• 通商破壊と戦略爆撃も教育すべきだ。ー【沖縄タイムス社説】[対馬丸撃沈77年]次代に伝える責任負う

 言うまでも無かろうが、私(ZERO)は「殆ど産まれながらの右翼」である。それ故に、と言うばかりでは無いが、所謂「平和教育」なるモノを、全くと言って良いぐらいに信用していない。左様なモノが「平和に資する」可能性も、そりゃ「無いとは言い切れない」かも知れないが、全く当てには出来ない。大抵は有害無益で、時間の無駄だ、と思っている。

 そんな私(ZERO)の「偏見」を、下掲沖縄タイム社説は更に補強助長してくれている、様だ。

  • 【沖縄タイムス社説】[対馬丸撃沈77年]次代に伝える責任負う

2021年8月22日 08:04

 

 集団疎開の学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから、きょうで77年となる。

 

 今年の慰霊祭は、新型コロナウイルスが猛威を振るい、国の緊急事態宣言が出される中で迎えた。一般参列が初めて中止になり、旧盆を前に18日、那覇市若狭の慰霊碑「小桜の塔」で関係者十数人だけで開かれた。

 

 やはりコロナ対策で規模が縮小された昨年の慰霊祭と比べても少人数の開催となった。

 

 かつてない事態だ。

 

 学童の足跡を通して平和が学べる対馬丸記念館もコロナ禍で来館者が激減し、厳しい状況が続いている。

 

 遭難した学童の父母らを対象にした国の特別支出金制度は、最後の対象者が今年3月に亡くなり事業が終了した。つまり親の世代がいなくなったことを意味する。77年という歳月の長さをひしひしと感じる。

 

 わが子を送り出した親たちは、乗船させたことを悔やみ、戦後も自責の念に苦しみ続けた。最期まで癒えることのなかった苦悩はいかばかりだろう。

 

 長引くコロナ禍と、学童の親の世代の不在は、対馬丸の悲劇の継承が難しさを増していることを示している。

 

 それでも犠牲者を悼み、平和を願う祈りに変わりはない。

 

 対馬丸記念会の高良政勝理事長は「慰霊祭を行うことが戦争の悲劇を後世に伝えることに役立つ」と思いを語った。

 

■    ■

 

 対馬丸は1944年8月21日、那覇港から長崎へ向け出航した。翌22日夜、鹿児島県トカラ列島の悪石島沖で魚雷攻撃を受け沈没した。

 

 那覇市の照屋恒さん(81)は当時4歳。一緒に船に乗った母と姉を亡くした。語り部として活動して約10年になる。

 

 照屋さんは「生き残った子」として見られるのが嫌で長年、対馬丸について語るのを避けていた。活動を始めたのは体験者の高齢化が進み、証言者が少なくなってきたからだという。 

 

 生存者も、一緒に乗船した家族や友人、教え子を亡くし悲しみを抱えて生きてきた。それでも自分たちが伝えなければ、と活動してきた語り部の言葉には重みがある。

 

 一方、次世代が「バトン」を受け継ぐ動きも見られる。

 

 6月には、対馬丸で家族を亡くした祖父の体験を、孫が中学校で講話し、生徒たちに命の尊さを伝えた。このような活動にも注目したい。

 

■    ■

 

 対馬丸の犠牲者は氏名が判明しただけで1484人。そのうち学童は半数超の784人に上る。

 

 暗い海にのみ込まれ、あるいは漂流中に衰弱するなどして、命を失った子どもたちを思うと胸が締め付けられる。

 

 ひとたび戦争が起きれば、弱者である子どもたちが巻き込まれ犠牲になることを象徴する悲劇だ。

 

 対馬丸撃沈の後、沖縄は10・10空襲、悲惨な地上戦へと続いていく。今を生きる私たちは、過ちが繰り返されないためにも実相を学び、次代に伝える責任がある。

 

 

  • 違うな。間違っている。「弱者である子供達が巻き込まれた」のではない。通商破壊や戦略爆撃は、正にその「弱者を攻撃目標として、意図的に攻撃する」のである。

 その意味では、当該沖縄タイムス社説を書いた(恐らくは、戦後平和教育をタップリと受けた)記者自身が「戦争の非情さ、悲惨さ」を、全くと言って良いぐらいに「理解していない」のである。「戦争は悲劇だ!悲惨だ!イヤなモノだ!!」ってだけで思考停止しているから、こんな浪花節全開お涙頂戴で論理もヘッタクレも無い駄文を社説ととして、繰り返す、沖縄タイムス紙の公式公的な主張である社説として、公開し、販売まで、出来てしまうのである。ま、買う奴も買う奴だ、とは思うがね。
 
 別に、浪花節全開お涙頂戴で論理もヘッタクレも無い駄文を社説ととしているのは、沖縄タイムスの勝手である。それに共感共鳴する読者ってのも、屹度居るのだろう。

 問題は、左様な駄文を社説として掲げる沖縄タイムスも、その駄文に共感共鳴する読者も、「平和に資する」なんて事は、全くと言って良いぐらいに「無い」事である。かかる駄文も、その駄文に対する共感共鳴も、自己満足の自己陶酔以外の何かになることなんぞ、滅多に無い。幾ら「対馬丸の悲劇」を語り継ごうが、出来るのは精々が軍事忌避感情や厭戦気分の醸造ぐらい。十中八九「利敵行為」ぐらいにしかならない。

 タイトルで触れた通商破壊とは、軍艦・海軍艦艇では無く、商船・輸送船・客船を目標として攻撃し、敵国の通商を途絶させることを目的とする戦法であり、その攻撃目標の相当部分は民間船である。典型的なのは「無制限潜水艦作戦」であり、コレは「ある海域に侵入した艦船は無警告に無制限に攻撃する」作戦だ。
 上掲社説で「悲劇の主人公」とされている対馬丸も、先ず間違いなく通商破壊戦術の犠牲である。米潜水艦は「疎開中の学童を狙った」訳では無いかも知れないが、間違いなく「対馬丸を狙った」のである。従って、章題にした通り、「弱者である子供達が巻き込まれた」と言うのは、、根本からして誤った認識である。

 通商破壊とは、「弱者を狙い、攻撃する」戦法に他ならないのだから。

 もう一つタイトルで触れた戦略爆撃とは、部隊や軍艦・軍用車両や前線基地を爆撃する「戦術爆撃」に対する対語であり、敵国本土の都市や工場などの生産設備、果ては住宅地や住民を爆撃する戦術である。「恐怖爆撃」などと称されるのは、戦略爆撃の一面・一環である。我が国が大東亜戦争中に、米軍のB-29爆撃機で再三やられた手であり、広島・長崎に対する核攻撃=原爆投下もまた、戦略爆撃の一環である。当然ながら「軍人・兵士よりも女・子供を含む民間人を攻撃する」のが戦略爆撃であり、やはり「弱者を狙い、攻撃する」戦法だ。

 斯様な非情非道な手段が「勝つために」取られることがあるのが、戦争だ。左様なことも伝えないで、ナニが「対馬丸の悲劇を伝える」だ。ちゃんちゃら可笑しいや。

 戦争を、「悲劇だ、悲惨だ」と嘆き、それを「後世に伝える」だけで「戦争を防ぎ、平和に資する」と考えて居る奴ぁ、相当な大間抜けだ。有り体に言って、通商破壊や戦略爆撃、毒ガス攻撃から核攻撃まで、大凡「勝つためには大抵のことが実施され、その悲惨さや悲劇は無視される」のが戦争であり、対馬丸や広島・長崎に限らず、また大東亜戦争にも第2次大戦にも限らない。ああ、核攻撃以外は第1次大戦でも実施された事例であり、且つ欧米列強諸国は「第1次大戦の悲惨さ」をタップリと堪能したが、第2次大戦を「防げなかった」であろうが。

 上掲沖縄タイムス社説にそって言うならば、「対馬丸の悲劇を後世に伝える」のは結構だ。だが、その「悲惨さ」だけを伝えたところで、それだけでは「平和に資する」なんて事は、殆ど無いぞ。


 通商破壊戦術や、戦略爆などの、現実の戦争の非情さを併せて教える、べきなのである。