• 常軌を逸した管首相退陣表明批判-【毎日社説】コロナ下の首相交代 対策の空白は許されない 

 下掲毎日社説の見出しを見たときには、正直、呆れたな。何しろ今般の管首相退陣は、「党首としての任期満了による首相交代(&首相退陣)」なのである。「これ以上理に適い筋の通った首相退陣」ってのは、想像することすら難しい。その管首相退陣を「対策の空白」と批判非難するのであれば、「管首相がその自民党党首任期無視して、首相の座にあり続ける」しか、私(ZERO)にはその非難批判に対する対処・対応が想像出来なかった。
 
 毎日新聞が、管首相の(その自民党党首任期を無視しての)首相続投を主張する」ってのは、俄には信じがたい。そりゃ「自民党党首の任期」は自民党の党規で決まっていて、法律や憲法で決まっている訳では無い。「自民党党首任期を無視」したところで、党規違反なだけで、違法でも違憲でも無い。が・・・相当無理のある主張だ。

 コレが「ハナっから党首の任期なんて決めていない」共産党や立民党ならいざ知らず相応に歴史もあれば(*1)、政権与党という結構な立場にある自民党の党規を、そうそう無視して良いモノではあるまい。

 一体、何を言い出したのか、と思ったら・・・まあ、非道いもんだった。
 

  • <注記>

  • (*1) 歴史というならば、もうすぐ結党100年という日本共産党は「日本最古の政党」である筈だが。

  •  つまり結党以来100年間、党首の任期を決めないまま来ている、訳だ。 一方立民党は、「党の新しさ」では日本屈指である。が・・・・仮に立民党が100年存続したとしたら、やっぱり「党首の任期は定めない」公算が、相当にありそうだな。 


 

【毎日社説】コロナ下の首相交代 対策の空白は許されない

 

【毎日社説】コロナ下の首相交代 対策の空白は許されない

コロナ下の首相交代 対策の空白は許されない

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2021/9/7 東京朝刊 English version 825文字

 

【1】 新型コロナウイルスの感染「第5波」のさなかに、菅義偉首相が辞意を表明した。新首相が就任するのは約1カ月後になる。

 

【2】 全国の重症者数は過去最多の水準が続き、東京都など首都圏を中心に、病床が逼迫(ひっぱく)している。対策に空白が生じることがあってはならない。

 

 

【3】 首相は1年前の就任当初から、感染対策よりも経済活動を重視する傾向が強かった。

 

【4】 肝煎りの旅行需要喚起策「GoToトラベル」の推進にこだわり、感染の急拡大を食い止められず、2度目の緊急事態宣言の発令に追い込まれた。

 

【5】 感染者数が十分に減少するのを待たずに宣言を解除し、感染の再拡大を招いた。

 

【6】 ワクチン頼みが行き過ぎた結果、その後もバランスの取れた対応ができなかった。

 

【7】 重症化リスクの高い高齢者への接種を7月末までに完了するという目標を掲げる一方、医療体制の拡充は不十分だった。そのため、自宅療養中に容体が悪化しても入院できず、亡くなるケースが後を絶たない。

 

 

【8】 科学的な知見を政策に適切に反映しようとする姿勢もうかがえなかった。

 

【9】 専門家は、感染力の強い「デルタ株」の拡大を抑えなければ重症者が増えると警告していた。にもかかわらず東京オリンピック・パラリンピックの開催を推し進め、有効な対策を打たなかった。

 

【10】 専門家による分科会が行動制限の緩和策を提言したのも、政府の要請を受けたものだ。ワクチン接種の進展を見込み、経済活動の促進に前のめりになっている。

 

 

【11】 背景には、「(収束に向けた)明かりははっきりと見え始めている」という首相の楽観的な現状認識がある。だが、医療の専門家からは、今のタイミングでの緩和策の提示は気の緩みにつながりかねないという批判が相次いだ。

 

【12】 第5波の収束に注力すべき時だ。政府と都道府県が連携し、臨時病床と医療従事者の確保に全力を挙げることが重要だ。地域の診療所などが自宅療養の人に対応する体制の整備も、同時に進めなければならない。

 

【13】 切れ目のない対策で、命を守る政治こそが求められている。

 

  • 一読ぐらいでは「兎に角、非難して居る」ぐらいしか、判らなかった

 その「一読ぐらいでの判りにくさ」は、読み終わった途端に思わず失笑してしまう程。冒頭でタイトルにもある対策の空白は許さないが繰り返されるが、管首相は自民党党首任期を無視して首相を続けろ」という主張では無い事は、一読目で理解できた。が・・・じゃぁ、管首相や次の首相に何を求めているのか?」は、一読ぐらいではサッパリ判らなかった。まあ、ロジックというか論理構成というか、「主張・論理の筋道」が余りにも私(ZERO)とはかけ離れ、乖離していたのだろうな。


 全体としては2,3センテンスで1パラグラフのかなり短いパラグラフの集合。尚且つそんな「判りにくさ」の中での一読でも、【パラグラフ8】~【パラグラフ9】では政府は、専門家の言うことを聞くべきだったと専門家を持ち上げて政府を非難しながら、続く【パラグラフ10】ではその専門家が出した「行動制限規制緩和の提言」を「政府の意向を受けたモノだ」として、「この提言を政府が受け入れた」=「政府が専門家の意見を聞いた」事を非難している。コレは、「明らかに矛盾する」とまでは言えないが、相当に違和感を与える齟齬であり、有り体に言えば二重基準だろう。


 政府の打ち出した「Go To トラベル」や五輪・パラ開催を「感染者数増加」と直結させて、コレも政府非難しているが、そのように直結させた理由・根拠は全く触れてすら居ない。多分、「毎日新聞社内では共通の認識であり、常識」なのだろうが、そんな「常識」は私(ZERO)には無いから、益々「判りにくく」なっている。

 一言で言うならば独りよがりの駄文悪文。コレで「売り物」だと思うと、「そりゃ、新聞が売れなくなる訳だよな。」との思いがより強くなる。

 が、「森羅万象、皆我が師」たり得るのだから、異論・異説は己が「思考の地平線」を拡張・拡大する機会となる、事がありうる。気を取り直して、再読することにした。

 再読して、漸く「管首相ないし次期新首相に求めていること」が【パラグラフ12】に羅列されていることを発見・理解した・・・ん・だ・が・・・「求めていること」は①「第5波収束への注力」と②「治療体制の強化で、②の中身が②A「臨時病床の確保」②B「医療従事者の確保」②C「地域の診療所などの自宅療養者への対応と、実に「盛りだくさん」な、訳だ。


 一見、尤もらしいことが並んでいる。反対するって人は少なそうだ・・・私(ZERO)のような「チョイと斜に構えた者」ぐらい、だろうな。


 有り体に言って、上記①「収束への注力」と上記②(②A~②C)「治療体制の強化」は、相反的である。上記①「収束への注力」は、上掲毎日社説では何故か「偏重」と非難されている「ワクチン接種率向上」がメインとなる。ロックダウン、鎖国、人流抑止、戒厳令なども「収束への注力」だろうが、それらは(これまた上掲毎日社説では「政府が偏重した」と非難している)経済的視点からは好ましくない。

 

 で、ワクチン接種には、当然ながら医療リソースが必要なのであり、上記②「治療体制の強化」とでは、少なくともある程度「医療リソースの奪い合い」になる。従って上記①「収束への注力」と上記②(②A~②C)「治療体制の強化」は、相反的である。
 

 故に、上記①と②を同時に同列に「要求する」ってのは、随分と「勝手な主張」である・・・まあ、毎日新聞に限らず、マスコミの「勝手な主張」は、今に始まったことではない(*1)が。

 先述の(而して、二読目でもやっぱり鼻につく)「”Go To トラベル”や五輪・パラ開催と”感染者数増加”との直結」もまた、「勝手な主張」の一変形と言える。この「直結」が意味するところは、「”Go To トラベル”や五輪・パラ開催が無かったならば、武漢肺炎禍はとっくに収束してたという主張ないし「無意識の前提条件」である。あるいは、管政権の武漢肺炎対策は、尽く間違っていたとする主張ないし「無意識の前提条件」とも、言えそうだ。「感染対策よりも経済重視」【パラグラフ3】や、先述の「専門家の意見無視=科学的知見に基づかない政策」【パラグラフ8~9】と言うのも、同根のように思われる。


 で、まあ、この「管政権の武漢肺炎禍対策に対する評価」ってのが、彼我の「目も眩むばかりのギャップ」の根底を成している、様に思われる。

 先ず第一に「政府の打ち出す武漢肺炎禍対策」と「専門家が提言する武漢肺炎禍対策」には、乖離やギャップがあるのは当たり前で、ひょっとすると矛盾さえするかも知れない、と言う点を、指摘しなければなるまい。何故ならば専門家は、専門家として、「防疫の観点からだけ提言すれば良い」立場であるが、政府の取る政策は「防疫の観点からだけで決定して良い」とは限らないのである。上掲毎日社説は、管政権の「経済重視」を非難批判しているが、「経済的視点を持たない政府」なんてのは、問題外というモノである。
 
 で、第二に、成功失敗は兎も角現状の武漢肺炎感染状態が「管政権による武漢肺炎禍対策の結果である」と言うのはある意味「免れようのない事実」としても、ではこの現状を、(”Go To トラベル”は置くとしても)「五輪・パラ開催の結果」とするのは、少なくとも因果関係の検証が必要であろう。往々にして忘れられてしまうのだが、時系列の順番は、因果関係とは限らない。因果関係の「因」は「果」よりも時系列的に先にあるのが当然であるが、「時系列的に先にある」から「果に対する因である」とは、限らない。
 

 今回の五輪・パラ開催は、不備や不十分な点もそりゃあったろうが、原則無観客とするなどして相応の対策を講じて開催された。開催中の選手村で武漢肺炎感染者が発生したのは事実だが「そこから日本国内へ蔓延した」と考える理由・根拠は、何も無い。とてもじゃないが、上掲毎日新聞社説のように五輪・パラ開催を「その後の日本国内での感染者数増加」と「直結させる」事なぞ、出来ないのである。

 で、第三に、仮に「日本国内での感染者数増加」の原因が五輪・パラ開催に全面的にあったとして、だ。「五輪・パラ開催中止していれば、我が国の武漢肺炎感染者数・重症者数・死者数は激減していた。」として、だ。その「差分」即ち「武漢肺炎感染者数・重症者数・死者数」は、「五輪・パラ開催に、価しない」ものだろうか?

 「人命は地球より重い」なんて寝言だか建前だかからすれば、「唯一人の武漢肺炎死者であっても、五輪・パラ開催に引き換えにして良いモノでは無い!」と言えるだろう。
 
 だが、私(ZERO)はそんな寝言や建前なんぞ歯牙にもかけない。東京五輪は開催され、地元開催の意地もあってか日本五輪史上希に見る選手達の活躍とメダル数を実現した。東京パラリンピックも、前回のリオでは金メダルを一つも取れなかったのが嘘のような健闘ぶりが見られた。
 無論、メダルだけでは無い。数々の名勝負、名シーンを現実のモノと出来たのは、東京五輪・パラを、武漢肺炎禍下という未曾有の災厄下でも敢行し、開催したから、だ。

 これら東京五輪・パラのメダルや名勝負や名シーンで、現行の「武漢肺炎感染者数・重症者数・死者数」なんぞ、「充分に釣りが来る」と、私(ZERO)は断言する。

 以上、3つの観点から、私(ZERO)は、「管政権の武漢波炎対策は、そりゃ改善点や反省点はあるだろうが、大失敗はしていないし、寧ろ成功している。と断定出来る。

 なればこそ、上掲毎日新聞社説との間の「目も眩むばかりのギャップ」なのである。が・・・上掲毎日社説の「奇っ怪さ」は、そんな「彼我の管政権武漢肺炎対策に対する評価」だけでは、説明が付かない。何故ならば、上掲毎日社説はかくまでに管政権の武漢肺炎禍対策を非難」しながら・・・タイトルにも最終パラグラフにもある通り対策の空白は許されない」とし、「切れ目のない対策」を求めているのである。切れ目のない対策を求める」以上は、現時点・現状の対策を、幾らかでも肯定している、筈である。「対策の見直しや変更」では無く「切れ目のない対策」という以上は「現時点・現状の対策の少なくとも一部は維持継続される」筈なのだから。

 そのくせ、前述の通り「新首相に求める」ことは上記①「収束への注力」と上記②(②A~②C)「治療体制の強化」である。少なくとも上記①「収束への注力」が、程度緩急の多少はあれど、「政策として継続される」事には、一寸疑いの余地がないんだが。無論、現時点でも、その過不足には議論の余地はあるが、実施実現されている。

 ッてぇか、「ワクチン摂取率の急速向上」って点で、管政権の功績は世界的にも類を見ないモノの筈だが、上掲毎日社説ではそんなことは触れない、どころかワクチン頼み」【パラグラフ6】と非難すらされている。「管首相のワクチン頼みが、自宅療養者対応の不備を招いた」ってロジック、らしいんだが・・・それって正しく上記①「第5波収束への注力」と上記②「治療体制強化」と言う、上掲毎日社説が新首相に求めている「切れ目の無い政策」二点の間の「医療リソースの奪い合い」の事例じゃぁ無いか。こりゃ「ブーメラン」ってヤツだな。

 これほど短絡思考と自己撞着と矛盾に満ち溢れたた主張を、「毎日新聞の社説でござい」と、よくもまあ売り物に出来たモノだな。ある意味、感心するね。

 

  • <注記>
  • (*1) 「太陽光や風力を原発の代わりにして、クリーンな発電を!」なんてのも、マスコミ得意の「勝手な主張」の一つだ。