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毎年8月15日が近づくと、アカ新聞どもが発狂するのは年中行事みたいなモノだが、今年の東京新聞の発狂ぶりは、また一段と凄まじいな。
【東京新聞】終戦の日を前に 国家は国民を守るのか
【東京新聞】終戦の日を前に 国家は国民を守るのか終戦の日を前に 国家は国民を守るのか2018年8月14日【】 全国が焦土と化した終戦から七十三年。無数の犠牲者が出た。空襲から国民はなぜ逃げられなかったのか。そこから国家と国民の関係が見えてくる。【】 「空の要塞(ようさい)」と呼ばれたB29爆撃機が編隊で焼夷弾(しょういだん)をばらまいた。目標は木造の民家だった。東京では一九四五年三月の大空襲から終戦まで六十回を超える被害を受けた。死者約十万七千人。被災者は三百万人にも上った。【】 空襲は全国に及び、愛知では約一万人超、大阪では約一万三千人超の死者が出た。広島と長崎の原爆投下の犠牲者は計約二十一万人。空襲による民間人の犠牲者数は四十一万人超といわれる。◆「焼夷弾は手でつかめ」【】 「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都)の集計だが、軍事工場で亡くなった人は、軍人・軍属ととらえ除外している。例えば愛知県豊川市の海軍工廠(こうしょう)では、勤労動員の学徒らを含む二千五百人が死亡したというが、四十一万人超の数字には含まれない。 なぜ、こんな大きな被害を受けたのか。なぜ、国民は事前に避難できなかったのか。疑問を解くカギが当時の「防空法」という法律だ。三七年にできた。敵国の空襲があった場合、その危害を防ぎ、被害を軽減するという目的で制定された。【】 「検証 防空法」(水島朝穂、大前治著 二〇一四年)に詳しいが、その本の副題は「空襲下で禁じられた避難」である。【】 法改正で国民はB29が到来する前に安全な田舎に疎開できなくなった。疎開を許されたのは、子どもやお年寄り、妊婦らだけだった。国民は都市からの退去を法で禁じられていたのだ。【】 応急消火の義務を国民に負わせていたからである。爆弾が落ちてきたら、その火を消せ。バケツリレーと砂で…。◆「国民が死んでも…」【】 「バケツ五、六杯で消せる」「焼夷弾は手でつかめる」…。手袋でつかみ、放り出せというのだが、あまりに非現実的である。驚くべき非科学世界の中で、国民を消防に駆り立てていたわけだ。【】 それが不可能であるのは、科学者や軍も政府も当然、知っている。では、なぜ? (1)自ら臨戦態勢につく覚悟を植え付ける(2)「日本軍は弱い」という反軍意識の回避(3)人口流出による軍需生産力の低下や敗北的な逃避観念を生じさせないために「逃げられない体制」をつくる-。前掲書では、そのように説明している。【】 ならば、おびただしい死亡者は、国家に殺されたに等しいではないか。国家は国民を守るのか。大いに疑問が湧く。国家は国民の命でなく、国家体制を守ろうとしたのではないのか。【】 空襲被害では各地で訴訟が起きた。憲法学者の水島氏は大阪訴訟で証人に立ったことがある。そのとき憲法前文を引いた。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」のくだりだ。次のように述べた。【】 <『政府の行為』とは何か(中略)まさに『国民なき防空体制』があった。国民が死んでもいいという極致にまで達してから戦争が終わった>【】 「特攻」もそうであろう。志願の形だが「九死に一生を得た」ではなく「十死」を前提とするのは、まともな近代の作戦とはいえない。何千人という若者を死に追いやるだけではなかったか。【】 国民が死んでもいい、そんな戦争への反省から日本国憲法の平和主義は生まれたのだ。そのことは重い。引き継ぐべき教訓だ。【】 安倍晋三首相の悲願は九条の改憲である。首相にどれだけ戦時下の国民を思う気持ちがあるか。「侵略戦争の定義が定まっていない」など、まるで戦争への反省が聞かれない。【】 原爆忌でも核兵器禁止条約に「不参加」と明言し、被爆者団体の怒りを買った。庶民の目線はあるか。【】 「戦争ができる国」に進んでいる。集団的自衛権の行使容認しかり、安保法制しかり、特定秘密保護法しかり、「共謀罪」しかり…。強まる国家主義を恐れる。【】 首相の父・安倍晋太郎氏は東京帝大に入学するも海軍にとられ、滋賀航空隊に配属された。戦後は外相などを歴任するが、「輝かしき政治生涯」という伝記編集委員会の本などにこう記されている。◆祖父は反戦・平和の人【】 海軍での役目は「特攻」だが、山口に一時帰郷のとき、首相の祖父・寛からこう言われた。【】 「無駄な死に方はするな」【】 安倍寛こそ戦前の反戦・反軍部の政治家だったという。大政翼賛会の政治団体から「非推薦」とされても衆院選に当選し、反・東条英機の姿勢を貫いた。【】 国民のためと称しつつ、戦争ができる国づくりとは何事か。平和主義を粗末にしないでほしい。
国が「戦争できない」なんてのは、国防上の大問題で、戦争誘因だ。
言うまでも無かろうが、「戦争できない国」に戦争を仕掛ければ、必ず勝つことが出来る。戦争に勝てば、「賠償金を取る」のは最近余りやらないが、「領土を取る」「利権を取る」「武装解除を強制する」「”戦犯”を処罰処刑する」「憲法を強制する」などはやりたい放題だ。
だから、「国が戦争できない」なんてのは、国防上の大問題で、国の怠慢、且つ戦争誘因だ。
国には、「戦争できる」様にしておく義務・責任がある。国家の安全保障とは、そう言うモノだ。
国には、「戦争できる」様にしておく義務・責任がある。国家の安全保障とは、そう言うモノだ。
であるというのに、上掲東京新聞社説と来たら・・・
1> 「戦争できる国」に進んでいる。
2> 集団的自衛権の行使しかり、安保法制しかり、
3> 特定秘密保護法しかり、「共謀罪」しかり・・・。強まる国家主義を恐れる。
2> 集団的自衛権の行使しかり、安保法制しかり、
3> 特定秘密保護法しかり、「共謀罪」しかり・・・。強まる国家主義を恐れる。
4> 国民のためと称しつつ、戦争できる国づくりとは何事か。
5> 平和主義を粗末にしないでほしい。
5> 平和主義を粗末にしないでほしい。
どうも、東京新聞の認識では、我が国の現状は「戦争できない国」であり、尚且つ「我が国は、戦争できない国で居ろ」と主張している。
念のために東京新聞にお尋ねしようではないか。
【Q1】 「戦争できない国」と言うのは、我が国の他に何処に、幾つあるのか?特に、我が国近隣諸国に「戦争できない国」はあるのか?
【Q2】 我が国近隣諸国の内、中国、ロシア、北朝鮮には「戦争した実績」があるのだから「戦争できる国」の筈だが、「戦争できる国」に隣接した「戦争できない国」というのは、極めて危険な状態ではないのか。
ね・ご・と・は・ね・て・い・え。
そんな寝言は「平和主義」なんて上等な代物ではない。良いところ「平和ボケ」。平たく言えば、キチガイだ。
東京新聞は、反権力とか反政府とか反アベとか以前に、国家観・安全保障観が私(ZERO)とは「根本的に異なっている」と、改めて明示された形だな。
それはさておき、北朝鮮は滅ぼされるべきである。