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【毎日コラム】しあわせのトンボ 「平和は力で」を考える=近藤勝重毎日新聞2017年4月27日 東京夕刊オピニオンコラム紙面掲載記事.【1】 ずっと引っかかっている言葉がある。ペンス米副大統領が来日中に安倍晋三首相と会談した際、北朝鮮の核・ミサイル開発阻止について「平和は力によってのみ初めて達成される」と発言したことだ。
【2】 力って……。外交的圧力も力ではある。抑止力も力を伴う。しかしペンス氏が、武力攻撃も含めて「全ての選択肢はテーブルの上にある」と言っている以上、力は軍事的圧力であろう。やりとりからみて、その力を安倍首相も受け入れているようだ。
【3】 そうだとすると、国際紛争を解決する手段として「武力による威嚇」も「武力の行使」も放棄した憲法9条1項の規定はどうなるのか。安全保障関連法で集団的自衛権行使が可能になったと言われても、事態が悪化すれば、と想像すると気がふさぐ。
【4】 いろいろと教えられる鉄筆編「日本国憲法 9条に込められた魂」(鉄筆文庫)を再読した。興味深いのは元衆院議員、平野三郎氏が新憲法制定に携わった当時の首相、幣原喜重郎氏にインタビューした全文「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(憲法調査会資料)だ。
【5】 幣原氏は科学が作り出した原子兵器にふれ、「来るべき第三次大戦には、この道具が主役として活躍するだろう」と案じて、「最後に人間を救いだすものは哲学である。(略)哲学はきっと科学を征服するだろう」と述べている。さらに氏は、際限のない軍拡競争はいつか破綻すると強調して、9条に至った「哲学」の一端をこう述べている。「その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能というべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう」
【6】 本を置いて外へ出た。道端にタンポポ、クローバー、ペンペン草。植え込みにはツツジ、公園ではバラが出番を待ち、ケヤキが新葉をつけ、クスが古葉から若葉に代わろうとしている。草木の生命一切が若やぐ自然の中で、谷川俊太郎氏の「平和」と題した詩の一節「それは花ではなく/花を育てる土」が思い浮かんだ。
【7】 世界も日本も変わった。危うい変わりようだ。平和憲法は5月3日に施行70年を迎えるが、思えば遠くへ来たものだ。この先、この国はどこへゆくのだろうか。(客員編集委員)
結局「何も考えずに、愚痴るだけ」ではないのかね
さて…まぁずは章題にした通りだな。「「平和は力で」を考える」とタイトルで宣言し、冒頭のパラグラフ【1】で引き継いだくせに、ロクすっぽ「考えて」いない。
パラグラフ【2】で「力って…」と切り出して、「力と言ってもいろいろある。外交力も力だ。」とか何とか、まあ、愚痴ること愚痴ること。「外交力」は「軍事力とは独立している」と思って/思い込もうとしてやぁがる。「砲艦外交って言葉も知らないのか?」と突っ込みたくなる。
それでもまあ、一応パラグラフ【2】で、冒頭で引用したベンス米副大統領の「「平和は力によってのみ初めて達成される」発言にある「力」を「軍事力」と(渋々ながら)認めているのだから、毎日新聞コラムとしては先ず「上出来」な方だろう。
だが、今度は続くパラグラフ【3】で…「ならば、日本国憲法9条はどうなる?」って、女々しいやら未練たらしいやら。「そりゃ、日本国憲法9条が、如何に非現実的かって事に、今さら気づいたのかよ?!」と、突っ込みたくなる。
で、パラグラフ【4】から【5】は「日本国憲法9条制定逸話」。それも、「伝聞」だから証拠能力は低そうだが、
1〉 ほとんど不可能というべき軍縮を可能にする突破口は
2〉自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう
2〉自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう
…この「自発的戦争放棄国」ってのは、我が日本国の事を言ってるんだよねぇ。
なるほど「日本国憲法9条」に「日本を”自発的戦争放棄国”としようと言う意図が込められていた。」と言うのは条文からして明白であろうな。そんな意図を「日本国憲法制定に携わった<<< GHQから出て来た条文をチョイとばかり微修正したのを「制定した」と言うならば、ね。
そりゃ丸ごと鵜呑みよりは、幾らかマシだけどさ。 >>>当時の首相、幣原喜重郎氏」が持っていたとしても、日本国憲法制定からほどなく発足した自衛隊三軍が、「自発的戦争放棄国出現への期待」何ぞ、粉砕していようが。
そりゃ丸ごと鵜呑みよりは、幾らかマシだけどさ。 >>>当時の首相、幣原喜重郎氏」が持っていたとしても、日本国憲法制定からほどなく発足した自衛隊三軍が、「自発的戦争放棄国出現への期待」何ぞ、粉砕していようが。
言い換えよう。少なくとも自衛隊三軍発足を以って我が国・日本は「自発的戦争放棄国」ではなくなった。何故ならば、殆ど自明だが、「防衛戦争を否定せず、制限はあるモノの、軍隊を保有したから。」。GHQの「当初計画」も、「幣原喜重郎氏が日本国憲法9条に込めた期待」も、その時点で粉砕されている。
で、あると言うのに、上掲毎日コラム「しあわせトンボ」は、続くパラグラフ【6】で「屋外の景色を見て”平和”と言うタイトルの詩を思い出し」、最後のパラグラフ【7】で「日本の行く末」を案じる、だけ。
で、「平和は力で」について、何をどう「考えた」ってんだぁ?
「日本国憲法9条で、理想世界が近づくはずだったのにぃぃっ_!」かぁ?最終パラグラフにもある通りその日本国憲法9条制定から間もなく70年だ。その70年間に、世界はどれほど「理想世界に近づき」その「近づき方」に日本国憲法9条がどれぐらい、どう寄与したと言うのか。
左様な寄与が「全く無い」からこそ、「平和は力によってのみ初めて達成される」と言うベンス米副大統領の言にショックを受けて「現実逃避」してるんじゃぁないのか、近藤勝重客員編集委員殿は。
「日本国憲法9条で、理想世界が近づくはずだったのにぃぃっ_!」かぁ?最終パラグラフにもある通りその日本国憲法9条制定から間もなく70年だ。その70年間に、世界はどれほど「理想世界に近づき」その「近づき方」に日本国憲法9条がどれぐらい、どう寄与したと言うのか。
左様な寄与が「全く無い」からこそ、「平和は力によってのみ初めて達成される」と言うベンス米副大統領の言にショックを受けて「現実逃避」してるんじゃぁないのか、近藤勝重客員編集委員殿は。
まあ、毎日新聞客員編集委員何て職責の方は、現実逃避も良かろうさ。
だが、国の安全保障は、国の存亡をも左右する重大事だ。「憲法9条制定の思い出」何てノスタルジーで、決められてたまるかよ。
だが、国の安全保障は、国の存亡をも左右する重大事だ。「憲法9条制定の思い出」何てノスタルジーで、決められてたまるかよ。