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ウクライナと核共有(核シェアリング)(の検討)を!
今次、ロシアのウクライナ侵略に対し、ウクライナは軍民挙げて果敢に抵抗している。再三繰り返す通り、私(ZERO)は情理両面から今次ロシアのウクライナ侵略は糾弾し、非難すべきであると考えており、「ウクライナに勝利と自由を。プーチンに敗北と屈辱を。」をスローガンに日本政府含め各国政府はロシアを非難し経済制裁すべきだと主張しているし、ウクライナには軍事/経済/精神を問わぬ支援すべきだ、と主張している。
ウクライナの軍民は、これら支援の功もあってか、先述の通り果敢な抵抗を継続している、のであるが、「ウクライナに勝利と自由を。プーチンに敗北と屈辱を。」を実現するには、尚不足である可能性は否定し難い。
殊に、ロシア大統領(で未だいやぁがる)プーチンが、再三公言しているような核兵器使用に踏み切り、広島長崎に続く人類史上三番目以降の核攻撃が実施され実現化した場合の「対策」は、現状の処さして議論すらされていないようである(*1)。
そりゃ「憲法9条が最大の抑止力」とか、自衛隊にも安保にもよらない我が国の国家安全保障策さえ提示しないまま「憲法守れ/憲法9条守れ」とか平気で抜かせる安保白痴の憲法教徒には、所詮何を言っても無駄ではあろうが、左様な安保白痴や憲法教徒ではない方に対し、「ロシアのウクライナ核攻撃に対する対策」の一つとして提案/提言したいのが、タイトルにもあるとおり「ウクライナの核共有(核シェアリング)」である。
- <注記>
- (*1) 「核兵器禁止条約は神話ではない」なんて強がりや、「核兵器使用の暴挙は許さない」なんて独りよがりは、議論でも何でも無く、タダの自己満足の呪文だ。
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(1)ウクライナは、元「核兵器保有国」である。
知っている人以外は誰も知らないようだが、そもそも、「ウクライナの核共有(核シェアリング)」ってのは、ほんの僅か前まで「言語矛盾」だったのである。
忘れている、ないしハナっから知らない人も多いように思えるのだが、ウクライナは元はソ連邦を形成する共和国の一つで、ロシアに次いで大きい共和国だった。単に大きいだけではなく、穀倉地帯でもあれば、結構な軍需産業もあり、ソ連軍の相当部分もウクライナに駐屯し、その相当部分はウクライナ人であった。
従ってソ連邦が崩壊しウクライナが独立国となったとき、旧ソ連軍の相当部分はウクライナ軍となり、旧ソ連軍の核兵器の一部はウクライナのモノとなった。章題にした通り、ウクライナは一時期間違いなく「核兵器保有国」だったのである。
核兵器を保有しているウクライナが「核シェアリング」なんてすることは、(不可能とは言わないが、)無用不要だ。従って、核兵器保有国時代のウクライナの「核シェアリング」とは、ほぼ「言語矛盾」である。
そんな「核兵器保有国であったウクライナ」は、その保有する核兵器を、あろうことか今次ウクライナ侵略の当事国たるロシアに全て引き渡し、代わりにロシアを含む各国がウクライナの主権を保障する安全保障策を選んだ。
左様な決断に至った背景は、①核兵器の維持コストの高さ ②核兵器運用部隊の維持コストの高さ ③「核放棄」の代替案とされたロシア含む外国の安全保障 等が言われている。これに加えて ④諸外国の核放棄圧力 ってのも挙げられていたりするが・・・、上記③「ロシア含む外国の安全保障」があってこそ「核放棄圧力」は有効なのであり、③と④は表裏一対。逆に言えば③で「ウクライナの安全保障」していない④諸外国の核放棄圧力(*1) なんてのは、シュプレヒコールか呪文程度の「負け犬の遠吠え」でしかない。喧しいかも知れないが、実害も御利益も無い。
極単純化して言うならば、ウクライナは、「核兵器を維持する金が無く、国の安全安泰は保障されたから、核兵器を譲渡・放棄した。」と言うことである。
その「ウクライナの安全を保障し、ウクライナの核兵器を譲渡されたロシアが、ウクライナ侵略した」上、国連安保理では拒否権を行使して安保理を機能停止させ、ウクライナ市民は虐殺するわ、核恫喝はかけまくるわ、遂には「ウクライナに武器等を輸送する車両を攻撃するのは合法だ。」とか「無制限潜水艦作戦(*2)」にも近い発言まで為している、のである。
「ロシアの横暴」もさることながら、ウクライナの「誤判断・誤認」も、後世に残すべき歴史的教訓であろう。
- <注記>
- (*1) それは、各種「反核団体」の核放棄圧力を、含む。
- (*2) 第1次大戦中にドイツが実施した作戦。ある範囲内の海域に対し、そこを航行する船は船籍積み荷に関係なく無警告に攻撃するぞ、と言う宣言。
- 序でに書けば、潜水艦発射の魚雷を一発喰っただけで沈んでしまう商船は、珍しくない。
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(2)核共有(核シェアリング)とは、何か?
核共有(核シェアリング)の起源は、米ソ冷戦時代の西ドイツ軍である。弊ブログ記事「ルフトヴァッフェの核攻撃機Luftwaffeの核攻撃機 -剣は自らの手にあるべきだ。- | 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心 (ameblo.jp)」にも記載したとおり、冷戦時代の西ドイツは、「核兵器保有国ではないが、核攻撃能力は保有している」状態だった。何を言っているのか判らないかも知れないが、「核兵器は保有していないが、核兵器を使用する訓練を施した核攻撃可能な部隊を保有・維持している」状態だった。肝心要の核兵器は、「米軍の核兵器を借りる」という構想であり、一朝有事の場合は合衆国大統領の許可の元、米軍保有の核兵器が西ドイツ軍に「貸与」される計画となっていた。
何故、斯様に変則的な「核攻撃能力だけ保有する西ドイツ軍」なんて珍兵器・珍戦術じみたモノが実現し実行されたのかというと、そこには「米ソ東西冷戦時代の最前線としての西ドイツ」って時代背景があった。
覚えている人も少ないかも知れないが、米ソ冷戦時代の「ドイツ」は、西ベルリンを含む西ドイツと、東ベルリンを首都とする東ドイツに分断され、両者の間に当時有名な「ベルリンの壁」が走っていた。東ドイツ軍は東側のワルシャワ条約機構の中でもソ連軍に次ぐ精鋭とされ、東西ドイツは南北朝鮮のような「直接的対立=武力衝突」にこそ及ばなかったモノの、ベルリン封鎖が示すように厳しい対立状態にあった。
ソ連軍含むワルシャワ条約機構軍は地上兵力、殊に戦車の多さで知られ、米ソ冷戦破れて熱戦と至った場合は、ワルシャワ条約機構軍の大戦車群が津波の如く西ドイツに侵入して来る、と想定された。
対する西側NATO軍の対策の一つが、戦術核兵器であり、その内の一つが小型・小威力の核爆弾での敵地上部隊への核爆撃。小型・小威力と言ってもそこは核兵器だから、相当なダメージを与えられる、と期待された。
尤も、その「相当なダメージ」を受けるのは、敵地上部隊ばかりではない。小型・小威力と雖も核兵器だ。かてて加えて、想定される戦場は西ドイツ国内であり戦術核攻撃を喰らうのも西ドイツ国内である公算大である。斯様な戦術核攻撃を「外国である米国に独占される」のは、西ドイツにとっては看過し難かった、のであろう。結果として西ドイツ軍は「戦術核攻撃訓練を施し、戦術核攻撃能力を有した部隊を保有・維持・配備する。」「一朝有事の際には、戦術核爆弾を米軍から借用し、西ドイツ軍が戦術核攻撃を実施する」体制となった。これが「核共有(核シェアリング)」である。核兵器の運用法としてもかなり変則的である。と言うより「自国保有核兵器の他国使用を認める。」だけでも他に類を見ない。が、「非核兵器保有国が、核攻撃能力を有する」という点では、メリットも抑止力もある。
先行記事にした通り、西ドイツで戦術核攻撃任務に任じられた機種の一つは、Fー104G戦闘機である。我が国でもF-104Jとして製造(ライセンス生産)・配備されたロッキードF-104は、細長い胴体と小さな主翼とT字尾翼を特徴とし、超音速性能と上昇力に優れた単発単座戦闘機で、そのラジカルな形態から「最後の有人戦闘機」とも呼ばれた。この機体の高翼面荷重(重量の割に主翼が小さい)には「ガスト(突風)の影響を受けにくいため、低空飛行に強い(と、期待される(*1))」と言う特性があり、この特性を活かして西ドイツ軍は、一朝有事の際には「戦術核爆弾を抱えて、敵防空網を超低空飛行で突破し、敵地上部隊に戦術核爆弾を叩きつける。」という戦術を想定し、訓練し、部隊を配備した。何しろ冷戦最前線の西ドイツ軍のこと。一朝有事の際にワルシャワ条約軍が航空基地を真っ先に叩く(*2)を想定し、「滑走路無しでも離陸する方法」として「ゼロ発進」と呼ばれた、「F-104に巨大なロケットブースタを抱かせて、レールランチャから発進する方法」なんてのも、実験している。F-104が細身の胴体な事もあり、機体と大差の無いほど巨大なブースタを付け、盛大に付いたノズルカント角(*3)により斜めに噴煙吹き出しながらレールランチャから発進する様は、悲壮というか壮絶というか、鬼気迫るモノがある(静止画でしか、知らなかった。今回後継の動画を見つけた。)。
ま、「勝つため」と言うよりは、「負けない」ために、自国国土に核爆弾を投下しようってんだ。鬼気も迫ろうというモノだろう。
先行記事にした通り、西ドイツ空軍はこの「核共有(核シェアリング)に依る戦術核攻撃任務」に就ける機体(とパイロット)を指定し、運用していた。
米戦略空軍の戦略爆撃機(B-52やB-47、B-36等)による核パトロール(核爆弾を搭載した戦略爆撃機を、常時交替で滞空させ、一朝有事の際にはそのままソ連本土へ直行し、核爆弾を投下する、って構想。数多の「第3次大戦モノ」SF(*4)の背景となった。)共々、「冷戦時代の風物詩」と言えそうなのが「核共有(核シェアリング)」ではあるが、「非核兵器保有国の核抑止力」と言うのは、ウクライナにせよ我が国にせよ「検討に値する構想」と言えよう。
- <注記>
- (*1) 「高翼面荷重」は確かに低空飛行に適する特性ではあるが、それ以外に「急激に機首を上げるピッチアップを起こす」なんて特性もF-104にはあって、西ドイツ軍配備当初は墜落事故が多発。「未亡人製造機Widow Maker」なんて有り難くない仇名もつけられた。
- 因みに我が国に配備されたF-104Jでは左様な事故は寡聞にして知らない。我が国のF-104は航空自衛隊の任務がほぼ防空一本槍だったためか。
- (*2)そりゃ、滑走路なんて目立つ上に動かせない上脆弱な目標だ。その上、駐屯する航空機部隊の攻撃力は高い。開戦となったら(或いは、開戦以前でも)真っ先に狙うのは、航空基地、防空陣地、レーダー網ってのが、大凡通り相場だ。
- (*3) こうしないと、推力軸が重心から離れてしまい、ヘタするとバック転宜しく縦スピンしてしまう。
- (*4) 映画で言うと、「博士の異常な愛情。または私が如何にして心配するのを止め、水爆を愛するようになったか。(ブラックコメディ)」「未知への飛行(かなりシリアス。米軍戦闘機隊、片道出撃。)」。小説で言うと、「破滅への2時間(「博士の異常な愛情(以下略)」の原作だが、全然違う。)」等
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(3)ウクライナの核共有(核シェアリング)、その得失
我が国はさておいて(*1)、ウクライナに於ける核共有(核シェアリング)の得失について考えてみよう。
メリット【1】「非核兵器保有国でありながら、一定の核抑止力を保持できる」
これが、核共有(核シェアリング)の最大のメリットであろう。核兵器を保有しないが、核攻撃能力は保有・維持する事で、当事国(この場合はウクライナ)に一定の核抑止力を持たせる。ウクライナを核恫喝なり侵略なりする国には「ウクライナの核反撃(を受ける可能性)」を真剣に考えさせる事が出来る。
無論、その「核共有(核シェアリング)」が十分な信頼性を持つ場合は、だが。
メリット【2】「核兵器の維持コスト不要」
これはさして説明の必要も無かろう。核共有(核シェアリング)する核兵器はウクライナのモノでは無いから、その維持コストはその核兵器の保有国持ちで、ウクライナの予算は必要ない。
メリット【3】「ウクライナとロシアの地理的関係から、戦術核兵器と言い条、戦略的使用が可能」
ウクライナはロシアの隣国で、ロシアの首都モスクワにも近い。この意味するところは、ICBMやSLBMの様な戦略核兵器でなくとも首都核攻撃が可能、と言うことだ。
デメリット<1>「戦術核兵器の核共有(核シェアリング)による核抑止力は、限定的である」
お気づきかとは思うが、このデメリット<1>は、上記メリット【1】の裏返しである。「一定の核抑止力」の別の一面が「限定的な核抑止力」である。これは主として核共有(核シェアリング)という核兵器運用法では無く、核共有(核シェアリング)される戦術核兵器が小威力であり短射程である事による。つまりは「戦術核兵器がショボいから」と言うことだ。
デメリット<2>「核兵器運用部隊のコストは必要」
これまた上述のメリット【2】と表裏一対と言って良さそうだ。核共有(核シェアリング)とは言ってもその核兵器を運用する部隊の、各運用を含む訓練と維持は、ウクライナ自身の分担負担となる。その分、追加兵力=兵力増強が必要となる、可能性も高かろう。
先述の西ドイツ空軍の核共有(核シェアリング)の例では、核攻撃任務に指定されたF-104Gは、その任務にある間は他の任務(迎撃や訓練や通常攻撃)には基本的に使えない。「一朝有事の際には核爆弾抱えて敵地上部隊を核攻撃する」という重大任務を帯びる訳だから、当然だろう。
デメリット<3>「ウクライナとロシアの地理的関係から、戦術核兵器と言い条、戦略的使用が可能」
先述の通り、「ウクライナに配備された戦術核兵器」は「首都(モスクワ)核攻撃」という戦略目的にも使用できる。これを「大きな抑止力」と肯定的に捕らえればメリット【3】としてメリットに数えられるが、「ロシアにとって脅威であり過ぎ、ロシアを刺激する」と考えるならば、デメリットにもなる。
いや、デメリットどころか、「ロシアにとって脅威であり過ぎ、ロシアを刺激する」と考えるならば、ウクライナの核共有(核シェアリング)構想がそもそも「成立しない」ぐらいの致命的なデメリットだ。従って、デメリット<3>の肯定/否定は、真っ先に議論し、一定の合意が無ければなるまい。
また、デメリット<1>「戦術核の限界」との、矛盾とまでは言わないが相克も、注目すべきだろう。
つまりは、メリット【1】「非核兵器保有国の核抑止力」、デメリット<1>「戦術核の限界」、メリット【3】/デメリット<3>「戦術核兵器の戦略的運用の可能性」の間には密接な関係があり、どう考えるかは大いに【バランスの問題」である。この「微妙なバランスの問題」に比べれば、メリット【2】「核兵器維持コスト不要」とデメリット<2>「核兵器運用部隊の維持コストは必要」は、「単に金の問題」であり、それはそれで問題ではあろうが、「大した問題とは言い難い」と、言えよう。
- <注記>
- (*1) 「さておき」はするが、「核共有(核シェアリング)は、議論しない。」なんてのは、先ず論外と言うべきだ。
- 再三繰り返すところだが、我が国の安全保障で最優先なのは我が国の安全安泰であり、「非核三原則」で
- も無ければ「平和主義」でも「専守防衛」でも無い。我が国の安全安泰のためならば、軍事大国化も核兵器保有も先制攻撃も、議論の対象から外すべきではない。議論の結果、「我が国は軍事大国とならない方が、我が国の安全安泰に繋がる」との結論が出れば、「軍事大国化しない」と言う選択肢はありうる。が、「軍事大国化しないのが前提条件」なんてのは、愚論暴論でしか無い。ああ、「核兵器を保有しないのが前提条件」ってのも、同様だぞ。
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(4)ウクライナとの核共有(核シェアリング)を、議論せよ。
無論、ウクライナとの核共有(核シェアリング)を直接的に議論できるのは、現・核兵器保有国だけである。理の当然ながら核共有(核シェアリング)するには、共有/シェアリングする核兵器が必要なのだから、理の当然だ。
更には、核共有(核シェアリング)するための核兵器を「ウクライナ軍に貸与するまでは、何処に保管するか?」という問題が「どの様な条件でどの様に核兵器を貸与するか」共々、結構な問題となる。何しろその「核兵器貸与の条件」として想定されるのは「戦時下・戦争状態のウクライナ」であり、且つ「可及的速やかな貸与」が必要であろう。理想的には「貸与する核兵器は、ウクライナ国内に保管(*1)」だが、これは「ウクライナ国内に核兵器を装備する外国軍が駐留する」事を意味する。左様な部隊(及び装備する核兵器)のウクライナ駐留は、キューバ危機級の緊張状態を現出する可能性を否めない。
但し、これには幾つかの緊張緩和策が考えられよう。例えば、ウクライナに常駐するのは核兵器の維持管理のみ実施する部隊で、核兵器を搭載し発射する航空機や車両やランチャなどを装備しない(且つ、それを第三者に検証・保障させる)とか。
ああ、「核兵器強奪」なんて事態に備えて、かなりの護衛部隊も必要だろうな。
逆に言えば、「必要な緊張緩和策」を含めて、「ウクライナの核共有(核シェアリング)」は議論・検討されて然るべきである。それは、プーチンの度重なる核恫喝に対する抑止力となり得る。
ウクライナに勝利と自由を。
プーチンに敗北と屈辱を。
それこそ、今次ロシアのウクライナ侵略に対する、「望ましい結果」である。「ウクライナの核共有(核シェアリング)(議論)」は、その一助となる可能性があり、故に大いに検討し、議論すべきである。
- <注記>
- (*1) 東西冷戦時には西ドイツ国内に米軍が保管していた。