• NATO、北欧に拡大を受けての、朝日&東京新聞社説を、笑え

 「努力は、子供のすることだ。
  大人は、やり遂げるべきなのだ。」


とは、TVドラマ刑事コロンボ「ハッサン・サラーの反逆」に於ける犯人(って事は、殺人犯(*1)だ。)ハッサン・サラー氏の科白。サラー氏の(連続殺人実施中の)この名科白を待つまでも無く、「(努力では無く)結果が大事」ってのはままあることで、「無駄な努力」や「水泡に帰し、徒労に終わった努力」の事例が、古今東西に数多ある事は、言うまでも無いこと、だろう。
 
 であると言うのに、「外交努力」ってのは、何やら「別格」と考える御仁も、世の中にはあるようだ。「外交努力」は「努力が大事で、努力するだけで良い」って考え方だ。

 「外交」ってのは、「戦争」と同様・同格で、「国益追求の手段」であるから、その評価は大いに「結果論/成果論であるべき」、だと思うのだが、ねぇ。

 例えば第2次大戦前の戦間期、ドイツ(ナチスドイツ)のラインラント進駐に対し、「(条約の規定通りに)対抗して兵を出す」って事を「しなかった」英仏は、「外交努力を傾けた」と言い得ようが、其奴が結局「第2次大戦惹起に繋がった」って史実/事実を、「外交努力は、努力が大事」と評することは、私(ZERO)なんぞには、トテモできない事、なんだがな。

①【朝日社説】欧州の安保 結束と対話の両輪こそ

③【東京社説】NATO申請へ 北欧の危機感の表れだ 
 

  • <注記>
  • (*1) コロンボは、ロサンゼルス市警殺人課の警部だ。 




(1)①【朝日社説】欧州の安保 結束と対話の両輪こそ

  • ①【朝日社説】欧州の安保 結束と対話の両輪こそ

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15295971.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年5月17日 5時00分

 

 ロシアによる戦争が招いた欧州の歴史的な変動である。プーチン大統領は「鏡を見よ」との隣国の言葉を、重く受け止めるべきだ。

 

 北欧のフィンランドとスウェーデンが、長く続けた「軍事的中立」を変更する。米欧などの北大西洋条約機構(NATO)に加わる意向を示した。

 

 加盟する30カ国が認めれば、バルト海をNATOが囲む。米欧の勢力圏拡大を阻もうとしたプーチン氏の思惑は、逆の結果を引き起こした。

 

 ロシアと長い国境で接するフィンランドの危機意識は理解できる。伝統的に中立を保ったスウェーデンとともに、東西バランス外交を成り立たなくさせたのはロシア政府の責任だ。

 

 ロシアはフィンランドへの送電を止めたが、そうした露骨な脅迫は北欧の決断の正しさを証明するだけだ。NATO加盟手続きの間も含め、報復や挑発は許されないと知るべきだ。

 

 ロシア軍はウクライナで計画通りの戦果を得ておらず、戦闘の長期化が懸念されている。米欧側は一刻も早くロシアを停戦に導くため、結束した行動を貫く必要がある。

 

 一方で、今回の北欧の変化も踏まえ、長期的な平和構築も視野に入れて思考しなくてはなるまい。NATOという西側と、ロシアなどの東側の間に再び鉄のカーテンが下りる対立構造の固定化は危うい。

 

 旧ソ連崩壊後の90年代、NATOは「平和のためのパートナーシップ」協定をロシアと結ぶなど、共通の安保構造を探ろうとした時期があった。だがその後、米国と西欧の関心は長続きしなかった。

 

 NATOの東方拡大が実際にどれほどロシアに脅威を与えたかは議論の余地がある。ただ、米欧側にもっとロシアを真剣に包摂する安保対話の努力があったなら、と顧みるのは有益かつ必要な作業であろう。

 

 大小の国々がひしめく欧州には、膨大な争いを経て外交の知恵を育んだ歴史がある。冷戦下でも、ソ連を含む東西欧州と米国などが安保会議を開き、「ヘルシンキ宣言」(1975年)を採択した。それは後年、ベルリンの壁崩壊につながった。

 

 その会議を原型とする欧州安保協力機構(OSCE)には、いまもロシアが加盟している。欧州連合を含めた既存の国際・地域組織を活用し、欧米の外交力を再び高めるときだろう。

 

 プーチン氏の暴走を止めるのは国際社会の喫緊の課題だが、同時にこの大国との共存体制を探る構想を描く必要がある。世界観や体制の違いが衝突に至る過ちを防ぐ努力は、欧州とともにアジアにも求められている。

 

  • ③【東京社説】NATO申請へ 北欧の危機感の表れだ

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/177770?rct=editorial

 

2022年5月17日 07時53分

 

 北欧のフィンランドとスウェーデン両国が中立政策を転換し、北大西洋条約機構(NATO)に加盟を申請する。フィンランドのマリン首相、スウェーデンのアンデション首相が表明した。

 ウクライナに侵攻したロシアから自国を守るには、米国などNATOの軍事力が必要との危機感からだ。ロシアは自ら招いた事態を深刻に受け止める必要がある。

 NATOは、一加盟国が攻撃を受けた場合、全加盟国に対する攻撃とみなし、兵力使用を含めて反撃する「集団的自衛権の行使」を規定している。

 東方の国境約一千三百キロをロシアと接するフィンランドは第二次世界大戦では旧ソ連と二回、戦争となった。多くの犠牲者を出し、敗戦で国土の12%が割譲された。このため旧ソ連、ロシアとの関係も重視。NATOには加盟せず、対ロ協調路線を取ってきた。

 スウェーデンも中立を守り、NATOには非加盟だった。

 しかしウクライナ侵攻後、両国ではNATO加盟支持が半数を超えた。世論が方針転換を後押しした形となり、NATO拡大阻止をウクライナ侵攻の理由に挙げるロシアにとって裏目に出た形だ。

 新規加盟には全加盟国の同意が必要となる。欧米は両国の加盟を支持するが、トルコは国内の非合法武装組織クルド労働者党(PKK)を両国が支援しているとして加盟に懸念を示している。

 NATO加盟前にロシアの攻撃を受ける事態に備え、英国は両国との間で相互安全保障宣言に署名し、軍事支援を約束した。

 ロシアは両国のNATO加盟の動きをけん制するため、バルト海周辺への核配備の可能性を示唆しているが、軍事衝突に発展することがあってはならない。

 スウェーデン与党は加盟支持の一方、国内への核配備やNATO軍駐留には反対している。

 自国防衛に力を尽くすのは当然だが、軍事的緊張をこれ以上、高めるのは得策でない。ロシアの暴発を招かぬよう、関係国や機関には、平和共存の道を探る外交努力も引き続き求めたい。

 

  • 東京新聞社説の方が、タイトルが真面だ。

 大体、朝日社説の方は、タイトルからして可笑しい。結束と対話の両輪こそとなっているが、「両輪」ってのは、「相補的であると同時に、少なくとも一面、相反的である二つのモノ」に対する比喩であろう。相補的であるが故に「一対の両輪」であり、相反的であるが故に「左右の両輪」である。例えば「軍事」と「外交」とか、だ。
 であるというのに、「結束」と「対話」では、普通に考えて相互の相関が薄く、「両輪とは、表し難い」だろう。

 「NATOとしての結束が固ければ、それだけ強い対話力となる。」と考えれば「結束」と「対話」は「相補的」と考えられるが、「相反的な部分が見出し難い」ため、やはり「両輪とは、表し難い」。

 今回のスウエーデンとフィンランドのNATO加盟が「NATOの結束の拡大/強化」と考えたとしても、それが「対露関係として対立要素/対立要因」ではあるモノの、「対立」を「対話の相反要因」と考えるのは、随分な短絡思考だ。

 即ち、今般のスウエーデンとフィンランドのNATO加盟(意向、の段階。現状では)を受けて、上掲朝日社説タイトルとして結束と対話の両輪こそ」をつける「朝日的発想」には、以下のようなステップが必要になる、筈だ。

(1) スウエーデンとフィンランドのNTO加盟は、NATOの拡大で在り、「NATOの結束の拡大/強化」である。これは、NATOの対話力を高めるだろう(「結束」と「対話」の相補的関係)

(2) 「NATOの結束の拡大/強化」は、対露関係としては、対立要素/対立要因である。

(3) 対立要素/対立要因は、対話を阻害するモノであり、対話とは相反的である。 ←此処、かなりの飛躍

(4) NATOは、スウエーデンとフィンランドの加盟で「結束を拡大強化」するだけで無く、それとは相反的な対露「対話」も強化すべきである。


 ウーン、対立要素/対立要因ってのが、「対話」と反対方向の「戦争と直結短絡」しちまってるンじゃぁ無いか、朝日新聞の中では。
 
 そりゃ、そんな「朝日新聞の社風」は、朝日の勝手だけどさ。私(ZERO)のような「異教徒」には、甚だしい短絡思考としか思えず、平たく言って「アホ」にしか見えんぞ。

 「両輪」としたいのならば、「対決と対話の両輪こそ」とした方が、余程スッキリしたんじゃぁないのか?

  • 「滅ぼす」だって、一つの手段だろうに。

 上掲朝日&東京社説の結論は、どちらもロシアと平和共存しろなんだが・・・果たして、それが「正解」であろうか?

 世界観や体制の違いが衝突に至る過ちなどと、上掲朝日社説は」抜かす」が、隣国の独立国としての自主外交を認めず、不都合な相手に「ナチ」だの「ナチ化」だのとレッテルを貼って武力侵攻を始めると言う「輝かしい実績」を収めた相手と「衝突に至る」事が「過ち」であろうか?

 言い替えようか。今回「衝突に至った」のは、ロシアがウクライナを侵略したから。ロシアがウクライナ侵略に至る過程で、欧米諸国はじめとする西側世界は相応に「衝突に至る過ちを防ぐ努力」も「平和共存の道を探る外交努力」もしていた、と、私(ZERO)は考えて居る。結局それらの「西側世界の努力」は水泡に帰し。「ロシアのウクライナ侵略」という「衝突に至った」訳ではあるが、「次回も外交努力しろ」って主張は一つの主張として認めはするが、次回も、外交努力することこそが、必要で重要だ。」には、一寸賛同しかねるぞ。

 章題にした通り、「この際だから、ロシアそのモノもを滅ぼしてしまえ。」って方が、少なくとも主張として遙かにシンプルで、説得力があろうが。

 「ロシアを滅ぼすのは、難しい。」ならば、「当面足腰が立たない程、弱体化させる。」ってのも一つの手。少なくとも「外交努力だけ、していれば良い。」なんて主張よりも、遙かに現実的で、説得力もあろうに。