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とうとう「昔の話」しか出来なくなったらしい、改憲反対論-【東京社説】憲法記念日に考える 人類の英知の結晶ゆえ
有り体に言おう。この東京新聞社説のタイトルを最初に見たときは、吹いたぞ。明らかにこのタイトルは、「日本国憲法は、人類の英知の結晶だ」と主張しているのだから、まあ、笑うしか無かろう。
そんな「美事な出落ち」を決めてくれた東京新聞社説を、さて読んでみると・・・
【東京社説】憲法記念日に考える 人類の英知の結晶ゆえ
2021年5月3日 07時14分
【1】 外務大臣公邸で日本政府と連合国軍総司令部(GHQ)が新憲法の秘密会談を持ちました。一九四六年二月十三日のことです。
【2】 東京の旧麻布区市兵衛町(現在の港区六本木一丁目)にあった公邸は空襲で爆撃を受け、玄関に壁はなかったそうです。
【3】 その日を境にして、新憲法案の姿ががらりと変わりました。
【4】 政府の「憲法問題調査委員会」がつくった案は明治憲法とさほど変わりばえせず、GHQは不満を持っていたのです。何しろ天皇主権はそのままですから。
【5】 「問題を言葉の見せかけと西方に向かってお辞儀だけで解決しようとしていた」とGHQ民政局に酷評されています。
◆戦争は社会契約を攻撃
【6】 午前十時。ホイットニー民政局長は太陽を背に座りました。当時の吉田茂外相や同委員会のトップだった松本烝治国務相の顔が最もよく見えるように…。そして、GHQは自らの憲法案を提示したのです。そのとき米国の飛行機が上空を飛んで行きました。
【7】 ホイットニーがポーチから庭の日当たりのいい場所に出ている間、日本側はGHQ案を熟読しています。四十分後に部屋に戻ると、吉田の表情は暗く、不機嫌でした。国民主権や象徴天皇制、戦争廃止などの条文があったのです。
【8】 米国側文書に基づく描写です。「これが受け入れられれば天皇は安泰だ」とホイットニーが言ったとも…。
【9】 「押しつけ憲法だ」と言われるゆえんですが、実際に天皇の戦争責任を問うオーストラリアやソ連などでつくる極東委員会が始まる直前でもありました。
【10】 十八世紀の哲学者ルソーの教えでは、戦争とは相手国の社会契約に対する攻撃です。つまり敗戦国は従前の社会契約を破棄し、新しい原理の社会契約を国民との間で結び直さねばなりません。
◆平和を道徳だけにせぬ
【11】 それが新憲法をつくる意義です。なのに日本側は「伝統的な原理および古い習慣に固執」(民政局報告書)していたから、GHQは極東委員会の開催を前に、しびれをきらしたのです。
【12】 そもそも四五年七月のポツダム宣言に日本は従う義務があります。非軍事化と民主化、基本的人権などの確立、「国民による平和的政府の樹立」などが列挙されていました。まるで日本国憲法の骨格のようでもあります。
【13】 昭和天皇による九月の「平和国家の確立」の勅語(ちょくご)、翌年正月の「人間宣言」も重要です。
【14】 何より民間の「憲法研究会」による新憲法案が四五年十二月にGHQに出されていたことに注目すべきです。これにはGHQ側が強い関心を持ったことが判明しています。こんな内容でした。
【15】 統治権は天皇ではなく「国民ヨリ発ス」と、まず国民主権を。さらに天皇は「儀礼ヲ司(つかさど)ル」とあります。人権保障の条項も一新し、労働権や男女平等、学術や教育の自由の規定もありました。
【16】 中心人物の一人は在野の憲法学者・鈴木安蔵です。明治時代の自由民権運動を研究した人物です。内容は日本国憲法そっくりです。「民間の草案を土台とできる」などとGHQの高官が評価したのも納得できます。
【17】 近代憲法の第一段階は基本的人権の保障です。第二段階は生存権や労働者の諸権利など社会権の装備です。平和主義に立ち、平和的生存権をうたった日本国憲法は第三段階です。最先端のレベルといえます。では、戦争放棄が誕生した経緯は何でしょう。
【18】 当時の首相・幣原喜重郎が四六年一月二十四日、連合国軍最高司令官マッカーサーを訪ね、提案した説を重視します。
【19】 幣原が死ぬ前に真相を語った文書やマッカーサーの米国議会での証言、自伝など生々しい史料が豊富だからです。外相時代の幣原が軍縮条約や不戦条約にかかわった経験ともつながっています。
【20】 平和主義は、太平洋戦争で未曽有の犠牲者を生み、原爆を体験した日本ゆえの選択でもあったと思います。
【21】 戦争放棄の九条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」で始まりますが、これはGHQ案にも政府案にもなかった文言です。
【22】 社会党の鈴木義男が議会の小委員会で提案しました。戦前に東北大教授だった人で、法律家として「平和が道徳で終わらないように」という信念がありました。
◆国民の支持あってこそ
【23】 つまり米国からの外力、国内の内力を合わせ、人類の英知を詰め込んだ憲法となったのです。施行後に「押しつけ」を疑った極東委員会が再検討を促したものの、四九年に断念しました。国民の圧倒的な支持があったためです。
【24】 今なお押しつけ論を述べる勢力がありますが、歴史を深く顧みてほしいものです。
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要約すれば、「日本国憲法は米国・占領軍の押しつけでは無い。」で、その根拠は・・・
「日本国憲法は米国・占領軍の押しつけでは無い」根拠を上掲社説から抽出すると、以下の通りとなろう。(例によって【】で上掲社説のパラグラフ番号を示している。)
① 哲学者ルソーに依れば、「敗戦国は従前の社会契約を破棄し、新しい原理の社会契約を国民との間で結び直さねばならない」から。【10】【11】
② 日本が従うべきポツダム宣言に「非軍事化、民主化、基本的人権等の確立」など日本国憲法の骨格があるから。【12】
③ 昭和天皇の「平和国家の確立」勅語と「人間宣言」があるから。【13】
④ 民間の「憲法研究会」による新憲法案に国民主権、天皇は「儀礼を司る」、人権保障、労働権、男女平等、学術や教育の自由があるから。【14】~【16】
⑤ 戦争放棄は、幣原首相(当時)がマッカーサーGHQ司令官に提案した、という説があるから。【17】~【18】
⑥ 9条の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とあるのは、社会党・鈴木義男議員が小委員会で提案し、追加されたから。【21】~【22】
⑦ 極東委員会の日本国憲法再検討は「国民の圧倒的支持」で1949年に断念されたから。【23】
・・・見落としは、無いだろうな。
有り体に言って、「日本国憲法は米国・占領軍の押しつけでは無い」根拠となりうるのは、普通に考えれば上記④「「憲法研究会」による新憲法案」と上記⑤「幣原首相(当時)が、日本の戦争放棄をマッカーサーに提案した。」ぐらいであろう。
上記①「哲学者ルソーによる、敗戦国の社会再契約説」は、仮に左様な「契約説」が正しいとしても、精々が「敗戦国は新たな憲法を制定すべきである。」と言うだけであり、その「敗戦国の社会再契約=新憲法制定」に戦勝国が影響を及ぼして良いとはしていそうにない。況んや、戦勝国たる米国及びGHQが「日本に憲法を押しつけては居ない」根拠になんぞ、時系列から言って、なりようが無い。「19世紀の哲学者ルソーが、20世紀半ばに戦勝国米国が敗戦国日本に新憲法案を提示する(押しつける)」などと、予想・予言・予見出来ようが無いから、である。
上記②「日本が従うべきポツダム宣言に、日本国憲法の骨格がある」が根拠ってのも非道い話で、ポツダム宣言を受諾すべきは戦争当事国である大日本帝国である。大日本帝国としては「非軍事化、民主化、基本的人権等の確立」等を受託しなければ無かろうが、敗戦確定時点でその条件は満たしている。それ以降の、戦後復興としての(或いはルソー説に従う社会再契約としての)日本国憲法に「大日本帝国の降伏条件としてのポツダム宣言」が影響することはあり得ることだが、「外国による新憲法への干渉・影響」さえも「ポツダム宣言の範囲内」な、訳が無い。交戦国同士の間の「敗戦の条件」が「戦後復興に直接的な外国干渉」まで「当然の如く受託」されては、たまるモノかよ。
上記③「昭和天皇の「平和国家の確立」勅語と「人間宣言」」が根拠ってのも、実に非道いな。何れも「現行日本国憲法との共通性・親和性」故の「根拠」であるらしいが、「GHQという純然たる外国軍が、日本国憲法の憲法案を、許認可・添削どころか原案提案している」事実を許容するモノでは無い。
上記⑥「憲法9条冒頭の追加」は・・・こんな。「殆ど何の意味も持たない修飾語を追加した」事を以て「押しつけ憲法では無い」と主張できる、神経、というか、正気を疑わねばなるまい。この追加された文言の在る/無しで、日本国憲法9条が、どれ程変わるというのか?日本国民が何を希求しようがすまいが、憲法9条の「戦力放棄」に、何の関係もあるまい。バカも休み休み言うが宜しかろう。
上記⑦「日本国民の圧倒的支持で、憲法再検討が断念された」と言うが、その「日本国民の圧倒的支持」は、朝鮮戦争勃発前の、自衛隊発足以前であり、憲法9条が自衛隊発足を以て決定的に馬脚を現し破綻する以前の話。その直後とも、現在とも、随分と我が国を取り巻く状況は異なっている。言い替えれば、その「日本国民の圧倒的支持」は、とうの昔に「有効期限切れ」であろう。
なおかつ、「日本国民の圧倒的支持」ってのは、何を以て表され証されたというのか?国民投票さえ実施されていないというのに。当時の新聞の論調か?新聞の論調が「日本国民の圧倒的支持」か?或いは「世論調査結果」か?左様な「世論調査結果」を以て「日本国民の圧倒的支持」と断定して良いのか?
仮に、真の意味で、日本国憲法に対する「日本国民の圧倒的支持」があったとしても、それは精々が、「米国・GHQの絶大な影響下で制定された日本国憲法を、当時の日本国民が支持した」と言うことであり、謂わば「押しつけ憲法を、当時の日本国民が許容した」だけであって「押しつけ憲法では無くなった」訳では無かろう。
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一応尤もらしい理由④と⑤
上記④「民間の憲法研究会 新憲法案」なるモノは、今回私も初めて全文一読させて貰った憲法草案要綱 憲法研究會案(テキスト) | 日本国憲法の誕生 (ndl.go.jp)。その意味では「良い勉強の機会」であり、上掲東京新聞社説に謝意を表しても良いぐらいだ。
だが、当該新憲法案は、憲法案であるだけに、でも在ろうか、軍隊について(無論、自衛隊についても、)一切書かれていない。その上、これまた当たり前ではあるが、「戦争放棄」なんて何処にも無い。なればこそ、次のパラグラフで上記⑤「幣原首相(当時)の戦争放棄提案説」が登場するのであるが、「現在の日本国憲法及びGHQの示した日本国憲法原案に近い考え方が、民間の憲法研究会には(既に)あった」と言う事は(一応)言えそうである。
だが、「既に日本国内に日本国憲法的な発想があった」として、それが「外国の占領軍であるGHQが、日本国憲法原案を出す」事を許容するかというならば、「ふざけるな!」と言うべきであろう。上掲東京社説にもある通り、GHQが当該「憲法研究会 新憲法案」を「高く評価」していたならば、これを日本国憲法のたたき台とするのも一案であったかも知れないが(まあ、この「憲法研究会 新憲法案」も、色々と問題ありそうな憲法案ではあるが・・・「9条 戦争放棄 が無い」と言うのは、ある程度のアドバンテージではあるな。)、GHQは全く別の、ほぼ現状の日本国憲法そのままの「日本国憲法原案」を出して来たのである。「共通する考え方が、民間の憲法研究会にあった」事が、左様な「前代未聞空前絶後の挙(*1)」を「許容する根拠となる」訳が無い。
上記⑤「幣原首相(当時)が戦争放棄をマッカーサーに提案した説」は、グレゴリー・ペック主演の映画「マッカーサー」にも描かれ、ために「基本的にグレゴリー・ペックのファンである」私(ZERO)はあの映画は大嫌いなんだが、もし仮にこの説が正しく、幣原首相(当時)が「日本の戦争放棄」をマッカーサーGHQ司令に提案し、その結果が現行・日本国憲法であるとしたならば、この場合は「憲法9条はGHQの押しつけだ」とは言い難くなるだろう。この点は認めよう。何しろ、当時の日本国元首である日本国首相の提案なのだから、相応に重視、されてしまう。
だが、その場合、幣原首相(当時)は国賊であり、売国奴であり、我が国の安全安泰を「平和を愛する諸国民」なる虚構に委ねる結果を産んだ、その罪万死に価する大罪人である。而して、戦後最悪首相の座は、鳩山由紀夫から幣原首相(当時)へと、譲渡されることになろう。
まあったく、もし本当ならば、なんて馬鹿げたことをやりやぁっがったんだぁ?
- <注記>
- (*1) 大東亜戦争終結後も数多の戦争があったが、戦勝国が敗戦国に「憲法案を示した」なんてのは、聞いたことがない。大東亜戦争が空前にして、今の所絶後である。
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結論
以上の通り、「日本国憲法は、押しつけ憲法では無い」とできそうな根拠は、上記④「幣原首相(当時)が戦争放棄をマッカーサーに提案した説が、正しい場合」の「戦争放棄(9条)」について、だけなのだが・・・結論に近いラス前の【パラグラフ23】で、上掲東京社説自身が
1> つまり米国からの外力、国内の内力を合わせ、人類の英知を詰め込んだ憲法となったのです。
と、「米国からの外力」を日本国憲法の構成要素と認めているのである。如何に米国が戦勝国であろうが、当時世界一のGDPと軍事力を誇る大国であろうが、外国が我が国の憲法に絶大な影響力を及ぼしたことを「押しつけ」とか「不正不当な内政干渉」と言わずして、何と言うのか。
上掲東京社説は、「人類の英知の結晶」だの「第三段階で世界最高レベル」だの、屁理屈こねてやぁがるが、「憲法押しつけ」なんてのは、「究極の侵略」であろうが。
何度か繰り返しているが、繰り返そう。憲法9条なんてモノが現存する以上、日本国憲法は、自衛隊という厳然として存在する軍隊と、乖離し、現実離れし、矛盾しているのである。
速攻改憲して然るべきである。QED
タダ、斯様に東京新聞の憲法記念日社説が「日本国憲法押しつけ論に対する反論」に終始しているということは、ある意味「良いこと」なのかも知れない。それ即ち、現実や将来に対する「日本国憲法の有用性・有効性」を「示せなくなった」ために、「過去の話=日本国憲法制定過程の妥当性・正統性」に焦点を絞らざるを無くなった、と推察できるからである。
尤も、「過去の話=日本国憲法制定過程の妥当性・正統性」よりも、「我が国の安泰・安寧・安全保障の、現在と将来」の方が遙かに重要であり、それに深く関わって不可分であるのは自衛隊=軍隊であって、制定以来70年以上もタダの一文字も改憲されていない古文書である「日本国憲法」では無いのは、余りに自明なのだがな。
言い替えれば、これも何度か繰り返しているが、「日本国憲法は、自衛隊に、違反している」のである。