• 我が師(の一人)、逝く。-【共同】漫画家の松本零士さんが死去 「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」 +α

 タイトルにした通りである。我が師の一人(*1)にして、偉大なる漫画家、松本零士御大の訃報が、下掲の通り報じられた。「共同通信の報道」だけならば、疑義の余地は大いにありそうだが、読売も(どうやら独自取材で)報じているから、これは恐らく事実であろう。
 
 享年85才と言うから、「戦中派」と呼ばれる世代。お歳がお歳だけに、やむを得ざる処であるが、下掲記事にもある「銀河鉄道999」から「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」「クイーン・エメラルダス」、更にはハーロックの親父(グレート・ハーロック)から「宇宙戦艦ヤマト」から「ミライザー・バン」「我が青春のアルカディア」と、過去から未来から「遙か遠く、時の輪の接するところ」まで、関連付けたり付けなかったり(*2)している一大銀河叙情史(*3)・松本零士の世界」に、キッチリみっちり決着を付けること無くこの世を去られたのは、誠に残念である。が、それは、残された我等の「宿題」と考え、松本零士氏の魂に平安とご冥福を、今はお祈りしよう。
 

  • <注記>
  • (*1) 「森羅万象皆我が師」を唱え、実践しようと考えて居るので、「我が師」は数多居る、筈なのだが、松本零士とかジャック・ヒギンズとかアリステア・マクリーンとかは、やはり「別格」なのである。「師中の師」とでも、評すべきか。 
  •  
  • (*2) と言い条、「ミライザー・バン」のラスト近くで示された「時間の球」概念は、大概のタイムパラドックスも矛盾も飲み込み、包括してしまうのだが。 
  •  
  • (*3) 「大河」よりもスケールがデカいので「銀河」であり、あえて「叙情詩」では無く「叙情史」とした。 

 

  • (1)【共同】漫画家の松本零士さんが死去 「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」

漫画家の松本零士さんが死去 「銀河鉄道999」「ヤマト」

 

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/ca90a7572808f1a14ccb7ed31b2d0cdcd6e2b490

 

2/20(月) 11:23配信

 

 

 「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」で知られる漫画家の松本零士(まつもと・れいじ、本名晟=あきら)さんが13日午前11時、急性心不全のため東京都の病院で死去した。85歳。福岡県出身。告別式は近親者で行った。喪主は妻の漫画家牧美也子さん。お別れの会を後日開催予定。

 

 スケールの大きなSF、戦争漫画を数多く手がけた。戦闘機などの詳細で独特な描写は海外のSF映画にも影響を与えたとされる。

 

 1954年、高校在学中に「蜜蜂の冒険」でデビュー。上京後、少女漫画などを描いた。71年に雑誌で連載を始めた「男おいどん」で、東京の若者の貧しい下宿生活を描いて人気を得た。同作品も含む「大四畳半シリーズ」は、ユニークなキャラクターが広く親しまれた。

 

 74年からテレビで放送されたアニメ「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの企画に参加、漫画版を手がけ、その後のアニメブームのきっかけをつくった。宇宙への旅を叙情的に描いた代表作「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」もアニメ化され、さまざまな社会現象を起こした。

  • (2)【読売】漫画家の松本零士さんが急性心不全で死去、85歳・・・【銀河鉄道999」

 

 

https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20230220-OYT1T50066/

 

漫画家の松本零士さんが急性心不全で死去、85歳…「銀河鉄道999」

2023/02/20 11:41

訃報

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 「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」などロマンあふれるSF作品で知られる漫画家の松本零士(まつもと・れいじ、本名・晟=あきら)さんが13日午前11時、急性心不全のため死去した。85歳。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻で漫画家の牧美也子さん。

 

「sumika」黒田隼之介さん死去、34歳…「ファンファーレ」などヒット

松本零士さん

 

 福岡県久留米市生まれ。「蜜蜂の冒険」でデビュー。高校卒業後に上京し、1950年代は別名義で少女漫画家として人気を博した。

 

 65年に「零士」と改名、少年・青年漫画に活躍の場を広げ、流麗なペンタッチの神秘的な女性と、精密なメカ描写を組み合わせたファンタジーSFで一時代を築いた。74年放送のテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」にキャラクターデザインとメカ設定で参加。77年には映画版が大ヒットした。

 

 代表作「銀河鉄道999」は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に想を得て、機械の体を求める少年・鉄郎と謎めいた美女メーテルとの宇宙列車の旅を詩情豊かに描いた。「宇宙海賊キャプテンハーロック」は欧米で人気が高いことでも知られる。78年、「銀河鉄道999」などで日本漫画家協会賞特別賞。2010年に旭日小綬章。12年、フランス芸術文化勲章シュバリエ。

  • (3)【毎日】ちばてつやさん「体中の力が抜けていくよ」松本零士さんの死悼む

ちばてつやさん「体中の力が抜けていくよ」 松本零士さんの死悼む

毎日新聞 によるストーリー ? 月曜日

 

 

https://mainichi.jp/articles/20230220/k00/00m/040/094000c

 

 「銀河鉄道999(スリーナイン)」「宇宙戦艦ヤマト」などで知られ、SFアニメブームの先駆けとなった漫画家の松本零士(まつもと・れいじ、本名・晟=あきら)さんが13日、急性心不全で死去した。

 

漫画家の松本零士さん=東京都練馬区で2011年5月12日、久保玲撮影

漫画家の松本零士さん=東京都練馬区で2011年5月12日、久保玲撮影

c 毎日新聞 提供

 松本さんの訃報に、ゆかりがあった人たちからは相次いで悼む声が寄せられた。

 

野沢雅子さん「999号で車掌さんと楽しい旅を」

 

 アニメ「銀河鉄道999」で主人公の星野鉄郎役を務めた声優の野沢雅子さんは、事務所を通じてコメントを公表した。

 

 <松本先生とは銀河鉄道999の全国縦断イベントで本当にいろいろなところにご一緒させていただきました。

 

 気さくでお話が上手、山口では車掌さんの制服を着てとても喜んでいらっしゃったお姿を昨日のことのように思い出します。

 

 劇場版を録(と)る時にはスタジオにいらしてくださって、いいですね?と仰(おっしゃ)ってくださるので私たちもとても演(や)りやすくて……優しい方でした。

 

 お会いするといつも「そのうち999で何かやりましょうね」と仰られていて、またご一緒できるのを楽しみにしていたのですが、叶(かな)わなくなってしまい寂しい気持ちでいっぱいです。

 

 既に車掌さんが999号で待ってると思いますので、どうか一緒に楽しい旅を続けてください>

 

ちばてつやさん「君も逝ってしまったのか」

 

 また、漫画家のちばてつやさんは、公式サイトで「親友 松本零士さんの訃報に接し」として友人の死を悼んだ。

 

 <松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経(た)ちました。

 

 ワシもデビューした翌年の18歳。

 

 同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽(にしび)差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。

 

 二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。

 

 松本さんはよく「座布団のようなビフテキを食べたい!」なんて言いながらマンガを描いていました。

 

 二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。

 

 当時からワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました。

 

 忙しい盛りの40歳の頃に、一緒に世界旅行にも行きました。

 

 その時に訪れたアマゾン川やマチュピチュの遺跡などはいちばんの思い出です。

 

 コロナ禍もあってしばらく会う機会もなく、ぼんやりと心配はしていたのですがまさか……言葉もありません。

 

 ここ数年、親しいマンガ家仲間が次々と旅立って淋(さび)しい思いをしていたのに、君も逝ってしまったのか。

 

 もう……体中の力が抜けていくよ>

  • (4)【BBC】日本の伝説的な漫画家、松本零士さん死去 85歳

日本の伝説的な漫画家、松本零士さん死去 85歳

BBC News によるストーリー ? 火曜日

 

 

 

 日本の伝説的な漫画家でアニメ製作者の松本零士さんが亡くなった。85歳だった。事務所の零時社が20日、発表した。

 

 零時社によると、松本さんは2月13日に都内の病院で亡くなった。東映によると、死因は急性心不全だった。

 

 「銀河鉄道999」、「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」、「クイーン・エメラルダス」、「宇宙戦艦ヤマト」など、壮大なSF大作で知られた。反戦をテーマにした情感豊かな物語を多く描いた。

 

 松本さんの娘で零時社代表取締役の松本摩紀子さんは、松本さんが「星の海に旅立ちました」と発表し、「漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた幸せな人生だったと思います」と書いた。

 

 松本さんの本名は、松本晟(まつもと・あきら)。1938年に福岡県久留米市に生まれ、15歳で投稿作「蜜蜂の冒険」によって雑誌デビューした。高校を卒業すると上京し、漫画家の道を突き進んだ。

 

 1961年には少女漫画の草分け的存在だった牧美也子さんと結婚。夫婦の合作も複数発表した。当初のペンネームは「松本あきら」だったが、1960年代後半から「松本零士」を使うようになった。

 

 四畳半の下宿に住む貧しい若者たちを描いた「男おいどん」が1971年から連載され、初の大ヒット作となる。「男おいどん」は、1972年の講談社出版文化賞児童漫画部門賞を受賞した。

 

 地球を滅亡から救うための戦いを描いた「宇宙戦艦ヤマト」、無法者とされる宇宙海賊が異星人の侵略と戦う「キャプテン・ハーロック」、命の意味などを描いた「銀河鉄道999」など、複数の作品がアニメ化され、大ヒットした。

 

 第2次世界大戦の終戦時に7歳だった松本さんは、150以上の作品で戦争の悲劇を描いた。後に松本さんは、帝国陸軍航空部隊のパイロットだった父親から、戦争は「未来を破壊する」から絶対にあってはならないのだと教えられたことを、作品への影響として話している。

 

 松本作品の多くを英訳したアメリカの作家ザック・デイヴィソンさんは、「世界は圧倒的な巨人を失った」とツイッターで書いた。

 

 デイヴィソンさんはさらに、松本作品のアニメは、幼い少年や青年が感情を揺さぶられる様子を描いており、男の子は勇敢なだけでなく、悲しんで泣いてもいいのだという描写が、子供の自分には衝撃だったとも書いた。「宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999は、みぞおちを殴られたような衝撃だった。人が……死ぬんだ。人が……泣いて。人が……恋に落ちる」。

 

 「松本作品にはとてつもない悲しみが、ほかでは見当たらない壮大さがあった。神話的であると同じくらい未来的な、強力なビジュアルに包まれて」とも、デイヴィソンさんは書いた。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=FGBhQbmPwH8

 

 フランスの電子音楽デュオ、ダフト・パンクは松本作品のファンで、2000年発表の「ワン・モア・タイム」など楽曲用のミュージックビデオ制作をいくつか依頼している。

 

 ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルさんとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストさんは、松本さんは自分たちの子供時代のヒーローだったと話している。

 

 2005年にはアルバム「ディスカバリー」の曲をフィーチャーしたアニメ映画「インスターステラ5555」を、松本さんと一緒に作った。太陽系外の惑星を舞台に、4人組のロックバンドを描いた物語で、日本のオンライン雑誌ペンは、「公開前からすでにカルト的ヒット作だった」と評した。

 

 1999年には、福井県敦賀市の駅前通りに「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」を題材とした複数のブロンズ製モニュメントが設置された。

 

 松本さんは2010年に旭日小綬章を受賞。2012年には、フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを叙勲されている。

 

 今なお絶大な人気を得ている松本作品は、数々のリメイクやスピンオフ作品を生み続け、何世代にもわたる漫画・アニメファンに影響を与え続けている。

 

  • (5)私論・松本零士漫画の魅力

  松本零士漫画の魅力と言えば、「銀河鉄道999」のメーテル、「宇宙戦艦ヤマト」のスターシャや森雪、「宇宙海賊キャプテンハーロック」の有紀蛍やミーメ、「超時空戦艦まほろば」の羽黒妖、「クイーン・エメラルダス」の女海賊エメラルダス、「千年女王」の雪野弥生、等の「松本零士的大美人」が挙げられよう。非人間的&非現実的なほどにスレンダーな肢体に、細面。切れ長で特大の瞳には、マッチ棒どころか箸さえ乗りそうなぐらい盛大に長い睫毛。髪型はストレートのロングが基本で、金髪や赤毛が多いか(勿論、例外あり。)一寸他では見かけないタイプの美女(弟子である新谷かおるの描く美女が、近いぐらいか。)である。また、外見ばかりでは無く、内面も大変魅力的だ。時に母の様に優しく暖かく、時に凜々しく峻厳冷徹でさえ在る、「松本零士的大美人」が、松本零士漫画&アニメの一つの魅力であることは、間違いあるまい。

 だが、私(ZERO)が特に強調したいのは、「松本零士の描く、男達の魅力」である。それも、「海外で高評価」という「宇宙海賊キャプテンハーロック」のハーロックの様な、「高身長でイケメンで、如何にもヒーロー」という男達では無く、どちらかというと低身長で、「眼鏡にがに股」だったりして、「醜男」とあからさまにさげずまれる事もある、男達(と、その織りなす世界)。代表的な所では、「銀河鉄道999」や「ガンフロンティア」等(*1)トチロー(大山トチロー)が挙げられ様(*2)。
 
 そんな「松本零士的醜男」ばかり登場する話は、「戦場漫画」シリーズ&「ザ・コクピット」シリーズには多くある。殊に、大東亜戦争下の大日本帝国陸海軍を舞台にした話には、「美人も何も、女なんか一人も出て来ない」し「それが当然」な作品もある(*3)。一例を挙げれば、大戦末期の帝国陸軍一等兵コンビを描く、ある種の「ロードムービー(ってぇか、弥次喜多道中=「東海道中膝栗毛」の方が、近いか。)」である、「鉄の竜騎兵」である。

  • <注記>
  • (*1) 時代を超えて、あちこちに登場している、低身長・眼鏡の松本零士的醜男。重力サーベルや日本刀の居合抜きは、得意だったりする。 
  •  
  • (*2) 「銀河鉄道999」の主人公・星野鉄朗も、原作漫画では「低身長の醜男」であることも、指摘しておきたい。TVアニメはこの主人公像を踏襲したが、アニメ映画化された際に「受けを良くする」為らしく、高身長でこそ無いが、相当にスリムなイケメンにされてしまった。ある種の「原作改変」である。 
  •  
  • (*3) 一方で、相当無理矢理にでも「松本零士的大美人」が登場してしまう話も、ある。「幽霊軍団」とか、「死神の羽音」とか、「独立機関銃中隊」とか。 

 

  • 1.戦場漫画「鉄の竜騎兵」(以下、盛大にネタバレあり。注意。)

 

 「此処はゼラバンガ。レイテの古戦場。」って科白で、漫画は始まる。この古戦場に放置された一台のサイドカーとそれに乗っていた二人の男(当然、日本兵)の物語である。
 大東亜戦争末期のフィリピン。連合軍(中心は米軍)の物量と航空優勢に、我が軍は敗色濃厚。米軍の攻撃受けて危地に陥ったカラチケル飛行場守備隊は、支援要請のためにオートバイ伝令・宇都宮一等兵を後方の野砲陣地へと送る。
 が、到着する頃には野砲陣地は敵の反撃砲撃で壊滅しており、更には師団命令で退却が伝えられる。無線も通じないカラチケル飛行場は、このままでは敵中に取り残されてしまう。若いオートバイ伝令・宇都宮は、一眠りしたら飛行場へ戻る、と宣言し、眠りに就く。乗ってきたオートバイは、砲煙弾霧の中を走り抜けた際に損傷し、動けなくなっていたが。 


 A  「飛行場の奴ら、勝手に撤退して来んだろうか?」
 古代「バカこけ!命令ない限り、我が軍は絶対撤退したりせんのだ。百年でも、二百年でも、頑張るのだ。」
 A  「エラい国に産まれたのう。」
 古代「本当じゃのう。」


 目を覚ましたオートバイ伝令・宇都宮を待っていたのは、美事に修理成ってサイドカーに機銃まで付けられた愛車と、実はそれを修理した元レーサーの古代一等兵。二人はサイドカーでカラチケル飛行場を目指すが、途中、カラケチル飛行場陥落は明らかになる。それでも「友達と約束したから、戻る。」と宇都宮一等兵。これに付き合う古代一等兵。


 既にカラケチル飛行場を占領している米軍は、照明弾と凄まじい機関銃火で待ち受ける。それまでサイドカーの側車に載っていた古代一等兵は、此処で初めて単車の方に乗り、自分が元レーサーで重量級バイクも扱えるし、修理もした事を明かす。


 「これがワシの最後のレース。いつもいつもマシントラブルで完走した事のないワシの、最後のレースだ。」と宣言した古代は、「お前は、内地へ帰れ。」と宇都宮を巧みに振り落とし、一人照明弾と銃火の待ち受ける「ゴール=カラチケル飛行場」へと突撃。その銃火に倒れる。


 「とうとう、最後まで完走出来なかったか。でもワシは、死ぬまで走り続けた。だから、満足だ。」
 

 身体も車体も蜂の巣の様に弾痕だらけにされながら、「にやり」と会心の笑みを見せる、古代一等兵の凄絶さよ。


 「これがレースなら、彼は優勝していた。
  レースでは、ゴールから銃弾が飛んでくることは、ないのだから。」


 米軍オートバイ兵の手向けの言葉(*1)と、ガソリン切れで火を発さないサイドカー&古代一等兵のロングカットで、この物語は終わる。

  • <注記>
  • (*1) 宇都宮「モロにフネ(側車)ぶつけりゃ、殺せたのに。」
  •     古代 「殺すには惜しい腕だ。武士の情けよ。」 
  • (a)「我等のみ」であろうとも。

 さて、如何だろうか。松本零士漫画&アニメ「鉄の竜騎兵」。因みにOVAによるアニメ化は、かなり原作に忠実で、「古代一等兵会心の笑み」こそ無いものの、最後に「ゴール」たる米軍陣地からの集中銃火を受けて蜂の巣にされ、タイヤはパンクしても尚前進を止めないサイドカーが、遂に力尽きて止まり、更には照明灯が消えるシーンナンざぁ、「アニメの動画描写によって、原作漫画を越えた。」と評しても良さそうなぐらいだ。
 
 この「鉄の竜騎兵」を、日本人の中でさえも「理解できない」ないし「非難する」者が居るのは事実だし、その理由には「理解できる」モノがある事も認めよう。そもそも二人は「カラチケル飛行場が米軍の手におちた」と判断できた時点で、「カラチケル飛行場の友軍に撤退命令を伝える。」という当初の目的を失っている、のも事実だ。原作漫画には、宇都宮上等兵が寝ている間に米軍機がカラケチル飛行場へ着陸アプローチするのを古代一等兵が確認する、ご丁寧さだ。

 背中に機銃弾を受けて、既に死期を悟っている宇都宮一等兵を、「お前は内地へ帰れ」と振り落とし、一人「ゴール」と定めたカラチケル飛行場へ、それも照明弾で盛大に照らされ、機銃群に照準されている真っ只中へサイドカーで「騎兵突撃」かける古代一等兵の行動は、「不合理」だ。「死ぬまで走り続けたから、満足だ。」というのも、ある種の自己満足、と言うより、自己陶酔に近い、とも認めざるを得ないだろう。
 
 だが、なればこそ、今もレイテの古戦場ゼラバンガに残るサイドカーの残骸は、雨降る度に鉄錆の赤い涙を流し、「死ななくても良かった二人が、何故死んだのか。」と、二人の死を悼むのである。これは、サイドカーの残骸に「人格」を見出す、ある種の「擬人化」であり、付喪神と同様の「物神化」とさえ、言い得よう。

 即ち、「鉄の竜騎兵」の冒頭とラストを締める「古戦場に残されたサイドカーの残骸」にシンパシーを感じるには、ある種の擬人化ないし物神化が必要であり、これは恐らく、日本人以外では相当な少数派にしか出来ないだろう。故に、「鉄の竜騎兵」は、「日本以外では広く受け入れられそうにない」し、日本でも「圧倒的な賛同を得る」事は無さそうだ。
 だが、「日本人の中でも少数派」であろうとも。サイドカーの残骸に当たる雨水に混じる赤錆を「赤い涙」と見、照明弾に照らされた十字砲火の中へのサイドカーで「騎兵突撃」する古代一等兵に、ある種の「美」を見出す、私(ZERO)の様な人間には、この松本零士漫画&アニメ「鉄の竜騎兵」は、大傑作なのである。

 「半リーグなり、半リーグ。半リーグを駆け抜けて、残りし者は如何程ぞ。」 軽騎兵の突撃 アルフレッド・ロード・テニスン

 ああそうか。クリミア戦争はバラクラバの戦いで、ロシア軍砲兵陣地へ向かっての軽騎兵突撃で壊滅的損害を被った悲劇を、情緒タップリの詩へ昇華して見せたイギリス人ならば、この「鉄の竜騎兵」を理解できる、かも知れないな。
 
 だが、そのイギリス人でも、「サイドカーの残骸が流す赤錆の涙」を理解する者は、稀有であろうな。
 

  • 2.戦場漫画「グリーンスナイパー 緑の狙撃兵」 (以下、やはり盛大にネタバレあり。注意。)

 

 

 

 「ちびよ。父ちゃんは今、物凄いジャングルの中に居るんだぞ。本当だぞ。」

 手にした赤ん坊の写真に語りかける日本兵のモノローグで、物語は始まる。子供の写真を手に密林下を匍匐前進する「眼鏡にがに股(*1)」の松井上等兵は、このオープニング直後に米兵の射撃(トンプソン短機関銃のフルオート射撃)に倒れてしまう。


 松井を撃った米兵二人は、「装備が良い」松井が「後方から来た」と判断。「この辺りにはもう日本兵はいない筈。」と訝るが、その直後にそれぞれ頭部に一発銃弾食らって即死。此処でやっと、主人公・野山二等兵が登場する。米兵の無線機(ウォーキートーキーって奴だ。)を38式狙撃銃の銃床で叩き潰した野山は、瀕死の松井の最後の言葉を聞く。
 
 松井「装備改変だ。直ちに大隊司令部へ戻れ。」
 野山「装備改変?一体何を取っ替えるんだ?」


 だが、松井はそれに答えず、「ちびに・・・」と言い残して絶命する。
 
 野山「ちびよ。お前の父ちゃんは、今、死んだぞ。」

 この時野山が倒した二人の片割れの義兄が、やはり米軍の狙撃兵であるウオーカーで、義弟を殺された恨みから、「日本狙撃兵を殺す。」とウオーカーは宣言する。

 一方大隊本部へ出頭した野山は、そこには最早兵二人しか残って居らず、大隊司令部は「夜間に来る駆逐艦で撤退する。」と知らされる。
 
 野山 「但し、狙撃兵は現地に踏みとどまり、友軍撤退の時間を稼げ、か。」
 日本兵「流石、察しが良いねぇ。」
 野山 「つまりは、『死ね』と言うことだな。」


 流石に憮然とする野山に、「改変する装備」のために残された二人の日本兵は、「小銃だろうが、渡すまでは開封するなと厳命された」細長い包みを野山に渡す。
 中から出て来たのは、案の定小銃だが、新型の狙撃銃。それも、38式や99式の様なボルトアクションでは無く、トグルアクション(米軍M1ガラント小銃の影響か。)の半自動小銃。弾倉は突出していて装弾数も多そうだし、実包も38式の6.5mmでは無く99式の7.7mm。照準眼鏡も夜間対応で、今まで使っていた38式狙撃銃のモノより格段に明るい。
 この装備改変に喜んだ主人公は、今まで使っていた38式狙撃銃を、二人の内の片方・山越に譲る。その直後にもう片方の日本兵は額を撃ち抜かれて絶命する。
 米軍狙撃兵の登場に、装備改変したばかりの新小銃で野山は応射する。だが、弾道はそれ、米軍を撤退させるのみに終わった。
 
 「やはり、この小銃は調製が済んでいない。」と、野山。どんな小銃にもそれぞれ癖はあるし、撃つ方の人間にも癖があるから、撃つ人に合わせて小銃を調製しないと、命中しない・・・のだそうだ。

 持ち場に戻り、踏みとどまるのは自分一人で良い、と野山は言うが、駆逐艦の到着する岬までの道は日本兵の遺体がゴロゴロしており、未だ息のある奴は泣いてすがりついて来るからと、山越も行動を共にする、ことになる。

 持ち場に戻って、暫く経ち、「友軍の銃声が段々少なくなる」状況に苛立つ山越。対する野山は元猟師であり、「待つことには馴れている。」と身の上を語る。父も猟師で、猟師は孤独な仕事であり、家も村から離れた一軒家だったこと。友達と言えば撃った獲物ぐらいだったこと。初めて持たせて貰った猟銃が米国製スプリングフィールドだったこと。その米国製猟銃の末裔と、今大戦争をしていること。

 見張りを交替した野山が一眠りしている間に、「スコールが来るのを待てば良い。」との野山の言葉に反した山越は、単身水汲みに出てしまう。
 「水を汲むのも命がけにしてしまうんですから、戦争ちゅうの恐ろしいモノですねぇ。
 右を見る、左を見る。世の中は静かです。では・・・・」

 だが、その水場には、義弟を殺された米狙撃兵ウオーカーが指揮する米兵の一隊が待ち構えていた。
 
 米軍の奇襲を受け、被弾しながら38式狙撃銃で反撃する山越だが、1発撃っては槓桿(ボルト)を操作するボルトアクション小銃では衆寡敵せず、米兵の銃火に倒れる。

 そこへ到着した野山の銃撃。ウオーカーは「新たな日本兵もボルトアクション小銃だ。」と考え、一斉射撃して、打ち返してきたら、その後のボルト操作の隙に突撃をかけろ、と命じる。

 だが、野山が持っていたのは、新型の半自動狙撃銃だった。一斉突撃をかけた米兵は全員射殺される。

 ウオーカー「しまった。自動小銃か。」
 野山   「山越。お前もコイツ(自動小銃)を持ってたら、やられなかったろうにな。」


 かくして、義弟を殺された復讐に燃える米狙撃兵ウオーカーと、その義弟を殺した野山との、1対1の狙撃対決となる。此処でウオーカーもまた猟師であり、撃った獲物だけが友達だったことなどが語られ、両者の類似点・共通点が明らかとなる。

 野山&ウオーカー「友達(撃った獲物)と言うなら、あいつ(対峙している敵狙撃兵)も、そうか。」

 照準眼鏡越しに捉えた相手の姿に、互いに親近感と奇妙な友情を抱きながら、両者は同時に発砲し、同時に絶命する。
 
 そこに、「日本軍は駆逐艦で撤退した。此島での戦争は終わりだ。」という知らせが、届く。

  • <注記>
  • (*1) 一つの典型的な、松本零士的醜男。「眼鏡の怪人」とも称される。 

 

 

  • (a)もう一人の主人公「新型試作半自動狙撃銃」

 言うまでも無く、戦場漫画「グリーンスナイパー 緑の狙撃兵」の主人公は、日本軍狙撃兵・野山である。だが、装備改変で手渡される、恐らくは架空(*1)の「新型試作半自動狙撃銃」は、「もう一人の主人公」と言って良いぐらい存在感を放っている・・・と言うか、1ページ丸ごとその対角線上に描かれた小銃は、「主人公である野山よりもアップで描かれている」のではなかろうか。(ラストシーンの野山は結構大きく描かれているが、ヘルメットばかりで顔は見えないし。)

 尤も、「日本兵の小銃はボルトアクションだから、一発撃ったら手を動かす。そこに隙が出来る。」ってのは、相当眉唾で、ボルトアクションも「馴れた射手なら半自動小銃並みの連射が可能」という説もある。
 ボルトアクションの欠点はその装弾数である、との説も有力で、大半のボルトアクション小銃は装弾数5発に止まる(*2)。だから、「5発撃ち尽くしたら、装填する間、隙が出来る。」ってのはより説得力があり、確か、上田心の漫画で東部戦線(独ソ線)でロシア軍がその「ボルトアクションの装填時間の隙を突いて、突撃をかける」って漫画もある。この漫画では「ドイツ兵が持っていたのはゲーベル43半自動小銃(装弾数10発)で、突撃かけたロシア兵は全滅する。」ってオチを付けていたが、アレは「グリーンスナイパー 緑の狙撃兵」へのオマージュ、だったのかも知れない。

 いずれにせよ、本作の新型試作半自動狙撃銃は、相当な装弾数をも誇っている様であり、なればこそ、「山越。お前もコイツ(自動小銃)を持ってたら、やられなかったろうにな。」の科白に込められた野山の悔しさが、一入身に染みると言うモノだ。(まあ、白刃きらめかせて突撃かけてくる米兵を、一瞬で掃射してしまうのは、野山二等兵の腕と半自動狙撃銃の火力があってこそ、だろうが。)

 かかる、架空を含めて「精緻に描かれ、且つ、恰も血肉を持ち、感情さえ持つかの様に描かれるメカ」も、松本零士漫画の一つの魅力であろう。「大艇再び還らず」の2式大艇とか、「吸血鬼の花束」の航空機用空冷発動機とか。

 「これぞ、我が銃。世に銃は数多あれど、我が銃は唯これのみ。」米海兵隊信条
 


  • <注記>
  • (*1) 部分的には類似した試作半自動小銃があるのだが、こう言う小銃は、私(ZERO)は知らない。特にあの、バナナ型というか半円型というか、独特の弾倉(ないし固定弾倉)は特徴的だから、一度でも見たら、一寸忘れない、と思うのだが。 

 

  • (*2) 英軍の様に「ボルトアクションだが10連発で、しかも弾倉式」ってボルトアクション小銃も、在るにはあるのだが。 

 

 

  • 3.戦場漫画「鉄の墓標」 (以下、当然の如く盛大にネタバレあり。注意。)

 「この世に、無敵の戦車などありはしない。
  在るのは、鉄の棺桶だけだ。」


 と言う、「エル・アラメインに散った戦車兵の叫び」の引用で、この物語は始まる。上記の科白とタイトルから察せられるとおり、これは、「戦車の物語」である。
 
 日本軍の戦車と言ったら、司馬遼太郎(元帝国陸軍戦車兵)に「憂鬱な乗りもの」と評されてしまった様に、「紙装甲と低貫通力・低火力」で有名であり、その事はこの漫画「鉄の墓標」でも詳細に語られている。上記の「エル・アラメインに散った戦車兵の叫び」に続くオープニングは、待ち伏せる英軍対戦車砲(確か、57mm口径の6ポンド砲だった、気がする。)に一発で撃破(それも、車体の前から後まで串刺しに貫通された上に、誘爆を起こす、)97式中戦車である。「チハ車」としても知られる97式中戦車は、大東亜戦争全期間を通じての、帝国陸軍の主力を成した戦車だ。(主力戦車、と言うと、戦後の用語なので、語弊がある。)

 主人公は、この「串刺しに貫通され、誘爆した97式中戦車」に随伴していた歩兵。戦車が撃破された煽りで気を失い、そのまま放置されていた主人公が気付くと、戦車は撃破されて乗員は全滅。何やら探す任務とは知っていたが、詳細は戦車長しか知らなかった。上官は戦死し、本隊からもはぐれて途方に暮れる主人公は、同様に「部隊が渡河直後に戦車に蹂躙攻撃されて、ちりぢりになった」老日本兵と合流。二人して彷徨う内に英軍兵士に遭遇し、英兵のステン短機関銃で射すくめられていた所を、別の日本兵・土方に救われる。
 一人だけ長身イケメンの日本兵・土方は、実は新型戦車・4式中戦車の戦車長。実戦テスト中に乗員の半数がコレラだかマラリアだかにやられて動けなくなっていた4式中戦車だが、主人公と老日本兵のお陰で「やっと動ける。」と言う。

 主人公 「俺、自伝車しか動かしたこと無い。」
 老日本兵「ワシ、大八車。」


 躊躇う二人に、車長は自分で、操縦手は(未だ)居るから、「砲手と、無線手をやってくれれば良い。」と言うのだが・・・良く考えてみると、この頃の戦車乗員で4人目は、普通、「装填手」だよなぁ。実際、無線機は壊れていて、「その前で適当に弄ってくれれば良い。」ッてんだから、尚更だ。
 だが、即席OJTで、主人公は装填手と砲手を兼任。これで「動ける様になった」4式中戦車は、友軍の97式中戦車を追い回し、嬲り殺しにした2両のM4シャーマン戦車に対し、偽装網を引き千切って俄然突進し、攻撃を仕掛ける。
 
 従来従前の日本軍戦車とは段違いの火力(*1)と防御力(*2)を見せつけ、一方的に憎きM4シャーマンを撃破するが、米軍の支援砲撃を受けて、1両は取り逃がしてしまう。
 
 交戦後、「1両だけ逃がしたのはマズいな。この戦車のことが、敵にバレた。」と言いつつ、被弾状況などを冷静にメモする土方。

 主人公「バズーカで撃たれたら、どうでしょう。」

と懸念する主人公に、

 土方 「撃たれてみなきゃ判らんよ。」

って・・・・まあ、その為の「実戦テスト」でもあるのだろうけれど。

 老兵 「この戦車も、間に合わんなぁ。」
 主人公「いっぱい在れば、勝てますね。」

 土方 「日本には、もう、鉄も技術も無いよ。」

 主人公「戦艦とか、いっぱい作ったからなぁ。戦艦は、ジャングルは走れない。」
 老兵 「だが、海には戦艦が必要だろう。戦車じゃ海では戦えん。」
 主人公「ならいっその事、両方止めれば良いじゃん。」 
 老兵 「それではワシが、心細い。」


等とコミカルな(でも、結構好き。)やり取りの後、土方は手にしていた手帳と、携行していた百式短機関銃を主人公に渡し、「河まで後退して、そこに居る技術賞校に渡せ。」と命じる。「こっちで砲声が聞こえても、戻って来るなよ。」と命じられた主人公だが、この手帳(「4式中戦車実戦試験報告書」とかナンとか、実に「判りやすいタイトル」が表紙に書かれていた。)で「自分たちが捜索を命じられていた対象が、あの戦車で在った。」ことを悟り、命令に反して戻ってきた結果、「取り逃がした1両のM4シャーマンの情報で送り出された(らしい)」2,30両は居そうなM4シャーマン戦車の大軍と4式中戦車の交戦を目撃する。

 土方「左だ。左の先頭、砲塔に白帯の奴をやる。オッサン、頼むぞ。」
 老兵「ワシ、無線手の方が良かった。」


 獅子奮迅の奮戦をする4式戦車だが、流れてきた霧で覆い隠され、点滅する砲火しか見えなくなる。涙と途方に暮れる主人公の頭上に、友軍の3式戦闘機・飛燕が飛来する。霧の中の砲火に、

 飛燕パイロット「実戦試験中の4式中戦車が交戦しているモノと推定されるも、確認できず。
 試験責任者・土方との連絡は、過去1週間絶えて無く・・・」

と、機上から無線報告するカットと、「手帳を持った日本兵が帰還した記録は、無い。」という「ナレーション」で、物語は幕を閉じる。

<注記>
(*1) こ
の漫画では、「88mm高射砲の車載型を搭載」しており、史実以上の大火力となっている・・・・と言うよりは、ドイツのタイガー1重戦車を範にとった、としか思えない。 

(*2) 「M4シャーマンの砲撃に、十分耐える」と言うのだから、大したモノ。17ポンド砲装備M4シャーマン・ファイアフライ「長っ鼻」では無かった、様だが。 

 

  • (a)日本軍戦車の、悲哀と意地


 冒頭に述べたとおり、元帝国陸軍戦車兵たる司馬遼太郎氏に「憂鬱な乗りもの」とされてしまうだけのことが、大東亜戦争に於ける我が軍の戦車には、確かにある。前述の通り主力となる戦車は97式中戦車であり、これは西暦にして1937年制式採用の戦車。その主砲は57mm単砲身から、47mmの幾らか長砲身のモノに換装されたが、ドイツの3号戦車が37mm(でもそこそこ長砲身)から始めて、50mm、50mm長砲身、最終型では75mm短砲身へと換装していき、車体や砲塔の装甲厚も増しているのに、97式は砲塔を替えたぐらい。そもそも、「戦車が対戦車戦闘することを前提に設計されていなかった。」という弱点もある。無論、ドイツ軍戦車が、パンター、タイガーと重装甲化&大火力化⇒巨大化していくのには、もっと追い付かない。
 そんな「日本軍戦車の悲哀」を視覚的にも訴えるのが本作「鉄の墓標」であり、英軍戦車砲に串刺しに貫通され誘爆する冒頭シーンもあれば、作中ではM4シャーマンに追いかけられた97式中戦車が「速度を上げて振り切る」か「うんと接近して零距離射撃で差し違える」しか選択肢が無く、前者から後者へと切り替えたモノの、撃ち出す砲弾を尽く跳ね返され、結局M4シャーマンに97式が撃破されるシーンもある。
 
 また、松本零士が描くメカだから、それら撃破シーンは「血肉が飛び散る」かの如く、有機的・人間的に描かれており、その「悲哀」も一入と言うモノだ。

 であればこそ、我が帝国陸軍で始めて「対戦車戦闘を念頭に設計された」4式中戦車が、隠れ潜んでいた偽装網を引き千切って颯爽登場しての、存在感、迫力、火力、防御力が、(一寸非現実的なほどに)際立つ。土方車長が「ハーロック張りのイケメン長身」なのも、それらと無縁ではあるまい。
 
 「88mm高射砲搭載」と言う、「史実以上の大火力・高貫通力」も、ね。
 主人公「97式の豆鉄砲とは、趣が違いますね。」

 少佐 「88mm(アハトアハト)?其奴は良いや。大好きだ。」