「学問の自由侵害」への原点回帰、の筈が・・・【東京社説】憲法と学問の自由 迫害の歴史の果てに +1

 「学術会議問題」が「問題化」してから、1カ月が過ぎた。この間、「学術会議会員候補105名推薦の内、6名を任命しなかった」事に対し、当初「学問の自由の侵害だ!」と挙って社説で主張したアカ新聞各紙が、瞬く間にその主張をトーンダウン。法律違反だ!とか首相答弁が矛盾している!」とか、挙げ句の果てに首相の自著に書いてあることと違う!などと言う、普通に考えれば”学問の自由”とは無関係な主張であり、ある種の”論点ずらし”ないし“問題の矮小化”に汲々とし始めた惨状は、先行記事にした通りだ。

 所がどっこい、当の「今回任命されなかった学術会議会員候補だった」6名の先生方は、あれこれ屁理屈をこねて(殊に、当の学術会議が3回に渡って出した”軍事目的の科学研究は行わない”とする声明と“学問の自由”との矛盾を説明する屁理屈は、秀逸だ。今回の学術会議問題は、学問の自由の侵害だ!と、主張し続けているそうだ。

 左様なセンセイ方に勇気づけられた、のであろうか。東京新聞が「憲法と学問の自由 迫害の歴史の果てに」と銘打って、「今回の学術会議問題は、学問の自由の侵害だ!」と主張する社説を再度掲げたのである。これは、弊ブログとしては大いに歓迎・歓待せざるを得まい。

 ”Now,we START.”「さっ、はじめようぜ。」 名無し@映画「夕陽のガンマン」(*1)

 「パーティーが始まるぞ!」
 「教育してやれ。」
バウアー大尉@劇画「黒騎士物語」(*2)

 「面白い。まとめてぶっ飛ばしてやるよ!」ラビニア姉御@ゲーム「戦場のバルキュリア2」(*3)

  • < 注記>
  • (*1) 演じるは、若き頃のクリント・イーストウッド 
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  • (*2) 隻眼の黒騎士戦車中隊中隊長殿の「教育」は、骨身に染みる厳しいモノがある。 
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  • (*3) 姉御肌の、ダルクス人整備兵。整備兵の筈だが,主として戦車に乗って戦場を駆け回っている。って事は、相当「負け戦」なんじゃぁ、なかろうか。
  •  まあ、「戦場のバルキュリア2」は、士官学校の生徒たちがそのまま(内戦だけど)実戦に投入されてしまう、会津の白虎隊張りの展開だから、「相当な負け戦」ではあるけれど。 
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【東京社説】憲法と学問の自由 迫害の歴史の果てに

 

憲法と学問の自由 迫害の歴史の果てに

2020年11月4日 07時23分

 

 「シンデレラ」「赤ずきん」「白雪姫」…。「グリム童話集」にあるお話です。十九世紀にグリム兄弟がドイツの民話を集め、まとめたことで知られます。

 

 もともと兄のヤーコプと弟のウィルヘルムは言語学者・文献学者でした。ドイツ北部に当時あったハノーバー王国のゲッティンゲン大学で教えていました。兄は講義の初めに「思想は稲光であり、言葉は雷鳴である」と語ったそうです。文学者らしい逸話です。

 

◆戦前には学説も弾圧

 

 でも身辺は一変します。一八三七年に新しい国王は自由主義的な憲法の無効を宣言しました。旧体制を復活させようとしたのです。そんな国王の専横に立ち上がったのがグリム兄弟でした。法学者や物理学者ら五人の仲間とともに、抗議文書を提出したのです。

 

 兄弟ら七人は免職処分になってしまいました。三日以内に王国を去れと…。「ゲッティンゲン七教授事件」と呼ばれます。兄弟は後にプロイセン王に招かれベルリン大学に勤め、「ドイツ語辞典」の編さんに人生をささげます。

 学者の研究や学説、あるいは意見に対し、国家権力が迫害を加えた事例はいくらもあります。日本では戦前の滝川事件がそうです。

 

 一九三三年に京都帝大の刑法学者・滝川幸辰(ゆきとき)教授の講演や著書に危険思想があるとして、休職処分にされた事件です。法学部の教授たちは抗議して辞表を提出。当時の新聞には「京大法学部は閉鎖の運命」などの見出しが躍りました。

 三五年には天皇機関説事件がありました。国家を法人にたとえ、天皇はその最高機関である。そんな美濃部達吉氏の学説を右翼などが攻撃しました。美濃部氏は公職を追われ、著書も発禁となりました。やがて日中戦争、太平洋戦争です。戦争への序曲に「学問」への弾圧があったのです。

 

◆自由への政治介入だ

 

 明治憲法にない「学問の自由」が、なぜ日本国憲法に定められたのか。名高い憲法学者の芦部信喜氏は「憲法」(岩波書店)で、滝川事件や天皇機関説事件を引きつつ、こう記しています。

 <学問の自由ないしは学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである>

 学問研究や発表の自由にとどまりません。自由な研究を実質的に裏付けする研究者の身分保障、さらに政治的干渉からの保護?条文にはそんな意味があります。学問領域には自律がいるのです。

 

 憲法制定当時の議論も振り返ってみます。四六年の衆院で新憲法担当大臣の金森徳次郎氏は中国・始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)や、ダーウィンの進化論、天動説・地動説の論争を採り上げて答弁しています。

 <公の権力を以(もっ)て制限圧迫を加えない。(中略)各人正しいと思う道に従って学問をしていくことを、国家が権力を以て之(これ)を妨げないことです>

 

 実は金森氏自身が天皇機関説事件に巻き込まれました。当時、法制局長官だった金森氏は帝国議会で「学問のことは政治の舞台で論じないのがよい」と答弁し、自著にも機関説の記述があったため、議会でつるし上げられ、三六年に退官に追い込まれたのです。「学問の自由」は弾圧の歴史を踏まえた条文だと当時は誰もが思っていたことでしょう。

 

 さて日本学術会議の会員に六人の学者が首相によって任命を拒否された問題は混迷を極めています。なぜ拒否したのか首相は国会でも明言を避け、暗に政府を批判する者は排除するがごとき風潮をつくっています。

 

 むろん多くの団体などが「違憲・違法な決定だ」と抗議の声明を発表しています。「自由への介入」で、権力の乱用にあたると考えます。何より歴代政権も「首相の任命は形式」だったのですから。どんな理由があれ、法令の読み方に従い、学術会議の推薦どおり首相は任命すべきです。

 

 そもそも学者の意見は、仮に政府と正反対であっても、専門性ゆえに尊重すべきです。原子爆弾に結びつく理論の発見をしたアインシュタインも戦後、英国の哲学者ラッセルとともに核廃絶と科学技術の平和利用を訴えた宣言を出しました。人類への忠告でした。

 

◆見識には耳を傾けて

 

 学者には政治から離れた良心に基づく見識が求められているのです。この境界線を突破されれば、またも全体主義への道を進みかねません。

 

 グリム兄弟と同時代を生きた童話作家にデンマークのアンデルセンがいます。「ヤーコプ・グリムは人が愛さざるをえないような人柄」との人物評が残っています。

 

 そういえばアンデルセンの名作には「裸の王様」も…。取り巻きの同調意見ばかり聞き入れ、学者の正論に耳をふさげば、宰相はそう呼ばれてしまいます。

 

 

抽出「学術会議問題は、学問の自由の侵害だ!」とする根拠

 上掲社説のタイトルを見たとき,実は私(ZERO)は心中快哉を叫んでいたのだ。先述の通り「学術会議問題は、学問の自由の侵害だ!」で批難され始めたはずの「学術会議問題」が矮小化され,論点ずらしされる中での「原点回帰」だ。さて、どんな「学問の自由の侵害だとする根拠」が出て来るかと、ワクワクしながら上掲社説を読んだ、の・だ・が・・・グリム兄弟から始まって、「戦前は学者が迫害された」などの「過去の事例」が羅列されるばかり.漸く「抽出」できた「学術会議問題は、学問の自由の侵害だ!」とする根拠は・・・

<1> 何より歴代政権も「首相の任命は形式」だったのですから。【パラグラフ15】

<2> 学者には政治から離れた良心に基づく見識が求められているのです。【パラグラフ17】

これだけ、である。他には無い。グリム兄弟も戦前の学者弾圧も憲法制定時の議論も、学術会議問題とは関係ない.辛うじて「学問の自由侵害」つながりではあるらしいが、肝腎の「学術会議会議問題は学問の自由の侵害」とする根拠が、上掲<1>と<2>だけ。

 あまつさえ、上記<1>の直後ででは、

1> どんな理由があれ、法令の読み方に従い、学術会議の推薦どおり首相は任命すべきです。

と断定断言出来てしまうのだから凄まじい.当該法令は「必ずしも学術会議の推薦通りに首相が任命するモノでは無い.」とする内閣法制局内部文書が2018に出ているし、左様な解釈が十分通用することは、このたび初めて当該法令を読んだ私(ZERO)にさえ十分理解できる.それを上掲東京社説は法令の読み方に従いとして、私(ZERO)の解釈も、内閣法制局内部文書も、否定しきってしまうのである。

 大体、「軍事利用を目的とした科学研究」を三度にわたって(最近は3年前に)否定する声明を出して「学問の自由」を自ら否定し続けてきた学術会議に「政治から離れた良心に基づく見識」なんぞ、在る訳が無い。軍事は政治の一環であり、一環であるからこそ「シビリアンコントロール」も有効に機能する.従って「軍事利用を目的とした科学研究」は極めて政治的な対象であり、これを自由放任するというならば兎も角、「禁じる」と言うのは、喩え「良心に基づいた見識」に依ったとしても(*1)、「政治から離れて」なんぞ居る訳が無い/居ようが無い。

 であるならば、上掲東京社説が辛うじて主張できる「学術会議問題は、学問の自由の侵害だ!」とする根拠は、上記<1>「歴代政権は「首相の任命は形式」だったと言う「前例踏襲主義」だけ。即ち歴代政権とは違うことをしたから、学問の自由の侵害だ。としか、言っていない。説得力は皆無に近かろう。
 
 結論。上掲東京社説自身が、「学術会議問題は、学問の自由の侵害」説の崩壊を、裏付けている。

 と思っていたら・・・以下は上掲東京新聞社説の、翌日の東京新聞社説である。

  • <注記>
  • (*1) それすら、大いに疑問であるが。 



 

【東京社説】学術会議問題 矛盾に満ちた首相答弁

 

2020年11月5日 07時56分
 日本学術会議が推薦した会員候補のうち六人の任命を拒否した問題。菅義偉首相の説明は説得力を欠くばかりか矛盾に満ちている。なぜ拒否したのか。引き続き国会の場で明らかにする必要がある。


 菅内閣発足後、初の本格論戦となった衆院予算委員会はきのう二日間の日程を終え、論戦の舞台はきょうから参院予算委に移る。野党側による追及が続くのが、学術会議の会員任命拒否問題だ。


 首相による学術会議会員の任命について、政府は一九八三年、当時の中曽根康弘首相が「形式的にすぎない」と答弁するなど裁量を認めてこなかったが、菅首相は一転「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点から」六人の任命を拒否し、その違法性が問われている。


 政府は、学術会議の「推薦通りに任命しなければならないわけではない」とする内部文書を二〇一八年に作成して、こうした法解釈は一九八三年から「一貫した考え方」だと説明している。


 立憲民主党の枝野幸男代表はきのう、この法解釈が八三年から一貫していることを示す記録の提出を求めたが、政府側は示せなかった。恐らく存在しないのだろう。


 この内部文書が過去に国会で説明され、審議された形跡もない。国会審議を経て成立した法律の解釈を、政府部内の一片の文書で変更することは到底許されない。


 首相説明の矛盾はこれだけではない。首相は「私が判断した」と言いながら、拒否した六人のうち五人の名前や業績は「承知していなかった」と答えている。


 また首相は任命拒否の理由に、会員に旧七帝大などが多く、大学の偏り解消や若手起用など多様性の確保を挙げたが、六人の半数は私大教授で、一人も会員のいない大学の教授や五十代前半の教授、女性も含まれる。首相の任命拒否は結局、多様性を奪っている。


 そして最後は「公務員の人事に関わるので差し控える」と拒否の本当の理由を語ろうとしない。


 六人はいずれも安全保障関連法など安倍前政権の政策に反対しており、これが拒否理由だと勘繰られても仕方があるまい。
 学術会議の在り方検討を主張するのも論点のすり替えだ。六人の拒否ありきで、何を言っても後付けの説明にしか聞こえない。説明すればするほど矛盾が露呈する。


 首相は自らの非を認めた上で、あらためて六人を任命し、混乱を収拾するしか道はない。学術会議問題を通じて見え始めた強権的な体質も改めるべきである。

 

「矛盾した首相国会答弁」は、非難の対象ではあろう.が、「学問の自由」とは無関係だ。

 「学問の自由の侵害」は「自由の侵害」であるから非難批判の対象なのであり、首相答弁が矛盾しようが首尾一貫しようが、関係ない。

 前上掲の通り前日の社説では、グリム兄弟だの戦前だの「学問の自由侵害」事例を羅列した東京新聞が、後上掲社説では「学問の自由」の「が」の字さえ出さずに、法解釈だの法律論だのに終始するのみである。正に、「学術会議問題は、学問の自由の侵害」説の崩壊を、まざまざと見せつけて居る。

 で、新たな論点である(*1)法解釈/法律論について言うならば、「法解釈まで国会の所掌とするのは、三権分立の侵害の恐れあり.」とは、以前記事にした所だな。後上掲東京社説は、

2> 国会審議を経て成立した法律の解釈を、政府部内の一片の文書で変更することは到底許されない

とまで、断定断言してしまっているが、上記2>のロジックに従うならば、司法たる裁判所は「殆どの判決を下せない」ことになりそうだ。

 法解釈は、法律自身よりも柔軟であればこそ、意味も意義もある。

 法解釈すら「国会審議を経て可決成立が必要」となったら、法の執行何ざぁ出来なくなるし、国会の権限は恐ろしく強くなり「国会独裁体制」に近くなるだろう。そいつを「国会重視の三権分立」と言うのは、随分と無理がありそうだ。

 大体、内閣法制局ったら、「内閣に於ける法解釈の元締め」だろうに.それを無視して「法解釈変更には国会審議が必要」って、一体何を言っているんだ東京新聞は?
 

  • <注記>
  • (*1) 敢えて東京新聞の「論点ずらし」に乗って。「学術会議問題は、学問の自由の侵害」説が崩壊してしまって以上、「論点ずらし」でもしないと「学十つ買い疑問題」は批難できないから、なのだろう。
  •  と言うことは、モリカケ桜と同様に、矢っ張り「学術会議問題」も、「単なる現政府攻撃手段」ってことだ。モリカケ桜の様な「出来損ないスキャンダル」と、何れがマシか、と言うと・・・「任命拒否された学術会議候補メンバ6名」という味方がいる分は、マシなのかねぇ。


 ああ、後、屁理屈こねると「違法と言い得る」所が、大きいのかもな。