男系で無ければ、天皇では無い。ー【東京社説】「年のはじめに考える 天皇制と男女平等は」」に見る「日本の危機
応援いただけるならば、クリックを⇒
https://www.blogmura.com/ranking.html
亡国、と言うのは、幾つかの形があるだろう。
国が外国の侵略を受けて敗れ、かつての国民が難民や奴隷となって「かつての国」の外への逃亡や離散を余儀なくされた、ユダヤ王国ってのはその一つの形だろう。
大帝国ペルシャの直接軍事的侵略は団結して退けたというのに、その後内輪もめ起こして互いにつぶし合い、挙げ句に「同族だけど、古くさい王様なんて頂いた田舎者」と馬鹿にしていたマケドニア人に全部併呑されてしまった(*1)ギリシャ都市国家群も、一つの形だ。
国防を異民族の傭兵任せにして、相応の伝統を誇った民主制が衆愚政治に堕した挙げ句に、矢張り異民族の侵略もあって国が四分五裂してしまったローマ帝国も、示唆と教訓に飛んだ「亡国の形」だろう。
戦争に敗れて武装解除された上に憲法を強制されてしまった大日本帝国=我が国ってのも、「ユダヤ王国に比べるとあれこれマシである点がある」のは事実だが、矢張り「亡国の一つの形」だろう。
左様な意味では、我が国は「大東亜戦争敗北による亡国」を経験し、少なくともある部分、そこからの「復活を果たした」と言い得よう。
だが、外部からの侵略によるばかりが、亡国では無かろう。上記で言えばギリシャ都市国家群やローマ帝国の「亡国」には内部的要因が絡み、ある意味「内側からの亡国」でもあるし、内部的要因のみの、外部からの侵略を伴わない「内側からの亡国」だって、想定しうるし、備えるべきであろう。
左様な「亡国論」を思い巡らすのは、下掲東京新聞社説の性である。
左様な「亡国論」を思い巡らすのは、下掲東京新聞社説の性である。
- <注記>
- (*1) 当時の地中海世界をほぼ全征服してしまった、アレキサンダー大王のためだから、「運が悪かった」とも言えそうだが。多分、人類史上最も「世界征服による全世界統一国家化」に現実味があった時代だ。
【東京社説】年のはじめに考える 天皇制と男女平等は
【東京社説】年のはじめに考える 天皇制と男女平等は
2020年1月8日
「女性天皇は認めるべきだ」
「確かに推古天皇から八人で十代の例があるが、男系が皇位に就くまでの暫定的な存在だった」
「政治的野心を持った者が女性天皇の婿(むこ)になったら、困ることになるではないか」
こんな議論があったのは何と一八八二(明治十五)年。当時の有力紙・東京横浜毎日新聞に載りました。九回連載のテーマは、ずばり「女帝を立(たつ)るの可否」。
一流の論客たちが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を繰り広げました。中には「立憲主義国では平凡な君主で構わないから女性でも務まろう」などと、現在なら女性蔑視と眉をひそめる意見も載っています。
西欧は女王の歴史が
憲法学者・故奥平康弘氏の「『萬世一系』の研究」(岩波書店)に記された興味深いエピソードです。こんな議論が起きたのも、明治国家が憲法を定めつつある時期で、模範にする西欧では女帝が存在したからです。
英国ではビクトリア女王が在位中。歴史的にも十六世紀に有名なエリザベス一世がいたし、十八世紀にはオーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエカテリーナ二世ら女帝が君臨しました。
でも、一八八九年に公布された大日本帝国憲法の第二条には「皇位ハ(中略)皇男子孫之ヲ継承ス」と定められました。男系・男子主義です。どんな経緯だったのでしょうか。
早くは元老院の「日本国憲按(あん)」という文書の一次案に、女性天皇を容認する記述があります。皇位継承の順位として「同族ニ於(おい)テハ男ハ女ニ先(さきだ)チ」などと。でも、二次案では女帝容認案は消えてしまいました。明治憲法制定にあたり、伊藤博文の右腕になった井上毅が西欧を軽率に模倣する愚を説いたのです。
論の中核が、もし女性天皇が子どもを産めば、その子は父親の姓を名乗ることになる-という当時の家父長制の論理でした。男系が崩れ、女系天皇になるわけです。
「法の下の平等」では
ただ女帝を封じれば困った事態も予想されます。男系・男子だけだと天皇を継ぐ者がいなくなりはしないか? でも井上には「正妻の子でない天皇」が念頭にあったようです。当時は慣習として天皇にも側室がいたのです。
実は明治天皇も正妻の子ではありません。遡(さかのぼ)れば江戸時代の桜町天皇から、桃園、後桜町、後桃園、光格、仁孝、孝明、明治と側室の子が続きます。大正天皇も、です。これらの事柄も奥平氏の前掲書に記されています。
こうして引き継がれてきた天皇制は、昭和の敗戦で新局面を迎えます。新憲法は第一四条の「法の下の平等」で性別により差別されないことを定めたからです。
男女平等ですから、日本国憲法の第二条は「皇位は、世襲」とのみ記し、明治憲法にあった「皇男子孫」の文字が消えました。しかし、一般の法となった新皇室典範は男系・男子主義のまま残ってしまいました。
もっとも典範改正にあたり、一九四六年に当時の宮内省は「皇統を男系に限ることは憲法違反となるか」という文書を臨時法制調査会に出しています。宮内省の立場としては、むろん「否」なのですが、当時の空気には意外なほど女帝肯定論がありました。
同調査会でも、東京帝大教授の宮沢俊義氏や杉村章三郎氏らは肯定論の立場でした。帝国議会でも「男女平等」の原則から女性天皇論が説かれたりしています。ただ、現実には多数派は男系・男子主義で、新皇室典範ができたのですが…。
さて、大嘗(だいじょう)祭を終えた今、皇位継承の在り方は政府の宿題になっています。女性・女系天皇、また女性宮家の創設のテーマです。皇位継承者は秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまに限られてしまったためです。もはや側室制度はありえません。
だから男系・男子主義者は旧皇族の復活などを主張します。でも、象徴天皇制は国民の意識変化も考える必要があるでしょう。共同通信の世論調査では女性天皇に賛成が82%、女系天皇の賛成が70%。国民の多くは「容認」です。
昭和天皇の弟である故・三笠宮崇仁さまはかつて皇族の結婚について嘆きを記しています。
人権と民主主義でも
<種馬か種牛を交配する様に本人同士の情愛には全く無関心で(中略)人を無理に押しつけたものである。之(これ)が為(ため)どんなに若い純情な皇族が人知れず血の涙を流し(中略)たことであらうか>
天皇家は人権が及びにくい「身分制の飛び地」と学問的にいわれています。ですが、婚姻の自由はあってしかるべきです。
「個人の尊重」の点からも。むろん平等の点からも…。女性・女系天皇論を扱ううえでは、今や人権と民主主義という憲法の根幹にある思想が必要と考えます。
神武天皇以来、我が国の天皇陛下は、男系のみである。
女性天皇は、幾人か居られた。だが、何れも男系女子が皇位を継がれた後、その次の皇位を男系男子に譲られており、男系継承は、それこそ「万世一系」で受け継がれている。
歴代の天皇陛下が「男子であったと証明する生物学的証拠が無い」というのは事実だろう。例えば、初代天皇とされる神武天皇の骨なり毛髪なりが在る訳では無いから、「実は女性であった」と仮説を立てても、これに反証する生物学的証拠は無さそうだ。
それ以前に、神武天皇ぐらい「神代に近い天皇陛下」だと「実在していない」とする説の方が有力らしい。
だが、そんな「実在していないかも知れない」天皇陛下も「ひょっとすると女性かも知れない」天皇陛下も含めて「全代男系であり、大半が男系男子である」とされるのが、天皇陛下である。即ち「ひょっとすると女性かも知れない天皇陛下(*1)も、男系男子とする」ことで「全代男系」という皇位継承の伝統を守り通してきたのが、我らが先人である。
これは(「実は女性の天皇」が仮に居たとしても)、「打破すべき虚構」であろうか?私(ZERO)には、全く左様には思われないのだが。
我らの先人が、皇紀で言えば27世紀もの間、史実で言っても1300年以上も守り通してきた「全代男系皇位継承」の伝統を、21世紀の今日の我ら日本人が、新思想だの新思考だの流行だの気まぐれだので、途絶えさせて良い訳があろうか?
良い、訳が無い。
良い、訳が無い。
そんなことをしたら、厳めしく言えば「皇祖皇宗に対して」、平たく言えば「御先祖様に」、申し訳のしようが無いではないか。
死後に「あの世」というモノがあり、そこへ行った死者は、死別した両親やその両親やそのまた両親や、以降連綿と続く御先祖様に「再会する」ないし「会う」という宗教観は、今なお日本人の多くが(なんとなく、であろうが)共有するモノと思うが、その時に「女系天皇容認」なんぞ、どう説明する気なのだろうか?
「21世紀は男女平等なのである!!!」とでも演説するのだろうか。あるいは、「愛子親王陛下が可愛くてさぁ。」とでも言うのだろうか。どちらも、非情に滑稽と、私(ZERO)には思えるのだが、それが「正しい」と考えるモノも、居そうではあるな。
さて・・・閑話休題(それはさておき)・・・・
冒頭で述べた「亡国」の話に戻そう。我が国の、我が国独自の「亡国」、我が国が我が国でなくなる事態として、「女系天皇容認」が在るだろう。即ち「女系天皇容認は、我が国の亡国の形の一つだ。」と私(ZERO)は断定し、断言する。
無論、世界中には「女系容認の王国」も数多あるし、そもそも「王様も皇帝もいない国」さらには「王様も皇帝も未だかつて居たことの無い国」も数多ある。
だが、我が国は、私の知る限り唯一の「男系の王制を維持してきた国」であり、その為に先述の通り、「実在していないかも知れない」天皇陛下も「ひょっとすると女性かも知れない」天皇陛下も含めて「全代男系であり、大半が男系男子である」としてきているのである。かくも我らが先人が守り通してきた「男系天皇制」を変えて、「女系天皇容認」して、我が国が、我が国たり得ようか?
だが、我が国は、私の知る限り唯一の「男系の王制を維持してきた国」であり、その為に先述の通り、「実在していないかも知れない」天皇陛下も「ひょっとすると女性かも知れない」天皇陛下も含めて「全代男系であり、大半が男系男子である」としてきているのである。かくも我らが先人が守り通してきた「男系天皇制」を変えて、「女系天皇容認」して、我が国が、我が国たり得ようか?
少なくとも、「女系天皇容認」には、我が国が、我が国たり得無くなるリスクを伴う。
そのリスクは、旧皇族の皇族復帰でも回避できると言うのに、新思想だか新思考だか流行だか宗教だかに則って「女系天皇容認」というリスクを選ぶなどと言うのは、言語道断と言うべきであろう。
そのリスクは、旧皇族の皇族復帰でも回避できると言うのに、新思想だか新思考だか流行だか宗教だかに則って「女系天皇容認」というリスクを選ぶなどと言うのは、言語道断と言うべきであろう。
朝敵、滅すべし。
我が敵は、天地許さぬ朝敵ぞ。
- <注記>
- (*1) が、仮に居たとしても、と言う話だ。