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 軍事オタクで元ニートの主人公。勤めていた会社が社長の夜逃げで倒産し、再就職に困っていた主人公が漸く安定した職を得たのは、外資系の民間軍事会社だった・・・

 入社試験の前に、この会社が「民間軍事会社」であり、従業員は「民間軍事会社の被雇用者である」事と「決して軍人でも傭兵でもない」事が強調され、さらには「自らを、軍人とも傭兵とも認識も呼称もしないこと」を強制される。また、「肉体よりも精神に負担がかかる仕事」であることが告げられ、「無理をするぐらいなら、他の仕事を探した方がお互いにハッピーである」とも申し渡される。

 続く意味不明な入社試験に合格した主人公は、人里離れた中央アジアへ赴任し、「グラフィックが残念な戦術ゲーム」のような「社内研修」を重ねていく・・・

 作品紹介ってのは、モノによっては簡単なようで難しい。無論作品として紹介したいぐらいだから、私(ZERO)としては当該作品を多くの人に読んでもらいたい/観てもらいたい。それ故にその作品の内容を要約して紹介することもする。だが、その「内容紹介」が度を過ぎると、「その紹介さえ読めば、作品なんて読まなくても良い」事態になる・・・ことは滅多にないとしても(*1)、「作品を読む/観る楽しみを減じてしまう」可能性は大いにあり得る。ネタバラシは「作品の先を読める/わかる」様にしてしまうことであるから、斯様な「作品を読む/観る楽しみを減じてしまう」事態は「ほとんど不可避」とも言い得る。

 話の筋が読みやすい/読めてもかまわない、「誰でも知っている話」とか「判りやすい/予測しやすい話」ならば、ネタバラシもさして実害無いだろうが、「読者・視聴者に先を読ませない」のが価値を高めるミステリなんかではネタバラシは厳重注意ないし御法度だ。

 今回紹介する/したいマンガ「マーシナルオペレーション」は、ミステリでは(一応)無い。事件は起こるが、犯人探しは(原則)無いのだから、「ミステリではない」とは断じて良かろう。

 だが、「「読者・視聴者に先を読ませない」のが価値を高めている点は否めない。冒頭に書いた本マンガのさわりの部分(*2)からして、一般にはなじみの薄い「民間軍事会社」の存在を含めて相当に「ミステリアス」である。また、そんな「ミステリアスな状況」におかれた主人公が、自らの境遇を「解き明かす」のが本作品の一つの見所でもあるから・・・ますます「作品紹介が難しい」事になってしまう。

 「作品の内容を紹介」してしまう以上、ある程度のネタバレは不可避ではあるものの、「未来の読者(ひょっとすると愛読者)」の興を削いではいけない。となると、私(ZERO)の本「作品紹介」の方が譲歩せざるを得まい。よって、あれこれ(わざと詳細が判らないように)省略することにして本作品「マーシナルオペレーション」の紹介を続けよう。

 何のかんの言っても、如何に怪しげな入社試験と社内研修であろうとも、民間軍事会社は民間「軍事」会社であり、その「被雇用者」である主人公も当然、「趣味やシミュレーションではなく、冷厳な現実としての軍事=「戦争」(*3)」に関わっていることに直面する。迷いながらも主人公はその「冷厳なる現実としての軍事/戦争」を避けず、踏み込んでいくことを決意し・・・紆余曲折あって独自の民間軍事会社を立ち上げる羽目になる。

 実戦部隊の殆ど(*4)
が日本で言う中高生が占めるために「子供使い」の異名を奉られた主人公は、「大人の戦争に子供を巻き込む、冷厳な現実世界」を憎悪し、彼の率いる子供たちが銃を取らずに済む世界を願いつつ、子供だらけの部隊を指揮して民間軍事会社の仕事=ある意味・ある種の「戦争」に邁進していく。
 
 矛盾である。綺麗事ではない。むしろ「汚いこと」だらけである。不合理であり、不条理である。子供たちに銃を持たせて傭兵とする世界も、軍隊に属さず軍人でもない「民間人」が軍事行動を指揮してしまうことも、「現実とは考え難い」程に不条理であり、「悲惨」でもある。
 
 だが、「あり得る事」であり、「ありそうな事」である。

 たとえば、このマンガ「マーシナルオペレーション」に登場する民間軍事会社の指揮統制システムは、相当にSF的でもあればご都合主義的でもあるが、少なくとも「近未来には実現しうる」システムである。従って、この主人公が当初就職した民間軍事会社のビジネスモデルは、今現在は成立しないかも知れないが(*5)、近未来には成立しうるモデルである。

 そんな「ありそうな」(少なくとも「ありそう」と思わせる)不条理状況下で、主人公(通称「子供使い」)が見せる葛藤と苦悩と、その対極にあるような指揮・采配の冴えは、ある意味「平和国家日本」に対し投じられた一石でもある(*6)。

 主人公は、ある意味「平和を願って」いる。「子供たちが銃を持たずに済む世界」だから、「子供限定の平和」かも知れないが、「平和」には違いない。
 その「平和」には、当たり前だが憲法9条だの専守防衛だのは、基本全く役に立たない(*7)。それどころか、生き延びるため、生きるため、子供たちに銃を持たせ、「願ってやまない平和を否定」し続けている。

 くどいようだが、矛盾である。

 だが、人間も、世界も、矛盾や不条理の固まりであり、その中で如何に生きるかを、人は選択する。その選択次第では、人間や世界の矛盾がある程度縮小する事も、あり得る。(無くなりは、しない[断言])当該マンガ「マーシナルオペレーション」の主人公等は悩みながらも、「最善ではないが、次善の策」かつ「選択しうる最善の策」として「民間軍事会社」を選択しているのである。(敢えて断言)

 ふと思いついたんだが、世の平和運動家だの平和活動家だの、あるいは社民党のような空想的平和論を唱え、信奉し、活動している方々は人間や世界が擁している矛盾」を「なくせる」それも「簡単になくせる」と思って居るんじゃぁなかろうか(*8)。「殺し、殺されることのない世界」とか、平気で素面でいえるような人は、人間洞察という点で相当な間抜けなのじゃぁなかろうか。

 もっとも、僧にして小説家ってぇ相応に人間洞察していそうな人(*9)でも、「殺そうとするバカを止めろ」と死刑制度廃止に賛成したりしているから、上記の思いつきはやっぱりただの思いつきか・・・あるいは、彼の「僧にして小説家」が、よっぽど大間ぬけか、どちらかだな。
 
 さは、さりながら、

 そんな不条理と矛盾に満ちた世界で、思い悩みながらも「次善の策」を決断するからこそ、当該マンガ「マーシナルオペレーション」の主人公は魅力的なのであるし、当該マンガを「読み応えのある」ものとしている。

 その「読み応え」は、「世界は、殺し殺される事のない世界であるべきだ」と、唱えるだけの間抜けには、恐らくは「判らない」だろうな(*10)。

 「彼らを攻めてはいけない。
  彼らには、判らないのだ。」
ーユリシーズ号艦長 リチャード・バレリー大佐@「女王陛下のユリシーズ号」ー

 残念ながら、私(ZERO)はリチャード・バレリー艦長ほどの人格者ではないようだ(*11)。


<注記>

(*1) まあ、左様「思われてしまう」可能性は否定できないが。私(ZERO)自身にも、そんな作品がいくつかある。 

(*2) 大凡、単行本1巻の前半ぐらい 

(*3) 敢えて「戦争」と鍵カッコをつけたのは、主人公が巻き込まれた状況が「戦争」に至らない「紛争」や「内戦」レベルであるから。違いは「大きさ」ぐらいだから、局地的には「戦争」と大差はない。 

(*4) というより、創設当時は「大人」は主人公と副官だけだ。 

(*5) それは、単に私(ZERO)が民間軍事会社の現実に疎く、知らないだけかも知れない。 

(*6) 左様な「平和国家日本に投じられた一石」、それもかなり強烈な一石が、「マーシナルオペレーション」1巻のおまけマンガ、であろう。 

(*7) まあ、主人公以外に日本国民は殆ど居ない「会社」だから、憲法9条なんか屁の突っ張りですらないが。 

(*8) そう言えば、「格差をなくせ」とか「貧困をなくせ」とか主張するメンツと、重なる気がするなぁ。

 「一票の格差」ぐらいなら、完全比例代表制で「無くす」ことが出来ようが(それが「良いこと」かは別問題だが。)、「格差」一般は人類の歴史始まって以来「ある」難敵。何をどうやって「無くす」気なんだろうね。

 ああ、「無くせ」と唱えるだけなら、出来るし、それしかしてないか。 

(*9) 瀬戸内寂聴

 まあ、終戦の年に17、8歳だったのに、「私の生涯で、今ほど戦争の危機を感じたことはない」と、安保法案に反対した人だけどね。

 きっと、大東亜戦争中は意識不明の昏睡状態だったんだろうさ。 

(*10) あまり作品紹介らしくないな。私が読んで、気に入ったからとて、万人受けするとは限らない、むしろ逆の方が多そうだから、仕方がないが。 

(*11) ちと比較対象が「高過ぎる」かな。