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目的が手段を正当化するかよ。-【東京社説】浜岡停止10年 「脱原発」の先駆けに
「目的が手段を正当化する」と言うと、何となく尤もらしく聞こえるかも知れないが、平たく言えば「目的のためには手段を選ばない」とい言う事である。テロも殺人も虐殺も拷問も核攻撃も毒ガス攻撃も辞さず、「手段を選ばず目的を達する」のが「目的が手段を正当化する」の意味であり、普通に考えれば暴論以外の何物でも無い。
だが、その目的を「絶対的に正しい」と思い込んでいれば、いとも易々と「目的は手段を正当化する」という発想・思想に陥るものである。
その一時例が、下掲の東京社説ではなかろうか。
【東京社説】浜岡停止10年 「脱原発」の先駆けに
浜岡停止10年 「脱原発」の先駆けに
2021年5月19日 07時58分
中部電力浜岡原発が停止してから十年。巨大地震の想定震源域にあり、再稼働の見込みは薄い。だが見方を変えれば中電は、日本の主要電力会社の中で原発依存からの脱却に最も近いのではないか。
当時の菅直人首相による名指しの停止要請だった。
浜岡原発は、南海トラフ巨大地震の想定震源域にあり、東海道新幹線や東名高速道路にも近く、事故が起きれば日本が真っ二つに分断される危険があるからだ。首都圏に近いということもある。
その後中部電力は、海抜二十二メートル、長さ一・六キロの防潮堤を築くなどの災害対策を施して、3・11後の新たな規制基準に対する適合審査を原子力規制委員会に申請し、3号機と4号機の再稼働をめざしている。
しかし、規制委の中には「世界で一番厳しいところにある原発」という声もあり、審査は遅々として進んでいない。
中電はこれまで約二千六百億円の安全対策費をつぎ込んだ。本紙の試算では、この十年間に費やした維持費は一兆円を超える。その上さらに審査の過程でテロ対策の拠点整備などを求められている
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一方、浜岡停止後中電は、温室効果ガスの排出が比較的少ない液化天然ガス(LNG)火力発電の増強も進めてきた。石油火力からLNGに建て替えた西名古屋火力発電所の総出力は、浜岡3、4号機の合計を上回る。風力や太陽光の比率も拡大されつつある。
そもそも中電の原発は浜岡のみで、3・11以前にも電源構成に占める割合は15%。五割弱にも上っていた関電などに比べて、原発への依存度は低かった。
原発は膨大な安全対策費と維持費がかかる「不合理な電源」だ。再生可能エネルギーの急速な普及により、石炭火力同様、投資回収の見込みが立たない「座礁資産」という見方も出始めている。
欧州連合は、脱炭素事業でコロナ後の経済復興を図る「グリーンディール」計画の投資メニューに、原子力発電を入れていない。環境や社会的責任などを重んじる「ESG投資」の流れが加速する中、原発の投資価値は、ますます低くなるだろう。
中電は原発を運営する電力事業者の中では、「脱依存」に最も近い立ち位置にあると言っていい。
原発という経済的な重荷を下ろし、再エネに大きくかじを切る?。そんな世界の波に乗る先駆けになってもらいたい。
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言うまでも無いだろうが、東京新聞が「絶対に正しい」と信じ奉じているのは、「脱原発」である。
弊ブログでは幾度も東京新聞社説や記事を「脱原発原理主義」の事例として取り上げ揶揄しているのだから、今更言うまでも無いだろう。
上掲東京社説にしても「絵にも描けない餅を、描けと要求している」のである。無論、此処で言う「絵にも描けない餅」とは「再エネで、脱原発して脱炭素社会」というある種の「理想像」だ。
まあ、以前の東京新聞社説にあったような「原発を、再エネで代替して、二酸化炭素排出量を減らそう。」って、イメージと語感だけででっち上げた「物理的に成立しない未来像」よりは、幾分マシかも知れないが、単に「ぼんやりしたイメージだけ」で「絵に描く事すら出来ない”理想像”=餅」を「中電には描け」と要求できてしまうのだから、凄まじい。念のために書けば「中電には描け」と要求しているのは、上掲社説の最後の部分である。
あくまでも、「餅を絵に描く」のは東京新聞自身では無く、電力会社なり、政府なり、「他者」なのである。東京新聞は「お花畑全開の理想像」を掲げるだけ。実に、気楽な商売だな。
それにしても、凄まじいな。上掲社説にある通り、中電は既に浜岡原発再稼働を目指して、安全対策費に2600億円。維持費に(東京新聞の推算で)一兆円以上を投じている。「脱原発に舵を切る」と言う事はこの「少なくとも一兆二千六百億円(東京新聞推定)」を「無駄にする」と言う事である。
更に言えば、原発が「経済的な重荷」か否かを誰よりも重々承知しているのは中電自身であり、それを承知の上での「少なくとも一兆二千六百億円(東京新聞推定)」と言う投資であろうというのに、「原発の投資価値は、益々低くなるだろう。」と断言し、「原発という経済的重荷」と断定して憚らない。大体、東京新聞社説記者なるヤツバラが、中電経営陣よりも、発電事業経営に詳しいなんてことがありうるかどうか、一寸謙虚に思いを巡らせば、判りそうなモノでは無いか。
平たく言えば、「東京新聞が原発の経済的価値を、電力会社に語り聞かせる」なんてのは、笑止千万であろう。
更には、「脱原発」を絶対正義視する余り、殆ど触れていないのだが、発電方式としての再エネは、水力を除けばとても「安定電源」とは呼べない。電力供給の不安定要因だ。
一寸考えれば自明な事だ。太陽光は夜間は1wも発電しない。風力は風が吹かなければお手上げだ。どちらも発電量は出来高で、「余った電力を送電しない」事こそ辛うじて出来る(風力ならば、ペラのピッチ角を変える事で、発電力を落とす、更には発電しない事、は出来る)が「電力需要に応じて発電量を増やす事は出来ない」。
弊ブログの「冷たい計算式」シリーズに事例を示した通り、我が国における太陽光の「定格発電量×24時間×365日の発電量」と「実際に1年間に発電できる(見込み)の発電量」との比率、「稼働率(仮称)」は、良くて14%、1割。風力で2割だ。それも、諄いようだが出来高=発電できる限り発電して、だ。
大容量で高効率な蓄放電技術と組み合わせる事で、この「再エネの発電不安定性」は解消しうる。だが、その「大容量で高効率な蓄放電技術」を活用して充電するのを「不安定な発電方式である再エネ」に限定する事はない。火力や水力や原子力の電力で充電したって構わないのだから、「再エネの発電不安定性解消」だけに使うのは勿体なかろう。
つまりは、「再エネの発電不安定性」は解消し、発電安定性をもたらしているのは「大容量で高効率な蓄放電技術」の方であって「再エネ単独では電力供給の不安定要因」である事に変わりは無い。
言い替えるならば、東京新聞が夢見て吹聴して推奨している再エネは、水力を除けば、「大容量で高効率な蓄放電技術と組み合わせて漸くまともな発電方式」となるのであり、いわば「発電方式としては、単独では片輪=不完全」なのである。
で、此処が肝腎なところだと思うのだが、その「水力を除く再エネ電源の片輪性=不完全性」は、如何に天気予報気象予報が完全完璧になろうとも、変わらない・変わりようが無い、と言う事だ。「発電量を時間軸を含めて正確に予想できた」としても、「電力需要に合わせて発電量を増やす事は出来ない」のだから。
こんな事を理解するのに、電力会社関係者である必要な無いし、理系である必要すらないだろう。僅かばかりの「小さな灰色の脳細胞」と「健全な猜疑心」があれば事足りる、話だ。
東京新聞記者のそのどちらか、ないし両方が欠けている、と言うのは、東京新聞の勝手ではある。
だが、広く我が国民一般に、そのどちらか、ないし両方が欠けているとしたら、そりゃ大いに問題だな。
無知の闇を照らすは、知の光。
炎よ、行け!