• 余りに一方的な断罪-【東京社説】イスラエル軍 これが「自衛権」なのか

 「喧嘩両成敗」なんて言葉がある。正義/不正義とか、理非曲直とかは抜きにして、「喧嘩に至ったのだから、どっちも悪い」と言う考え方。ある意味「思考停止」でもあれば、ある意味「喧嘩差別」とも「平和(原理/至上)主義」とも言えそうな考え方。少なくとも「普遍的」とは言い得ず、適否には慎重を期すべきであろうが、一つの考え方、ではある。(まあ、私(Zero)がそれに与することは、滅多に無いが。)
 
 これが「喧嘩」ならぬ「戦争」ともあると、これはもう「殺し合い」、それも集団対集団、国家対国家の殺し合いなモノだから、「両成敗」感は「高まる」のが一般的だ。古今東西、数多の「戦争実績」があるが、「どちらか一方が完全に正しく、且つ清廉潔白にして天地俯仰に恥じない」なんて事例は、滅多に無い。

 イヤ、そこは戦争であり、特に近代以降は「国家をあげての総力戦」であり、「宣伝戦」もその一環であるから、「我が方こそは完全に正しく、且つ清廉潔白で天地俯仰に恥じる所がない!」とするプロパガンダもまた盛んなのだが、それが真実/事実であることは、滅多にあるモノでは無い。

 一例を挙げるならば、大東亜戦争に於ける米軍を挙げようか。戦勝国であり、戦中戦後のプロパガンダにも怠りなく、「Remember Parl Harbor」をはじめとした殺し文句で「悪逆非道な大日本帝国に打ち勝った、正義の米軍」ってイメージを喧伝しているが、広島長崎への原爆投下をはじめとした都市・市街地・住宅地に対する戦略爆撃/絨毯爆撃であるとか、通商破壊・機雷散布による海上封鎖であるとか、日本人捕虜に対する虐待や、日本人将兵の遺体の首狩り(*1)とか、「清廉潔白ならざる事例」は、相応にある。

 戦争とは、戦場とは、それほど「現代日本の日常」とはかけ離れた、異常事態なのである。
 
 であるならば、今次のガザ紛争(それは、「国家対国家の正規戦争」ではなく、「国家対テロ組織=犯罪者集団の非対称戦争」なのだが。)に於けるイスラエル軍に「清廉潔白ならざる事例がある」のは、「理の当然」とは言わぬまでも、「戦場では良くあること」である。それは「自衛戦争」であっても、減ることぐらいはありそうだが、「無くなる」とか「無い」とか、期待する方が、どうかしている。
 
 良く思うんだが、反戦平和」とか「戦争反対」とか抜かすヤツバラは、戦争という事象を、相当に「舐めてる」んだよなぁ。

 で、そんな「清廉潔白ならざる事例」を、第三者的に非難するのは、そりゃ気持ち良いのだろうし、カッコも付くのだろうが、少なくとも直接の相手方(この場合はハマス)との比較の上でなけらば、その「非難」は著しく公平を欠こうぞ。

  • <注記>
  • (*1) 「首狩り」のために殺した、と言う疑義も、十分にある。 


 

  • (1)【東京社説】イスラエル軍 これが「自衛権」なのか

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/297525?rct=editorial

 

2023年12月22日 08時28分

 

【1】 パレスチナ自治区でのイスラエル軍の逸脱した行動に非難が集まり、自衛権行使だとする同国の主張に疑問が生じている。国際社会は看過せず、ハマスが拘束する人質の全員解放と即時停戦へ圧力を強めるべきだ。

 

【2】 自治区ガザでは15日、パレスチナのイスラム組織ハマスなどに拘束されていたイスラエル市民3人が上半身裸で白旗を手に建物から出てきたところをイスラエル軍に銃撃され2人が即死。1人はイスラエルの公用語ヘブライ語で助けを求めたが追撃され死亡した。

 

【3】 交戦規定違反は明白だ。同国のネタニヤフ首相は「悲劇」と述べたが、地元紙は犯罪と断じた。

 

【4】 こうした無原則な攻撃がパレスチナ人の住民らにも加えられていることは想像に難くない。

 

【5】 実際、翌日にはガザのカトリック教会に避難中のパレスチナ人女性2人が射殺され、住民7人も銃撃で負傷。ローマ教皇フランシスコは「教会の敷地内にテロリストはおらず、テロ行為だ」とイスラエルを厳しく非難した。

 

【6】 兵士らの規律の乱れは自分らが撮った動画でも広まっている。ガザ北部では商店に侵入した兵士が棚のおもちゃなどを投げ捨て、同僚らが笑い声を上げていた。

 

【7】 ヨルダン川西岸ではイスラム礼拝所に押し入った兵士がマイクでユダヤ教の祭り「ハヌカ」の歌を歌い、宗教的対立をあおった。

 

【8】 空爆などによる報道関係者の犠牲はガザでは数十人を数える。軍のみならず、イスラエル警察からトルコ人記者は集団で暴行され、重傷を負った。戦争中とはいえ、蛮行が許されてはならない。

 

【9】 ユダヤ人のホロコースト研究者は地元紙への寄稿で「相手を人間と見なさぬ言葉の使用は集団虐殺の最初の兆候」と説き、イスラエル高官らがハマスを「人間の顔をした動物」と侮蔑したことの危うさを指摘した。こうした傾向と兵士の行動は無縁ではなかろう。

 

【10】 ガザのパレスチナ人犠牲者は2万人を超えた。欧米などの西側諸国はいまだ停戦に及び腰だが、看過すれば、西側が掲げてきた人道主義という価値観も損ないかねないと自覚すべきである。

 

  • (2)ガザという戦場から遙かに遠い日本で、呑気に「イスラエルの蛮行」を非難する気楽さよ。


 上掲東京新聞社説で東京新聞が列挙した「自衛権を逸脱したイスラエルの蛮行」は、以下の通りである。

1> パレスチナのイスラム組織ハマスなどに拘束されていたイスラエル市民3人が上半身裸で白旗を手に建物から出てきたところをイスラエル軍に銃撃され2人が即死。 【パラグラフ2】

2> ガザのカトリック教会に避難中のパレスチナ人女性2人が射殺され、住民7人も銃撃で負傷。【パラグラフ5】

3> 商店に侵入した兵士が棚のおもちゃなどを投げ捨て、同僚らが笑い声を上げていた。【パラグラフ6】

4> イスラム礼拝所に押し入った兵士がマイクでユダヤ教の祭り「ハヌカ」の歌を歌い、宗教的対立をあおった。【パラグラフ7】

5> 空爆などによる報道関係者の犠牲はガザで数十人を数える。【パラグラフ8】

6> イスラエル警察からトルコ人記者は集団で暴行され、重症を負った。【パラグラフ8】


 先ず、何と言うか、「玉石混淆」と言うか、「糞も味噌も一緒くた」と言うか、「兎に角、”イスラエルの蛮行”を集めました」感が強い「列挙」である。真っ先に上がっている上記1>の犠牲者は、「ハマスに誘拐され、人質とされていたイスラエル国民」である。普通に考えれば「誤射」であり、戦場には往々にしてある、不可避とさえ言えるぐらいの「悲劇」だ。これを「犯罪」と断じた「地元紙」の尻馬に乗っかった形だが、これを「犯罪」とか「蛮行」とか断じるには、「組織的な殺意=殺害命令」を前提としなければなるまい。
 「ハマスに捕らわれたイスラエル人人質は、射殺せよ。」との命令が「イスラエル軍に(密かに)下されている」可能性は、「絶対に無い」とは断言断定しかねるが、どうも「低そう」である。従って、上記1>を「誤射」では無く「イスラエルの蛮行」とすることは、少なくとも「推定無罪の原則に反する」だろう。
 まあ、東京新聞なんざぁ、「推定有罪」は十八番だけどな。

 上記3>と上記4>は、端的に言って「些事」だ。そりゃ、褒められた事ではなかろうが、死者も負傷者も出ていない。上記3>は「不法侵入」と「器物破損」ではあろうが、それだけだ。上記4>は「宗教的挑発」ではあるかも知れないし、ある種の「精神攻撃」と言えなくもないが、虐殺でも暴行でも強姦でも略奪でも無く、器物損壊ですら無い。ああ、「騒音被害」にぐらいはなるかな。 

 上記5>は、「その報道関係者を狙った空爆等」ならば未だしも(その可能性は極めて低い。)、世界でも有数の人口密集地域であるガザ地区に対する「空爆など」であるから、誤射誤爆がなかったとしても(*1)、巻き込まれる者があるのは当然だろう。
 第一、現実の戦地戦場を取材し報道する報道関係者が、「全く戦闘に巻き込まれず、死傷者も出なかった」ならば、それは奇蹟と言うモノだろう。
 言い替えるならば、「イスラエルの自衛権に完全に則ったガザ地区攻撃」であっても、「巻き込まれて死傷する報道関係者」は、当然ある/居る。
 今次ガザ紛争に於ける「数十人の報道関係者の犠牲」の多寡については、未だ議論の余地あるかも知れないが、「報道関係者の死傷がない戦争」は、「蛮行のない戦争」よりは多そうではあるが、大した数ではないぞ。

 上記6>は、上掲東京新聞社説の字面だけ読んでいると如何にも「イスラエル警察が悪い」様であり、イスラエル軍ならぬ「イスラエルの蛮行」に数えられそう、である。
 だが、当該「トルコ人記者」が「ハマスのシンパ(*2)」で「ハマスに情報を流していた」(乃至、その様に見られた。)としたら、どうだろう。更には、その"トルコ人記者が流した情報"で、イスラエル警察の同様に死傷者が出ていた、としたら。
 無論、仮に「ハマスのシンパで情報を流していた」としても、イスラエル警察に「暴行して重症を負わせる」権限は無い。だが、事態は戦争という非常事態で、ガザは戦場だ。そうした事例や事故は、ありうることだろう。

7> 戦争中とはいえ、蛮行が許されてはならない。

と言う上掲東京新聞社説の主張は、ある種の「正論」であり、「誤りではない」が、往々にしてどころか十中八九どころか、戦争とは双方の「蛮行の塊」であり、「蛮行のない戦争」なんて、千に三つもないだろう。

 第一、「蛮行」と言うならば、国家でもないハマスが軍隊でもないテロリスト共で一主権国家に対し武力攻撃を仕掛け、虐殺略奪強姦した上で主権国家の国民を拉致監禁して人質としている事以上の蛮行は、滅多にあるモノではあるまい。

 上記2>では、パレスチナ人の死者2名と負傷者7名を生じているから、幾らか「大事(おおごと)」ではあるが、その「パレスチナ人」が「ハマスの戦闘員ではない」と、東京新聞は如何にして判断したのだろうか。
 今次ガザ紛争の片方の当事者たるハマスは、「パレスチナのイスラム組織」と上掲東京社説も記載しているが、「国家ですらない」。その「ハマスの戦闘員」は、「正規の軍隊ではない」。「正規の軍隊」たるには、「軍隊の構成員であることを示す明白な記章(普通は軍服。少なくとも腕章)をつけ、軍事組織の指揮下にある」必要があるが、ハマスの戦闘員はその条件を満たしていない。
 そんな状態で、ハマスはイスラエルにロケット弾とミサイルで攻撃を仕掛け、イスラエル国民を殺害強姦し、その一部を人質として拉致監禁しているのだから、ハマスは良いところ「テロ組織」であり、「犯罪者集団」である。
 で、「ハマスの戦闘員」は、少なくとも「明白な記章をつけていない」のだから、「カトリック教会に避難中のパレスチナ人女性」が「ハマスの戦闘員である」可能性は、当然「ある」。怪しい素振りや、一寸した切っ掛けで、それが銃撃及び死傷に至ることも、これまた「ある」だろう。
 それは、正規軍同士の戦争とは異なる、非対称戦争の一つの側面である。朝鮮戦争の第五列や、ベトナム戦争のベトコンを想起すれば、想像しやすかろう・・・って、アカ新聞共は「戦史を知る」なんてことはせず、「戦史を知る、調べるのは、右翼」と思っているから、無理か。

 全く、愚昧を的としては、神々自身の戦いも、虚しかろう。か。 

  • <注記>
  • (*1) 勿論、「誤射誤爆は、通常は、ある。」し、今次ガザ紛争にも「当然、ある」事は、賭けても良い。 
  •  
  • (*2) 「ハマスの戦闘員」という可能性は、低そうなので。 


 

  • 1.で、冒頭にも触れた「喧嘩両成敗」に戻ると・・・

 冒頭でも触れたとおり、「喧嘩両成敗」ってのは、ある種の思考停止であることに注意・留意が必要である。

 だが、「自動的・一方的な、喧嘩片成敗(*1)」よりは、まぁだマシな判定法・判断基準だろう。
 
 上掲東京新聞社説は、イスラエルを絶対悪視し、「イスラエルの蛮行」のみを列挙し、非難批判しているが、国家でもないテロ組織・ハマスが軍隊でもない犯罪者を使って主権国家・イスラエルに対し武力攻撃を実施した上、無辜の市民を虐殺強姦略奪誘拐拉致監禁し、未だ拉致監禁していると言う「ハマスの蛮行」については、一切触れない。

 未だ続く「人質の拉致監禁」以外の「ハマスの蛮行」が、一時よりも大分下火なのは、少なくとも一面「イスラエルがガザを攻撃し、ある程度の優位で攻撃し続けているから」であり、上掲東京新聞社説が列挙した「イスラエルの蛮行」にも、「ハマスの蛮行を阻止し、抑止する」可能性は、否定し得まい。

 東京新聞は、新聞社として公式公的に、斯様な社説の主張を、ハマスに強姦されて殺されたイスラエル人女性の前でするが良いさ。

 「死人に口なし」であるから、死者は最早答えようがないが、ならばハマスに強姦されて生き延びた女性に対して、主張するが良い。

  • <注記>
  • (*1) 「片成敗」って言葉があるか定かではないが、「両成敗の反対」と言えば、判ろう。