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再三記事にしている通り、私(ZERO)は我が国の死刑制度を肯定している者だ。それは(これも再三繰り返す通り)「”死刑制度のある、現状の日本”と”死刑制度を廃した、想像上の日本”を比較して、”後者の方が、より良い”なんて全く思えないから」だ。
一方、サウジアラビアなんて外国の法制度については全く知らないし、下掲のAFP記事で「サウジアラビアにも(日本と同様に)死刑制度はあるんだな。」と知った程度。別にサウジアラビアに特別な恩がある訳でも、特別な感情を抱いている訳でも無い。
が、「サウジアラビアの死刑執行に対し、これを非難する」人々が、どうにも「間抜けに見えて仕方が無い」ので、斯様に記事にした。
【AFP】サウジ、シーア派ら37人の死刑執行で非難の的に 3人が判決時未成年
【AFP】サウジ、シーア派ら37人の死刑執行で非難の的に 3人が判決時未成年サウジ、シーア派ら37人の死刑執行で非難の的に 3人が判決時未成年【ドバイAFP=時事】イスラム教スンニ派が多数派を占めるサウジアラビアで、少数派のシーア派教徒ら37人の死刑が執行されたことを受け、国際的な非難が高まっている。(写真は資料写真)【】 ミチェル・バチェレ国連人権高等弁務官は24日、死刑囚のうち「少なくとも3人は、判決が出た時まだ未成年だった点に嫌悪をおぼえる」と述べた。【】 欧州連合も、未成年として起訴された者の死刑執行は「重大な人権侵害」に当たるとした上で、死刑囚の多くがシーア派だったという事実は「宗派間の緊張をあおりかねない」との見方を示した。【】 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは、処刑された37人中、少なくとも33人がシーア派だったと指摘。「不公正な」集団裁判による有罪判決であり、判決の根拠となった自白も拷問によって引き出した疑いがあると非難した。【】 国営サウジ通信(SPA)によると、37人は「テロリズムで有罪判決を受けていた」。サウジ内務省は、うち複数が「宗教間の対立をあおった」罪に問われたと説明しているが、これはサウジ当局がシーア派の活動家を訴追する際にしばしば用いる罪状だ。【】 37人というのは、一度の死刑執行人数としては少なくとも過去3年間で最多。SPAは、うち1人が処刑後にはりつけにされたと伝えている。超保守的な産油国サウジアラビアでの処刑方法は、斬首が通例で、はりつけは特に重大な罪を犯した者に対して行われるという。【翻訳編集AFPBBNews】〔AFP=時事〕(2019/04/25-14:31)
AFP記事報じる「サウジアラビアの死刑執行を非難する」メンツは、バカばかりだな。
①ミッチェル・バチェレ国連人権高等弁務官;「少なくとも3人は、判決が出た時点でまだ未成年だった点に嫌悪を覚える」
ならば、その批判は、「未成年に対して死刑判決を出せる、現行のサウジアラビアの法制度」に対する批判である筈だ。今回の死刑執行は「現行のサウジアラビアの法制度が、法制度として正常に機能している結果」でしかない。
言うまでも無かろうが「他国の法制度を非難する」ことは「内政干渉」とされる可能性が相応にある。が、現行の法制度の結果である死刑執行に対し、「死刑執行を非難することで/現行の法制度を(直接には)非難しない」ことで「内政干渉との反論を回避する」のを意図してルのなら・・・それは随分後姑息で間抜けな話だな。
諄いようだが繰り返そう。「死刑判決が出た時点で未成年だった点に嫌悪を覚える」ならば、「批判すべきは、未成年に対し死刑判決を出せるサウジアラビアの現行法制度」であって、「今般の死刑執行」ではない。
現状、サウジアラビアに死刑制度があり、サウジアラビアの法制が「未成年に対して死刑判決を出せる」以上、「判決時未成年であった死刑囚に対する死刑執行」は、「あって当然の結果」である。
②欧州連合: 未成年として起訴された者の死刑執行は「重大な人権侵害」に当たるとした上で、死刑囚の多くがシーア派だったと言う事実は「宗派間の緊張をあおりかねない」との見方を示した。
前半部分「未成年として起訴された者の死刑執行は「重大な人権侵害」に当たる」に対しては、上記①で述べた通り、「遅い上に間抜けな批判」だ。
後半部分「宗派間の緊張をあおりかねない」ってのには、私(ZERO)も首肯できる部分があるな。
だが、逆に、「宗派間の緊張をあおらないために、シーア派の死刑は執行しない」なんてのは、法の前の平等に反しよう。左様な「超法規的措置」が「あり得ること」とは認めるが、「あるべきこと」ではあるまい。
「あるべき姿」は、現行の法制度が厳然としてあるサウジアラビアの法制度の下、「シーア派だろうが、他宗派だろうが、宗派に関係なく、死刑囚には死刑を執行する」である筈だ。
逆に言えば、「恣意的な死刑執行」も「恣意的な死刑執行停止」も、「法の前の平等に反する」のだから「あるべき姿では無い」。
③国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ: 処刑された37人中、少なくとも33人がシーア派だったと指摘。「不公正な」集団裁判による有罪判決であり、判決の根拠となった自白も拷問によって引き出した疑いがあると非難した。
冒頭の「処刑された37人中、少なくとも33人がシーア派」と言う「指摘(多分、非難)に対しては、前述②の通り。タイトルにもしたが、非難すべきは「死刑の恣意的執行」であるが、同じ理由で「死刑の恣意的執行停止も、非難されるべき」である。(であるというのに、欧州連合も国際人権団体様も、「死刑の恣意的執行停止」を求めてらっしゃる・・・)
冒頭以降の「「不公正な」集団裁判による有罪判決」(ってのが、どんなモノか判らないんだが、まあ、仮にそれが「不公正である」としよう。)「自白も拷問によって引き出した」という批判は、(一応)批判として成立していよう。だが、その批判の対象とすべきは、「「不公正な」集団裁判」および「自白を引き出す拷問」であって、「死刑判決及び死刑執行」ではないのではないか?
上記③の通りサウジアラビアを非難する国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは「拷問によって引き出された自白に基づく、「不公正な」集団裁判」によって出された判決が終身刑や有期刑だったら「サウジアラビアを非難しない」のであろうか。
まあ、左様な可能性も「多分にある」気はするが。
死刑制度を問題視するならば、死刑制度を非難するが宜しかろう。死刑執行を非難するのは、パフォーマンスでしか無い。
そりゃ世の中には、「死刑制度は制度としてあるが、大統領令とかナントカで死刑執行を禁じている」なんて変な国(*1)もあるそうだから、「死刑執行(と言う現行の法制度の結果)を非難する」ってパフォーマンスにも「一定の意義がある、可能性がある」のかも知れないが。
だが、基本的にはパフォーマンスでしか無い。人目は引くかも知れないし(事実、斯様にAFP記事となり、全世界へ配信されている)、俗耳には入りやすいかも知れない。
だが、それだけの話だ。
それはさておき・・・・朝敵朝鮮、滅すべし。
<注記>
(*1) 法の執行は、法を変えることで止めるのが、王道で、筋で、成文法の基本で、遡れば大憲章・マグナカルタに至る「法理」だろう。そいつを、大統領令だの総統命令だの超法規的措置だので「法の執行を止める」というのは、「変」としか言いようが無かろう。まあ、我が国も、一寸前まで「我が国は、集団的自衛権を有するモノの、憲法がその行使を禁じているので、集団的自衛権を行使できない」なぁんて「変な状態」だったんだが・・・だから、直したろう。