プロパガンダは、自腹でやれ。「愛知トリエンナーレ」への公金支出停止を批難する、朝日、毎日、東京、沖縄タイムス、琉球新報社説の暴論愚論ぶり
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「従軍慰安婦」像だとか、昭和天皇陛下の写真を燃やしてみせる「芸術作品」を展示する「愛知トリエンナーレ」なる催し物に対し、日本政府は補助金支出7800万円を停止する決定をした。日本政府の支出が我が国民の血税である以上、至極当然で、当たり前すぎて欠伸も出ないような決定。そもそも「左様な反日・反天皇プロパガンダに公金が支出されると決定した事からして問題だ。」と考えるのが常識良識だと、私(ZERO)は思う訳だが、アカ新聞どもは違うらしい。
私自身が「殆ど生まれながらの右翼」とは再三繰り返し、恐らくは自他共に認めるところであるから、アカ新聞どもとは主張も感覚も異なって当然ではあるが、異論・異説・異質な思考は、「己が思考の水平線を拡張する機会」となる、場合もある。
故に、異論・異説や反論反駁は大いに歓迎するところ。下掲のアカ新聞社説が如何なる根拠理由で「愛知トリエンナーレに対する日本政府の補助金停止反対」を唱えているのか、じっくりとっくり見ていこうでは無いか。
故に、異論・異説や反論反駁は大いに歓迎するところ。下掲のアカ新聞社説が如何なる根拠理由で「愛知トリエンナーレに対する日本政府の補助金停止反対」を唱えているのか、じっくりとっくり見ていこうでは無いか。
Now we START!@「夕陽のガンマン」より、名無し
①【朝日社説】あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力
②【毎日社説】芸術祭に補助金不交付 妨害の後押しに繋がる
③【東京社説】補助金の不交付 明らかな権力の検閲だ
④【沖縄タイムス社説】[芸術祭の補助金不交付]萎縮助長は看過できぬ
⑤【琉球新報社説】芸術祭補助金不交付 表現の自由脅かす検閲だ
①【朝日社説】あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力
あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力2019年9月27日05時00分【1】 表現行為や芸術活動への理解を欠く誤った決定である。社会全体に萎縮効果を及ぼし、国際的にも日本の文化行政に対する不信と軽蔑を招きかねない。ただちに撤回すべきだ。
【2】 脅迫や執拗(しつよう)な抗議によって企画展の一つが中止に追い込まれた「あいちトリエンナーレ」について、文化庁が内定していた補助金約7800万円全額を交付しないと発表した。前例のない異常な措置だ。
【3】 萩生田光一文部科学相は「申請のあったとおりの展示が実現できていない」などと、手続き違反や運営の不備を理由に挙げた。だが、この説明をそのまま受け入れることはできない。
【4】 中止になった「表現の不自由展・その後」には、慰安婦に着想を得た少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などが展示されていた。「日本人へのヘイト」といった批判が持ち上がり、菅官房長官は早くも先月初めの時点で補助金の見直しを示唆する発言をしていた。
【5】 一連の経緯を見れば、政府が展示内容に立ち入って交付の取り消しを決めたのは明らかだ。それは、「政府の意に沿わない事業には金を出さない」と内外に宣明したに等しい。
【6】 少女像などに不快な思いを抱く人がいるのは否定しない。しかしだからといって、こういう形で公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されない。
【7】 その道理は、今回のトリエンナーレのあり方を検証するために愛知県が設けた委員会が、おととい公表した中間報告を読めばよく理解できる。美術館の運営や文化行政に通じた有識者、表現の自由に詳しい憲法学者らで構成された委員会だ。
【8】 中間報告は、「不自由展」の作品説明や展示方法に不備があったとしつつ、民主社会における表現の自由の重要性を説き、▽展示が政治的色彩を帯びていても、公金の使用は認められる▽表現は人々が目を背けたいと思うことにも切り込むことがある▽ヘイト行為の一般的なとらえ方に照らしても、少女像はそれに当たらない――と指摘。展示を中止したままでは「悪(あ)しき前例や自主規制を誘発する」と述べ、環境を整えたうえでの再開を提言した。
【9】 きわめて真っ当な内容だ。
【10】 説明の見直しなどが再開の条件に挙げられたことに、「不自由展」の関係者や出展作家の一部から反発も出ている。だが、このまま来月14日の会期末を迎えれば、表現活動が不当な攻撃に屈して終わることになる。
【11】 主催者と一致点を見いだし、早期の再開をめざして欲しい。圧力をはねのけ、傷ついた表現の自由を回復するために、第一歩を踏み出すことが肝要だ。
②【毎日社説】芸術祭に補助金不交付 妨害の後押しに繋がる
芸術祭に補助金不交付 妨害の後押しにつながる毎日新聞2019年9月27日 東京朝刊
【1】 文化庁が、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に対し、予定していた補助金約7800万円を交付しないことを決めた。
【2】 問題視されたのが、従軍慰安婦から着想した「平和の少女像」などを展示する企画展「表現の不自由展・その後」だ。先月の開幕直後からテロまがいの脅しを含む抗議が殺到し、3日で中止に追い込まれていた。【3】 文化庁は不交付の理由を、補助金の申請者である愛知県が、円滑な運営が脅かされる事態を予想していたにもかかわらず、申告していなかったことだと説明する。【4】 情報が十分でなく、適切な審査ができなかったという判断だ。【5】 一方で、あくまでも展示内容の是非ではないと強調する。【6】 しかし、いったん事業を採択して助成を決めたにもかかわらず、開幕後に手続きの問題を理由にして不交付にするというやり方は、展示内容に対する今の政権の不快感を表していると取られても仕方ない。【7】 実際、開幕直後、菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示していた。【8】 結果的に今回の措置は、自分たちと意見を異にする言論や表現を暴力的な脅しで排除しようとする行為を、後押しすることにつながる。【9】 さらに、そういった風潮が社会に広がっていくことにも強い危機感を覚える。【10】 確かに、不自由展の開催にあたっては、リスク回避の不備など津田大介芸術監督に甘さがあった点は否めない。【11】 しかし、政治権力が補助金の判断を通して、展示内容や作品を選別するようなことはあってはならない。文化人や芸術家から、芸術文化活動が萎縮するのではないかとの懸念が上がるのは当然だろう。【12】 補助金の不交付決定は、愛知県の大村秀章知事が、企画展の再開を目指すことを表明した直後だった。大村知事は、不交付について、「表現の自由」の侵害にあたるとして、文部科学省を相手取り提訴する方針を示した。法廷の場で明らかにするのも一つの手立てだろう。【13】 国は、世界に尊敬され愛される「文化芸術立国」を目指すとしている。そうであれば、なおさら丁寧に説明する必要がある
③【東京社説】補助金の不交付 明らかな権力の検閲だ
補助金の不交付 明らかな権力の検閲だ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019092802000166.html2019年9月28日
【1】 「表現の不自由展・その後」が中止された「あいちトリエンナーレ2019」を巡り、文化庁は補助金の不交付を決めた。手続きを理由としているが、明らかな権力による検閲だ。撤回を求める。
【2】 文化庁は二十六日、交付が内定していたトリエンナーレへの補助金約七千八百万円を交付しないと発表した。実行委員会の中心で、補助金を申請した愛知県に対して「芸術祭の円滑な運営を脅かす事態を予想していたにもかかわらず、文化庁の問い合わせまで申告しなかった」と説明している。
【3】 変な理屈だ。芸術展は基本的に「性善説」の上に成り立つ。展示作や観覧者を脅かす悪意を前提としては開けない。不自由展の再開が検討される中で、手続きを口実に狙い撃ちにしたかのようだ。
【4】 萩生田光一文部科学相は「検閲には当たらない」と言う。しかし「退廃芸術」を排除しようとしたナチス・ドイツを持ち出すまでもなく、政治が芸術に介入するのは危険極まる。政策の基本的な計画で「文化芸術の『多様な価値』を活(い)かして、未来をつくる」とうたう文化庁が、多様な価値観を持つ芸術家の表現活動を圧迫し、萎縮させる結果になるのではないか。
【5】 大村秀章知事は「憲法が保障する表現の自由に対する重大な侵害だ」と強く批判し、裁判で争う意向を示した。補助金カットに伴う県財政や県民の負担を考えれば、もっともな対応といえよう(*1)。
【6】 不自由展は、元慰安婦の象徴とされる少女像や、昭和天皇の肖像を用いた版画を燃やす作品などを展示。激しい抗議が寄せられた。「ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫文さえ届き、わずか三日で中止となった。
【7】 実行委を構成する名古屋市の河村たかし市長は「日本国民の心を傷つけた」と述べた。だが自由な民主国家である日本の名誉を傷つけ、社会と国民を圧迫するのは、むしろこうした行為ではないか。政治家や官僚は意に沿わない芸術家や作品に目を光らせるより、暴力や圧力でものごとを動かそうとする風潮こそ戒めるべきだ。
【8】 少女像などに不快な感情を持つ人がいるのは無理もない。だが仮に像を撤去したとしても、慰安婦を巡るこの国の負の歴史まで消せるわけではない。社会の問題を誠実に問い続ける芸術家の創造活動は、私たちに都合の悪いものや直視したくないものを作品に昇華させて提出する(*2)。
【9】 私たちが芸術展で見てとるべきは、そこにある。
- <注記>
- (*1) ふざけるな。補助金を出した事による国の財政と国民の負担は[母体が大きいから良い」のかよ。どちらも、血税だろうが。
- (*2) アレが「作品に昇華している」と見えるとは、実に大した「審美眼」だな。
- 心、此処にあらざれば、見るとも、見えず、か。
④【沖縄タイムス社説】[芸術祭の補助金不交付]萎縮助長は看過できぬ
社説[芸術祭の補助金不交付]萎縮助長は看過できぬ2019年9月28日 08:35【1】 文化庁は26日、愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」に対する補助金約7800万円を交付しないと発表した。【2】 内定していた補助金の取り消しは極めて異例である。「事後検閲」の疑いが濃厚だ。【3】 同芸術祭を巡っては元「従軍慰安婦」を象徴した「平和の少女像」や昭和天皇を含む肖像群が燃え上がる映像作品などを展示した企画展「表現の不自由展・その後」に、テロ予告や脅迫が殺到。芸術祭実行委員会は「安全な運営が危ぶまれる」と、開幕からわずか3日で中止した。【4】 文化庁は4月、同芸術祭への補助金を内定。萩生田光一文部科学相は27日、「不交付決定は展示の具体的な内容とは何ら関係ない」とし、少女像などの展示が影響していないとの認識を示した。【5】 だが額面通りに受け止める人がどれだけいるだろうか。【6】 文化庁は少女像などが物議を醸したことを受け、事実関係を調査。不交付決定の理由を「円滑な運営を脅かす事態を予想していたにもかかわらず、文化庁の問い合わせまで申告しなかった」ことを挙げ、「申請手続きに不適当な行為があった」と形式上の不備を強調する。いかにも取って付けたような理由だ。【7】 愛知県が設置した第三者による検証委員会が25日、「条件が整い次第、速やかに再開すべきだ」とする中間報告をまとめた。実行委会長の大村秀章知事も「再開を目指したい」と意欲を示した直後のタイミングである。文化庁の決定は、政治から圧力がかかったと捉えられても仕方がない。
■ ■【8】 実際、実行委会長代行の河村たかし名古屋市長は少女像を「日本国民の心を踏みにじる」と即刻中止を求めた。あからさまな介入であり、どう喝である。菅義偉官房長官も「交付に当たっては精査した上で適切に対応したい」と「権力の介入」と受け止められかねない発言をした。【9】 憲法21条は「集会、結社及(およ)び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」「検閲は、これをしてはならない」と規定している。【10】 文化芸術基本法も基本理念として「文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない」とうたう。法成立の際には衆参そろって付帯決議で政府が「不当に干渉することのないようにすること」が盛り込まれた。【11】 行政や政治家は自由な表現活動を守るため、テロ予告や脅迫を排除することこそが本来の責務なのである。
■ ■【12】 大村知事は「憲法21条の重大な侵害」として表現の自由を争点に訴訟を起こす構え。【13】 内定を覆し不交付とすることが前例となれば表現の現場が萎縮する。深刻なのは脅迫で中止に追い込むことを追認してしまうことである。【14】 芸術は作品を通じてさまざまな表現と向き合い、対話することである。時に波風が立つこともあるだろう。【15】 多様な表現の自由を認め合う雰囲気が社会から失われると、息苦しくなる。【16】 会期末は10月14日。文化庁は補助金の不交付を見直し、「不自由展」の再開にこそ力を尽くすべきである。
⑤【琉球新報社説】芸術祭補助金不交付 表現の自由脅かす検閲だ
芸術祭補助金不交付 表現の自由脅かす検閲だ2019年10月2日 06:01
社説【1】 展示内容に着目した国の恣意(しい)的な表現規制と受け取らざるを得ない。行政の事後的な検閲であり、表現の自由を萎縮させる恐れが強い。【2】 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」企画展の一つである「表現の不自由展・その後」に脅迫や抗議が相次ぎ、文化庁は同芸術祭への補助金を交付しない決定をした。いったんは交付が決まっていたにもかかわらず、交付を中止するなど前代未聞であり、横暴と言うしかない。【3】 文化庁は「芸術祭の円滑な運営を脅かす事態を予想していたにもかかわらず、文化庁の問い合わせまで申告しなかった」と理由を説明した。この説明を額面通りには受け入れられない。【4】 「不自由展」を巡っては視察で訪れた河村たかし名古屋市長が、展示された慰安婦を象徴する少女像について「日本国民の心を踏みにじるものだ。公金を使って展示するべきではない」と発言した。市長の地位にある者が展示内容が意に沿わないからといって公金を使うべきではないなどと述べたのでは表現の多様性を狭めかねない。【5】 その後、菅義偉官房長官が「補助金交付を慎重に判断する」との考えを示した。これらの発言を受けての不交付決定である。【6】 現代社会ではさまざまな芸術活動などに対して補助金が交付されている。だからこそ「不自由展」の補助金も採択されたはずだ。政治的な立場が相いれないからといって、交付先をえり好みするなど許されない。【7】 補助金の不交付が即、表現の自由の侵害とはならないが、一度は交付を決定したのに、後になって手続きの不備を理由に撤回されたのでは事後制裁の色彩も帯びる。主催する団体は国や為政者の顔色をうかがいながら申請しろと言っているに等しい。【8】 「不自由展」は開幕当初から混乱した。「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」などと脅迫文が届き、悪意ある執拗(しつよう)な抗議が相次いだ。【9】 出展した作者の創造活動は否定され、危険にさらされた。彼らの表現活動を保障し、擁護するのが行政の本来の在り方だろう。【10】 混乱を受け同芸術祭の検証委員会が中間報告をまとめた。「芸術作品も含め、表現は、人々が目を背けたいと思うことにも切り込むことがあるのであり、それこそ表現の自由が重要な理由」とする。【11】 展示作品は少女像のほか、昭和天皇を扱った作品、原発事故、米軍基地など、多岐にわたる。【12】 表現の自由は民主主義の基盤となる人権であることを忘れはならない。憲法を尊重し擁護する義務のある為政者は表現行為が侵害されないよう常に最大限の注意を払うべき立場にある。【13】 「不自由展」は6日にも再開する。文化庁は不交付を取り消し、傷ついた表現の自由の回復に努めるべきだ。
【抽出】「日本政府が愛知トリエンナーレに公金を出さず、支援しないことを批難する根拠・理由」
以下に、上掲各紙が「日本政府が愛知トリエンナーレに公金を出さず、支援しないことを批難する根拠・理由」を抽出、列挙した。例によって丸数字は各社説を、【】内は各社説内のパラグラフ番号を示している。
(1)表現行動や芸術活動への理解を欠いている ①【1】
(2)社会全体に萎縮効果を及ぼす①【1】
(3)国際的にも、日本の文化行政に対する不信と軽侮を招く ①【1】
(4)前例の無い異常な措置だ ①【2】⑤【2】
(5)「政府の意に沿わない事業には金を出さない」と宣明したに等しく、公権力による芸術活動の弾圧であり、検閲である。①【5】【6】【8】②【6】【11】③【タイトル】【4】④【2】【7】【8】⑤【1】【4】【6】
(6)自分たちと意見を異にする言論や表現を暴力的な脅しで排除しようとする行為を、後押しすることにつながる ②【8】④【13】
(7)一度認めた補助金を取り消すことは、事後制裁の色彩を帯びる。⑤【7】
反論・反駁「日本政府の公金は、愛知トリエンナーレへ支出されるべきでは無い」」
先ず、上記(1)から(4)の4項目は、「朝日社説がその冒頭付近に並べ立てた日本政府に対する非難】なのであるが・・・「些事。語るに足らず。」のひと言でお終いでは無かろうか。
上記(4)「前例の無い異常事態」って批判は、単なる「前例主義」と何ら変わるまい。
上記(2)「社会の萎縮」上記(3)「外国の不信」も、詰まるところは上記(5)に帰着・統合できそうだ。
上記(1)「表現行為や芸術活動への無理解」ってのは、抽象的で何のことやら曖昧だが、結びつきそうなのは上記(5)の一部、「政府は、表現行為・芸術活動に無条件に無制限に資金援助すべきだ」と言う(後述の通り凄まじい)ロジックぐらいしか無い。矢張り上記(5)に帰着しそうで、後ほどまとめて議論しよう。
残りの内、上記(6)は、「愛知トリエンナーレへの補助金停止が、同主催者に対する脅迫の肯定になる」ってロジックらしいんだが・・・何だろうね、この屁理屈は。
誤解無いように願いたいが、愛知トリエンナーレだろうが誰であろうが、また原則的に如何なる主義主張であろうが、「暴力や脅しで屈服させる」なんて事は許されるべきで無い、って点には私(ZERO)も同意する。日本政府も、文化庁も、この点に異論は無いだろう。
だが、「脅しを受けた愛知トリエンナーレに、政府が公金を支出して“脅しに屈しない”事を示せ」ってのは、相当な屁理屈だ。「暴力や脅しに屈しない」と「公金を支出し支援する」とは、全く別次元の話である。大体、文化庁は(あまり他に手段が無いから)兎も角、日本政府が「愛知トリエンナーレが受けた脅し」に対して為すべき事は、「愛知トリエンナーレへの公金支出」である、訳が無かろうが。「脅しをかけた相手の究明」とか、条件によっては逮捕・拘束等こそ、政府として為すべき事であろう。
上記(7)は、後追いで同趣旨の社説を出した琉球新報社説の「愛知トリエンナーレへの支援金支出停止に反対する理由なのであるが・・・この上記(7)以外、琉球新報社説には殆ど新味が無い。
ああ、
ああ、
⑤1> 補助金の不正交付が即、表現の自由の侵害とはならないが、
として、「補助金の不交付」を「表現の自由の侵害とはならない」と認めている点は、特筆大書して良かろう。但し、社説タイトルからして「芸術祭補助金不交付 表現の自由脅かす検閲だ」であるから、琉球新報社説は「補助金の不正交付が即、表現の自由の侵害とはならないが、表現の自由を脅かす検閲ではある。」と断定断言し、補助金不交付を非難している。その「即表現の自由の侵害とはならない補助金不交付」と「表現の自由を脅かす検閲」とのギャップ(*1)をつなぐ「ミッシングリング」が、上記(7)「事後制裁」である、らしい。
ならば、ハナっから愛知トリエンナーレは補助金を出さないと決めて居れば、琉球新報社説の主張に従っても「表現の自由を脅かす検閲」とはならず、「何ら問題は無かった」筈だな。
それはそれで「結構なこと」である。「ハナっから愛知トリエンナーレに補助金を出すべきでは無かった。」という点には私(ZERO)も同意しよう。
だが、「一旦認められた補助金が、後から不交付とすると、(忽ち)事後検閲隣、表現の自由を脅かす検閲となる。だから反対」などと言う凄まじいロジックを、よくもまあ素面(何だろうな。あまり確信は無いが)唱えられるモノだな。「事前検閲ならば、問題ない(と、主張しているとしか思えない)」のであるから、最早ダブルスタンダード通り越して、ダブルシンク・二重思考の域に達しているぞ。
琉球新報には、真理省があるらしいな。まあ、予想された事態ではあるがな。
- <注記>
- (*1) そこに「ギャップがある」と意識認識し、認めている分、他のアカ新聞よりは随分とマシである。
上記(5)「「政府の意に沿わない事業には金を出さない」と宣明したに等しく、公権力による芸術活動の弾圧であり、検閲である。」に対する反論
先ず、論点を整理しよう。上記<5>の主張は2段階に、二つの論点に分けて論じるべきであろう。
論点の一つは、<論点5-1>「国・政府は支援金を出す”芸術”について、選択選別する権利があるか?」である。
もう一つの論点は、<論点5-2>「国・政府が支援金を出さないことは、芸術や表現活動の弾圧に当たるか?」だ。
いうまでも無いだろうが上掲四紙の社説は<論点5-1>については「No!国・政府に支援金を出す”芸術”を選択・選別する権利は無い!」と断定断言し、<論点5-2>については「国・政府が支援金を出さないのは、弾圧だ!」と殆ど絶叫しているのである。
が・・・
<論点5-1>に対し、「No!国・政府に支援金を出す”芸術”を選択・選別する権利は無い!」・・・そんなバカな。そのロジックに従うならば、政府はありとあらゆる主張に支援金を出さねばならない事になる。無論、外国が日本を占領しようという外患誘致的侵略的主張に対しても、だ。今回の愛知トリエンナーレへの支援金は7800万円と上掲社説にもある。日本を占領しようという外患誘致的侵略的主張も「表現活動や芸術」でさえあれば、額の多寡は兎も角、日本政府の支援金は得られるようにしろ、と言うのが、上掲四紙の社説の主張である。
それこそ正に、朝日、毎日、東京、沖縄タイムスの願い、ではありそうだが、早い話が正真正銘掛け値無しの売国奴だ。
<論点5-2>に対して「国・政府が支援金を出さないのは、弾圧だ!」・・・(再び)そんなバカな。「随分とぬるい”弾圧”もあったものだ」でもあれば、「なぁに政府に甘えてるんだよ。」でもある。何しろこのロジックに従い且つ、「弾圧を許さない」以上、政府は常に「支援金を出す」事を余儀なくされる。<論点5-2>で前述の通り、無差別無選別に、だ。芸術や表現活動、或いはそれに対する日本政府を打ち出の小槌か金のなる木とでも思っている、としか思えない主張だ。
以上から、私(ZERO)の主張は明らかであろう。国・政府は「無限の財源を持つ無差別無分別なパトロン」になぞなるべきでは無い。特に政治色の強い「芸術」に対しては、我が国益に合致する支援を為すのは、納税者に対する義務であろう。
支援金とは詰まるところ、日本国民の血税なのであるから、当たり前では無いか。
更には、「政府が支援金を出さない」と「芸術・表現活動の弾圧」との間には、結構なギャップ・乖離がある。「政府が支援金を出さない」事を以て「芸術・表現活動の弾圧」と、直結して断定非難してしまうと言うのは、凄まじいばかりの「政府に対する甘え」である。
大体、政府が「芸術を弾圧」する気ならば、「支援金の停止」なんてまだるっこしい手を使うかよ。その点も含めて「政府に対する甘え」だな。
で、何?政府から支援金を貰えないと、「表現の現場が萎縮する」だと?親方日の丸の支援金貰えないと萎縮しちまうような「表現の現場」ならば、「表現」なんかサッサと辞めて、乞食でも始めるが良いや。やっていることは、大して変わるまい。
結論。表現や芸術、及び「政府による芸術支援」について、全く理解していないのは、上掲アカ新聞四紙の方である。
それはそれとして、朝敵朝鮮、滅すべし。