばないのは、大いに不満である。約80億円の前作に対し、本作は約50億だから、なかなか『今から抜く』のは難しそうではあるが(*7)、アカデミー賞受賞共々、大いに期待したいのである。

 「ゴジラー1.0」並びに「ゴジラー1.0/C」。未見の方は、是非一度拝見されたい。
 既に見た方も、今再びの視聴を、オススメする。


 9回見た私(ZERO)の経験からすると、「やはり、見る度に新たな発見がある」。
 9回ともボロ泣きの敬礼なのは、先述の通りである。
 

  • <注記>
  • (*1) 上映回数が大分減ってしまったんだよなぁ・・・ 
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  • (*2) 反りゃぁ、相当に狭い範囲で、日本国内で言うと数%ってぐらいではないかな。 
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  • (*3) 一定数、居るよねぇ。 
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  • (*4) 「神ってる」等と、最近安易に使われる「神」って言葉は、こう言うシーン、こう言う科白にこそ、使われるべきだ。
  •  その一寸前の、「どう言うこったい?」からの瞬時のツンデレ切り替えも、本作の白眉の一つ。アカデミー助演女優賞モノだ【断言】。 
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  • (*5) 作中に「日米両軍がばらまいた」旨の科白はあるが、日本近海にばらまかれた機雷の大半は米軍が撒いたモノで、あの「B公」ことB-29スーパーフォートレス戦略爆撃機(広島・長崎に原爆落とした奴だ。)がばらまいたモノである。B-29は日本中の都市という都市を廃墟とするほどの爆弾もばらまいたが、ばらまいた量としては機雷の方が多いのである。
  •  日本に対する海上封鎖作戦「飢餓作戦」の一環である。この点、強調しないまでも、触れ方が弱いのは、本作に対する私の抱く不満の一つである。 
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  • (*6) 一番好きなのは戦争映画で、次いで西部劇だ。この二つについては、「本が書ける」とさえ、思っている。 
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  • (*7) 全世界で言うならば、とうに本作は前作を越えている。それだけ、『広く海外に受け入れられた』本作、と言うことである。