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衆愚政治へ一直線ー【東京社説】内閣支持率続落 国民の声を聞き流すな
「君主は、何をやっても悪く言われる。」と喝破したのは、キケロ。時は古代ローマは共和制ローマの頃だから、ザッと二千年ほど昔の話だが、「君主=為政者/権力者」と考えれば、今でも立派に通用するロジックだろう。「君主=為政者/権力者」たる者は、政策だの国の方針だのを決定・決断しなければならない。だが、ありとあらゆる決定・決断には、不平不満や不備や反対・反論があるモノだ。万人が一人の例外も無く全面的に賛同する決定・決断なんてのは、滅多にあるモノでは無い。だから、「君主は、何をやっても悪く言われる。」
古代ローマの頃には「マスコミ」なんてモノは無かったろうが(*1)。「権力の監視者」を自称するマスコミの登場以前から、「君主は、何をやっても悪く言われる。」状況は、変わらない、らしい。
であるならば、「権力の監視者」と自称するマスコミが、日本の(君主ではないが(*2))為政者たる岸田首相を「悪く言う」のは、「必然にして当然」と、言えそうではある。
ではあるが、下掲の東京新聞社説に見る「権力批判」「岸田政権批判」は、余りに乱暴では無かろうか。
☆
- <注記>
- (*1) マスコミを、「マス」コミたらしめる為には、少なくとも活字印刷機が必要であり、グーテンベルクの発明を待たねばならない。
- (*2) 言うまでも無かろうが、「日本の君主」は、天皇陛下に他ならない。
【東京社説】内閣支持率続落 国民の声を聞き流すな
https://www.tokyo-np.co.jp/article/207722?rct=editorial
2022年10月12日 07時56分
岸田内閣の支持率下落が止まらない=グラフ。国民を分断する形で実施された安倍晋三元首相の国葬や、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と政治家との関係を巡る説明を聞く限り、岸田文雄首相には国民の声が届いていない、と思わざるを得ない。
共同通信の最新世論調査で、内閣支持率は35%と過去最低に。国葬を「評価しない」は「どちらかといえば」を合わせて61・9%、党所属議員と教団との関係を調査した自民党の対応は「十分ではない」が83・2%に上った。
首相は三日の所信表明演説で、国民の厳しい声に「真摯(しんし)に謙虚に丁寧に」向き合うと強調した。
首相は代表質問への答弁で、国葬について政府として検証し、一定のルールづくりを目指すと表明したものの、国民の胸に響かず、国葬への評価を反転させることはできなかった。
旧統一教会との関係を巡り、首相は教団と安倍氏との関係や、教団名称変更への政治家関与の有無に関する徹底調査に否定的見解を繰り返した。
教団との深い関係を認めた山際大志郎経済再生担当相について、世論調査では62・7%が辞任を求めているが、首相は「自らの責任で丁寧に説明を尽くす必要がある」と繰り返すだけ。任命責任が問われる事態に至っているとの自覚は感じられない。
国民は、政権与党が旧統一教会との関係を断ち、これまでの政策の立案、決定にどこまで教団の影響力があったのか、徹底解明を望んでいるにもかかわらず、首相は聞き入れようとしない。
政権に厳しい目が注がれている最中に、長男を政務秘書官に起用した人事も、国民の声が聞こえていないからとしか思えない。
首相が自民党総裁選に立候補した原点は「国民の声が政治に届かない」「政治の説明が国民の心に響かない」という民主主義の危機を感じたことにあるはずだ。
しかし「国民の声を聞く」と言いながら実際には聞き流し、やり過ごそうとしている。原点に立ち返らねば、失われた政権への信頼を取り戻すことはできまい。
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(2)「支持率を気にしろぉぉぉぉぉ!」って、主張していて恥ずかしくないのかね。
ま、「恥ずかしくない」からこそ、堂々と社説とし、東京新聞の公式の公的主張として、全世界へ発信している、のだろうけれど。
「世論に従え!」って主張は、俗耳には入りやすそうだし、大衆受けも良さそうだが、実はかなり無責任だ。世論に従った結果が誤りであった場合、誰も責任を取らないだろうから、無責任この上ない。
ああ、「世論に従う、と言う決定をした為政者・権力者が、責任を取る」可能性は、一応あろう。だが、その「世論」を形成した、国民なり市民なり世論調査した調査会社なりは、責任は取らないし、問われない。
「世論が、誤判断する」ってのは、あり得ることで、誤判断してもその主体は責任を取らない/問われないのだから、「世論の誤判断率は、基本的には下がらない/下がることを期待できない。」
であるならば、「世論に従え!支持率を気にしろ!!!」って主張は、「誤判断の責任問題」という点でも、「誤判断を減らそうと言う努力」という点でも、極めて無責任である。
否、それどころか、「世論に従え!支持率を気にしろ!!!」って主張は、「主張の根拠を、論理でも思想でも経験でも無く、(実に怪しげで、実際怪しい)”民意”にのみおいている。」と言うことであり、凄まじいまでの知的怠慢且つ堕落である。左様な主張をするのに、「好都合な世論調査結果」さえあれば良いのだから、「社会の木鐸」としてこれ以上の怠慢・堕落は、滅多にあるモノでは無かろう(*1)。
だから、章題にした通り、問うのである。「恥ずかしくないのかね?」と。
- <注記>
- (*1) これ以上の知的堕落・怠慢として、私(ZERO)に思い当たるのは、「森羅万象全てのことは、アベガワルイ」と言う、アベガー共の神秘主義的&不可知論的アベ絶対悪論ぐらいだろう。
- 尤も、東京新聞自身は既に「アベガー」共の一味だけどな。