• 帝国陸海軍vsゴジラ「戦後の再発見」-映画「ゴジラ-1.0」に於ける、帝国陸海軍兵器に関する一解説

 

 

 

 

 私(ZERO)は、映画ファンの端くれのつもりではある。が、普通の「映画ファン」ではない、と自覚も自称もしている。何しろ好きな映画が「西部劇と戦争映画。3,4は無くて、5にSF/アクション/歴史モノ」って具合だから、「第5位」だって結構マイナーな映画ジャンルである上に、トップ2を占める「戦争映画」も相当にマイナーで、「西部劇」に至ってはほぼ「絶滅危惧種」状態だ。


 そんな「当世映画事情」であるから、古い映画ばかりがお気に入りで、見る手段は主としてDVD。Youtubeって手もあるが、有料ネット配信を買う程の映画はなかなか無い。勢い、映画館も随分とご無沙汰している。


 多分、この前映画館で見た映画は、「戦争のはらわた(Cross of Iron)デジタルリマスター版」で、その前は「男達のYAMATO」。どちらも戦争映画で、どちらも公開は10年以上前だ(後者の本邦初公開に至っては、未だジェームス・コバーンが存命で西ドイツがあった頃、だ。)。
 左様な次第であるから、弊ブログの「映画紹介」も、主としてDVDを元ネタとしており、「映画館でロードショー上映中の映画」を紹介するのは、今回の「ゴジラ-1.0」が初めてである。「ロードショーで映画を見る」事自体が「男達のYAMATO」以来だ(「戦争のはらわた」はデジタルリマスターだから、ロードショーとは言い難い )。

 

 

 「ゴジラ-1.0」の主な舞台は、大東亜戦争敗戦直後の日本である。大東亜戦争に於ける米軍の戦略爆撃と機雷散布で、国土は尽くと言って良いぐらいに焼け野原となり、港という港、日本全国津々浦々は、機雷で海上封鎖された。オマケに「嘗ては、少なくともその一部は世界最強であった」帝国陸海軍は武装解除され、我が国はGHQの占領下にある。
 
 そんな中、米国の地表核実験「クロスロード作戦」で「覚醒」した巨大生物ゴジラが、米艦船に被害を与えながら北上。日本に接近していた。


 GHQがソ連に気兼ねして「極東での軍事行動を抑制」するモノだから、我が国に迫る謎の巨大生物ゴジラに対して、帝国陸海軍残した「遺品」とも言うべき兵器を以て、日本は、日本人は、ゴジラに対峙しなければならなくなる。

 

 

 本作に登場する主な「帝国陸海軍の遺品」たちは、以下の通りだ。
 
 忘れてはいけないぞ。兵器は、「モノ」だ。動かすのは、人間なんだ。

 これら「帝国陸海軍の遺品」たる兵器を動かし、ゴジラを迎撃できる/迎撃するのは、それら兵器を動かせる、今は(帝国陸海軍とも消滅しているから)民間人でしかないが、元帝国陸海軍軍人たちの、お陰である。

 本作をして、「兵器ではなく科学の力の勝利」だとか、「軍ではなく、民間の力の勝利」とか、間抜けな評価をするモノも数多居るようだが、下掲する兵器も含めて、大抵の兵器は科学の成果であるし、「今は民間人とは言え帝国陸海軍軍人として訓練を積んでいた」からこそ、その兵器も動かせるのだ。

 上っ面だけの似非「平和主義」、実質「軍事忌避の軍人差別」は、いつもながら反吐が出るな。

  • (1)重巡洋艦 高雄

 「戦艦」と言えば、大抵の人にもイメージしやすいのだろう。一言で言えば「一番デカい大砲積んだ、一番デカい軍艦」で、大凡間違いない(*1)。

 「巡洋艦」と言うのは、その戦艦に次ぐ(*2)大きな大砲を積んだ大艦で、戦艦より大砲がショボい分、速力で勝っており、偵察、追撃、連絡、夜戦などに有利・有用、と考えられた。艦が小さい分、戦艦よりは数も揃うしね。
 我が国の巡洋艦の特徴は、雷装=魚雷発射管装備の重視と、それと共に兵装(積んでいる武器。当時の事だから、砲熕兵器と魚雷、機雷だ。)重視で、諸外国より大型の魚雷発射管を重巡にまで相当数搭載した。諸外国では「巡洋艦のような大型艦に、雷撃の機会は少ない」と考え、巡洋艦の雷装は軽視乃至全廃(米国のデモイン級重巡など(*3))する例が多い。

 因みに、世界的に見て魚雷メーカーってのは何処でも独占企業で、我が国では、戦前戦中戦後を通じて三菱重工MHIが独占している。

 我が国が「巡洋艦の雷装を重視した」のは、海軍軍縮条約により「予め劣勢と判明している」米英艦隊に対する「戦艦の数」の劣勢を、覆すため、である。「大艦巨砲」と言うが、大きな大砲=巨砲は当然重いから、それを搭載し、振り回し、発射する艦というのは普通「大きな艦」となり、「戦艦」となる。その戦艦を「原則新造禁止」にしたのが「海軍休日」と称される「海軍軍縮条約時代」であり、対英米の戦艦数は5(英)対5(米)対3(日)と「外枠が決められた」から、発射機が圧倒的に軽量(*4)で済み、当たれば水中爆発で相当な威力を期待できる(*5)魚雷が重視され、期待された(*6)。

 ま、そんな事情は米英側もご承知だから、海軍軍縮条約はその後「戦艦以外」も規制対象とするようになり、8インチ砲(20センチ砲)を搭載する巡洋艦を「重巡洋艦」とし、「排水量(普通に「重さ」と考えて良い。軍艦の場合は(*7)。1万トン以下」に制限した。各国は「主砲8インチ砲、排水量一万トン」という制限の中でその機能性能向上を図る事となり、恰も「軍艦設計コンテスト」の様相を呈する時代となった。この頃の、海軍軍縮条約に則った各国の重巡洋艦を「条約型重巡洋艦」などと称する所以である。

 で、前置きが長くなったが、高雄は、我が国に於ける条約型重巡洋艦である高雄級の一番艦である。先述の通り、巡洋艦とは「戦艦に準じる砲撃力を持ち、戦艦に勝る速力を持つ大艦」で在り、コレに我が国の事情である「雷装重視且つ兵装重視」という傾向と、「条約型重巡=主砲8インチ且つ1万トン以下」という制約が加わった結果、出来上がった高雄級は主砲8インチを連装砲塔5基に納めて10門装備し、前部甲板に3基を「低ー高ー低」の「山形」に配置し、後部甲板に主砲塔2基を「高ー低」二段の「背負い式」に配置。その間に前楼、煙突、後楼、魚雷発射管(61センチ連装4基8門、片舷2基4門)を配置し、最大速力34ノット(改装後)を誇る。殊に、「8インチ砲連装5基10門」と言うのは、「条約型重巡中トップの火力である」事は、条約後の米重巡デモイン級が8インチ砲3連装3基9門(*8)と共に、記憶すべきであろう。
 また、雷装が、他国に例のない61センチ魚雷発射管(*9)であることも、付記しておこう。

 艦容と言うのは、美的感覚=センスの問題であり、相当に恣意的な基準であるから、余り断定的な事は言えない、言うべきでは無い、とは承知しつつ・・・日本の軍艦は、世界一美しぃいいぃぃぃぃぃっ!!!

 「戦艦のデザインには民族性が表れる。それは、仏像以上に顕著である。」との説を、佐藤大輔は唱えている。戦艦建造国の大半が「仏像とは無縁(*10)」なので、簡単に比較はできないが、日本、中国、東アジア、中近東の仏像の差違よりも、日米英独仏伊の戦艦の差の方が、大きい事は、多分、衆目の一致する所だろう。戦艦で言うならば、米戦艦の「妙な(時には鋭い)合理主義」、英戦艦の「城郭っぽさ」、独戦艦の「質実剛健さ」、仏伊戦艦(それぞれ方向性の異なる)「デザイン重視」対して我が国戦艦の「日本城郭っぽさ」と言った差違は、仏像には(仏像間の時間的・体感距離的乖離にも関わらず)顕著ではない、様に(私には)思われる。少なくとも、本・高雄級をはじめとする帝国海軍艦艇、ひいては海上自衛隊自衛艦艇の多くが持つ「日本らしさ」が、「独特の美しさを持つ」事は、一寸否定は出来まい。【強く確信】

 「高雄級の美しさとは、何か?」と問われれば、「主砲塔配置と艦橋形状」と答えよう。大凡砲熕兵器を主兵装とする軍艦の艦容は、この二つで決まるのだが。


 人によっては「対称性シンメトリー」を重視し、軍艦は「前後対象を以て良しとする」らしい。そう言う基準からすると、我らが高雄級は、「前部甲板に3基、後部甲板に2基の主砲塔配置」と言い、「盛大に後傾した前部煙突と、直立した後部煙突」と良い、「対称性に欠ける」デザインではある。

 だが、敢えて断言しよう。「高雄級は、その前後非対称性が、美しい。」と。

 大体、軍艦で「前後対称」なんて事は滅多に無く、せいぜい「前後対称に、幾らか近い」だけである。主砲塔配置こそ「前後対称でも、支障は無い」モノではあるが、前楼と後楼は「任務も違えば、大きさも形状も違う」のが普通だ(*11)。煙突が直立と言うのは珍しくないが(*12)、後傾させた「スピード感溢れるデザイン」もまた多い。

 まあ、先述の通り、所詮「艦容というのは、センスの問題で在り、恣意的基準に基づく」のであるが。
 
 さて、斯くも美しく(敢えて断定)且つ強い(コレも断言)高雄級重巡ではあるが、大東亜戦争は戦前に考えられ計画され準備された戦争とは大きく異なり、何より後半は負け戦。ギネスブックにも記載されている人類史上最大の海戦(*13)」たるレイテ海戦姉妹艦四隻(高雄、愛宕、摩耶、鳥海)揃い踏みで参加したが、高雄を除く全艦が戦没。唯一生き残った高雄だが、シンガポールで修理が終わらないまま、終戦を迎えた。

 大東亜戦争敗戦時に、我が国が保有していた主な大型艦は、戦艦 長門を筆頭に、空母 葛城と隼鷹、重巡 高雄、軽巡 酒匂 ぐらいしかなく。最大時12隻を数えた戦艦は長門のみ。一時は間違いなく世界最強であった空母機動部隊は「空母だけは(辛うじて)あるが、艦載機も艦載機パイロットもいない」惨状を呈していた・・・・合掌

 本作の中で、ゴジラ第一次迎撃作戦として重巡高雄が急遽復活・投入されるのは、「大東亜戦争敗戦時に未だ残っていた数少ない帝国海軍大型艦であったから」で在り、「未だ残っていた内の最大艦である戦艦 長門ではない」のは、「ゴジラ出現に先立つ(*14)米軍のクロスロード作戦」即ち「水上艦に対する原爆の効果を確認するための、地上核実験」で長門&酒匂も沈んでしまったから、である。

 だが、戦艦 長門は、Big Seven=七姉妹(*15)が長姉は、水中核爆発を至近距離(確か、200mだが、500mだか)で喰らって尚、五日間「浮いていた」という事実・史実を、忘れる訳にはいかない。

 「我が名は、長門。七姉妹が、長姉。
  新型爆弾如きに、おさおさ遅れを、取るモノか!!!!」
・・・(合掌)

 アメ公が馬鹿やらなければ、長門の16インチ砲斉射を、ゴジラに喰らわせられたモノを。大和の18インチ砲にこそ劣るが、1tの砲弾を、一斉射で8発だ。敵わぬまでも、一矢報いてやれた、ろうに。

  • <注記>
  • (*1) イギリスの変態大型軽巡Furious(18インチ砲単装×2基)なんて妙な例外もあるが。アレは「軽巡だが、戦艦よりデカい大砲を積んでいる」。それも、後の大和級戦艦に匹敵する18インチ砲だ。
  •  南北戦争で活躍した甲鉄艦は、「戦艦以前」としたい。実は「戦艦」が実在した期間は、19世紀のどん詰まりから20世紀一杯で、主たる期間は20世紀前半に限定される。
  •  北欧を中心とした沿岸戦艦は、一応「戦艦」と考えて良かろう。
  •  あ、我が国の三景艦「松島」級が、「一番デカい大砲積みながら、防護巡洋艦」って変態仕様で、主砲砲塔はオープントップ。一寸「戦艦と呼び難」かったりする。
  •  「艦種」って、結構国毎に勝手に呼んでいるから、軍縮条約の様な「共通の言語」がないと、定義し難いんだよねぇ。
  •  また、戦後程無くからこちら、「一番デカい軍艦」は「空母」が独占状態である。
  •  因みに「戦艦」ってのは、絶滅艦種だ。それに自衛隊発足以来、自衛隊が戦艦を保有した事は、無い。  
  •  
  • (*2) と言っても、後述の通り8インチ砲が最大で、16インチ砲戦艦が量産される大東亜戦争当時は、戦艦と巡洋艦の「砲撃力格差」がデカいんだが。 
  •  
  • (*3) 正直な所、「当時としてはかなり大胆な決断」である。同時期やそれ以降の防空巡ですら、雷装を全廃まではしていない。
  •  米国人の、「妙な(時に鋭い)合理主義」の発露、と言うべきだろう。 
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  • (*4) 魚雷は、ミサイルやロケット弾と同様に「推進エネ宇ギーを打ち出される弾・ミサイル・魚雷が持つ」モノだから、発射自体は大したエネルギーは要らない。魚雷なんか、一番単純には「海面へ落とす」だけで良いから、ランチャー/発射管/落射機は、簡便で軽量なモノで済む。
  •  「推進エネルギーを、発射の際に全部砲で与えねばならない」砲熕兵器は、その反動を受け止めるだけでも、重くなる。 
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  • (*5) また、特に昔の艦は「水中防御を軽視していた」から、魚雷命中は「柔らかい下腹部をえぐる」ことが期待できた。 
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  • (*6) 世界で唯一、我が国だけが「酸素魚雷」を実用化し、配備したのも、魚雷重視と魚雷への期待があってこそ、だろう。 
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  • (*7) 商船の排水量は「総トン」とも称され、実は搭載容積の単位である。和船の一部を「千石船」とか呼ぶのと、同じ発想だ。 
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  • (*8) 但し、自動装填装置付きとして、1門当たり毎分10発の、恐るべき連射能力を誇る。即ち、「時間当たりの火力投射量は、デモイン級の方が高雄級より上」と言う事だ。
  •  また「条約明け」であるため、排水量制限を無視して防御力=装甲も十分にして、満載排水量で2万トンを越え、弩級戦艦並みとなっている事も、忘れてはいけないな。 
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  • (*9) 諸外国の雷装は、今でも長魚雷では主流の53センチ(533mm、21インチ)か、それ以下である。 
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  • (*10) 戦艦建造国にして仏像を作った事のある国は、日本だけだ。多分。 
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  • (*11) 最新の英空母クイーン・エリザベス級は、前後に全く同じ形状のアイランドを並べたが、アレはかなり特異な例だ。大体、イギリス人だぞ。 
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  • (*12) 船体中央に1本直立、は、一寸珍しい。無いではないが。 
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  • (*13) 多分、参加隻数では今後破られる事も無さそうだ。その参加艦艇の大半が、米軍艦艇なのだが。 
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  • (*14) と言うより、ゴジラ巨大化&凶暴化の原因となったらしい 
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  • (*15) 海軍軍縮条約時代=海軍休日の頃、世界には16インチ砲搭載戦艦が7隻しかなかった。この7隻をBig Seven とか「七姉妹」と呼んだ。長門はその中で、最も早く進水し、就役した艦である。 


 

  • (2)局地戦闘機 震電

 

 

 大東亜戦争敗戦で「開発・製造・配備が間に合わなかった兵器」ってのは、「惜しかった」と言う感情とか、「勿体ない精神」とかが働くらしく、「悲運の○○」とか「幻の××」とか呼ばれ、「コイツの配備が間に合っていれば、戦局も変わっていただろう。」などと語られる事が多い。
 

 その気持ち、感情には頷けるモノ、賛同できるシンパシーを大いに感じる、のであるが、第2次大戦(我が国にとっては大東亜戦争)の様な総力戦においては、一種類や二種類の新兵器の製造・配備が「間に合った」所で「戦局が変わる」という事は、先ず無い、とある種「達観」している。そんな「戦況が変わる」様な新兵器は。第二次大戦だと「原子爆弾の量産配備」ぐらいしか無さそうだし、その原子爆弾を、当時世界最高レベルの性能であったB-29が「機銃を外さないと積めなかった(*1)」事実・史実は、「戦局を変える新兵器」が、如何に実現困難であるかを示すモノであろう。


 即ち、原爆とて「たった2発使われただけで、実戦配備されたとは言えず、戦局を変えては居ない。」のである。まあ、既に我が国の負けが決定的であった為。でもあるが。【号泣】
 
 であるならば、量産配備どころか開発すら間に合わなかった「幻の○○」「悲運の××」如きで「戦局が変わる」訳が無い。コレは、冷厳冷徹たる事実で在り、理論・ロジックで在る。
 
 とは言うモノの、人はパンのみにて生きるに非ず。もとい。我ら人類・ホモサピエンスは論理・知性・科学を最大最強の武器としてこの地上と周辺宙域に君臨している存在【敢えて断言断定】ではあるが、同時に「感情の動物」であることも免れず、理論・ロジックならざる、感情・人情として「開発(すら)間に合わなかった未完の兵器」に「戦局を変えた(かも知れない可能性)」を見出し、「幻の○○」「悲運の××」と呼び習わし、ある種のシンパシーとノスタルジーを感じる、のだろう。
 であるならば、「幻の○○」「悲運の××」ってのは「負けた側の兵器」であるのが基本で在り、戦勝国である米英ソでは、そんな「惜しみ方」は(余り)しない。無論、勝った側だから、「戦局を変える」なんて期待もしない(*2)。A-1スカイレイダーが大戦に間に合っていれば、日本艦隊をボコボコにしただろう。などと、空想し妄想するコトはないし、する必要すら無いのである。

 さて、再び前置きが長くなったが、「負けた側の兵器」であり、「幻の戦闘機」「悲運の局地戦」と呼ばれる事も多々あるのが、「局地戦闘機 震電」である。何故そんな特別扱いされるかは、まあ、その外見を一目見れば殆ど自明だろう。「先尾翼式」とか「エンテ式」とか呼ばれる「水平尾翼が前にあり、主翼が後ろにある」、他所では余り例を見ない型式。コレに合わせてプロペラは、他の数多のレシプロ戦闘機とは異なり「後ろ向き」に着いた「推進式」(*3)。更には二枚の垂直尾翼が主翼につき、機首には(当時の戦闘機としては)大口径の30mm機関砲4門が並ぶ。非情にラディカルな形態で、一寸「一度見たら忘れない」ぐらいに印象的だ。
 ではあるが、先尾翼式そのものは、数こそ少ないが、前例も量産型もある。前例としては、ちょっと意外かも知れないが「人類初の動力飛行重航空機」である「ライト・フライヤー」がこの型式だったりする。「ライトフライヤー」は「水平尾翼が主翼の前後両方にある」形となっているが、操作するの前方の水平尾翼であるから、ある種の「先尾翼式」と言い得る。
 量産型、となると大分少ないが、スウエーデンのレシプロ単発戦闘機J21が、やはり先尾翼式である。J21は、震電の一寸先輩である第二次大戦機で在り、更に戦後はエンジンをジェットエンジン化したJ21Rとして量産、配備された。従って「ジェット戦闘機第一世代機(*4)」でもある。

 

 

 大凡、航空機の重心ってのは、主翼の位置にある。従って、重量物や投下物、重量を変えるモノをこの重心位置に集めるのが、何かと都合が良い。飛んでいる間に消費する燃料や、投下する爆弾や落下増槽タンクなどは、重心位置から遠い所にあると、燃料消費したり投下したりしたときに重心位置が動いて、何かと都合が悪い(*5)。落下増槽タンクの取り付け位置や、爆弾や爆弾倉の位置が大凡主翼の位置であるのは、その為だ。


 一方で、重量物は重心付近に集めると、コレも色々と都合が良い。同じ重量ならば慣性モーメントが小さくなるから「振り回しが利く」事になり、一般的には「運動性が良くなる」方向だ。まあ「運動性の良さ」ってのは機体の慣性モーメントだけでは決まらないから、一概には言えないが。
 で、震電はじめとするレシプロ単発戦闘機では、エンジン=発動機ってのがその重量の相当部分を占める。零戦なんざぁ空虚重量(*6)の半分近くがエンジンの重量だったりする。千馬力級から始まり三千馬力ぐらいまで達した「第二次大戦に於けるレシプロエンジン」ってのは、それぐらいの重量物だったのだ。
 その重量物であるエンジンを、レシプロ戦闘機の重心位置たる主翼の位置に近づける方法ってのは幾つか(*7)あるが、先尾翼式ってのがその一つ。更には、やはり重量物である大口径機関砲も重心位置に近づけるし、最も高い命中率を期待出来る機首に配置できる。プロペラを後に付けるから、同調装置がなくても「自機のプロペラを自分で撃ち抜く」恐れはない(*8)。

 30mm機関砲×4門という、日本軍戦闘機としては異例とも言える大火力を装備したのは、他でも無い、B-29の為、だ。
 そもそも、震電は「局地戦闘機」に分類される。帝国海軍以外では余り聞かない分類だが、「陸上を基地とする防空用の戦闘機」であり、Inteecepter迎撃戦闘機ってのが、似たような分類だろう。震電は陸上発進(当然、陸上へ着陸)の「迎撃戦闘機」で在り、「迎撃」の対象は、当時戦略爆撃で我が国土を爆撃しまくっていた米国のB-29戦略爆撃機、である。
 
 ああ、「戦略爆撃」も「B-29 」も解説しないと判らない輩は掃いて捨てる程あるんだろな。「B-29」ってのは、広島と長崎に原爆を投下した第二次大戦最高性能の大型4発重爆撃機である。
 「戦略爆撃」ってのはB-29の様な長距離大型爆撃機が適した、「敵国の国民や生産設備を爆撃する」事で、「軍人や兵器や軍事施設を爆撃する」戦術爆撃との対語だ。民間人と民間設備を爆撃する事で、戦争に勝とう。って、ある意味「卑怯千万」な発想で戦術だが、大東亜戦争時に我が国は盛大に喰らった。ああ、「制限のない北爆」と言えば、通じる世代には、通じるだろう。

 無論、こんなこと好き勝手にされちゃぁ敵わない。我が国も相応の「おもてなし」をして迎撃したのだが、B-29はその高高度性能も、耐久力も、防御力も、当時世界一と言って良い爆撃機だ。「より手厚いおもてなし」のために各種の迎撃機が計画された。その一つが、局地戦闘機・震電である。「○電」ってのは、大戦後半に帝国海軍が局地戦闘機に与えた「ポピュラーネーム」で、例としては川西の「水上戦闘機からの華麗なる転身と、大躍進」である「紫電」と「紫電改」、三菱の「雷電」などなどがある。

 言い替えるならば、局地戦闘機・震電は、当時我が国土を蹂躙し(*9)ていたB-29戦略爆撃機を迎え撃つべく、大口径機関砲を装備し、先尾翼式というラジカルな形態とした「醜の御盾」なのである。

 その局地戦闘機・震電が、本作では「飛び回る」。これだけでも、「本作を見る価値がある。」と考える人間は、私(ZERO)だけではない、筈だ(*10)。
 

  • <注記>
  • (*1) 無論、サイパン島から日本本土までの距離飛ぶためには、ではあろうが。 
  •  
  • (*2) そりゃ、「下手に戦局が変わった」日には、「勝てた戦争に負けてしまう」のだから、そんな「期待」はしないだろう。 
  •  
  • (*3) これに対し、プロペラが前に着いた型式を「牽引式」と言う。が、「牽引式」ばかりなので、滅多にこう呼ばれる事は無い。
  •  推進式のプロペラ機は、先尾翼式よりは多いんだがね。メジャーな所では、B-36ピースメーカー戦略爆撃機がある。量産配備されて冷戦初期の一翼を担っている。 
  •  
  • (*4) 「戦後第一世代」と言いにくいモノがあるから、F-86FやMig-15と「同世代」とするには、違和感無しとしないが。 
  •  
  • (*5) 重心位置が急に変化したりすると、下手すると安定を失って、墜落する。 
  •  
  • (*6) 燃料も弾薬も搭乗員も乗せない状態の重量であり、航空機の「一番軽い状態」と言って良い。 
  •  
  • (*7) エンジンを胴体内に呑み込んで、延長軸で機首のプロペラを廻すベルP-39エアラコブラの方法もある。そのくせ、P-39の運動性ってのは、イマイチなんだが。 
  •  
  • (*8) イヤ、同調装置があればそう言う事故は回避できる、筈なんだが、「用心して」第二次大戦のレシプロ戦闘機で「プロペラ圏内を通して大口径機関砲を撃つ」例は実に少ない。隼の後期型ぐらいで、「プロペラ圏内を通して撃つ」機関銃は、口径15mmぐらいが一つの「閾値」だ。
  •  機関銃弾ならば、普通は爆発しないから、「命中しても、プロペラに穴が開く」ぐらいで済む事が期待できるが、機関砲弾は爆発するから、「命中したら、プロペラが破壊される」可能性がある。 
  •  
  • (*9) 更に言えば、相当数の機雷を空中散布して、我が国を海上封鎖もしていた。Operation Stagnation「飢餓作戦」と言われた、我が国を海上封鎖で「餓死させよう」って作戦だ。 
  •  
  • (*10) 数は多くはない、かも知れないが。 

 

  • (3)四式中戦車

 

 松本零士の戦場漫画シリーズが一作「鉄の墓標」は、4式中戦車を巡る物語である。その冒頭から前4分の1程は、「大東亜戦争下の我が軍戦車が、如何に脆弱であったか」が語られる。


 コレは、ある意味「致し方のない」処である。大東亜戦争下で戦車兵であった故・司馬遼太郎氏から「憂鬱な乗りもの」と評されてしまった我が帝国陸軍戦車の大半は、「対戦車戦闘を意図しない」戦車で在り、その銃砲は歩兵を援護射撃するモノ。必然的に諸外国の戦車と比べると見劣りがする。 


 コレに加えて、第二次大戦勃発後、特に独ソ戦勃発によるドイツ軍にとっての「T-34ショック」以降の急速な戦車の大火力重装甲化傾向(特に、独ソ両軍での)も、特筆大書せねばなるまい。バスーカ砲やパンツァーファウストなどの歩兵が携行できる成形炸薬弾頭の普及もあり、大戦末期には「正面装甲100mmあって当たり前」「主砲は75mmは、あって当然」な「戦車インフレ状態」を現出した。何しろ、当時のガソリンエンジンやディーゼルエンジン(ガスタービン=ジェットエンジンは、未だ航空機用に漸く少数生産のみ)で、現代戦車よりも重いぐらいの重戦車(*1)を産みだしたのである。


 そんな中で、我が帝国陸軍の主力戦車は、ずっと97式中戦車。「97式」って事は「皇紀2597年=昭和12年=西暦1937年」正式採用の、「戦前派」。制式化当初は「諸外国に対し、さして見劣りはしない」戦車だったが、そのまま大東亜戦争となり、改良程度の1式中戦車もあるが、主砲は変わらない。米軍戦車相手には、勝ち戦の頃でも随分な目を見ている。
 何より、対戦車戦闘ってのを、戦車も意識せざるを得なくなった。その為に、既存量産された戦車の車両に対戦車砲を載せた「対戦車自走砲(我が国では、「砲戦車」と呼んだ。)」を開発すると共に、「対戦車戦闘を(少なくとも)考慮した戦車」を、我が国でも開発せざるを得なくなった。コレが、後の4式中戦車。その開発は難航し、その為に「97式中戦車の火力(だけ)パワーアップ」した様な「3式中戦車」の方が開発先行してしまったくらいだ。
 

 

 

 そんな「幻の中戦車」とも言うべき4式中戦車が、「フィリピンの最前線で実戦テストを行っていて、米軍M4シャーマン相手に無双する。」ってのが、松本零士作「鉄の墓標」。

 4両揃い踏みで小隊組んで、帝都防衛の任につき、「帝国陸軍の意地」を見せるのが「ゴジラ-1.0」だ。(でも、その直後・・・)

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  • <注記>
  • (*1) その一つの頂点が、重量188tと言う、化け物じみた・・・と言うより、化け物そのものである超重戦車・マウスである。
  •  World of Tanks Blitzと言うゲームは、基本的に「第二次大戦の戦車戦」の筈だが、ドイツの最上位レベル戦車に「マウス」なんて出してしまうモノだから、イギリスでセンチュリオンは疎かチーフテンMBTまで、アメリカでM48パットン、M60スーパーパットンどころか、MBT70(西ドイツ軍戦車KPz70として、だが。)なんて戦後の戦車まで出て来るのは、この「マウスの性だ。」と、私(ZERO)は睨んでいる。 


 

  • (4)駆逐艦 雪風

 

 

 

 

 「雪風ハ沈マズ」この一言に、帝国海軍駆逐艦・雪風は言い表されている、と言っても、過言にはなるまい。「幸運艦」「強運艦」果ては「豪運艦」とまで呼ばれた「運の良いフネ」で、数多の激戦を無傷ないし軽微な損害のみで生還し続けて来たため、こう呼ばれた。

 「駆逐艦」ってのも軍艦の一種だが、余り馴染みは無いかも知れない。が、余り馴染みは無くとも、海上自衛隊の自衛艦の相当部分を占める「護衛艦」という奴の大半は、艦種記号ではDD(*1)、DDG(*2)、DDH(*3)であり、国際的には「駆逐艦」とされている。まあ、「いずも」を「駆逐艦」と思う奴ぁ、少ないと思うが・・・全長だけなら、大和に匹敵するのだから。

 元々「駆逐艦Destroyer」と言うのは「水雷艇駆逐艦」に始まっている。小型の艇(大凡、排水量千トン以下)に水雷=魚雷を搭載し、「高速を活かして肉薄し、大型艦でも仕留められる(かも知れない)水雷で攻撃する」のが水雷艇。これに対し味方大型艦などを護衛して「水雷艇を迎え撃つ」のが「水雷艇駆逐艦」で、コレが転じて「駆逐艦」となった。艦として比較的小型で、運動性に優れて居り、同時に航洋性にも優れているから「大型艦と艦隊を組める、一番小さな戦闘艦」とも言える。


 また、小型で高速を利して迫ってくる水雷艇を迎撃するため、駆逐艦には優れた運動性能と速度が求められた。尤も、どれ程「速度を重視するか」には、考え方が種々あるようで、大凡「艦隊で一番速ければ良し」って所に落ち着いた様だ。  


 その任務は実に多彩で、時代による変遷もあるが。ザッと数えても大型艦の護衛、防空、対潜哨戒、対空警戒(レーダ哨戒含む)、雷撃、など。第2次大戦で言うと「艦隊の軍馬Work Horse」であったが、戦後は駆逐艦そのものの大型化(と、戦艦の全滅、巡洋艦の減勢)もあって「艦隊の主力(下手すると最大艦種)」となっている。

 海上自衛隊の戦闘艦の大半が「駆逐艦扱い」なのも、その一つの証左だ。


 で、第2次大戦の我が駆逐艦というと、「重巡高雄」の項でも述べた通り、「主力艦=戦艦(と、当時は思われた)の劣勢を、跳ね返すための補助戦力」としての役目が(巡洋艦同様に)期待され、我が国の駆逐艦は「世界トップクラスの雷装重視」となっている。と同時に、砲撃力も相当なモノで、つまりは、巡洋艦と同様に「兵装重視」である。
 何しろ、雪風を例に取ると、基準排水量で2000トン。満載排水量で2700トン程の艦体に、主砲は50口径12.7センチ連装砲塔×3基で6門。雷装は61センチ四連装発射機×2で8門を、何れも首尾線上=艦体の中心線上において、左右両舷何れにも発射出来る様に配置している。オマケに我が駆逐艦には、魚雷の次発装填装置と言うモノがあり、8門の魚雷発射管の直後に予備の魚雷8本が用意されていて、雷撃(魚雷発射)の後短時間で次発装填し、再度の雷撃が可能、となっている。


 因みに、第2次大戦では、誘導魚雷(ホーミング魚雷)は「大戦中に試作された」レベルに止まった。従って当時の魚雷は「一定コースを直進のみ」が普通で、操舵はするが「一定深度・一定針路を保つ」制御しかしていない(*4)。
 
 即ち、一度に発射できる魚雷の数も、短時間に再度の魚雷発射=雷撃が出来る事も、相応に重要重大であった。

 大東亜戦争中の我が駆逐艦は、雪風も含めて戦前に想定された「米艦隊を迎撃する漸減作戦」に対してはほぼ「最適設計」で在り、攻撃力、防御力、速力、運動性、何れの点でも相当に高いレベルでまとめられた「優れた駆逐艦である」と言っても、別に過言でも法螺でもあるまい。
 
 但し、前述もしたが、大東亜戦争の様相は「戦前に思い描いた」対米戦争とは相当に異なっていた。特に、経空脅威(当時としては、航空機からの、航空雷撃と急降下爆撃が主)の急速な発達(ないし「重大脅威である事の確認)」は、駆逐艦の役割として「防空」と「対空警戒」の重要性・重大性を急上昇させた。
 コレに加えて、我が国の駆逐艦は、ガタルカナル島等前線陸上部隊に対する補給品輸送「ネズミ輸送」にも酷使された。
 これら本来・本意では無い任務にも、雪風は良く耐えた。連装主砲塔の一基を撤去して対空火力を強化して「幸運艦」ぶりを発揮し、戦後まで生き残った、のだが・・・同型艦たる「陽炎級駆逐艦」19隻のうちで、戦後まで生き延びたのは雪風ただ一隻だった。

 姉妹艦全てを失いながら、陽炎級駆逐艦でただ一隻生き残った帝国海軍駆逐艦・雪風が、主砲砲身も雷装も撤去されながら、対ゴジラ作戦「海神作戦」旗艦として、今再び、皇土防衛に立つ、のが、本作である。

 「もしも、かつての船乗りが言う様に、船に魂というモノがあるならば!」―H.M.S.ULYSSES
 

  • <注記>
  • (*1) 一番数も種類も多い。汎用護衛艦、とも言う。
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  • (*2) 「ミサイル護衛艦」とも言い、長射程の艦対空ミサイルを搭載している。今は全部「イージス艦」になっている。 
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  • (*3) 「ヘリコプター搭載護衛艦」と言われたが、今ではDDでもヘリは搭載しているから、「3機以上のヘリを搭載する/出来る護衛艦」で、「いずも」級や「ひゅうが」級のような「普通に考えればヘリ空母」も含む。 
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  • (*4) 中には、「予め定めたカーブをする」とか「予め定めたジグザグコースを進む」って魚雷もあったが・・・それで「命中する」ないし「命中数確率が上がる」とは、一寸思えない。