• 日和見アカ新聞、日経。-【日経社説】処理水の海洋放出は地元の理解重視で


 アカ新聞どもが挙って非難し反対する「福島原発事故処理水の海洋放出」について、「一見、紙名からすると“経済紙”であるが、実は案外なくらいにアカ新聞である」日経が、どんな社説を掲げているかと、覗いてみたら・・・

 

  • 【日経社説】処理水の海洋放出は地元の理解重視で

  • 処理水の海洋放出は地元の理解重視で

社説

2021年4月13日 19:05 [有料会員限定]

 

 

決定内容は妥当でも、地元との対話は不十分だったのではないか。政府は東京電力福島第1原子力発電所の汚染水を浄化した「処理水」を海洋放出すると決めたが、反対意見は根強い。いかに人々の理解を得ながら実行に移すか、ここからが正念場だ。

 

福島第1原発では、原子炉建屋などで汚染された水を専用装置で浄化している。放射性物質の一つであるトリチウムは取り除けないため、処理水をタンクに入れて敷地内で保管している。...<以下有料記事>

 

 

  • 地元の理解や対話よりも、決定の妥当性の方が、遙かに大事だろうが。

 「地元と充分な対話を重ねた上で、妥当では無い決定を下す。」のと、「妥当な決定だが、地元との対話は不十分だった。」のと、どちらが良いかと言えば、圧倒的に後者であろうが。いくら地元と対話し、地元の理解を得られた「民主的な結果」であろうとも、「妥当では無い決定」を下されたら、かなわないだろうが。

 而して、「妥当な決定だが、地元との対話は不十分だった。」今回の場合、「今後地元と対話しろ」と政府に要望すると言うのも良かろうが、「決定の妥当性」を認めるならば、「地元に対し、政府の決定への理解を求める」のも、一つの筋であり、論理である。「今後の政府と地元との対話」は、その手段でしか無い。

 極端に言うならば、地元の理解を得られず、地元との対話が今後途絶えたとしても、「妥当な決定」であれば、これは許容範囲だ。左様な状態は政府の不人気要因だろうし、地元の次回選挙で現政権与党が敗北する結果となるかも知れないが、時には左様な不人気になる決定も下さねばならないのが政府であり、責任与党と言うモノであろう。

 無責任に出来もしない甘言ばらまいて居れば良い、無責任野党とは、違うのだ。

 で、「立派な責任与党である現政権党・自民党が、その責任を果たした」事を認めながら、「地元との対話が足らない」と、非難・批判できてしまうのだから、やっぱり日経は「実はアカ新聞」と評するべきだろう。