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タイトルにした「Any Trouble BOY?」と言うのは、クリント・イーストウッド主演のマカロニウエスタン「夕陽のガンマン」から、共演のリー・ヴァン・クリーフ演じる「ダグラス・モーティマー大佐」が吐く「ラストの決め科白」だ。これに対しクリント・イーストウッド演じる「名無し」がまた渋い台詞を返す(これが、この映画のラストの決め台詞となる)のだが、それはさておき・・・・
【朝日】核ミサイル防衛、日本も検討していた 50年前極秘協議【朝日】核ミサイル防衛、日本も検討していた 50年前極秘協議核ミサイル防衛、日本も検討していた 50年前極秘協議8/17(金) 5:00配信1968年10月に首相官邸で佐藤栄作首相と話す米国のジョンソン駐日大使(左)。前年に佐藤首相にABMに関する協議の意向をひそかに伝え、その後始まった日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)に参加していた【】 日本政府が1960年代後半に核兵器である弾道弾迎撃ミサイル(ABM)の国内配備を検討し、米国政府と協議を重ねていたことがわかった。ABMは米国が東西冷戦期にソ連や中国と対立する中で開発。当時すでに日本政府が唱えていた「非核」の方針に反する極秘協議で可能性を探った。【】 米政府が秘密指定を解除した日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)の議事録などから判明した。SSCは今も続く日米の外務・防衛当局間の高官協議で、佐藤栄作首相(当時)の了承を得て67年に発足。同年5月の初会合から68年1月の第3回まで、日本側の関心に米側が応じる形でABMが主要議題となった。【】 議事録によると、初会合で米側は検討中のABMについて「大統領用資料」をもとに説明。日本側は牛場信彦外務事務次官が「『日本でも配備を』と国民から圧力があるだろう」とし、日本に届く中国の中距離ミサイルをABMで迎撃することへの関心を伝えた。【】 米国は67年9月にABM導入を発表。ソ連を刺激すれば核大国同士の軍拡競争に陥る恐れから、急速に核ミサイル開発を進めていた中国向けとされた。同盟国にも配備するかが焦点となり、前月の第2回会合でジョンソン駐日大使が日本の意向を「確実に考慮する」と表明。第3回会合では、米側が「日本のミサイル防衛と防空」や中国の核能力を説明し、議論は海上配備の特性や迎撃高度による地上の放射能汚染の差など、自衛隊での運用も視野に入れた具体論に踏み込んだ。
つまり、「当時の日本政府は、しっかりと現実を見据えていた」ってこと。
賞賛に値こそすれど、非難される言われないぞ。
確かに「ABMに依る迎撃」は、ほぼ必然的に「我が国上空での核爆発」を惹起する。ABM自身が核弾頭を持ち、その核爆発で敵弾道ミサイルを無力化するのだから、な。
だが、ABMは当時唯一の弾道ミサイル迎撃手段であり、迎撃しなければ必然的に生起するのは「核攻撃」=「目標とされた我が国土での、ABMとは比較にならないほど大規模な核爆発」だ。「迎撃しない方が良い」なんて理屈は・・・・こねる奴ぁこねるだろうがね。現在のSM-3やPAC-3に依る「弾頭を用いない、直撃迎撃」ですら、「迎撃に成功しても破片が降ってくるから、迎撃しない方が良い。」と素面で抜かす輩があるからね(それは、「迎撃しない、ないし迎撃に失敗すれば、破片は降ってこないから、その方が良い。」と言っているのと、ほぼ同義なのだが、気付いている・・・訳はないな。キチガイに何言っても無駄だ。)。
だが、そんなキチガイを別にすれば、「当時唯一のミサイル迎撃手段であるABMの導入」を、少なくとも検討するのは理の当然。当時の日本政府は、キチガイではなかった、と言う証左が、上掲朝日記事だ。
諄いようだが、賞賛すべき事、慶賀すべき事ではあっても、非難すべき事ではない。無論、正気であるならば、だが。
ま、上掲朝日記事は「淡々と事実を述べる」に留まっているから、朝日新聞自身に「まだ正気が残っている」可能性はあるがね。
それにつけても、北朝鮮は滅ぼされるべきである。