• バカバカしい。国家あっての、五輪だろう。-【毎日社説】越える'24 五輪と平和の理念 国家のくびきを脱する道を


 以前にも書いたが、所謂「戦後平和教育」の最大の弊害は、「国家意識の欠如(*1)」であり、その延長上に「国防意識の欠如」がある、と、私(ZERO)は考えて居る。そんな「戦後平和教育」の元凶は、遡れば「日本国憲法」であり、占領軍GHQの日本統治政策である、とも考えており、それ故に「アカ新聞共とは相性抜群」・・・と言うよりは、「日本国憲法」にせよ、「占領軍GHQの日本統治政策」にせよ、積極的にその手先となりお先棒を担いだのは、「戦前戦中の”過ち”を反省した」アカ新聞共であり、未だに手先・お先棒担ぎである(*2)のだから、アカ新聞共に「国家意識の欠如」や「国防意識の欠如」が見られるのは、「理の当然」と言うべきだろう。

 そうは言っても、かかる暴論愚論は、一寸看過しかねるぞ。

  • <注記>
  • (*1) もっと言えば、「国家敵視の洗脳」である。 
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  • (*2) 「日本国憲法」は未だ在るものの、GHQ何ざぁ無くなってから久しいのだから、今となっては「それ以外の要因」が在るモノと、考えるべきであろうな。 

 

  • (1)【毎日社説】越える'24 五輪と平和の理念 国家のくびきを脱する道を

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    https://mainichi.jp/articles/20240110/ddm/005/070/086000c

     

    注目の連載 

    オピニオン

     

    朝刊政治面

    毎日新聞 2024/1/10 東京朝刊 English version 1648文字

    死亡したイスラエル選手、役員の追悼式に出席した各国の選手ら=ミュンヘンのオリンピックスタジアムで1972年9月6日、真島誠一撮影

     今夏のパリ・オリンピック開幕まで半年余りと迫った。二つの戦争が世界を分断し、「平和の祭典」に暗い影を落としている。

     

    モスクワ五輪不参加を挙手採決で決めるJOC臨時総会。

     ロシアによるウクライナ侵攻と、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘は、停戦への糸口が見えない。ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区の住民は、戦禍に苦しんでいる。

     

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    柔道混合団体に出場したジャバド・マハジョーブ(手前)ら難民選手団=日本武道館で2021年7月31日、徳野仁子撮影

     五輪開催を巡って物議を醸しているのは、ロシアと同盟国ベラルーシの選手の参加問題だ。

     

     国際オリンピック委員会(IOC)は、積極的に侵攻を支持しないなど「中立」の立場を条件に、両国選手の個人資格での参加を容認する。しかし、ウクライナは「無責任な決定を強く非難する」と反発している。

     

     イスラエルとパレスチナの選手についても、今後、国際的な議論が起きる可能性がある。

     

    異例の投票で休戦決議

     昨年11月下旬、大会中の紛争停止を呼び掛ける「五輪休戦」の決議案を、開催国フランスが国連総会に提出した。

     

     

     議場の総意で採択されるのが慣例だったが、ロシアが異を唱えたため、投票に持ち込まれた。

     

     採決に先立ち、ロシアの代表は「五輪休戦をいつも支持してきたが、ロシアの選手たちは国際競技会から不法に排除されている」と抗議し、棄権した。

     

     結局、118カ国の賛成で決議案は採択された。ガザへの攻撃を続けるイスラエルも賛成し、反対はゼロだった。

     

     

     ただ、異例の投票となったことは、五輪が追求する「平和の理念」が、国際情勢の混乱によって揺らいでいることを示している。

     

     世界の注目が集まる大舞台だけに、大国の政治に利用され、翻弄(ほんろう)されてきた歴史がある。

     

     1936年ベルリン五輪はナチスの宣伝に利用された。東西両陣営が対立した冷戦時代には、旧ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけに、80年モスクワ、84年ロサンゼルス両五輪でボイコットの応酬となった。

     

     

     テロの標的にもされた。72年ミュンヘン五輪では、パレスチナの武装組織「黒い9月」がイスラエル選手団を襲撃し、選手・コーチ11人を含む17人もの死者が出た。

     

     スポーツは本来、個人の自由な活動だ。欧州のサッカーリーグに代表されるように、今は実力あるプロ選手が国境を超えて活躍する。グローバル化に適応して発展してきたといえる。

     

     国家の枠組みにとらわれてきた五輪も、古い時代のシステムからの変革が求められている。

     

     参考にしたいのは、2010年から始まったユース五輪の取り組みだ。現在、15~18歳を対象に世界各国の選手が集まり、若者の教育や交流を目的に夏と冬の大会が交互に行われている。

     

    国籍混合チームの試み

     多くの競技の団体種目では、国籍混合のチームを臨時に編成する方式が採用されている。国家の枠を取り払って五輪旗の下にチームを組むことで、各国選手の友好を深める狙いがある。

     

     五輪でも3年前の東京大会では、紛争などで母国を逃れた選手たちが「難民選手団」として柔道の団体戦にも出場した。

     

     政治と距離を置き、平和の理念を掲げ続けるには、こうした試みを広げていくべきだ。「国家」のくびきを脱する努力と知恵が必要である。

     

     スポーツには国境を超えて人々をつなぐ力がある。選手同士の触れ合いが国際関係の緊張を和らげることもあるだろう。それこそが五輪のあるべき姿ではないか。

     

     パリでの開催は100年ぶり3度目となる。近代オリンピックの創始者、ピエール・ド・クーベルタンの故郷であり、IOCが設立された場所でもある。

     

     「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」

     

     クーベルタンの提唱したオリンピズム(五輪精神)である。五輪憲章にも「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と明示されている。

     

     対立が深まり、戦火の絶えない時代である。だからこそ、五輪の理念を実現する取り組みが求められる。参加するアスリートだけでなく、その活躍を目にする世界の人々が平和の尊さを考える機会にしなければならない。

 

  • (2)一言で言えば「国家の否定」であり、「寝言」。

 ああ、そうか。何か思い出させるモノがあると思ったら、ジョン・レノンの「イマジン」だ。各個人のみがあり、国家が無くなれば、戦争もなくなって、平和になる。って「発想」というか「妄想」。ある種の「無政府主義」でもあれば、またある種の「世界市民(コスモポリタン)思想」でもある。アカ新聞とは相性抜群だな。

 まあ、「アカ新聞共と相性抜群」であることも含めて、「殆ど生まれながらの右翼」たる私(ZERO)に言わせれば、「胡散臭さ全開」なんだが。
 上掲毎日社説では、五輪の「平和主義的理念/理想」を強調しているが、五輪のもう一つの理念/理想として「アマチュアリズム」・・・と言うより「反商業主義」がある/あった、筈だ。五輪自体がその放映権などを巡って「商業主義の権化」のような利権の塊と化した今日ではあるが、元々/本来の近代五輪は「プロスポーツに対するアンチテーゼ」として発足している。
 

 で、「アマチュアリズム」ってだけならば、上掲毎日社説の様な個人同士の、国家に関係の無い、スポーツの祭典」ってある種の「理想」につながりそうであるが、そうは行かない。五輪は「世界的行事」であり、前回ならば東京、今回ならばパリまで、五輪選手は往復し、宿泊し、飲み食いしなければならない。無論「アマチュアの選手でもそれぐらいの財力はある」事も多かろうが(特に富裕な先進国では。)、そうでない国は幾らもある。


 言い替えようか。五輪が「世界五輪」であり、且つ「アマチュアスポーツの祭典」であろうとする限り、「国家による五輪選手支援」がなければ成立しない。そうした国の五輪選手は当然、祖国という国家/国旗を背負って五輪に出場する。
 であるならば、少なくとも「世界五輪且つアマチュアスポーツの祭典たる五輪は、国家及び国家間の争いと、無縁な訳がない。」何故ならば、その様な五輪は「国家による五輪選手支援」を必要不可欠としているからであり、且つ「国家(少なくとも近代国家)にとっては、国家間の争いの方が五輪より優先するから」だ。

 逆に言えば、「国家観の争いと無縁な五輪」は「先進国の富裕層を中心とした五輪」ならば、未だ成立のしようがあるだろう。実際、近代五輪の初期の頃は、未だ西欧列強の植民地支配華やかなりし時代であり、半ば(以上)「貴族の趣味としての五輪」的傾向があり、「国家観の争い」との相関は「第2次大戦後の近代五輪」とは少々異なって居たろう。

 それでも、第1次世界大戦という「主として西欧列強同士の戦争」は、近代五輪開催を中止させた史実/事実を忘れるべきではない。

 ま、早い話が、章題にもした通り、「国家観の争いと無縁な五輪」と言うのは、「平和を愛する諸国民」並みの「寝言」と言うことだ。