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【東京社説】「3・11と原発被災地 見て考えてゼロへ」
【東京社説】「3・11と原発被災地 見て考えてゼロへ」


【社説】3・11と原発被災地 見て考えてゼロへ 2018年3月8日

【】 東日本大震災から七年。原発事故の現場、時間が止まったままの帰還困難区域を取材して心に刻まれたのは「あまりにも罪深い」という強い痛みだった。

【】 国道と大事故を起こした福島第一原子力発電所を結ぶ約二キロの連絡道路を、取材団を乗せたバスはゆっくりと進む。

【】 放射線量のレベルが高く帰還困難区域になっている大熊町。侵入を防ぐためのバリケードが至る所に設置されている。家屋も農機具も自動車も割れた窓ガラスも、事故当時のままだ。荒涼とも映る姿に、取材者として噛(か)みしめたのは「隠蔽(いんぺい)」と「批判」という言葉だった。

◆放射能汚染の隠蔽

【】 「隠蔽」はその数日前に読んだニューズウィーク日本語版の記事の見出しに使われていた。

【】 「ロシア放射能汚染の隠蔽は続く」

【】 昨年秋、欧州各地で「ルテニウム106」という放射性物質が検出されたと報じられた。これを追いかけたリポートだった。

【】 検出したフランスの研究機関によると、健康に影響する濃度ではなかった。気象状況から発生源はウラル山脈南部あたりとみられた。ロシアの国営原子力企業の施設がある。ただ真相はわかっていない。

【】 ウラル核惨事として知られる一九五七年の旧ソ連での大事故は、ロシア中西部にある原子力関連工場で高濃度の核廃棄物を貯蔵したタンクが爆発した。周辺住民数十万人が高レベルの放射能を浴びたとされる。だが隠蔽された。

【】 事故の存在を認めたのはソ連が崩壊する寸前の八九年になってから。八六年のチェリノブイリの事故でも公表は遅れた。

◆自由に批判する人々

【】 放射能に汚染され、失われた土地と暮らしと未来。起こしてはいけない事故がもたらした災禍。目の前に広がる風景は「ソ連なら隠蔽されていた」という怖さとともに「批判できることの大切さ」を痛切に感じた。

【】 もし自分の言葉で語る自由が奪われていたら。この惨状と罪深さを伝え、東京電力や原子力政策を進めてきた政府を批判することすらできないだろう。

【】 原発の復旧現場とともに避難指示が解除された富岡町や楢葉町などで復興に力を尽くす人たちに話を聞いた。

 【】 「行政は安心して住める場所というが、行政が言う安心と住民の安心には開きがある」

【】 「あちこちに積み上げられた除染廃棄物は三十年以内に県外へというが、受け入れる自治体があるわけがない。みんな、そのままになると思っている」

【】 「このやろーという東電に対する怒りはやっと薄れてきた。今は復興を頑張ろうと思う」

【】 言い知れぬ思いは、たくさんあるだろう。それでもみんな、自分の言葉で語ってくれた。

【】 原発事故から七年。日本記者クラブの取材団の一員として福島原発を訪れたのは、山あいに雪が残る二月上旬だった。東京電力は事故現場の取材や視察を受け入れている。

【】 福島県は被災地のありのままの現状を若い世代に見てもらうため「ホープツーリズム」という視察旅行を一六年十二月に始めた。原発周辺や帰還困難区域周辺の施設などを見学する。これまでに県外の高校生ら二百人以上が参加している。

【】 自分の目で現場を見る。被災地で暮らす人々の声を聞く。写真を撮る。揺れる思いを抑えて文章にする。そして発信する。

【】 こうした情報発信はネット社会の今、新聞やテレビ、ジャーナリストやカメラマンだけのものではなくなった。

【】 人のいない浪江町内を闊歩(かっぽ)する豚の写真から、原発再稼働の賛否まで、ネット上にはさまざまな情報や意見がアップされ、クリック一つで接することができる。そしてこの国の世論を形成する力にもなり始めている。

【】 本紙などが加盟する日本世論調査会が二月下旬に実施した調査では、原発に「深刻な事故の懸念は残る」と答えた人は83%に達した。多くが原発に強い不安を抱き続けていることを示している。

【】 原発の今後については「いますぐゼロにする」が11%、「段階的に減らして将来的にゼロにする」が64%だった。

◆脱原発への道筋を

【】 当面の再稼働を容認しつつ、新増設は認めずに廃炉を進め、再生エネルギーで脱原発を進めるというのが今の民意といえる。

【】 取り返せない福島の原発被災地。一人でも多くの人がそこに立ち、脱原発への道筋を考えてみたらいい。もし来られなくても、写真、映像、本、報道…。その地に立って見て、考えて、判断してほしい。

 

民意で出来るのは、節電ぐらいだ。1kwと言えども発電なんかしない。

 
 一方で、再三繰り返す通り、エネルギー政策の目的は「電力の安定供給」だ。如何なる政策であろうが、民意で決めたことであろうが、「電力の安定供給に対し目処が無い」政策は、エネルギー政策と呼ぶに値しない。
 
 幾ら「民意の圧倒的支持】があろうとも、電力の安定供給が出来ずに停電でもしたら、その民意とやらは「政府のエネルギー政策」に対し非難轟々と成ることは、賭けても良いぐらいだ。世論とはそれほどご都合主義で、自分勝手なモノだ。

 忘れるモノか。東日本大震災と福島原発事故とそのあおりで原発全基稼働停止となり電力不足が生じた際、東電は「計画停電」を実施した。地域限定・時間限定で予告して停電する、いわば「強制節電」だ。この計画停電は「計画通り」には実施されなかった。東電が頑張って可能な限り電力を供給し、予告された時間内の、より短い時間しか実際の停電は実施されなかった。
 
 で、どうなったっけ?

 あろう事かあるまい事か、 東電は「無計画停電だ!!」と非難されたんだぞ。諄いようだが繰り返すが「計画停電として予告した時間内の、予告よりも短い時間の停電を実施した」つまり「計画停電を縮小実施し、予告よりも通電時間を増やして」非難されたんだぞ。

 大凡の状況は察せられる。「予告された停電の時間が来た。が、停電はまだしていない。」って状況で「このまま電気を使えるかと期待したら、停電してしまった」ので「頭に来た」のだろう。

 だが、それは、電力の安定供給が如何に重大で、如何に有り難いかという証左であり、民意成るモノが如何に軽佻浮薄であるかという証左だ。

 左様な民意に阿ってエネルギー政策を決めた日には、電力の安定供給は覚束ず、エネルギー政策として成立しない。

 それ即ち、エネルギー政策を決定決断する政府・為政者には、「世論に阿らずに電力の安定供給を達成する」力量・胆力・指導力が必要と言うことだ。

 逆に言うと上掲東京社説のような「民意を盾にとっての脱原発論」は、ポピュリスト・大衆迎合政治家には有効であろう。成ればこそ、立憲民主党は「原発ゼロ法案」とやらを出そうとしているのだろうさ。

 それはそれとして、北朝鮮は滅ぼされるべきである。


私の原発推進論&自然エネルギー推進論

① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
 
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術はない。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
 
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
 
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
 
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
 
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
 
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
 
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
 
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
 
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。