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 軍事忌避で軍人差別な「戦後平和教育」の弊害は数々あるが、大きいのは如何なる”平和”も“戦争”よりはマシ」と考える、敗北主義とか平和至上主義とか平和狂とか平和教とか呼べそうな思想・思考・信条・信仰だろう。

 無論、私(ZERO)自身とて「戦後平和教育」を受けた世代であるが、持ち前の「同することを良しとしない」偏屈さと、父や叔父の薫陶、それに優秀で実にユニークな先輩諸氏と友人たち。それらを享受出来た幸運もあって、相当程度に「戦後平和教育の弊害」を跳ね返すことが出来た(多分)。

 そうそう、松本零士大明神(*1)を忘れてはならないな。「男ならば、負けると判っていても戦わねばならない事がある。死ぬと判っていても、行かねばならない時がある。」というキャプテン・ハーロックの名科白は、「真に戦う者同士は、真の敵同士では無く、友達だ。」と言う”マサイ族の諺(だったっけ?)”と共に、私(ZERO)が「平和狂」ないし「平和教徒」に堕することから救ってくれた。

 であるならば、「戦後平和教育を受けながら、平和狂ないし平和教徒に堕することが無かった」私(ZERO)に言わせれば、「平和を犠牲にし、戦わなければならない場合」というのはあり得るし、そのような場合に備えることこそが国防であり、国家の安全保障である。

 下掲する朝日新聞社説のタイトルにならって表現するならばインド太平洋”戦略”は、対中国対決の枠組みと、すべき」なのである。 

<注記>

(*1) と、アリステア・マクリーンの尊と、ジャック・ヒギンズ大神も。 

【朝日社説】「インド太平洋 対決の枠組みにするな」の間抜けさ
【朝日社説】「インド太平洋 対決の枠組みにするな」

インド太平洋 対決の枠組みにするな2018年12月4日05時00分

【】 G20サミットに合わせ、安倍首相、トランプ米大統領、インドのモディ首相による初めての日米印首脳会談が先週、開かれた。3者は、日米が掲げる「自由で開かれたインド太平洋」構想の重要性を確認した。

【】 この考え方は安倍首相が16年に打ち出し、翌年のトランプ氏との会談で、日米共通の外交方針とされた。インド洋から太平洋にかけて、影響力を増す中国を牽制(けんせい)する狙いがある。

【】 ただ、より重視すべきなのは、世界の成長センターであるこの地域に、健全な国際秩序を形づくることだろう。だとすれば、この枠組みを、文字どおり「自由で開かれた」ものとしなければならない。

【】 中国への対決色が強まれば、地域に分断を生み、平和と繁栄の土台づくりが進まなくなる。「一帯一路」への対抗や、中国封じ込めの装置として考えるのは誤りだ。

【】 日本政府は最近、インド太平洋「戦略」という元々の呼び名を「構想(ビジョン)」に改めた。ASEAN諸国などが受け入れやすいよう配慮したものだ。日米同盟を基軸としつつ、中国とも一定の協調を保ちながら、安定した秩序につながる具体的な行動を求めたい。

【】 日米との首脳会談に応じたインド自身、中国とのバランスをとっている。同じ日に中国の習近平(シーチンピン)国家主席、ロシアのプーチン大統領との中ロ印首脳会談を行ったのはその表れだろう。

【】 インドは、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加し、中ロを中心とした上海協力機構にも昨年、正式加盟した。「非同盟」の伝統を持つだけに、一方への肩入れは避けているようだ。【】 状況が複雑だからこそ、判断の軸に普遍的な価値を置くことが大きな意味を持つ。【】 日本政府はインドとの関係について、自由、民主主義、法の支配といった価値の共有を強調する。一方で、核不拡散条約(NPT)に加盟しないまま核兵器を開発・保有したにもかかわらず、日本の原発輸出に道を開く原子力協定を結んだ。

【】 そのときの都合によって原則を曲げるようでは、国際社会の信頼は得られまい。

【】 従来の秩序が動揺し、自国の利益を優先する一国主義や独裁・権威主義が幅をきかせるなか、国際協調や多国間主義を重んじる姿勢が一層、重要となっている。

【】 問われるのは、だれと組むかだけではない。自らが掲げる価値を大切にすることが、今後の日本外交の基礎となる。



再び、違うな。間違っている。インド太平洋こそは、対決の枠組みとすべきなのだ。


 理由は、私(ZERO)に言わせれば「余りにも明白」だ。「中国の海洋進出」。分けても、南シナ海に軍事拠点を建設して内海化を図り、東シナ海も同様に併呑しようとしている現状では、「対中冷戦」こそが、我が国のとるべき戦略だから、だ。
 
 中国は、我が尖閣諸島に対し、「核心的利益」なる侵略宣言を既に為している。これが撤回されるか、中国共産党政権が滅びない限り、中国の尖閣諸島侵略は「時間の問題」と考えるべきだ(*1)。

 更に言えば、「尖閣諸島だけですむ」と期待するのも、愚かというモノだぞ。
 
 即ち、対中冷戦を始めないならば、我が国は対中熱戦がいきなり始まる、それもかなり不利な状態で始まることを覚悟しなければならない。「熱戦」なんて、普通はスポーツに使う「褒め言葉」だが、「本格的武力衝突」の意味であり「核兵器の先制使用」という可能性さえ含む言葉だぞ。

 核兵器保有大国であり、頭数で世界最大の人民解放軍を擁する中国相手に、我が国が単独で立ち向かうのは、不利というモノだ。どうしても必要となれば、それも選択肢のひとつである(*2)が、それよりも上策なのは、「他国を巻き込んで対中冷戦を開始すること」であり、真っ先に「巻き込む」べきなのは、中国以上の核兵器大国である米国だ。

 従って、米国を巻き込んだ対中国冷戦こそが、我が国にとって最上の策である。QED

 戦争や冷戦を忌避して、仮初めの「平和」にうつつを抜かしていては、その「仮初めの平和」以上のモノも、失うことになりかねないぞ。

 金を無くせ、ば小さな損。
  友を無くせば、大きな損。
   度胸を無くせば、すっからかん。
ロバート・A・ハインライン作「宇宙の戦士(*3)」

 それはそうと、北朝鮮は北朝鮮で滅ぼすべきだな。

おまけ 10年ほど前の講演会で、田母神元空幕長殿は、「外交とは、外国同士を戦争させること」と喝破しておられた。

 これを聞いた時は、「外交は、戦争と同様に、国益追求の手段だ。」を(当時から)持論としていた私も些か驚いたモノだが、よく考えれば一理も二里もある名言だぞ。

<注記>

(*1) 例え中国共産党政権が滅んでも、安心するのは早い。その後継者が、中国共産党の「核心的利益」を「継承する」可能性を、忘れるべきでは無い。 

(*2) 類似の状況を、我が国は日露戦争前に体験・経験している。あのときはイギリスと同盟関係を結んだが、当時7つの大洋を支配していたイギリスとて、その極東派遣兵力は、微々たるモノだったぞ。 

(*3) で、何かの引用としていた名言