「合憲だが、憲法の趣旨に反する」の次は「真の抑止力」らしいや。-【東京社説】敵基地攻撃能力 真の抑止力にならない
「男と女の間には、深くて暗い川がある」とは、古い恋歌の歌い出しだが、「殆ど生まれながらの右翼」たる私(ZERO)と、アカ新聞の間にも、相応の「暗い川」「ギャップ」「断絶」「認識の乖離」があるのは「想像に難くない」所か「理の当然」であろう。
ではあるが、「森羅万象、皆我が師(たり得る)」のだから、異論・異説は「己が思考の水平線を広げる機会(となるかも知れない)」。一読ぐらいでは「意味がわからない」下掲東京新聞社説を、「理解しよう」と、トライしてみたんだが・・・
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【東京社説】敵基地攻撃能力 真の抑止力にならない
- https://www.tokyo-np.co.jp/article/47112?rct=editorial
- 2020年8月5日 07時19分
- 「敵基地攻撃能力の保有」を事実上求める自民党の提言は、「専守防衛」の憲法九条を逸脱するのでは、との疑問が拭えない。地域の軍拡競争が加速すれば、真の抑止力にもならないのではないか。
- 提言の発端は、安倍内閣が進めてきた地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」(地上イージス)の配備計画の撤回だ。それによって生じるミサイル防衛の「空白」をどう埋めるのか、自民党が検討してまとめた提言を、安倍晋三首相、菅義偉官房長官ら政府側にきのう申し入れた。
- 提言は日本を標的とする弾道ミサイルについて「迎撃だけでは、防御しきれない恐れがある」と指摘した上で「相手領域内でも弾道ミサイルを阻止する能力の保有」が必要だとして、政府として早急に結論を出すよう求めている。
- 提言には「敵基地攻撃能力の保有」という文言はないが、相手領域内での阻止能力には言及しており、敵基地攻撃能力の保有を事実上促したものといえる。
- 歴代内閣は、ミサイル発射基地への攻撃は「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」と、憲法九条が認める自衛の範囲内としてきた。
- 同時に政府見解は「平生から他国を攻撃する、攻撃的な脅威を与えるような兵器を持つことは憲法の趣旨ではない(*1)」ともしており、敵基地攻撃が可能な装備を持つことを認めてきたわけではない(*2)。
- それが一転、攻撃能力を保有することになれば、専守防衛を逸脱しかねない。抑止力向上のための取り組みが周辺国の軍拡競争を促し、逆に緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥る恐れもある(*3)。
- 政府は国家安全保障会議で新しい安全保障戦略を検討、九月にも新しい方向性を示すというが、自民党提言をそのまま受け入れず、慎重に議論する必要がある。
- 日本世論調査会の全国郵送世論調査では、自衛隊は「専守防衛を厳守するべきだ」と答えた人は76%に上る。国民多数の思いを、政府が踏みにじってはならない。
- 安倍首相の政権復帰後、防衛費は増額が続き、過去最高を更新し続けている。新しい安保戦略に、防衛費を増額、維持する意図があるとしたら看過できない(*4)。
- 首相は提言を受けて「国の使命は国民の命と平和な暮らしを守り抜くことだ」と述べた。ならば、最優先で取り組むべきは、コロナ禍に苦しむ国民の暮らしや仕事、学びを守ることであり、限られた予算を振り向けることである(*5)。
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<注記>
- (*1) 出たな。「憲法では認められるが、憲法の趣旨には反する」って奇天烈屁理屈。
- 「我が国は、集団的自衛権を保有するが、我が国の憲法がその行使を禁じている。」ってのと「同じ構造」
- (*2) 「敵基地攻撃が可能な装備を持つ事を認めてきた訳では無い」が、「敵基地攻撃は認める」ってナンダよ。「敵基地攻撃が可能な装備」は「必要なときにレンタル」するのかよ。レンタル元はアメリカしか無さそうだが、西ドイツ軍が米軍から「核爆弾を借りる」ことにした、核シェアリングの様な構想なのかな。
- (*3) 軍拡競争。結構では無いか。軍拡競争にすら至らず、不戦敗を喫するより、遙かに良い。
- (*4) 隣国の中国は、20年間以上防衛費二桁増の大軍拡中ですが、何か?
- (*5) 寝言は、寝て言えや。或いは、凄まじいばかりの議論のすり替えだ。
- 武漢肺炎禍の死者数は、現在に至るも日本全国で多い日で10人程度。交通事故死者数はおろか自殺者数よりも遙かに少ない。
- 且つ、仮に防衛費全額(って事は、自衛官の全給与も含む)を武漢肺炎禍に振り向けたとして、一体日に何人を「武漢肺炎死から救う」事になるというのか。
- 寝惚けるな。ボケ。
「真の抑止力」って、一体何???
いや、余りにぶっ飛んだ主張なモノで、一読ぐらいでは「何言ってんだコイツ?!」状態だった。気を取り直して「真の抑止力」と屋良についての記述を抽出すると・・・(例によって【】はパラグラフ番号)
① 軍拡競争が加速すれば、真の抑止力にもならないのでは無いか。【1】
・・・何と、驚くべき事に、上掲東京社説のタイトルにも取られている 「真の抑止力」に対する言及は、この【パラグラフ1】のみ。どうやら東京新聞の言う「真の抑止力」というヤツは、「軍拡競争とは相容れない」モノらしい、とは判ったが・・・判ったのはそれだけ、だ。
我が国が敵基地攻撃能力を保有する事が「軍拡競争を惹起する可能性がある」事は認めよう。だが、現状は既に「中国が圧倒的に先行する軍備拡大」なのであるから、「軍拡競争になる」方が現状よりも遙かにマシであるし、「軍拡競争しない」という選択肢は、少なくとも一面対中国宥和政策であり、中国から我が国へ戦争を仕掛けやすくする方向であり、戦争誘因である。普通はこれを「抑止力が低下した」と評する、と思うのだが、東京新聞は斯様な状態・状況を「真の抑止力が高まった」と、評するのであろうか。
そもそも、「抑止力」とは、一言で言ってしまえば「相手に、戦争仕掛ける気を無くさせる力」であり、極単純に言えば「脅し」であり、「軍事力」である。軍事力以外の、「外交力」だとか「文化力」だとか、尤もらしい名前のナントカ力が束になったところで、「軍事力による抑止力」の前では屁の突っ張り、刺身のツマにでもなればミッケモノだ。つまりは「サッパリ役に立たない」。
従って、諄いようだが「軍拡競争」は「軍拡競争不戦敗」よりも遙かに「抑止力を高めた」状態である。
「憲法9条が最大の抑止力」とか、素面で言えてしまうキチガイも世の中には掃いて捨てる程あり、東京新聞なんてのはそのクチかも知れないが、「平和を愛する諸国民」なんて虚構を盲信し、中国共産党も朝鮮労働党も「平和を愛する諸国民」と考えられるようなキチガイでもなければ、「憲法9条が最大の抑止力」なんて、素面じゃぁ言えないと思うんだがな。
何方か、解説していただけ無い者かな、上掲社説で東京新聞が言う「相手が既に大軍拡中であるにも関わらず、軍拡競争に至らない”真の抑止力”」とは何なのか。それが誰にどの様に作用する事で「我が国へ戦争を仕掛ける気を無くさせる」と期待できるのか。
或いは、「抑止力の定義」からして、私(ZERO)と東京新聞は異なる、のかも知れない。だとしたら、東京新聞の言う「抑止力」とは、どんな定義なのか?
あ、ヒョッとして上掲東京社説の最後の方に突然出現する「武漢肺炎対策」が「真の抑止力」なのかな?「武漢肺炎対策こそ真の抑止力」って主張は、凄まじくインパクトはあろうが、「一体何を言っているのかサッパリ判らない」点では「憲法9条が最大の抑止力」よりも非道いぞ。