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森・元首相の「女性蔑視発言」を考えよう。ーアカ新聞はじめ各紙社説を題材に
私(ZERO)は、「失言報道」ってヤツは特に眉に唾つけて聞く/見る/読む様にしている。「実は/本当は、失言では無い」可能性はないかと、常に意識するように、心がけている。ま、それを言うならば、「全ての報道はプロパガンダである可能性がある」と考えるのが安全側であるから、全てのニュース/報道/記事に対して「眉に唾つける」のが基本なのであるが。
以下に列挙するアカ新聞各紙社説が非難している「失言」は、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を勤める森元首相の、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。」との発言、だそうな。この発言が「女性差別」だってんで、アカ新聞どもを中心に、結構な騒ぎとなっている。
因みに、先行して各アカ新聞社説の見出しを列挙すると、以下の通り。
①【朝日社説】女性差別発言 森会長の辞任を求める https://www.asahi.com/articles/DA3S14789266.html?iref=pc_rensai_long_16_article
②【毎日社説】森会長の女性蔑視発言 五輪責任者として失格だ https://mainichi.jp/articles/20210205/ddm/005/070/110000c
③【東京社説】女性蔑視発言の森喜朗氏 五輪の顔として適任か https://www.tokyo-np.co.jp/article/84193?rct=editorial
④【琉球新報社説】森氏の女性蔑視発言 組織委会長を辞任せよ https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1267127.html
⑤【沖縄タイムス社説】[森氏の女性蔑視発言] 「五輪の顔」任せられぬ https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703001
参考までに、「アカ新聞ではない(*1)」各紙の社説タイトルは、以下の通り。
⑥【日経社説】[社説]あまりにお粗末な森五輪会長の女性発言 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK0456F0U1A200C2000000/
⑦【読売社説】森氏の女性発言 五輪会長として不見識すぎる https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210205-OYT1T50284/
⑧【産経社説】森氏の問題発言 組織委もJOCも猛省を https://www.sankei.com/column/news/210206/clm2102060003-n1.html
・・・つまりは「日本新聞業界の左右を問わず、全業界あげての森元首相”女性差別”発言非難」と言えそうな、訳である。
が・・・斯様な「挙国一致/衆目一致/猫も杓子も非難・批判」って状態こそは、正に「眉につける唾の出番」なのではなかろうか。山本七平が「空気の研究」にて、「空気に対する水の重要性・致命性」を説いた様に。
「競馬馬がもて囃されているのならば、騎兵の馬の出番があるのに違いない。」
第2次大戦下でドイツ空軍の一翼を担った戦闘機フォッケウルフFw190を設計したクルト・タンク氏は、そう言って「競馬馬=当時のドイツ軍主力戦闘機メッサーシュミットMe109」とは大部毛色(*2)の違う「騎兵の馬=フォッケウルフFw190」を設計したという。かかる「逆張りの思想」とも言い得る、チョイと「斜に構えた」見方を念頭に、以下のアカ新聞社説を読まれては、如何だろうか。
我が私見は、その後で。
- <注記>
- (*1) 有り体に言って、日経はかなり怪しい。読売とて、確か教育勅語にはかなりトンチンカンな非難を浴びせていたぞ。あのときは、日経の非難「教育勅語は、”語りの構造”だから民主主義に反する!」ってのが一番ヒドかった記憶があるが。
- (*2) レシプロ単発低翼牽引式という基本形態は共通だが、空冷エンジン且つ頑丈で整備性に優れ、戦闘爆撃機型は1.8t爆弾さえ搭載できた。「騎兵の馬」とは、言い得て妙であろう。
①【朝日社説】女性差別発言 森会長の辞任を求める
https://www.asahi.com/articles/DA3S14789266.html?iref=pc_rensai_long_16_article
2021年2月5日 5時00分
そうでなくても懐疑論が国内外に広がるなか、五輪の開催に決定的なマイナスイメージを植えつける暴言・妄言だ。すみやかな辞任を求める。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を務める森喜朗元首相の女性蔑視発言である。
日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会に名誉委員として出席して、次のような耳を疑う見解を口にした。
女性がたくさん入っている(スポーツ団体の)理事会の会議は時間がかかる。女性は競争意識が強く、1人が手を挙げて発言すると自分も言わなければと思うのだろう。規制しないとなかなか終わらない――。
森氏はきのう会見し、反差別や男女平等原則の完全実施をめざす五輪精神に反するものだったと謝罪。発言を撤回したが、会長職の辞任は否定した。
それで許されるはずがない。
こんなゆがんだ考えを持つトップの下で開催される五輪とはいったい何なのか。多くの市民が歓迎し、世界のアスリートが喜んで参加できる祭典になるのか。巨費をかけて世界に恥をふりまくだけではないのか。疑念が次々とわいてくる。
JOCをはじめとするスポーツ団体は、20年代のできるだけ早い時期に女性理事を40%とする目標を立てている。昨年末に決まった政府の男女共同参画基本計画にも明記された。
背景には、女性の社会進出を進めるという世の中全体の要請に加え、女子選手への相次ぐ暴力的指導やパワハラ、セクハラなど、スポーツ界が抱える深刻な問題がある。コンプライアンスの向上が求められるなか、女性指導者の育成と女性幹部の登用は喫緊の課題だ。
にもかかわらず組織委の会長がその取り組みを揶揄(やゆ)し、女性理事ひいては女性全般を侮辱したのだ。責任は極めて重い。
問われるのは森氏だけではない。発言があった際、出席していたJOCの評議員らからは笑いがおき、たしなめる動きは一切なかった。山下泰裕会長以下、同じ考えの持ち主と受け取られても言い訳できない。
この問題はさっそく国会の質疑でも取りあげられた。菅首相は「あってはならない発言」と述べたものの、森氏の進退については言及を避けた。
7年前に組織委が設立された際、会長の引き受け手がなく、政府主導で森氏に就任を要請した経緯がある。何としても五輪を開催したい首相としては、森氏の謝罪―続投で事態の沈静化を図りたいのだろうが、それでは世論との乖離(かいり)は深まるばかりだ。開催都市の女性首長である小池百合子都知事の見識も問われる局面である。
②【毎日社説】森会長の女性蔑視発言 五輪責任者として失格だ
https://mainichi.jp/articles/20210205/ddm/005/070/110000c
毎日新聞2021年2月5日 東京朝刊
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と述べた。
日本オリンピック委員会(JOC)評議員会での言葉だ。女性理事を40%以上に増やす話し合いが行われた場だった。女性を差別した発言であり、到底許されない。
森氏は「女性は誰か一人が手を挙げて言うと、自分も言わないといけないと思うのだろう」「『女性を増やす場合は発言時間の規制を促しておかないと終わらないので困る』と(誰かが)言っておられた」とも語った。
人のふるまいを性別によって分類し、やゆした発言だ。性差別に当たり、看過できない。会議では森氏の発言をいさめる参加者はおらず、笑いさえ漏れた。このことも深刻だ。
森氏は「組織委にも女性がおられるが、みんなわきまえておられる」とも話した。会議での自由な議論の必要性を否定し、異論を認めない姿勢を示すものだ。
五輪憲章は性別や人種、民族、国籍、宗教などあらゆる差別を許さない理念を掲げている。東京大会も多様性と調和が基本コンセプトだ。
批判を受け、森氏は記者会見を開いて発言を撤回し、謝罪した。だが、何が不適切だったかと問われ、「男女の区別をする発言」と答えた。辞任を否定し、記者の質問に「面白おかしくしたいから聞いているんだろう」と声を荒らげる場面もあった。問題の本質を理解しているとは思えない。
海外メディアも相次いで報道し、米紙ニューヨーク・タイムズは東京大会が新型コロナウイルスの影響による延期に加え、新たな問題に直面したと伝えた。
開催可否を巡り森氏は別の会合で「コロナがどうであろうと必ずやり抜く」と述べ、批判を浴びた。国民の不安への配慮を欠いたためだ。反発した人気タレントが聖火リレーの走者を辞退した。
組織委の会長は国民の納得が得られる対策を講じ、開催への道筋を探るべき立場にある。
五輪精神を傷つける自らの発言が開催への障害となっていることを自覚すべきだ。一連の言動は、東京大会を率いる責任者としては失格だ。
③【東京社説】女性蔑視発言の森喜朗氏 五輪の顔として適任か
https://www.tokyo-np.co.jp/article/84193?rct=editorial
2021年2月5日 07時53分
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、女性蔑視と受け取れる発言をした。謝罪会見で発言を撤回したが、大会の「顔」として適任なのか。疑問は解消されないままだ。
問題となったのは、競技団体での女性理事任用に関し「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。誰かが手を挙げるとみんな発言したがる」とする発言だ。
森氏は会見で発言を撤回したものの、女性任用に後ろ向きの姿勢を重ねて示すなど、どこまで反省しているのか疑わしい。
森氏の発言は多くの女性を侮辱し、男女平等をうたう五輪憲章や世界の潮流に反する。憲章は冒頭に七つの根本原則を掲げ、人種や言語、宗教などと並び性別による差別を禁じている。
欧州各国や韓国では、一定割合の女性を任用する「クオータ制」が社会のさまざまな組織に導入され、一部では男女同数にする「パリテ」も進んでいる。
これに対し、スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」のまとめでは、男女の不平等を示す「ジェンダー・ギャップ指数」は百五十三カ国中、日本が百二十一位。特に政治と経済の分野で著しく低い。原因は国会議員や閣僚、会社の管理職の女性の少なさだ。森氏発言は図らずも、日本の遅れを世界に示したことになる。
さらに発言は、女性蔑視にとどまらず、開かれた場での議論を尊ぶ民主的なルールにも反する。
会議で参加者が意見を述べるのは当然だ。森氏発言の根底にあるのは、事前の根回し通りに事を進めたいとの思考だろう。
密室での打ち合わせは権力者の独善に陥りやすい。公開の場で多様な意見を出し合い、皆が納得するプロセスが大切、との現代社会の合意を軽んじている。
コロナ禍が深刻化する中、大会開催方針が硬直化しているように映るのも、独善的な運営に陥っているからではないか。
新型コロナウイルスの感染拡大で開催準備は困難になり、国民の大会への支持も落ち込んでいる。立場上、大会の「顔」である森氏の発言でさらに開催への支持が落ち込み、国内外の批判が高まることも予想される。
森氏のスポーツを愛する思いは分かるが、大会は単なるスポーツの祭典でなく平和や平等、友情や連帯など人類共通の価値観に貫かれた特別な存在だ。森氏は辞任を否定したが、会長は大会の意義を深く理解する人物であるべきだ。
④【琉球新報社説】森氏の女性蔑視発言 組織委会長を辞任せよ
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1267127.html
2021年2月5日 06:01
男女平等というオリンピック精神をないがしろにする差別的な発言は看過できない。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が3日、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会に出席し、JOCが女性理事を増やしていく方針を掲げていることに関連して「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言した。
批判を浴びて発言を撤回して謝罪したが、それでは済まされない。森氏に大会運営の責任者の資格はない。ただちに会長を辞任すべきだ。
オリンピックの精神は「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治」など、いかなる種類の差別も受けないことである。
JOCや国際オリンピック委員会(IOC)は男女平等を掲げている。IOCは男女混合種目を増やしており、東京五輪は出場選手に占める女子の比率が過去最高を更新し、5割に迫る見通しだ。森発言はこうした取り組みを台無しにするものだ。
世界のアスリートたちは、女性を蔑視するような人物が責任者を務める祭典に参加したいと思うだろうか。森氏には「アスリート・ファースト」という視点が欠落している。
3日の臨時評議員会で森氏は、自身がかつて会長を務めた日本ラグビー協会で議事進行に時間がかかったと指摘。「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね」と語った。さらに「『女性を増やす場合は発言時間の規制を促しておかないとなかなか終わらないので困る』と(誰かが)言っておられた」とも語っている。
JOCは、女性理事を40%以上とする目標を掲げる。現在、JOCの理事は25人で、うち女性は5人。目標の半分にすぎない。
女性理事の発言時間を制限するような森発言に見られるように、男性中心で多様性を排した発想が女性登用を妨げているのではないか。森氏の発言に異論が出なかったことも組織として問題だ。
森氏の不適切な発言は、今に始まったことではない。自民党幹事長時代に「沖縄は学校で君が代を教わっていなかった。教組は全く共産党が支配し、沖縄の先生も琉球新報、沖縄タイムスもそうです。だから何でも政府に反対、国に反対です」(2000年3月)と発言し物議をかもした。
小渕恵三首相(当時)が病気で倒れたとき、選挙ではなく党幹部による「密室協議」で首相の座に就く。在任中「日本は天皇中心の神の国」と発言したり、2000年の総選挙終盤に「無党派層は寝ていてほしい」と発言したりして、首相としての資質が問われた。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は、森氏に辞任を迫ることで自浄作用を働かせ、オリンピックの精神を共有していることを内外に示してもらいたい。
⑤【沖縄タイムス社説】[森氏の女性蔑視発言] 「五輪の顔」任せられぬ
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703001
2021年2月5日 07:01
「女は黙ってろ」と言っているに等しい時代錯誤の発言である。こうした価値観を持つ人に、「多様性と調和」をコンセプトとする東京五輪のリーダーは任せられない。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が3日、日本オリンピック委員会(JOC)の評議員会で、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と述べた。
JOCが女性理事の割合を40%に増やす目標を掲げていることに対する考えのようだが、公的な場での発言に、一瞬耳を疑った。
日本のスポーツ界は女性の進出が遅れ、国が指針を出して各競技団体へ女性役員の増加を求めているところだ。だがJOC、組織委とも女性の比率は約20%にとどまる。
森氏はかつて会長を務めた日本ラグビー協会で女性理事が増えていることを例に、こうも語った。
「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言うと、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。みんな発言される」
「女性を増やしていく場合は、発言時間をある程度規制しておかないとなかなか終わらないので困る、と誰かが言っていた」
発言するのは競争ではなく問題意識や意欲の高さの表れである。発言規制はいかにも男性が話し、女性は聞き役に回るという世界にどっぷりつかってきた人の発想だ。
五輪憲章は、人種や性別などによるいかなる差別も禁止している。
問われているのはトップとしての資質である。
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森氏の発言に対し、ツイッター上では「退任を求める」「絶対に黙らない」など抗議の声が相次いでいる。海外メディアも批判的に報じ、五輪のイメージは深く傷ついた。
反響の大きさに驚いたのだろう。一夜明け、森氏は「不適切な表現だった。深く反省している」と謝罪し、発言を撤回した。
ただ会見で記者に対し「あなたはどう思うのか」と居直ったり、質問を遮る場面もあり、反省の色はみられなかった。
首相在任中の「神の国発言」や「有権者が寝ていてくれればいい」など、もとより失言の多い人である。少子化問題で「子どもを一人もつくらない女性の面倒を、税金でみなさいというのはおかしい」と言い放ったこともある。
7年前、森氏を組織委会長に充てたのは当時の安倍晋三首相だ。そもそも「五輪の顔」にふさわしい人選だったのか。
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評議員会で差別発言に誰も異論を唱えなかったことに、スポーツ界に根深く横たわる性差別を見る思いがした。
相次いだ指導者によるハラスメントなどの不祥事、長年放置されてきたアスリートの性的画像問題も、性差別と無関係ではない。
組織委を健全に運営していくには、性別や障がいの有無などにかかわらず、多様なメンバーが意思決定に加わることが大切である。
硬直化した組織を変えるためにも、まずは女性理事登用40%を達成すべきだ。
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森元首相の発言を「女性差別」と非難する諸兄に問う。
【Q1】 とある、相応に有名な女性が、「男性がたくさん居る会議は、時間がかかる。」と発言したとする。この発言は「男性差別である」。Yes or No?
【Q2】「女性がたくさん居る会議は、時間がかかる」と言うのは、統計的ないし経験的事実と反する。Yes(反する) or No(反しない)
【Q3】(【Q2】で「Yes(反する)」と答えた方へ)「女性がたくさん居る会議は、時間がかかる、と言うことは無い」という統計的ないし経験的事実が(自分には)ある。Yes or No?
【Q4】 森元首相の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。」という発言を「女性差別」と断定し非難するためには、上記【Q1】から【Q3】まで、全て「Yes」である、必要がある。Yes or No?
上記【Q4】である意味「ネタばらし」しているのだが、上掲アカ新聞各紙はじめとして「森元首相の発言を”女性差別”」と断定し断言している数多の諸兄は、上記の【Q1】から【Q4】まで、全て「YES!」と断定・断言出来なければ、ならない、筈である。
上記の【Q1】から【Q4】まで、全て「YES!」と断定・断言できるかね?
蛇足承知で解説を加えておこう。
【Q1】は一面、そもそも「会議に時間がかかる」と言うのが、否定的評価だとしても、それが「差別に当たる」か否か、という問いでもある。
「否定的評価は、全て差別だ!」って考え方も広い世の中にはあるだろうが、そりゃ「否定的評価は許さない」って事で、凄まじいばかりの絶対無謬思想とも言うべきモノで、傲岸不遜と言うモノだ。神ならぬ身の不完全なる人が「否定的評価は許さない」って、一体何様のつもりだろうね(ま、往々にして、実際に「居る」のだけどな。)。
次いで、【Q1】は一面、「差別に当たる否定的評価」の「適用基準」を問うている。「会議に時間がかかる」と言うのが「差別に当たるような否定的評価」であると仮にした場合、それが「差別に当たる」のは「女性に対して」に限る、訳が無い、という私(ZERO)の考え方が反映されている。
もし、「会議に時間がかかる」と言うのが「差別に当たるような否定的評価」となるのが「女性限定」であるならば、それは「美事なまでのダブルスタンダード」で在り、「男性差別」と断定できそうだ。
無論、森元首相の当該発言を「女性差別」と非難する者が「男性差別主義者」であっても構わないし、「男性差別主義者がことある毎に”女性差別”を非難する」ってのは大いにありそうなことだが、「差別主義者が別の”差別”を非難する」ってのは、大笑いだよな(まっ、これも往々にして「ある」ことだが。)
【Q2】はある意味、「頭を冷やせ」と言っているのである。「女性がたくさん居る会議は、時間がかかる」という経験的ないし統計的事実があるならば、この発言自体は「事実の指摘」でしかなく、逆立ちしたって「差別発言」になんぞなりようが無い。なってたまるモノか。
因みに森元首相は当該発言を、自身の(統計的、では無いかも知れないが)体験的事実に基づく形で為している。
私(ZERO)自身がこの【Q2】に答えるとするならば、「女性がたくさん居る会議(議決を要するモノ)には出席した覚えが無く、統計データもないので、答えようがない。強いて言えば、”No それは事実に反しそうにない”だ。」となろう。
想像するに、森元首相の発言を「女性差別」と非難する方々は、「会議の時間の長さは、男女比率に依らない、べきである。」というある種の理念だか理想だかに凝り固まって、統計的事実も経験的事実も顧みず/考えようともせず、その「理念だか理想だかに反する」だけで「差別だぁぁぁぁ!」と断定断言している、のではなかろうか。
なればこそ、「頭を冷やせ」なのである。理想・理念と現実の間に齟齬・乖離があるのは当たり前。齟齬・乖離は先ず「あると言うことを認識」しない限りは、何も始まらない。
「齟齬・乖離が、”ある”とする発言は許さない!」では、齟齬も乖離も乖離も「実はあるんだが、発言上表面上”無い”事になっている」状態になるだけ。齟齬も乖離も、縮小も減少もしない。
「現状認識は、戦術の第一歩」ってヤツだ。
その意味では、「会議の時間の長さは、男女比率に依らない、べきである。」という理想・理念を信奉する者は、森元首相の発言を「女性差別」と非難するのでは無く、「理想・理念からの乖離・齟齬の指摘」と「謙虚に受け止め」ても、良さそうなモノだがねぇ。当該発言を「女性差別」として封じ込めたところで、その理想・理念は、半歩たりとも実現に近づくまいに。
無論、私(ZERO)は、そんな理想・理念とは無縁の「異教徒」だがね。
【Q3】は、【Q2】の「補強」だね。【Q2】で「Yes(反する)」と回答するならば、その証拠となる経験的ないし統計的事実を示せ、という問いだ。
尤も、森元首相は前述の通り当該発言を、自身の体験的事実に基づく形で為しているのだから、幾らこれを「女性差別と非難する主体の経験的ないし統計的事実と反する」としたところで、森元首相の個人的体験たる「理事会の会議時間」を「男女比率に関わらず長くない」という事実を示さなければ、森元首相発言を「女性差別」とは断定断言出来かねる、はずである。
どうも、「女性に対する否定的評価は、全て女性差別」って思想が見え隠れするというか、「臭いがする」というか、「気配を感じる」のは、私(ZERO)だけ、だろうか。
【Q4】は言うまでも無かろうが、【Q1】から【Q3】までの「総括」だ。
諄いようだが繰り返しておこう。
森元首相の当該発言を「女性差別」と断定断言し非難出来る者は、上記【Q1】から【Q4】に全て「Yes」と答えられる者、だけである。
而して、今「猖獗を極めている」とも言い得る「森元首相当該発言を”女性差別”と非難する者ども」の大半は、「上記【Q1】から【Q4】に全て「Yes」と答えられる者」では、ないだろう、と・・・邪推じゃぁないな。私(ZERO)は確信して居るぞ。
「競馬馬がもて囃されているのならば、騎兵の馬の出番があるのに違いない。」
クルト・タンクって、やっぱり偉いよなぁ。