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 安倍政権・現行「第2次安倍内閣」発足以来、日本新聞業界の左半分を挙げての大ネガティブキャンペーンと言うのは何度かあった。特定秘密保護法の時や、安保法の時などで、何れも凄まじいばかりの大ネガティブキャンペーンであったが、特定秘密保護法も安保法も、法案が通って法律となり、粛々と執行されつつある。即ち、それら「日本新聞業界の左半分を挙げての大ネガティブキャンペーン」は、「今のところ尽く失敗している」訳だ。半島とはえらい違いだね。結構な事だ。

 世界に目を転じるならば、中国共産党支配下の「中国のマスコミ」が安倍政権・安倍首相に対し凄まじいプロパガンダを繰り返したのは、当ブログにもいくつも記事にした処。これが「日本新聞業界左半分挙げての反安倍首相キャンペーン」と「相関がある」と断じる根拠を私(ZERO)は知らないが、「無い」と断じる事もまた難しそうだな。(※1)

 さはさりながら、今度「日本新聞業界の左半分を挙げて」の再び、三度の「反安倍首相lキャンペーン」、「安倍首相及び安倍内閣閣僚の教育勅語擁護論に対する攻撃」であるらしい(※2)。
 しっかしまあ、特定秘密保護法の時や安保法の時に輪をかけて酷いネガティブキャンペーンだな。そりゃ、相手が教育勅語では、相当に「相手が悪い」と言う気もするがね。
 御稜威の致す処、って奴かね。
 

<注釈>

(※1) ま、「ある」と考えておいた方が、安全側だ。 

(※2) 森友学園騒動もあるし、小さいのも含めれば、一体何度目やら。「私(安倍首相)を、どうぞ軍国主義者とお呼び下さい」は、モノの美事に不発だったが。 


<1>【沖縄タイムス社説】社説[教育勅語]危うい政権内の肯定論

2017年4月3日 07:42教育勅語 森友学園 教育  
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/91460

【1】 安倍政権になって、保守系議員の中から、教育勅語を評価する声が絶えない。

【2】 稲田朋美防衛相は3月8日の参院予算委員会で、「親孝行や友達を大切にするといった核の部分は今も大切だ」と評価し、「核の部分は取り戻すべきだ」と語った。

【3】 稲田発言を受けた民進党議員の質問趣意書に対し、政府は3月31日、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定した。

【4】 一大臣の答弁にとどまらず、政府の統一見解に「格上げ」されたのである。

【5】 教育勅語を肯定する際に決まって持ち出されるのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」というくだりである。父母に孝行を尽くし、兄弟仲良く、夫婦はむつみ合い、朋友互いに信義を持って交わり…という意味である。

【6】 勅語はさらに、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ…」と続く。いざという時には一身をささげ皇室国家のために尽くせ、と国民の忠誠を求めている。切り離せないこの二面性こそ教育勅語の本質というべきだろう(※1)。

【7】 憲法、教育基本法が制定されたのに伴い、文部省は1948年、中学生・高校生用の社会科教科書「民主主義」を刊行した。

【8】 「政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは、最もよくないことである」

【9】 「今までの日本では、忠君愛国というような『縦の道徳』だけが重んぜられ、あらゆる機会にそれが国民の心に吹き込まれてきた」

■    ■

【10】 教育勅語は、大日本帝国憲法が施行される1カ月前の1890年10月、発布された。忠君愛国の国民道徳と庶民の中に浸透していた儒教的道徳を接ぎ木したものであった。 戦時下の学校現場では国体観念を育て、国民精神を涵養(かんよう)するため、教育勅語の奉読が課せられた。

【11】 小学校が国民学校になってからは「皇国民の錬成」と称して儀式や行事が重視されるようになる。

【12】 国民は教育勅語を内面化し、軍人は軍人勅諭を内面化した。戦争を体験した世代に勅語や勅諭をそらんじることのできる人が多いのは、毎日繰り返し、体で覚え込んだからである。

【13】 沖縄の第32軍は極秘文書の中で、軍事機密の漏洩防止などのため、「
軍官民共生共死の一体化」を県民指導方針として打ち出した。それが沖縄戦の最大の特徴だ(※2)。

【14】 教育勅語には住民犠牲の記憶が深く刻まれている(※3)。

■    ■

【15】 憲法は47年5月3日施行され、教育基本法は47年3月末、公布・施行された。

【16】 憲法、教育基本法の施行を受けて衆議院は48年6月、教育勅語の「排除決議」を、参議院は「失効確認決議」を行い、教育勅語体制との決別を宣言している。安倍晋三首相の言う「戦後レジーム(体制)からの脱却」とは、決別したはずの教育勅語体制への回帰を意図しているのであろうか。

【17】 「父母に孝行」「夫婦相和し」という教育勅語の徳目にしても、国家が上から押しつけるものではあるまい。

 

<注釈>


(※1) 「二面性」とは、面妖な。パラグラフ【5】「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」とパラグラフ【6】「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ…」は、別に相反するものでも相矛盾するものでもない。前者を「無条件善」後者を「無条件悪」と断じる短絡思考故の「二面性」であろうが。 
  第一、当時は兵役が国民の義務の一つだった時代じゃないか。少なくとも当時においては「二面性」など、ない。

(※2) そりゃ、沖縄では地上戦が行われたけどさ。
 同じころ我が本土では民間人や民間施設を標的とした戦略爆撃が「北爆」の様な制限も無く大々的に実施されていて、「軍官民共生共死の一体化」どころか「民間人絶賛殺戮中」だったんだがね。
 「軍官民共生共死の一体化」との県民指導方針は、少なくとも一方的に非難されるべきものではないぞ。
 戦争で、非戦闘員の死傷者数が戦闘員の死傷者数を下回ったのは、第1次大戦までと言うぞ。 

(※3) 教育勅語の歴史は、大東亜戦争よりもはるかに長いんだがね。
 仮に「住民犠牲の記憶が深く刻まれている」としても、そりゃ「教育勅語のイメージが悪い」ってだけだろう。 


「教育勅語は良くない」って型にはめてるのは、誰だよ?

 「特定の型にはめる」=「思想信条を強制する」のと「肯定する」との間には、随分と乖離があろうが。安倍首相や安倍政権の閣僚や安倍政権自身が「教育勅語を肯定」したとて、それは「戦前戦中の教育勅語強制(※1)を想起させる!」と言う批難はあり得ようが、その非難では「思想の強制」が問題なのであって、「思想の可否」とは、別の問題であろう。

 私は血の赤い日本人で、魂の自由を愛する者だ。だから、如何なる思想であれ「強制される」ことは好まないし、私自身の思想を他人に「強制しよう」とも思わない。例えば、不殺生戒=「汝殺すなかれ」はかなり普遍的な価値を持つ思想であろうが、これとて「強制」した日には、ロクな事にならない。「死刑執行できない」と言うのは未だしも、「戦闘できない」ってのは国防上の大問題で、戦争誘因だ。

 であるからして、先行記事「教育勅語は我が国の宝である」で主張した通り、私(ZERO)は教育勅語を肯定しているが、「教育勅語を強制しよう」何て考えていない。

 それを言うならば、今回「教育勅語を擁護した」と非難されている稲田防衛大臣も、安倍首相も、「適当な配慮のもとで教材とするのは構わない」とした閣議決定も、「教育勅語を強制」なんぞしていない、と、普通は考えそうだが、沖縄タイムスはじめとする「日本新聞業界の左半分」には、そうは思えないらしい。

 章題にもした通り、「教育勅語は良くない」って型に(相当無理矢理)はめようとしているのは、誰かな。
 
 

<注釈>

(※1) それが「史実・事実である」と仮定して、だが。 
 「暗唱させる」=「暗記させる」と「影響されやすい」と言う事はありそうだが、「思想の強制」「洗脳」には程遠かろう。

<2>【毎日社説】 教育勅語の学校教材活用 負の歴史しか学べない
 
.http://mainichi.jp/articles/20170405/ddm/005/070/043000c#csidx777e481b8a37039b06afbd812f53e59

毎日新聞2017年4月5日 東京朝刊

【1】 教育勅語を学校教材として活用するのを否定しないとする答弁書を安倍内閣が閣議で決めた。菅義偉官房長官は教育勅語を道徳教育に使うことも「否定できない」と述べた。


【2】 戦前の教育規範だった教育勅語は国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たし、戦後、国会の決議で失効した。この経過を踏まえれば、こうした言動は看過できない。

【3】 答弁書は「教育の唯一の根本とするような指導は不適切」だが、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との見解を示した。

【4】 憲法などに反しない活用法とはいったい何を指すのか。

【5】 1948年、教育勅語について衆院は基本的人権を損なうとして憲法に照らし排除の宣言を、参院は教育基本法制定により失効の確認をそれぞれ決議した。にもかかわらず
憲法や教育基本法に反しない活用法ならよい、というのは理解に苦しむ(※1)。

【6】 政府が道徳での活用を否定しない態度はとりわけ問題だ。教育勅語は親孝行など12の徳目を示しているが、菅長官は「適切な配慮の下」でなら「懸念は生じない」と言う。

【7】 だが、親孝行など道徳的な教えは教育勅語を持ち出すまでもないことだ。教育勅語の核心はこうした徳目を実行することで「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある(※2)。

【8】 それがどう使われたかの歴史的文脈を無視するような姿勢は、新憲法により天皇中心の国家観を否定し、国民主権となった戦後の日本の歩みに逆行しているかのようだ。

【9】 「適切な配慮」の定義もあいまいだ。解釈が広がるおそれがあり、教材としてお墨付きを与えることにつながりかねない。

【10】 教育勅語を巡っては、学校法人「森友学園」の幼稚園が園児に唱和させ、稲田朋美防衛相が国会で
「核の部分は取り戻すべきだ」と再評価する発言を繰り返し問題となった(※3)。

【11】 政府として活用する考えはないというが、ならばなぜ全否定をためらうのか(※4)。憲法や教育基本法に抵触せず、適切に活用するとすれば、教育勅語が軍国主義教育を助長していった負の歴史の教訓と反省を説く教育以外にはないのではないか。


<注釈>

(※1) 教育勅語が「基本的人権を損なう」って事こそ理解に苦しむし、日本国憲法の「に」の字も無い頃成立した教育勅語は、日本国憲法とは無関係で当たり前。 

(※2) 21世紀の今日に於いて、「皇運」とは「我が日本国の運命」とする解釈は、成り立たないのかね??日本国と天皇陛下は、一体不可分ではないか。
 大体、親孝行や夫婦和合で「永遠の皇位を助ける」と言うのは、「修身斉家治国平天下」と同じぐらい抽象的なレベルでしか、あり得ないではないか。
 それを「”永遠の皇位を助ける”為だからけしからん」って、気違い沙汰だろう。
 
(※3) 「問題視した」のだろう。尤も、期待ほどには問題化されなかったようだが。
 ま、当たり前だがね。 

(※4) 毎日やら朝日やら左翼陣営が教育勅語を全否定することこそ「訳が判らない」ぞ。
 そりゃぁ我が国心略称と狙う外国勢力からすると、「一旦緩急あれば…」と謳う教育勅語は、排除したいだろうが。 

凄まじいまでの敗戦国史観


 上掲毎日新聞社説が教育勅語を批難するのは、①「教育勅語の歴史②「日本国憲法違反である、らしい。

 については、【パラグラフ5】で終戦直後、GHQ占領下での「教育勅語排除宣言/失効決議を引用している。が、これら「国会決議」は、敗戦直後のGHQに阿った「GHQ迎合決議」であろう事を別にしても、「教育の唯一の根本とするような指導」に対して行ったものであろう。その後「GHQに阿る」状態は持続して、戦後既に70年を超えた21世紀の今日でも「教育勅語を大臣や首相や内閣が擁護した」だけでこの騒ぎなのであるが70年近く前のGHQ占領下の国会決議よりも、今日の閣議決定の方が有効であるのは、殆ど自明ではないか。
 ま、それならばこその、「この騒ぎ」なのであろうがな。
 
 それにしても、「戦前の教育規範だった教育勅語は国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たし」【パラグラフ2】と断じる「毎日新聞の歴史観」は凄まじいな。本当に、教育勅語原文を読んだのだろうか。確かに「皇運ヲ扶翼スヘシ」とあるし、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の一節もあるが、基本その為の手段は「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ・・・」である。これで「国家主義を支え」とは、辛うじて言えたとしても、「軍国主義を推し進め」なんて、何故言えるのかね。

 戦前戦中の日本は軍国主義だったから、その教育方針である教育勅語が軍国主義を推し進めたに違いない!」ってのが、前提条件になっていて、教育勅語原文なんざ読んだこと無いんじゃなかろうか。それも、社説担当記者ばかりではなく、その記事をチェックする毎日新聞デスクも含めて。
 
 もし、毎日新聞社説担当記者なりデスクなりが教育勅語原文を承知で上掲毎日新聞社説を掲載したのであるならば…「心、此処にあらざれば、見るとも見えず。」以って他山の石とすべきだろうな。
 偏見ってのは、怖いね。
  
<3>【琉球新報社説】教育勅語 学校教育導入は憲法違反

2017年4月5日 06:01 
【1】 政府は学校教育で教育勅語を「教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。さらに菅義偉官房長官は記者会見で、現在の道徳教育の教材として使うことを「否定できない」と述べ、より具体的に踏み込んだ。国民主権の日本国憲法に違反する時代錯誤の決定、認識と言わざるを得ない。

【2】 答弁書は「わが国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」としたものの、政府が学校教育に教育勅語を組み入れることを認めた意味は重大だ。

【3】 教育勅語の正式名は「教育ニ関スル勅語」。1890(明治23)年に発布され、天皇が国民に語る形で国民道徳の根源や教育の基本理念を示し、「子孫臣民ともに順守すべきもの」とされた。その中で「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と強調した。憲法学者の小林節慶応大名誉教授は「国に危機が迫ったら、国のため力を尽くし、皇室の運命を支えなさい」との意味であり、「憲法違反だ」と言い切る。

【4】 その前段では、父母への孝行、夫婦の和、友人との信頼、博愛などの項目が列挙されている。こうした点を捉えて教育勅語を肯定する閣僚、政治家もいるが、
家族など個人の生活まで天皇が指図するのは現行憲法の国民主権、基本的人権の原理とは全く相いれない(※1)。

【5】  1930年代になると、学校で教育勅語の写しが「御真影」(天皇、皇后の写真)と共に「奉安殿」などに保管されて神聖化され、児童生徒は暗唱させられた。
軍国主義教育の要として、天皇の名の下に国民を戦争に動員する役割を果たした。(※2)

【6】  戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は教育勅語の読み上げを禁止した。日本国憲法制定後の48年には衆議院で「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている。基本的人権を損ない、国際信義に疑点を残す」として排除を決議、参議院でも失効を決議した。
今回の閣議決定はこれらの国会決議にも反する(※3)。

【7】  2006年の第1次安倍政権で教育基本法が愛国心教育を強調する形で改正された。その後も教科書検定への介入、道徳の教科化など、教育の国家統制が強まっている。膨大な犠牲を払った戦争の反省の上に築かれた国民主権、人権尊重の教育を、これ以上切り崩すわけにはいかない。

 

<注釈>

(※1) 本当に教育勅語原文を読んだのかね?「家族など個人の生活まで天皇が指図」してなんか、いるものかよ。
 「人の道を説いて」は居るさ。教育なのだから、当然だろう。 

(※2) そりゃ「教育勅語のイメージを悪くする」事ではあろうが、「教育勅語のイメージを悪くする」だけであろうが。
 「奉安殿」などに保管し、神聖化し、児童生徒は暗唱させよう、なんて主張している奴が、何処に何人居るよ。 

(※3) そりゃ、GHQに阿った「国会決議」の方が「誤り」であろう。 

それ即ち「日本国憲法を墨守していては、我が国は守れない」と言う事だ。


 上掲琉球新報社説の論点は、毎日新聞よりさらに単純で明白だ。社説タイトルにズバリ、教育勅語 学校教育導入は憲法違反と「はっきりと、文字で書いてある」。これは、誤解のしようが無さそうなぐらいだな。

 予てより、「物心ついてから」とは言わないが、「政治や軍事について人並みの口を聞けるようになって以来(※1)」私(ZERO)は、「自衛隊が憲法違反であるならば、変えるべきは憲法の方だ。」と主張してきた。「自衛隊が憲法違反か否か」と言う設問の上位に「我が国にとって自衛隊は必要か否か」と言う議論がある筈で、これに私(ZERO)は「我が国に自衛隊は必要である。我が国に軍隊が必要なのだから。」と明確に断じて来た。再三繰り返す通り私(ZERO)は「殆ど生まれついての右翼」であるから、当然だな。

 で、この学生時代以来の我が持論を捩って言うならば、「教育勅語が憲法違反であるならば、変えるべきは憲法の方ではないのかね?」と言おう。

 自衛隊と違って疑問文の形にしたのは、そもそも、「皇運ヲ扶翼スヘシ」と言う原文を「皇室の運命を支えなさい」と「字面通りに解釈し、他の解釈を認めない」なんて「条文原理主義(※2)」を私(ZERO)はとらないから、「皇運とは、我が国の象徴と現・日本国憲法でも定められている天皇陛下の運命なのであるから、”我が国の運命”と同義であると柔軟に解釈して、「教育勅語が、(※3)現・日本国憲法違反とは考えない」から。

 これをいや、皇運とは、”皇室の運命”としか解釈できないから、教育勅語は憲法違反だ!と主張するならば、我が国歌「君が代」も憲法違反にしかなるまい。

 君が代は、千代に八千代に。さざれ石の巌となりて、苔のむすまで。
 
 諸兄御承知の通り我が国歌「君が代」の歌詞は、我が国としては最古の文献と言って良さそうな「万葉集」から取られている。殆ど「神代の昔」の話であるから、国民主権だの民主主義だの、無くて当然、あったら不思議。だが、朝日新聞でも沖縄二紙でも良いんだが国家”君が代”は、国民主権に反するから憲法違反だ!」って主張は、寡聞にして知らない。ああ、沖縄二紙ならば、どこかで主張して居るかも知れないがね。朝日や、毎日はどうなのかね?

 なんにせよ、「皇運ヲ扶翼スヘシ」の一文を以って「教育勅語は憲法違反」と断じる毎日新聞や琉球新報は、「日本国歌である君が代は、日本国憲法違反」と主張しなければ、筋が通らない。浅学非才な私(ZERO)は、「君が代は、日本国憲法違反だ!」と主張する説を未だ読んだことが無いから、毎日新聞なり琉球新報なりの左様な主張を読むのが、今から楽しみだよ。

<注釈>

(※1) って事は、学生時代から、だな。 

(※2) どこかにいたよな、そんな奴バラ。 

(※3) たとえ、あの、オッペケペーな前文や、御花畑の9条を擁していようとも 

<4>【東京新聞社説】教育勅語 復権など許されない
  
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017040502000140.html
Tweet 2017年4月5日


【1】 戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。安倍政権は、教育勅語を道徳教育の教材として認める姿勢を鮮明にした。個人より国家を優先させる思想である。復権を許せば、末路は危うい。

【2】 教育勅語について、政府は「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない」との答弁書を閣議決定した。菅義偉官房長官はさらに踏み込み、道徳教材としての使用も容認する考えを記者会見で示した。

【3】 政府のこうした言動を深く憂慮する。

【4】 国会議員の質問主意書への答弁書とはいえ、政府が個別の教材の位置づけを明示することは、教育に対する介入に等しい(※1)。ま
してや、国民を戦争へ駆り立てた教育勅語の取り扱いである。
肯定的な姿勢は国内外の疑念を招く(※2)。

【5】 教育勅語は一八九〇年、明治天皇が国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。自由民権運動や欧化主義と儒教主義や皇国主義との対立を収め、教育の基本理念を定める狙いがあった。

【6】 学校での朗読が強制され、神聖化が進んだ。天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史がある。

【7】 親孝行や夫婦の和、博愛といった徳目は一見、現代にも通じるものがある。だからだろう、安倍政権を支持する保守層には、教育勅語を評価する向きが少なくない。

【8】 しかし、その徳目はすべて「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以(もつ)て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に帰結する。国家が非常事態に陥った時には天皇のために身命を賭すことが、不変の真理であると国民に植え付けたわけだ。

【9】 だからこそ、教育勅語は戦後の一九四八年に衆院で排除の、参院で失効の決議がされた。
閣議決定はこれをたがえるものである(※3)。

【10】 もちろん、かつての天皇制や教育の仕組みを学ぶ歴史教育のための資料としては有効だろう。

【11】 それでも、とりわけ道徳教育では持ち出すべきではない。国民主権や基本的人権の尊重といった現行憲法の理念に根差してはいないからだ(※4)。「憲法や教育基本法に反しない形」で、教材として使うのはおよそ不可能である。

【12】 小中学校の道徳の時間は、特別の教科に格上げされるが、個々の徳目に惑わされてはならない。それこそが教育勅語の教訓だろう。

【13】 自民党は復古的な憲法改正草案を掲げる。戦前の価値観を志向するような閣僚ぞろいの安倍政権が唱える教育観には警戒したい。


<注釈>

(※1) そりゃ「この質問には答えるな」って主張しているんだぞ?そりゃ、「国会軽視」じゃないのかね??
 
(※2) で、そんな疑念は、招かれたかね? 
 ああ、半島の一部が反応したようだがな。そいつらは、何があっても「日本軍国主義ぃっ!」と騒ぐ奴らだ。「旭日旗を連想させる」だけで「日本の戦犯旗だぁ!」と騒ぐくせに、朝日新聞の社旗にも、陸上自衛隊の連隊旗にも、正真正銘掛け値なしの旭日旗たる海上自衛隊の護衛艦旗にも、ロクすっぽ反応しない奴バラなんざ、無視して構わない。 

(※3) そりゃ、後発の閣議決定の方が、オーバーライドしよう。 

(※4) 少なくとも「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ」の一節は「基本的人権の尊重」に大いに相通じるものがあり、具体的で直轄的である分、有効だろうに。 

別に東京新聞の「許し」なぞ、必要ないが



 「戦前回帰」を「絶対悪」視するのは、脱原発原理主義である東京新聞にはふさわしい思考停止であるが、前掲毎日新聞が掲げた二つの「教育勅語擁護に対する批判理由」を、琉球新報と「分け合った」形でしかない。
 
 それにしても、幾ら「戦前回帰」を「絶対悪」視しているからって、「教育勅語 復権など許されないと断じる上掲社説タイトルと言い、初っ端の1フレーズで、「戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。との主張と言い、東京新聞社説記者ってのは、一体何様なんだろうな。 

総括:日本新聞業界左半分挙げての「教育勅語擁護論批判」


 
 以上、出揃った「日本新聞業界左半分挙げての教育勅語擁護論批判」から、「教育勅語擁護論を批判する理由」を抽出すると、以下の様になろう。
 
①「教育勅語の歴史:教育勅語は戦前戦中と日本軍国主義を推し進め、為に戦後ほどなく国会決議で排除/失効を宣されている」毎日、沖縄、東京
 
②「教育勅語は、日本国憲法違反である」毎日、琉球、
 
③「教育勅語は、国家ないし天皇が道徳を国民に押し付けている/命じている」琉球、
 
④「教育勅語擁護は、戦前回帰(の疑いがある)」東京

 
 それぞれ反論反証して来たが、簡単にまとめると…
 
① 「一旦緩急アレハ…」の一節はあるが、方法として「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ…」を実施することで軍国主義を推し進めたってロジックは理解不能だ。国会の排除/失効決議はGHQ占領下であるし、70年近く新しい今回の閣議決定がオーバーライドするのは、当然であろう。即ち、今回の閣議決定を以って「教育勅語は、その名誉を回復した」と、言えよう。
 
② 「皇運ヲ扶翼スヘシ。」の解釈一つで、「日本国憲法違反」は回避出来る。
 皇運ヲ扶翼スヘシ。の一節があるから、日本国憲法違反だ!」と主張する者は、「君が代は日本国憲法違反だ!」と主張しなければ、筋が通らない。是非とも、筋を通して頂きたいものだ。
 
③ 教育勅語の最後は、「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。」である。天皇陛下ご自身も、我ら臣民・国民も、共にこの教育勅語に掲げた徳目を守り「咸其徳ヲ一ニセン(みなそのとくをいつにせん)」事を「庶幾フ(こいねがう)。」と言うのに、何が押し付け、命令なものかよ。
 
に至っては、議論する気にもなれない。精々「戦前回帰は絶対悪原理主義」に浸っているが宜しかろう。
 
 大凡人が為す事に、絶対善も絶対悪も、あるモノではない。であると言うのに我が国の、たかだか70年前の事象を「絶対悪」と規定できてしまう、その神経は…ある意味「尊敬に値する」のかも、知れないがね。