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新聞記者とは、気楽な稼業と、来たモンだ。-武漢肺炎「自宅療養」方針に対する朝日新聞等社説のお気楽ぶり
タイトルについては、解説の要があるだろう。このタイトルは、「サラリーマンは、気楽な稼業と、来たモンだ。」と言う、「ドント節」って歌の冒頭部分の捩り。ドント節は植木等が歌って、この歌を主題歌とした「サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ」なんてコメディ映画も作られた、そうだ。
「そうだ。」と言うのは、私(ZERO)は多分この映画の冒頭部分しか見て居らず、この映画のタイトルも、「ドント節」なんて歌の名も、今回調べて初めて知ったから。だがまあ、インパクト大なフレーズなので、覚えているし、何度か引用もしている。
サラリーマンが一般的に「気楽な稼業」であるかは議論が分かれそうだが、新聞記者がその記事や報道内容に比べて「気楽な稼業」であることは、先ず間違いなかろう。天変地異や事故事件、果ては戦争まで、記事にする内容に比べれば、「記事を書くだけ」の新聞記者稼業は、「気楽な稼業」とならざるを得まい。
コレが「社説を書く記者」となると、どうだろうか。どうも下掲各紙(アカ新聞各紙)社説を読み比べると、「新聞記者稼業の気楽さ」は、更に増大拡大しているように思われる。
題材となっているのは、日本政府が新たに打ち出した武漢肺炎治療に関する方針で、「入院の対象を重症者か重症化の恐れが高い人に限るとする方針」である。十分予想されることだが、まあ、アカ新聞どもは挙ってコレを批判非難している、訳だが・・・
☆①【朝日社説】入院方針転換 「自宅急変」に備え急げ
☆②【毎日社説】コロナの入院制限 患者切り捨てにならぬか
☆②-1【毎日社説】入院制限めぐる混乱 実態踏まえ仕切り直しを
☆③【東京社説】入院の制限 救える命守れるか
☆④【沖縄タイムス社説】[コロナ原則自宅療養]それで命が救えるのか
☆⑤【琉球新報社説】 政府コロナ新方針 入院制限で命守れるのか
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①【朝日社説】入院方針転換 「自宅急変」に備え急げ
2021年8月4日 5時00分
コロナ感染者が急増する地域では、入院の対象を重症者か重症化の恐れが高い人に限るとする方針を、政府が打ち出した。呼吸困難などを伴う中等症でも、リスクが高くない場合は自宅療養が基本となる。
重症者ら向けの病床を確保するためだという。限られた医療資源を、病状が厳しい人から割り当てていく考え方自体は理解できる。だが菅首相は先月30日の会見で、「ワクチン接種こそが決め手」と述べ、特段の言及はしていなかった。
わずか3日後に施策の大きな転換が打ち出され、驚き、戸惑う人は多いのではないか。判断に至った経緯と今後の取り組みについて、医療関係者や各自治体はもちろん、国民に丁寧に説明することが求められる。
コロナの特徴の一つに軽症と診断されても急速に悪化することがある。これまでは念のための入院や、看護師らが常駐するホテルなどでの療養が推奨されてきた。新方針の下ではこうした運用が難しくなる。重症化リスクが高いかどうかを見極めるのは容易でなく、判断を迫られる医療従事者の負担と責任がさらに増すことも予想される。
感染拡大が止まらない東京都では、自宅療養者が1万2千人以上おり、さらに8千を超す人々が「入院・療養調整中」として自宅に留め置かれている。
現在空いているとされるベッドや療養先を全て使ってもカバーできない数字で、医療提供体制は破綻(はたん)しかけていると言わざるを得ない。楽観論を振りまいてきた首相や小池百合子都知事の責任は重い。
大阪や東京では過去の流行で自宅療養を余儀なくされ、十分に目が行き届かないまま亡くなった感染者も少なくない。この先、同様の悲劇を引き起こさぬよう、政府は往診やオンライン診療を充実させ、症状悪化の際には速やかに入院させるというが、そのためには地域の開業医の協力、器材の調達、健康観察を行う要員の確保が不可欠だ。手配を急がねばならない。
首相は最近、「重症化リスクを減らす画期的な治療薬」として、特例承認された抗体カクテル療法にたびたび言及する。だがこれも、投与を受けられるのは当面入院患者に限られる。データの蓄積を急ぎ、外来や在宅でも利用できる環境を早期に整える必要がある。
政府は春以降、病床と療養施設の確保に取り組むと説明してきたが、実現できないまま現下の状況に至った。デルタ株の感染力の強さはかねて指摘されており、言い訳にはできない。
根拠なき楽観主義と場当たり的な対応と決別しなければ、事態は悪化するばかりだ。
②【毎日社説】コロナの入院制限 患者切り捨てにならぬか
朝刊政治面
毎日新聞 2021/8/4 東京朝刊 English version 829文字
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新型コロナウイルスの感染者が急増している地域で、入院治療の対象者を制限する方針を政府が示した。病床の逼迫(ひっぱく)が懸念されるため、方針を転換したという。
制限対象は中等症のうち重症化リスクが低い患者だ。呼吸困難でも酸素マスクを必要としないケースなどは、医師らの判断でこれまでの入院治療から自宅療養に切り替える。
より症状が重い患者のために病床を空けるのが目的というが、課題が多い。
陽性が確認された人の症状や基礎疾患をきちんと把握したうえで、保健所が入院か自宅かの判断をすることは容易ではない。すでに、感染者の状況把握に手が回らない所もあるという。
重症化リスクや感染者急増の判断は自治体任せになっており、全国知事会は具体的な基準を示すよう政府に求めている。
新型コロナは患者の容体が急変するケースがあることが特徴だ。感染拡大の第4波では、大阪府などで自宅療養中に亡くなる人が相次いだ。
症状悪化をすぐに把握できる体制が欠かせない。医師の往診やオンライン診療などで対応する方針だが、十分な人手の確保は見通せていない。
方針転換で病床使用率が見かけ上は下がったとしても厳しい実態は変わらない。医療体制を拡充しなければ、患者の「切り捨て」につながりかねない。
政府は重症化を防ぐ新薬を活用するというが、点滴投与のため在宅患者への使用は難しい。
専門家は、感染力の強い変異株の広がりで患者が急増する可能性を早くから指摘していたが、政府の対応は遅れた。方針転換に先立ち、厚生労働省に助言する専門家組織の意見も聞かなかった。
菅義偉首相は「国民の安全安心、命と健康を守るのは私の仕事だ」と繰り返してきた。だが、ワクチンに頼って楽観的な見通しをただそうとせず、医療体制の拡充を怠ったツケが回ってきているのではないか。
政府はまず、医療体制が逼迫していることを認めるべきだ。そのうえで、方針転換の目的と、解決すべき課題を国民に丁寧に説明しなければ、理解は得られない。
②-1【毎日社説】入院制限めぐる混乱 実態踏まえ仕切り直しを
朝刊政治面
毎日新聞 2021/8/5 東京朝刊 819文字
新型コロナウイルスの感染者が急増している地域で入院治療の対象者を制限する政府の新方針に与党内でも反発が広がっている。
入院制限の対象となるのは、中等症のうち重症化リスクが低い患者だ。だが、新型コロナは容体が急変する恐れがあり、患者の切り捨てになるのではないかという懸念が出ている。
衆院厚生労働委員会で、公明党議員は「酸素吸入が必要な中等症患者を自宅で診ることはあり得ない」と批判した。自民党からも撤回を求める声が出ている。
そもそも入院制限には、安心して自宅療養できる環境の整備が必須だ。
しかし、現状では往診やオンライン診療などの体制が整っているとは言えない。実態を踏まえて仕切り直すべきだ。
浮き彫りになったのは、菅義偉政権の独善的な政策決定過程だ。
まず問題なのは、専門家や医療現場の意見を聞かずに決めたことだ。政府分科会の尾身茂会長は国会で「この件は議論したことはない」と述べた。
病床の運用・管理について田村憲久厚労相は「政府が決める」と強弁した。新方針の発表翌日に、首相が日本医師会の代表らに協力を要請しただけだった。
だが、国民の生命に関わる重要な政策決定である。科学的な根拠や現場の意見を踏まえて下すべきものだ。
政府の唐突な方針転換にも疑問が残る。
先月30日に緊急事態宣言の対象地域を拡大した際、首相は記者会見で「ワクチン接種こそ決め手」と繰り返し、入院制限の可能性に全く触れていなかった。
ところが、そのわずか3日後に新方針が発表された。
田村氏は「先手で打ち出した」と説明する。しかし、感染力の強いデルタ株の脅威について、以前から専門家が警告していた。
政府による医療体制強化の取り組みが後手に回った上、緊急事態宣言下の感染防止対策も奏功しなかった結果、入院制限に追い込まれたのが実態ではないか。
コロナ対策には国民の協力が欠かせない。十分な説明がないまま迷走するようでは、現場の混乱と国民の不信を招くだけだ。
③【東京社説】入院の制限 救える命守れるか
2021年8月5日 06時54分
政府が、新型コロナウイルス感染者の入院対象を、重症者と重症化リスクの高い人に限定することを決めた。自宅療養が原則となる中等症患者でも、容体急変の可能性はある。救える命を守ることができるのか、不安は尽きない。
中等症患者はこれまで入院の対象とされてきたが、政府の方針転換により、重症化のリスクが低いと判断されれば、軽症者同様、自宅での療養が原則となる。
緊急事態宣言が発令されている東京都では、自宅療養と入院待ちなどの人が二万二千人を超える。政府の方針転換は、重症者用に病床を確保するためとしている。
いつでも、誰にでも、必要な医療を提供する体制を整えることが政府の責務のはずだ。その原則を覆す重大な方針転換である。菅義偉首相は国民に対して丁寧に説明する責任を果たしてはいない。
首相のこれまでの説明は、ワクチン接種の進展や高齢者の新規感染者数の減少、新たな治療薬の登場など楽観的なものが目立つ。
しかし、専門家からは急激な感染拡大による医療逼迫(ひっぱく)が懸念されていた。感染力の強いデルタ株の拡大も周知の事実だ。首相の見通しは甘かった。五輪開催を優先したと指摘されても仕方がない。
新型コロナは容体が急変する場合がある。関西圏では以前「第四波」の際、入院先が見つからず自宅で亡くなる事例が相次いだ。
患者が必要な医療を受けられず置き去りにされることは許されない。野党は四日行われた国会の閉会中審査などで政府に方針撤回を迫った。与党・公明党も撤回を含む再検討を求めている。首相をはじめ政府は重く受け止めるべきだ。
入院が必要か否かは各自治体が判断する。治療の優先順位づけを現場に委ねることになるが、政府はその基準を早急に示す必要があるのではないか。
自宅で療養する患者には、きめ細かい健康観察が必要だが、それを担うべき保健所は急激な感染拡大で手いっぱいだ。特に、患者が一人暮らしの場合、容体急変の不安は想像に難くない。
自宅療養者は地域の開業医の往診や訪問看護などで支えたいが、医療従事者同士の連携は手薄のままだ。自治体や地域の医師会が主体的に体制を整えるべきだ。
病床確保を進めつつ、これ以上の感染拡大を抑え込むことで、救える命を確実に救いたい。
④【沖縄タイムス社説】[コロナ原則自宅療養]それで命が救えるのか
2021年8月5日 07:14
新型コロナウイルス感染症を巡って、政府が打ち出した新たな方針が、大きな波紋を呼んでいる。
入院対象を重症者や重症化リスクの高い人に限定し、それ以外は自宅療養を基本とする-。平たく言えば「入院制限」である。
全国的に感染が急拡大しているさなかに、現場の不安をいっそうかきたてるような方針転換が、唐突に打ち出された。
背景にあるのは次のような事情だ。
第一に、デルタ株の急激な広がりで新規感染者が全国で1万人を超える日が続き、病床不足への懸念が強まっていること。
第二に、軽症者や中等症の人が入院していたために重症者の病床が確保できなくなったという事例が過去に発生したこと、などである。
感染の急拡大は尋常でない。沖縄県が4日に確認した新規感染者は602人、東京都は4166人。全国では1万4千人を超え、いずれも過去最多となった。
だが、そのような感染拡大の事情を考慮に入れたとしても、今度の方針転換は、あまりにも「泥縄的」で「場当たり的」だ。
これまで何度も「人流が抑えられている」ことを強調し、楽観論を振りまいてきたのは、ほかでもない菅義偉首相である。
ワクチン頼みの政策で医療供給体制の拡充は遅れ、肝心のワクチン接種もデルタ株の猛烈なスピードに追い付かず、現在の事態を招いてしまったのである。
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公明党の高木美智代政調会長代理は衆院厚生労働委員会で政府方針を批判し「撤回も含め検討し直してほしい」と求めた。野党だけでなく与党からも強い危機感が示されたのである。
新たな方針によって、肺炎などの症状がある中等症の患者も自宅療養となる可能性がある。田村憲久厚労相は、診療報酬を加算し、訪問看護を充実させると答弁した。
症状が急速に悪化するのがコロナウイルスの特徴だ。容体急変に迅速に対応することが本当にできるのか。
自宅療養によって家庭内感染が広がる懸念も拭えない。1人暮らしや自宅療養ができないような居住環境の人もいるはずだ。不安はつきない。
今回の方針転換は、自治体や医療界と事前に調整し、入院基準などさまざまな課題を整理した上で打ち出されたものではない。
いったん方針を撤回し、制度を設計し直した方がいい。
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県内の直近1週間の人口10万人当たりの新規感染者は178・43人で、全国平均の58・71を大幅に上回り、最悪の状態が続いている。
自宅療養者は1414人。妊婦の感染拡大が急増しているのも気になるところだ。
県は中等症や一部の軽症も入院させている現在の対応を「基本的に変更しない」(糸数公医療技監)という。
今後、感染爆発が続いた場合でも、病床が確保されていて、医療崩壊を招かない用意ができていること-それが前提でなければならない。
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⑤【琉球新報社説】政府コロナ新方針 入院制限で命守れるのか
2021年8月5日 05:00
社説
果たして入院制限によって菅義偉首相が繰り返す「国民の命と健康」は守れるのだろうか。はなはだ疑問だ。
新型コロナウイルスのデルタ株の広がりで新規感染者が急増し、病床不足への懸念が広がっている。政府はこれまでの方針を転換し患者の入院要件を厳格化した。しかし、政府方針に自民、公明の与党がそろって見直しを求める異例の事態となっている。
4日の国内の新規感染者数は、1万4千人を超え過去最多を更新した。沖縄の602人をはじめ東京など14都府県で最多となった。2日現在、沖縄を含む5都県の病床使用率はステージ4(爆発的感染拡大、50%以上)の水準に達した。
これまでは軽症や無症状が自宅または宿泊療養、中等症以上が原則入院だった。新方針は、肺炎などの症状がある中等症のうち重症化リスクが低い人は自宅療養とし、家庭内感染の恐れや自宅療養が困難な場合は、ホテルなどの宿泊療養も可能とする。
入院要件をより厳格にすることで、限られた病床を効率的に使うのが目的だ。しかし、自宅療養対象とされる中等症では肺炎や呼吸困難がみられ、重症化すれば酸素投与が必要となる。
新型コロナは患者が急変する例が知られている。第4波の際、大阪府で適切な治療を施せない「医療崩壊」状態となり、自宅療養中に症状が悪化し死亡する事例が相次いだ。
自宅療養に切り替えて容体が急変した場合、酸素投与できる医療従事者がそばにいるとは限らず、迅速に対応できない恐れがある。
国際医療福祉大の松本哲哉教授(感染症学)は「呼吸が苦しい人は食事を取るのも難しい。自宅で療養させるのはリスクが高く、通常はあり得ない」と指摘している。
政府の新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂会長は、政府の方針転換に関し事前に「相談はなかった」と明らかにした。専門家組織にも相談せず「通常あり得ない」政府方針に対し、全国知事会は中等症のうち自宅療養となる患者の判断基準を明示するよう求めていた。
しかし、田村憲久厚労相は衆院厚生労働委員会で「都でつくってもらっている」と述べ、東京都の基準づくり待ちであることを明らかにした。方針転換した政府が具体的な基準を示さず、東京都任せにしているのは、場当たり的で無責任だ。
従来のウイルスより感染力が強いデルタ株の置き換わりについては専門家が警鐘を鳴らしていた。関東ではデルタ株の割合が9割に達したと推定される。しかし、菅政権はワクチン接種一本やりで、医療体制の拡充など効果的な対策を打ってこなかった。
今回の新方針が医療現場の負担減につながるのか。むしろ混乱を助長していないか。説明責任を果たさない菅政権に不信感が募るばかりだ。
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言うだけなら、タダだ。
「君主は、ナニをやっても悪く言われる。」と喝破したのは、キケロ。古代ローマ共和国の昔だから、ザッと2千年も前の話だ。実際、君主=為政者たる者は、何らかの決定・決心・決断を余儀なくされる立場であり、大抵の決定・決心・決断には何らかのデメリット・不利益を伴うものであるから、必然的に「悪く言われる」。
アカ新聞各紙の社説タイトルを並べただけでも大凡判ろうが、日本政府が新たに打ち出した「武漢肺炎患者の入院の対象を、重症か重症化の恐れが高い人に限る方針」に対して、「患者切り捨てにならぬか」「救える命守れるのか」「それで命を救えるのか」と批判・非難するのは、簡単だし、尤もらしい。一見「人道的」でもあれば、「カッコ良い」とも言えそうだ。
だが、頭を冷やして考えてみるが良い。それらの政府批判・非難は、「重症でない者や、重症化の恐れが低い者も、入院させろ」と同義であり、恐らくは「重症で無い者や重症化の恐れのない者も、全員、入院させろ」の意味を、相当強く含んでいる。
「重症で無い者や重症化の恐れのない者も、全員、入院させる」と言うのはある種の「理想」であるのは事実だろう。従来従前その「理想」が相当程度に実現していたのも、事実だろう。
だが、その「従来従前の”理想”状態」には、当然ながらコストとリスクが伴う。コストとはその為に投入される医療リソースであり、リスクとは医療リソースが広範に分散されることによる重症者死亡のリスクである。
「従来従前の”理想”状態」を崩す、今回示された日本政府新方針により、「患者切り捨ての可能性」、具体的には「中症以下の患者が容体急変して死亡する可能性」が、「高まる」のは事実だろう。だから上掲の通りアカ新聞どもは政府新方針を非難しているし、仄聞するところに依ると野党や与党の一部も異を唱えているらしい。
だが、少なくとも一面、今般示された政府新方針は、「医療リソースを、重症者・重症化する可能性の高い患者へと集中する」方針である。その事によって助かる命だって、あると考えるべきだろう。
言うなれば、「容体急変して死に至る中症以下の患者数」と、「医療リソース集中により死を免れる重症者数」のトレードオフとして、今般の政府新方針は、「あり得る判断」である。昨今の「爆発的な新規感染者数」にもかかわらず「さして増えない新規重症者数(それは、余り報じられない(*1))」や「殆ど増えない新たな武漢肺炎死者数(コレは、殆ど報じられない)」からすると、「容体急変して死に至る中症以下の患者数」は「政府の示した新方針に従っても、さして増えることはない」と、「増えたとしても、“許容範囲”に、納まる」と判断できよう。
此処で「許容範囲」とした人数は、無論「0人」ではない。今般の新方針が実施された後、「容体急変して死に至る中症以下の患者数」が「増える」と言うことも、「自宅療養では無く入院していれば、死なずに済んだ」という事例も、当然「ある」だろうさ。
それでも、「容体急変して死に至る中症以下の患者数」が「医療リソース集中で死を免れる重症者数」以下である限り、今般の政府新方針は「正しい方針」であり、実施すべき方針である。前述の「ある種の理想状態」を崩すモノではあるが、批判・非難するには当たらない、寧ろ賞賛すべき処であろう。
「容体急変して死に至る中症以下の患者」には、お気の毒ではあるが。
更に言えば、政府としては今般の新方針「入院の対象を、重症か重症化の恐れが高い人に限る方針」依りも更に冷酷で非情である意味「無慈悲な」決断、即ち今般に新方針とは逆の、「入院の対象を、中症以下か重症化の恐れが低い人に限る方針」を、決定・決断・決心しなければならない事態も、あり得ることを、想起すべきだろう。即ち「医療リソースを中症以下の患者に集中することで、救える命を救う」選択である。平たく言って、「重傷者を見捨てる」と言うことだ。
一般論で言えば非道い話であり、典型的な「命の選択」である。だが非常時にはあり得る判断であり、決断だ。場合によっては現場の医療従事者が「苦渋の決断」として決定・決心する判断であるが、国のトップである日本政府並びに日本国首相こそ、左様な「苦渋の決断」を担うべき責を負っている、筈である。
今般の武漢肺炎や、その変異株程度で、我が国政府が「入院の対象を、中症以下か重症化の恐れが低い人に限る方針」を決すに至る可能性は、低いだろう。だが、そのような疫病が、そのような災厄が、生起する可能性は、考えておくべきだ。
而して、左様な「非常な」日本政府の決断・決定・決心を、単なる感情論・人情論・浪花節で非難批判すべきではなかろう。
況んや、今般の武漢肺炎に対する日本政府の新方針「武漢肺炎患者の入院の対象を、重症か重症化の恐れが高い人に限る方針」を単なる感情論・人情論・浪花節で非難批判するなぞ、先ず、論外と言うべきだ。
- <注記>
- (*1) 「東京都の一日の新規感染者数4000人!」なんて日の「東京都の新規重症者数」が「3人」なんて日も、ある。