• 「あたおか」とは、この事か。-【東京社説】安保法判決 「軍拡ノー」の声に耳を


 言うまでも無かろうが、タイトルにした「あたおか」とは、「頭がおかしい」の略語ないし隠語。相手が何者であれ、「頭がおかしい」と断定断言するのは、かなり失礼なことであり、私(ZERO)でも滅多に使わない(*1)。

 だが、今回は敢えてタイトルに使っている。

 下掲東京社説のタイトルを見たときの、私(ZERO)の第一声。「安保法は執行以来既に5~6年を経ているのに対し、”軍拡”が本格的に始まるのは漸く来年度執行予算から。であるのに、”安保法(違憲裁判)判決”と"軍拡"が、どうして直結できるんだぁ?」

 いや、その二つを結びつけるのに、「風と桶屋」程の紆余曲折は不要ではあろうが、直結させるには相当な「ショートカット=短絡」が必要になろう。その「ショートカット=短絡」は、「頭がおかしい」と言わざるを得ないだろうと、強く示唆された。

 ま、結論から言うと、「期待通り」だったようだ。
 

  • <注記>
  •  
  • (*1) 急いで付け加えると、チョウセンジン、韓国に対しては、類似の表現を確かに使っている。が、それは、チョウセンジンや韓国が「余程の、滅多に無い事象だから」である。 


 

  • (1)【東京社説】安保法判決 「軍拡ノー」の声に耳を

安保法制判決 「軍拡ノー」の声に耳を

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/231637?rct=editorial

 

2023年2月17日 08時04分

 

【1】 「安保法制は違憲」と訴えた裁判で東京高裁は原告の求めを退けた。「台湾有事」などが語られ、軍事力拡大が既成事実化する現在だ。司法は戦争の危険性を直視して憲法判断に踏み込んでほしい。

 

【2】 「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」の集会が八日、東京・永田町の衆院議員会館内で開かれ、法政大前総長の田中優子さんや東京大名誉教授の上野千鶴子さんらが次々とマイクを握った。

 

【3】 「政府は戦争を回避する外交努力をしているのか」「戦時体制は生活を追い詰める」などと…。

 

【4】 敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費倍増を明記した安保関連三文書が閣議決定された。岸田文雄内閣が打ち出す政策は軍拡路線である。それに抵抗して「女たちの会」が「軍拡予算は生活破壊だ」「子どもたちの未来に平和を」などと訴え、戦争を心配するのも当然の心情と受け止める。

 

【5】 その起点となったのが、集団的自衛権の行使容認という憲法解釈の変更であり、それを受けた安全保障法制である。日本が攻撃されていないのに、他国軍のために自衛隊が出動する?。その差し止めを求めた訴訟で、「具体的危険性が立証されていない」などとして、東京高裁は訴えを退けた。

 

【6】 同種の訴訟は全国で計二十五件あるが、原告敗訴が続いている。だが、他国の武力紛争に自衛隊が介入するのは明らかに憲法九条に基づく「専守防衛」の枠をはみ出していよう。憲法学者が「憲法解釈の変更に明白な違憲性が認められる」と意見書で述べているのに、高裁が「憲法判断を行う必要がない」と一刀両断し、「原告敗訴」とすることは疑問だ。

 

【7】 司法が見逃せば、憲法秩序の荒廃が起きるからだ。さらに、いったん戦争が起これば、国民の生命や財産に不可逆的で甚大な被害が発生する。「具体的危険」や「法益侵害」が目に見えた時は、もはや手遅れといえる。

 

【8】 仮に危険を確実に予測しえない場合でも「事前配慮原則」という考え方がある。例えば廃棄物を海洋投棄すれば、深刻な環境破壊が起きるから、予防的に国際条約で規制しているわけだ。

 

【9】 専守防衛から明白に逸脱した現状に対しては、「事前配慮原則」に即して、能動的に司法権を行使するべきではないだろうか。裁判所こそ「軍拡ノー」の女性たちの声に耳を傾けるべきである。

 

 

  • (2)先ず、上掲東京新聞社説を元に、事実関係を整理しよう。

 章題にした「事実関係の整理」は、上掲東京新聞社説に基づくモノであるから、上掲社説を書いた東京新聞社説担当記者(並びに、上掲社説を推敲したはずである東京新聞社説担当デスク)の現状認識を知る上で、有効であろう。例によって【】で示したのは、下掲する事実関係を述べている上掲東京新聞社説のパラグラフ番号。事実関係は基本的に時系列順とした。

① 安保法成立・執行により、我が国の集団的自衛権行使が(一部なりとも)容認された。 【5】

② 「安保法は憲法違反」とする訴訟が全国で25件起こされた。 【6】

③ 「安保法違憲訴訟」では、原告(訴訟を起こした側)敗訴が続いている。 【6】

④ 今月8日「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」が衆院議員会館で開催された。(「軍拡ノーの声」)【2】【3】【4】

⑤ 東京高裁の「安保法違憲訴訟」もまた、原告敗訴となった。【1】


 以上の「現状認識」を踏まえての、上掲東京新聞社説の主張は、

  • <1> 司法は、「安保法違憲訴訟」に対して、「安保法は違憲」と判断・判決・断定しろ

・・・これだけ、である。実に「憲法変えちゃぁいけない教徒」ぶりが顕著であるな。

 上記①~⑤の「現状認識」に立って、上記<1>「安保法違憲判決を出せ」主張の「間をつなぐ/ギャップを埋める」東京新聞記者の「思想的背景」を、推定/想像/邪推すると、以下の様になろう。

[1] 現・岸田政権の[軍拡]路線の発端は、安保法による集団的自衛権容認である。 【5】

[2] 故に、「安保法違憲判決/司法判断」が出れば、[軍拡]路線は停められる(*1)。

[3] 従って、司法は戦争の危険性を直視して、「安保法違憲判決/判断」を出せ(*2)。【1】



 「推定・想像・邪推」と言い条、上記[1]と上記[3]は、上掲東京新聞社説にほぼ明記されている。従って、「推定・想像・邪推」したのは、上記[2]だけだが・・・いやぁ、随分とまた、ぶっ飛んでいるなぁ。余りにぶっ飛び過ぎて、どこから突っ込んだモノか、迷うほどだ。

 先ず上記[3]に在り、上掲東京新聞社説パラグラフ【5】でも明記・明文化されている「戦争の危険性」を取り上げようか。岸田・現政権の「軍拡」路線の背景である(って点では、彼我の認識は「一致している」様だ。)のは良いんだが、どうもその文脈からすると、東京新聞は、

[4] 現下の「戦争の危険性」は、(かつての様に)「集団的自衛権(行使)を違憲とする」ことで、回避ないし緩和できる。

と、考えて居るらしい。
 これは、「驚天動地」というと少し大袈裟ではあるが、「目も眩むばかりの彼我現状認識の乖離」ではある。どうも、東京新聞は「集団的自衛権は、他国との戦争に巻き込まれるモノ」としか考えず、「自国の戦争に他国を巻き込む」とか「自国の戦争に際して味方を増やす」などの「集団的自衛権のメリット」については、思いも及ばない、らしい。
 更に言えば、「集団的自衛権を行使できない」と言うことは、「同盟を組んでくれる国が少ない、ないし、無い。」と言うことも、認識・認知できない、らしい。それは通常、「一国単独で如何なる敵国(複数の可能性もある)に対しても、自衛できなければならない。」と言うことであり、傾向としては「軍拡傾向」とならざるを得ない。中立政策をとり、「同盟を組めない」状態のスイスが国民皆兵の徴兵制であり、スウエーデン(は、中立政策を止めようとしているが)が独自の軍需産業を持ち戦闘機も独自開発していることも、ご存知ない、ないし気にしない、らしい。
 
 「心、此処にあらざれば、見るとも、見えず。」か。集団的自衛権が国家にとって「基本的国権」とも言うべきモノであることや、安保法執行以前の我が国の公的見解でも「我が国は、集団的自衛権を保有する。(が、憲法がその執行を禁じている(*3)。)」

 更に、些か「邪推を巡らす」ならば(大した「邪推」ではない。)、 

[5] 日本は日本国憲法を墨守し、集団的自衛権を実質放棄して、専守防衛に徹すれば良い。(それで我が国の安全は保障される。)

とも、考えて居る、らしい。
 何かね、中国が「核心的利益」なる侵略宣言を出しているのも、北朝鮮が何度も核恫喝を繰り返すのも、我が国が安保法で集団的自衛権を容認したから、なのかね? 
 安保法成立執行は、5~6年前。対して中国の「核心的利益」侵略宣言も北朝鮮の核恫喝も、我が国に安保法が無く、「我が国は集団的自衛権を有するが、その執行を憲法が禁じている。」と唱えていた頃に遡れるのだぞ。

 イヤ、「憲法変えちゃぁいけない教徒」と弊ブログが揶揄する(私(ZERO)としては、”罵倒している”感覚なのだが。)「日本国憲法擁護論者」が上記[5]の通り考えて居る(筈な)ことは、「殆ど自明」なのだが、その理由・根拠・論拠は、社民党の唱えた「憲法9条が最大の抑止力」理論しか、私(ZERO)は知らない。

 上記[5]の通り考える理由・論拠・根拠について、ほとんど説明も議論も提示も説得も説伏も無いことは、東京新聞含む「日本国憲法擁護論者」(それは、大半の憲法学者を含む)の知的怠慢であり、堕落である。その知的怠慢と堕落は、少なくとも自衛隊発足まで遡れるから、実に70年も続いている、長期的・恒常的な知的怠慢と堕落である。
 特に憲法学者は、それほどの長期的恒常的な知的怠慢&堕落を曝しながら、「学者でござい」ってんだから、スゴいよな。

 以上から改めて、上掲東京新聞社説から(容易に)推定できる「投球新聞の思想的背景」は、以下の通りである。

[1] 現・岸田政権の[軍拡]路線の発端は、安保法による集団的自衛権容認である。 【5】

[2] 故に、「安保法違憲判決/司法判断」が出れば、[軍拡]路線は停められる。

[3] 従って、司法は戦争の危険性を直視して、「安保法違憲判決/判断」を出せ。 【1】

[4] 現下の「戦争の危険性」は、(かつての様に)「集団的自衛権(行使)を違憲とする」ことで、回避ないし緩和できる。

[5] 日本は日本国憲法を墨守し、集団的自衛権を実質放棄して、専守防衛に徹すれば良い。(それで我が国の安全は保障される。)


 いやぁ、私(ZERO)に言わせるならば、やっぱり「あたおか=頭がおかしい」だぞ。

  • <注記>
  • (*1) ウーン。[1]の断定断言・思い込みもスゴいが、[2]の思考短絡も凄まじいな。仮に「集団的自衛権容認が"軍拡"路線の発端」であったとしても、何ら根拠にして居らず依拠もしていないのだから、「安保法違憲判決/司法判断」が「軍拡」路線、例えば来年度予算の割り振りに、どう影響すると考えているのだろうか? 
  •  
  • (*2) 上掲社説にある文言は、「憲法判断に踏み込んでほしい。」って「婉曲表現」になっているが、言いたいことは「安保法違憲判決/判断を出せ」だろう。
  •  「安保法は、合憲である。」ってのも、憲法判断の一種の筈だが、そんな憲法判断を東京新聞が受忍許容するとは、とても思えない。 
  •  
  • (*3) ウーン、何時聞いても、何度聞いても、ぶっ飛んだ屁理屈だ。これで「故に、憲法は直ちに改憲されるべきである。」と続くなら、未だ「ロジックが通じる」のだが、東京新聞なんかは逆に「だから、日本国憲法は素晴らしい。」になるのだから、凄まじいよなぁ。
  •  まあ、そんな「凄まじい」のが、主流だった時代も、相当にあったんだが。 


 

  • (3)「法では無く、声で判決を決めろ。」と言う、暴論。

 チョウセンジンかよ!って突っ込みは別にして、これは前述の「私(ZERO)と東京新聞の間にある、国家安全保障に対する認識の乖離」とは別の、「司法観」と言うか「法秩序に対する考え方の問題」である。

 私(ZERO)が考えるに、司法の役割は「法の執行」であり、その依って立つところは先ず真っ先に「法」である。此処で言う「法」は、近代以降は成文法であって、慣習法ではない。
 無論、「法の運用」というモノは相当程度柔軟性があるべきであり、なればこそ、「過去の判例」が参考にもなれば、「情状酌量の余地」が在ったり無かったりする。故に、「法律の条文・文言が全てではない」と言うことには同意するが、上掲東京新聞社説が言う様な「声」で判決を、それも「憲法判断」という極めて高度な判決を下せと、司法に要求し要望することの意味・意義を、東京新聞は理解しているのだろうか。

 それはある意味、「司法に自殺(存在理由の否定)を迫る」モノである。「声」で判決が決まるのならば、裁判官も検察側も弁護側も、それぞれの有する(筈の)学識も知見も、不要である。

 如何なる「声」であろうとも、「圧倒的多数の声」であろうとも、それに「司法の判断が左右される」というのは、ポピュリズム=大衆迎合以外の、何物であろうか。
 
 左様な司法判断を下すことを「衆愚政治」とは呼ばないだろうが、「衆愚司法」とは、呼ばれるべきだろう。

 ああ、もっと良い表現があったな。「人民裁判」とか「魔女裁判」って奴だ。