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 何度か繰り返しているが、私(ZERO)は「韓国ってのは、国を挙げての強請タカリ国家。韓国人は(基本的に)キチガイだ。」と言う印象を既に強く持っており、半ば(以上)確信するに至っている。

 同じチョウセンジンである北朝鮮の方は、以前から「国を挙げての強請タカリ国家」であることは明白である。「6カ国協議」等を通じて「核兵器開発」をネタにして、食料や石油を強請り取ってきたのだから、これ以上明白にすることは一寸想像を絶するぐらいに明白だ。

 「北朝鮮人は、(基本的に)キチガイ」か否かは「北朝鮮に言論の自由がないから判定できない」状態にあるが、韓国は「言論の自由が(建前上)ある」事になっているのだから、その言論の責任は各人に帰されるべきであり、それ故に「韓国人は(基本的に)キチガイだ」と(半ば以上)確信するに至っている。

 とは言うものの、中には「キチガイではない韓国人」手のも「居る、可能性はある」と(まだ)考え、左様な事例は「見つけ次第、記録・記憶する」様に心がけている。

 かつて「WSJ紙+日系人/日本人女性記者=ダメ記事」って「ジンクス」を相当程度確信していた私(ZERO)が、なおのことWSJ紙記事に注意を払い、結果として左様なジンクスを「払拭するに至った(一応・・・一時的、かも知れないが)」こともあった、からな。(弊ブログ記事「WSJ紙+日系人/日本人女性記者=ダメ記事」シリーズ参照 )

 なればこそ、斯様な中央日報コラムは、歓迎し、特筆大書すべき、であるのだが・・・タイトルにもしたが「なぁんだって、他人事なんだぁ?」




【中央日報コラム】「手当たり次第反日」という愚民化政策=韓国
【コラム】「手当たり次第反日」という愚民化政策=韓国


2019年05月10日09時57分 [? 中央日報/中央日報日本語版] 

【】 映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』の熱風の中で、2016年作『闘う建築家 安藤忠雄』が静かに公開された。高卒のボクシング選手出身で、すでに1995年に「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞した安藤忠雄氏(77)のドキュメンタリーだ。直島の地中美術館、済州(チェジュ)維民(ユミン)美術館などに行ってみて安藤忠雄氏について結構知ったつもりでいたが、先週末に映画を見て少なくない衝撃を受けた。漠然と考えていた以上にその地位がはるかに偉大だったからだ。日本では言うまでもなく、鼻っ柱の強い欧州でも彼の存在は際立っている。1677年に建てられた由緒正しいヴェネツィアのプンタ・デッラ・ドガーナ美術館の改築を欧州の建築家ではなく安藤忠雄氏に一任するほどだからだ。

 【】 安藤忠雄が非常に卓越した人物だからでもあるが、ここには日本に対する欧州人の深い畏敬の念も根底に流れている。安藤忠雄という名前に日本というブランドが結合して魅力が最大化したということだ。

 【】 実際、西欧の日本愛は昨日今日のことではない。ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)は青春の必読書であり今は防弾少年団(BTS)にインスピレーションを与えた本として有名な『デミアン』(1919年作)に「背が低いおしゃれな人、日本人」をデミアンの同行者として登場させて日本に対する愛情を誇示する。ヘッセのように日本に魅了された近代欧州知識人や芸術家は数えきれないほど多い。ゴッホをはじめ19世紀の欧州画家が日本の伝統木版画である浮世絵から多大な影響を受けていることは広く知られた事実だ。

 【】 そしてこのような西洋の日本愛は過去形ではなく現在進行形だ。文化から産業に、また欧州から米国に、むしろその領域を拡張している。先週末ソウル聖水洞(ソンスドン)に長い列を作った「コーヒー業界のアップル」というブルーボトルとそのアップルの2社とも、米国人創業者が日本に魅了されて製品の中に日本の魂を溶かし込んだといっても過言ではない。

 【】 一行で要約するなら、韓国人がよく言うように日本が単にお金で世界の人の歓心を買ってきたのではなく、文化的な深さと驚異的な匠の精神で世界の人を魅了してきたということだ。ところが韓国というプリズムを通すだけで日本は全く違う国になる。いくら忘れることが難しい旧怨があるといっても、どうしても日本を韓国の高い文化的水準の足元にも置けないくらいの野蛮の国にしてしまう。目だけしっかり閉じているならよいが、日本をけなすためならわい曲もはばからない。

 【】 このような感じだ。ヘッセが『デミアン』におしゃれな人・日本人を登場させたまさにその年の1919年にあった三・一運動100周年を控え、有名な韓国史講師であるソル・ミンソク氏はあるテレビバラエティ番組に出演して日帝の石窟庵(ソックラム)き損を非難した。「石窟庵は数学・幾何学・科学の完ぺきな結晶体で、1000年以上にわたって完ぺきに保存されてきたが、日本が嫉妬してセメントとコンクリートを塗って傷つけた」という。記録は全く違うことを語っている。1912年に大規模補修工事に入った当時、石窟庵は天井が崩れて土に埋もれた状態だった。日本としては文化遺産を生かそうとして、当時としては最新の技術であるセメントを使って最善を尽くしただけだ。それでも放送以降、日本は嫉妬で盲目になり石窟庵を傷つけた野蛮国家として韓国大衆の袋叩きにされた。

 【】 資料を一度ひもとけば露見する明白な歴史わい曲だが、ソル氏や放送局が謝罪どころか訂正したという話はついぞ聞かなかった。実は、特に驚くようなことではない。韓国で「手当たり次第反日」はいつもこのように免罪符を受けてきた。

 【】 ただし、ソル氏の石窟庵発言をただバラエティで片付けることができないのは、文在寅(ムン・ジェイン)政府になって反日扇動が度を越していて、放送がその先鋒的な役割を果たしているからだ。

 【】 今年の三一節100周年記念演説で、文大統領は「パルゲンイ(=赤い奴、共産主義者)という言葉とセッカル(=色)論は我々が一日も早く清算しなければならない代表的な親日残滓」とし、反日という官製民族主義〔チェ・ジャンジブ高麗(コリョ)大学名誉教授〕の旗を遠慮なく振り、与党である共に民主党はある在野史学者の「土着倭寇」発言を「正しい」と思って反日商売に使っているから、放送がこのような振る舞いをするのだ。

 【】 事実を冷遇した私たちだけのこのような「精神勝利」が、朝鮮建国以来、最悪の戦争につながった朝鮮通信使の誤った判断と何が違うだろうか。1592年、黄允吉(ファン・ユンギル)正使は「外敵の侵犯に備えなければならない」と進言したが、全く同じものを見てきた金成一(キム・ソンイル)副使は「豊臣秀吉の目はネズミと同じで怖いものはない」として宣祖(ソンジョ)の判断を曇らせた。そして後は私たち皆が知っているとおり、民が過酷な対価を支払わなければならなかった。

 【】 「手当たり次第反日」は国内政治に利用しやすいのかもしれないが、国民を阿呆にして国を危機に陥れる。壬辰倭乱、そして1997年外国為替危機の時にあれほど辛い思いをしたのに、私たちは事実を事実通り見なければならないという、その単純な常識さえ学ぶことができなかった

。 アン・ヘリ/論説委員


> 私たちは事実を事実通りに見なければならないという、その単純な常識さえ学ぶことができなかった。  ・・・反省は正しいが、先ず無理だろうね。


 何しろ、中央日報はじめとする韓国マスコミの大半が「事実を事実通りに見る」事をせず、「慰安婦強制連行/性奴隷説」から「自称・徴用工の”徴用””虐待”」まで、再三「手当たり次第に反日」を煽り続け、今現在も煽っているのだから。こんなコラムの一つや二つで「幾分真面な反省」を示した所で、屁の突っ張りにもなるかどうか。

 本当に「私たちは事実を事実通りに見なければならないという、その単純な常識さえ学ぶことができなかった。」と反省するならば、朝日新聞でさえ(一応)実施した「慰安婦強制連行は虚偽でした」記事ぐらい、掲載してはどうかね。無論、日本語記事だけではなく、英文とハングルも、だ。

 やれるモンなら、やってみな。

 つまりは「口先だけの反省」だ。だからこそ上掲中央日報コラムも「他人事」で済ましている。

 「慰安婦は、売春婦であって、性奴隷ではない。」と書いた本を出版下大学教授を、社会的に葬ってしまう様な「言論の自由がない」韓国では「無理もない」とも言い得るが、左様な「言論の自由がない」状態の責の一半(以上)は、中央日報はじめとする韓国メディアが負うべき責である。

 断っておくが、「慰安婦は、売春婦であって、性奴隷ではない。」というのが仮に「全くの事実無根」だとしても、それを本に書き、出版するのは「言論の自由」の内。左様な本に対し「全くの事実無根」という批判非難はあって然るべきだが、本の出版禁止や流通禁止なぞすべきではない。況んや、著者の社会的抹殺なんて、論外だぞ。

 であるならば、上掲中央日報コラムは、「キチガイではない韓国人の存在証明」として一定の価値があるモノの、結局の所「キチガイである多くの韓国人によって、最善でも黙殺されるだけ(*1)キチガイではない韓国人の存在証明」にしか、なりそうにない。

 ご愁傷様。お気の毒。だが、同情はしないよ。自業自得だ。

 朝敵朝鮮、滅すべし。

<注記>

(*1) 下手すると、「親日」とか「積弊」とかレッテル貼られて社会的に抹殺。もっと悪くすると生物学的に抹殺される。