• 早い話が、自己陶酔-【東洋経済】日本の「反ワクチン運動」がどうも異質に見える訳 同じ世界観にのめり込む享楽こそが至上の価値

 下掲東洋経済記事の転載元へ、一度行って同記事に掲載された「反ワクチンデモ」の写真を是非御覧頂きたい。何しろ、No!ワクチン!」と「No!憲法改正!」を、同時に掲げてデモしている写真だ。それも、デモの先頭で、らしいから、「正気を疑う」レベルだろう。
 そりゃその二つの主張が同一人物に「同居」しても別に「自己矛盾を抱え込む」事にはなるまい(*1)が、何だって「反ワクチン」デモで「憲法擁護」を訴えなければならないんだ?そのデモの主催者参加者は皆「反ワクチン兼憲法擁護デモ」と承知していたとしても、その二つの主張を同時並列に掲げてしまえるのは、「憲法変えちゃぁいけない」教徒ぐらいだろう。平たく言うと「気違い」だ。
 「No!マスクで免疫力UP!(*2)」って根拠不明なスローガンも掲げられている。そりゃ「No!ワクチン」との親和性・類似性は「No!憲法改正!」よりは高そうではあるが、全く根拠不明であり、「異質」と言うよりは「狂気」だろう。

 以上の通り、「反ワクチンデモの写真一枚」からでも、「日本の反ワクチン運動の”異質”さ」は、十分伝わってくるが、下掲記事はその「異質さ」を分析して見せている。
 

  • <注記>
  • (*1) 序でに書けば、神ならぬ身の定命の者たる人は、大抵矛盾した存在であり、「自己矛盾を抱えて」も、「即座にアウト」ではない。 
  •  
  • (*2) 武漢肺炎禍以前は、大抵の人が「Noマスク」状態であった訳だが、その状態で「免疫力アップ」していたのかね?逆に今は、大抵の人がマスクを着用しているから、「殆どの人は免疫力低下している」筈だが、そんな話は欠片も聞いたことがない。
  •  否寧ろ、特に武漢肺炎流行初期の頃は、マスクについて「いかなる条件でも防疫上推奨しない」とか「マスクをしない自由」とかの主張が欧米諸国を中心に相応にあり、「マスクが普及している日本」を異端視するばかりの勢いだったのが、今ではその欧米諸国の方が日本なんかより余程酷い武漢肺炎禍下にあり、「マスクの防疫上の有用性」は「グローバルスタンダード」というと大袈裟だが、「世界的に衆目の一致するところとなった」感はあろう。
  •  ッてぇか・・・武漢肺炎以前から、花粉症などである程度マスクが普及・公認されていた我が国で、「No!マスクで免疫力UP!」って主張は、確かにかなり「異質」である。
  •  あ、「免疫力アップ」したら、アレルギー症状は悪化しそうだから、ヒョッとして「花粉症の症状緩和には、マスクが有効」って事象から、「マスクで免疫力低下」と短絡思考=直結させた、のだろうか。
  •  だとしたら、その発想・着想は、多とすべきも知れないな。
  •  無論、実際の事象が、「マスクによって花粉の吸引量が減ることが、アレルギー症状を緩和している。」であるのには、一寸疑義の余地が無いが。 


 

  • 【東洋経済】日本の「反ワクチン運動」がどうも異質に見える訳

  •  同じ世界観にのめり込む享楽こそが至上の価値

 

 

 

   https://toyokeizai.net/articles/-/507354

 

真鍋 厚 : 評論家、著述家 

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2022/01/29 5:40

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1月23日に東京・渋谷で行われていた反ワクチンデモ(写真:Yusuke Harada/NurPhoto/共同通信)

 

【】 1月23日に反ワクチンやノーマスクを訴えるデモが東京、大阪などの大都市圏を中心に全国各地で開催された。東京では前日の22日に新型コロナウイルスの感染者数が初めて1日あたり1万人を超え、過去最多になったことが報じられた直後。前々日にはまん延防止等重点措置が16都県に適用されたばかりで、オミクロン株の流行による急速な感染拡大が続く状況下であったが、行進した人々はマスクを付けずに「ワクチン反対」「日本の未来の子どもが殺されている」などと叫んだ。関係者によると、東京だけでも1000人程度が集まったとみられる。

 

【】 このような反ワクチンデモは世界中で先鋭化している。フランスでは、1月8日、新型コロナウイルスのワクチン接種を義務化する政府法案に抗議するデモが各地で行われ、政府側の推計でおよそ10万人が参加。ドイツでも、現在の医療従事者らのみという接種義務の対象が広がる可能性が高まったことから、昨年末から特に一部の州で抗議デモがエスカレート。接種反対派による政治家の殺害計画が明るみになり、警察当局が武器を押収するなど、過激化が懸念される事態になっている。

 

【】 日本のワクチン接種に法的拘束力はない

日本のデモと同日、EU本部のあるベルギーでは、ワクチンパスポートなどの規制に対する抗議デモが行われ、警察推計でおよそ5万人が参加。デモ隊の一部が暴徒化し、逮捕者も続出した。BBCによれば、昨年11月中旬以降、オーストリア、クロアチア、イタリア、デンマークでも、ワクチン接種の義務化や「グリーンパス」の要求をめぐって国民の間で不満が噴出しており、大規模な抗議デモが起こっているという(欧州各地で大規模デモ、新型ウイルスの規制強化に反発/2021年11月22日/BBC)。今回の日本のデモは、これらの動きに合わせた世界同時デモという側面もあるようだ。

 

【】 しかし日本のワクチン接種の現状は、あくまで任意であり、予防接種法9条に明記されているとおり「努力義務」にすぎず法的拘束力はない。接種証明か陰性証明で行動制限を緩和する「ワクチン・検査パッケージ」も一時停止した。

 

【】 欧州の抗議デモは接種義務化への強い反発が根幹にある。ディスインフォメーション(故意に流された偽情報)に基づく陰謀論の影響も小さくはないが、公衆衛生の観点から自由と人権が抑圧されることへの怒りが主な原動力になっている。

 

片や、日本においてはどうも趣が異なっている。「感染拡大はデマ」「ワクチンは毒物」などのプラカードが目を引くだけでなく、ドナルド・トランプ元米大統領らを善なる人々と崇拝し、光と闇といった対立軸を強調する組織が主導するなど陰謀論的な世界観が強く打ち出されている。

 

社会不安と孤独感の増大を一気に解消できる

【】 結論を先取りすると、被害妄想が渦巻く陰謀論に刺激された反ワクチンなどの抗議デモは、コロナ禍で進んだ社会不安と孤独感の増大を一挙に解消できるものとして強力なポテンシャルを持っており、社会心理学者のダニエル・ジョリーが言うように、不全感や社会的な排除に対する「完璧な解毒剤」として機能する(Why the Pandemic is Turning So Many People into Conspiracy Theorists/2020年5月12日/DISCOVER)。

 

【】 人々が強い目的意識に促されて運動化・組織化することで連帯と大義を失った現代社会において架空の敵と戦う勇者や戦士を作り出し、人々の命を守る崇高なミッションを担う壮大な物語の一部になれるという希望を与える。もはや数多の学者が口を酸っぱくして語る事実の検証などはどうでもよく、共通の世界観にのめり込むことで得られる享楽こそが至上の価値となるのだ。

 

【】 わたしたちがまず基本的な前提として押さえなければならないのは、反ワクチンが少数の発信者とビッグテックを儲けさせる成長産業になっていることだ。

 

【】 昨年NGO「デジタルヘイト対抗センター(CCDH)」が発表したレポートによると、反ワクチン業界は、12人の主要な反ワクチンインフルエンサーが情報を拡散することで、少なくとも年間3600万ドル(約41億円)の収益を上げており、数百人規模の雇用が生まれている。SNS等で全体では6200万人のフォロワーを擁しており、最大11億ドル(約1250億円)の経済価値があるという(The Disinformation Dozen/CCDH)。これはワクチンをめぐって玉石混淆に入り乱れる情報戦の暗黒面といえ、個々の不安に巧妙に付け込んだ国際的な偽情報ビジネスなのだ。

 

【】 コロナ禍では、日常的に孤独を感じる人々が増え、人としての尊厳が確保しづらくなった事情も大いに関係している。

 

【】 経済学者のノリーナ・ハーツは、孤独の定義を単に他者とのコミュニケーションの質だけではなく、内面的な状態や、社会的・政治的に疎外されている感覚も含まれるとし、世界各地でポピュリズム政党が躍進する一因になっていると述べた(『THE LONELY CENTURY?なぜ私たちは「孤独」なのか』藤原朝子訳、ダイヤモンド社)。なぜなら「自分が疎外され、無視されていると感じているとき、誰かが『あなたの姿が見えるし、声が聞こえる』と言ってくれたら、その約束に魅力を感じるのは無理もない」(同上)からだ。

 

疎外感の解消、コミュニティーへの切実な要求が充足

【】 これは陰謀論で結び付くネットワークでも同様のメカニズムが作動している。そこでは所属感、居場所、デモや集会などの集団行動による同調性が心理的なストレスを低減させ、安心感をもたらす。とりわけシュプレヒコールや本音で長時間会話ができる機会は、自尊感情を回復させ精神的な高揚を引き起こす。

 

【】 前出のジョリーが言う「完璧な解毒剤」は、ワクチンによる副反応など健康被害に関する情報の収集を契機に、コロナ自体が虚構でありワクチンが生物兵器であるという言説に真実味を感じ、自分たちの身に差し迫った危機を見いだした者たちの同志的なつながりが構築されることで実現される。疎外感の解消、コミュニティーへの切実な欲求が反ワクチンというイデオロギーを介して充足されたとみることもできるだろう。

 

【】 ここに特定の政治勢力の草刈場となる余地も生じる。例えば、欧州では極右政党がコロナ関連の規制強化に反対し、政府に不信感を持つ層から支持を集めた例もある。ドイツでは、反ワクチンを掲げる新党「ドイツ草の根民主党(略称: dieBasis)」が誕生した。

 

【】 もう1つの取り込まれ先として危惧されるのは宗教だ。これは特定の団体にとどまらず世俗ではない次元で自らの精神性のステージを上げる思想傾向を指す。

 

【】 ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ客員研究員で陰謀論研究者のロブ・ブラザートンは、架空の敵と戦う勇者という自画像ゆえに陰謀論は論破できないと看破した。

 

【】 陰謀論支持者の世界観では、世界は白と黒で塗り分けられている――巨大な陰謀と戦っている勇敢な陰謀論者が描く、漫画のような肖像画だ。だが、現実はグレーの影だ。陰謀論は、架空の陰謀家という生贄をつくることで、現実的で修正可能な問題から人々の注意をそらす。存在しない陰謀と戦っている。だから、あなたは陰謀論に勝てないのだ。(『賢い人ほど騙される?心と脳に仕掛けられた「落とし穴」のすべて』中村千波訳、ダイヤモンド社)

この世界を白と黒に塗り分け、つねに戦いが繰り広げられている世界観は、新宗教の教団にも馴染みがある神智学的な善と悪の秘密結社の闘争に近い。宗教学者の大田俊寛は、その世界観について「人類の進化全体は、『大師』『大霊』『天使』等と呼ばれる高位の霊格によって管理・統括されており、こうした高級霊たちは、秘された場所で秘密結社を形成している。

 

架空の敵でも壮大な物語の一部になって

【】 他方、その働きを妨害しようと目論む悪しき低級霊たちが存在し、彼らもまた秘密の団体を結成している」と捉えるとし、前者は霊的進化、後者は物質的進化を重視するとした(『現代オカルトの根源?霊性進化論の光と闇』ちくま新書)。

 

【】 地域共同体が衰退し、社会経済的な格差が広がり、仕事と生活がより不安定でより不確実なものに変わり、すべてがコントロール不可能な悪夢に思えてくる……コロナ禍はその傾向を推し進めた。そんな時、気高い精神性をまとった白と黒に塗り分けられた世界観への没入は、世界の不条理に対する自律性を取り戻せるかのごとき幻想を抱かせる。

 

【】 わかりやすく言えば、実際には存在しないコロナをでっち上げた勢力が、自分たちの実存を脅かす危険の化身となる。そのため、(ワクチンも含む)コロナにまつわるすべての企みに抵抗することで、自らの運命を良いほうに変化させることができると考えるのだ。例え架空の敵であっても連帯と大義という現代社会から漂白された熱狂に火をつけ、人々の命を守るという重大なミッションを引き受ける気概を醸成し、壮大な物語の一部になることで人生が生き生きとしてくるのである。

 

【】 仮に、ワクチンの安全性を論じるならば、厚生労働省が昨年12月の時点で延べ290人に対しワクチンによる健康被害の救済認定を行ったが、その妥当性について海外の状況とも比較しながらより詳細な実態の把握を政府に求めるのが筋だ。

 

【】 また、子どもの接種の必要性に関しても国会で議論するよう政治家に圧力をかけるべきだが、ブラザートンが述べたように陰謀論支持者は(闇の政府による人口削減計画といった)「架空の陰謀家という生贄をつくることで、現実的で修正可能な問題から人々の注意をそらす」方向に仕向ける。

 

【】 そうなると根気強い市民活動などが必要になる事実の検証などはどうでもよく、ただ同じ世界観にのめり込むことで得られる享楽こそが至上の価値となってしまう。確かに、社会運動ですら当初達成が目指されていた目的が後退し、運動そのものの充実感だけを追い求めるようになることがある。

 

【】 自他をリスクにさらすような暴走に発展する恐れも

わたしたちは、コロナ禍を通じて、真偽を問わず敵を確定したい誘惑に抗いづらくなっている。現実の社会における課題は、その解決プロセスも含めて、往々にして退屈でつまらないものだからだ。団結という強力な麻薬に対する免疫が弱まっている。バラバラになった人々の心を容易に結び付けるのは、今やパニックを誘発する恐怖でしかない。

 

【】 人類が絶えず虚構によって駆動され、集合によって歓喜してきた歴史を踏まえれば、これも危機的状況に対する正常な反応の一種ともいえるが、自他を不必要なリスクにさらすような暴走に発展する恐れもある。これは自粛警察や感染者叩き、ワクチン未接種者への差別などにも当てはまる構図だ。しかし、間もなく2年を迎えるコロナ禍において、心の平安を保つことができること自体がぜいたくな代物になっている現状では、これらの誘惑に打ち克つことは相当に困難であることも肝に銘じなければならない。

 

 

  • それで、「憲法変えちゃぁいけない教」って「宗教に取り込まれた」のが、日本の「反ワクチン運動(の一部?)」って訳だ。

 少なくとも、前述の上掲写真は明らかに、反ワクチン」と「改憲反対」の融合を示しており、その二つを「同時並列的に掲げてのデモ」って時点で「憲法変えちゃぁいけない教徒」と断定できそうなレベルだろう。

 まあ、立憲民主党も日本共産党も(序でに、憲法学者の大半も)、私(ZERO)に言わせれば「憲法変えちゃぁいけない教徒」であるから、日本では、反ワクチン運動が、立憲民主党ないし共産党の様な“政党”に牛耳られている」とも、推定できる。

 上掲記事も、その掲載写真も、共になかなか「味わい深い」記事であるな。

 上掲記事は、「人が如何にして反ワクチン運動にのめり込むか」を縷々解説して見せている。確かに「如何にもありそうなこと」であり、一定の説得力を持つ。が、同時に(少なくとも民主主義体制国家では「在ってはならないこと」でもある。
 何故「在ってはならない」かと言うと、それは(タイトルにした通り)自己陶酔であり、思考停止であるから、だ。而して、民主主義体制に於いては(少なくともある程度)「国民が主権者」なのであるから、その主権者たる国民が「自己陶酔や思考停止に陥る」事は、国家的危機である。

 言い替えるならば、民主主義国家に於ける国民は、自己陶酔や思考停止等という「贅沢」は、基本的に「許されない」のであり、「許すべきでは無い」のである。

 況んや、その自己陶酔・思考停止を利用されて、特定の宗教なり政党なりに取り込まれるなんてのは、論外なのである。

 無論、多様多彩であるべき「民主主義国家に於ける国民」の中には、ある程度「自己陶酔・思考停止に陥って、宗教や政党に取り込まれる」者が「ある」のは不可避であろう。だが左様な間抜けなオッチョコチョイの「非国民」は、極少数派に止めなければならず、それを可能とすべきなのは「民主主義国家に於ける国民自身の自覚」なのである。