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「君が代」が今まで滅びず生き延びてきた理由 「消極的な肯定」という言葉に尽きる 


東洋経済オンライン辻田 真佐憲 卒業式に必ずといっていいほど歌われる「君が代」の議論はいつまでも絶えません(写真:遥花 / PIXTA)c 東洋経済オンライン 卒業式に必ずといっていいほど歌われる「君が代」の議論はいつまでも絶えません(写真:遥花 /

【1】 全国の学校で開かれる卒業式がピークを迎えている。来月には各地で入学式も開かれる。この時期、改めて意識されるのがそこで歌われる国歌「君が代」だ。「君が代」は、明治期初期、英国王子の来日で急遽、国歌が必要になったために慌ただしく誕生したものだといわれている。それ以来、歌詞の解釈はじめ、「君が代」をめぐる議論は現在まで絶えることなく続いている。近現代史研究家の辻田真佐憲氏の『ふしぎな君が代』(幻冬舎新書)から記事を抜粋しつつ、「君が代」をめぐる国民の態度を振り返りたい。

【2】  戦後の日本人の「君が代」に対する態度は、「消極的な肯定」という言葉に尽きる。

【3】  日本人の多くは「君が代」を積極的に人前で歌ったりしないし、歌詞の意味もよく理解していない。しかし、だからといってこれを別の国歌に変えるつもりはないし、質問されれば「いい歌じゃないですか」「これが国歌でいいんじゃないですか」と答える。学校行事やスポーツの試合で、斉唱・演奏されても「まあ、こんなものか」と思って受け入れ、次の日には忘れてしまう。

【4】  「君が代」に関しては、とかく絶対肯定と絶対否定という両極端の意見が目立ちがちだ。だが、日本人の多くは両者の対立を冷ややかに眺めているのではないだろうか。

【5】  そんな「君が代」に対する態度は、1960年代前半の各種の世論調査からも見て取れる。この時期は、1964(昭和39)年の東京オリンピックの開催を控え、元号、国旗、国歌など国の公式制度に対する関心が高まっていた。政府機関がこれらの法制化を検討したこともあり、「君が代」をめぐっても盛んに調査が行われたのである。

【6】  最初に、1961(昭和36)年6月、内閣官房広報室によって行われた「青少年に関する世論調査」の結果から見てみよう。対象は満16歳から19歳までの未婚の男女3000人。つまり、戦後に教育を受けた世代ということになる。

【7】  「君が代」に関する質問事項は次のとおり。まず、「『君が代を聞くと、身が引きしまって頭が下がるような気持がする』という人がいますが、あなたもそのような気持ちがしますか、それとも、別にそのような気持ちはしませんか」という質問。これに対し、実に71%の人々が「別にそのような気持はしない・不明」と回答した。「君が代」はもはや神聖なシンボルと見なされなくなっていたようだ。

【8】  もっとも、そんな彼らも「君が代」を批判しようという意識は乏しかった。先に「別にそのような気持ちはしない・不明」を選択した人々を対象にした「また『君が代の歌を聞くと、時代に逆行するような感じがしていやだ』という人がいますが、あなたもそのような感じがしますか、それとも、別にそのような感じはしませんか。」という質問には、61%が「別にそのような感じはしない」と回答している。積極的に肯定はしないが、だからといって否定もしない。そんな「君が代」に対する「消極的な肯定」の態度が見て取れる。

【9】  同年11月には、同じく内閣官房広報室によって、満20歳以上の男女1万人を対象にした「公式制度に関する世論調査」も行われた。ここでは、戦前育ちの世代が多いこともあってか、「君が代」に対する感情では、「尊敬または愛着」が59%でトップになった。ただし、「反感」は1%にとどまったものの、「特別な感情なし」は36%もあり、「君が代」に対する無関心も相当あったことがわかる。

【10】  「君が代」の良し悪しについては、やはり肯定的な「(単に)いい歌だ」が68%でトップ。これに無関心な「別になんとも思わない・不明」が23%で続いた。否定的な、「(単に)よくない」(2%)、「節はいいが文句がよくない」(5%)、「文句はいいが節はよくない」(1%)などの立場は、軒並み低い結果に終わった。

【11】  さらに、「君が代」が国歌のままでよいかという問いについては、「賛成」が79%。これに「賛成」と答えた者の71%は、学校の式などでの斉唱の可否にも「賛成」と回答。以上の結果を見る限り、少なくとも「君が代」絶対否定派が少数にとどまったことは間違いないといえる。

【12】  次に、翌1962(昭和37)年12月に行われた「朝日新聞」による世論調査を見てみよう。この調査は、戦後の日本人が「君が代」を肯定しつつも、それが消極的なものにとどまったということを端的に教えてくれる。

【13】  「朝日新聞」の調査でもやはり「君が代」に対する肯定感は強く、85%が「君が代」を「よい歌」と答え、81%が「国歌のままでよい」とし、新しい歌に変えるべきだという意見には79%の人が「反対」と答えた。

【14】  ところが、そんな「君が代」に肯定的な人々も「歌詞はどういう意味か」という問いには、戸惑いを見せている。

「国家が長く栄えるように」との歌……22%

「天皇をたたえる」歌……………………15%

「天皇と国家、国民をたたえる」歌………8%

はっきりわからない…………………………8%

考えたことがない……………………………4%

その他とわからない………………………39%

【15】  「その他」を含むものの、無関心や不明との回答は全体で半数以上にも達している。当時はまだ戦前の教育や式典を体験した人が多かったにもかかわらず、この結果には驚かされる。国民の多くは、「君が代」に対して「意味はよくわからないが、これでいい」という態度を取っていたらしい。

【16】  このような「君が代」に対する消極的な肯定は、多少の数字の変動はあるものの、戦後の調査では一貫して見られる。なるほど「君が代」は法律によって国歌と定められていたわけではなかった。戦後の日本は民主国家なので、事実上の国歌に収まるためには国民の支持や同意も必要だろう。ただ以上の数字を見る限り、戦後の日本でも「君が代」は事実上の国歌として通用し続けていたのではないかと思われる。政府も長らく慣習としてそのように扱ってきた。

【17】  ところで、このように歌詞の意味が混乱したのは、「君が代」の由来にもよるだろう。第一章でも述べたように、もともと「君が代」は「題しらず」「読人しらず」の古歌だった。戦前期の日本では「天皇讃歌」と解釈され、国歌として教えられていたものの、敗戦によってその解釈が宙に浮き、意味がよくわからない状態に陥ってしまった。

【18】  ただし、それには「君が代」の存続にプラスの面もあった。というのも、オリジナルの意味がわからず、所詮すべてが解釈にすぎないとすれば、「君が代」は天皇絶対の歌でも、軍国主義の歌でもないと主張することができたからである。1950(昭和25)年に天野貞祐によって「君」が「象徴天皇」と解釈されたことはすでに紹介したとおりだ。

【19】  もうひとつの「軍国主義」についても、「いや、もともとは平和的な歌だった」という反論がこの時代には現れてきた。例えば、1963(昭和38)年2月9日「読売新聞」には、次のような富山県の中学教師の意見が載っている。

【20】  また戦争中にうたわれた歌として反対する人は、他国の国歌の歌詞をご存知ないからである。アメリカ、ソ連、フランス、中国、イタリアなどいずれも「戦いののろしの旗」「血と肉をもってきずかん」「銃と剣」「たて、たて」など血のにおいのする歌詞である。わが国歌ほど平和で人々の真心をすなおにし、しかも永遠性を願っている歌はない。

【21】  「君が代」は民主国家・平和国家という理念と矛盾しない。こうした「君が代」の再解釈は、現在の日本では広く普及している。憲法が根本から改まり、歌詞に対する批判も多いにもかかわらず、「君が代」が生き延びることができたのも、このような様々な解釈が可能だったからに他ならない。

【22】  ただ、「意味はよくわからないが、これでいい」という国民の態度は、「君が代」の存続を可能にはしたが、一部の人たちの間で「これが本当に国歌でよいのか」という論争を引き起こす結果となった。それは戦後の激動期を「君が代」が生き延びた副産物だったといえる。


大凡この世の森羅万象、支持論も反対論も両方あって当然。「議論が絶えない」のは言論の自由がある証拠ではないか。

 消極的な肯定」だと?なるほど、「肯定する理由」を明確にし難い、主張し難いと言う意味では「消極的」と見做す事も出来そうだ。それが上掲記事にある通り、アンケート調査分析結果である「良く判らないが、支持する」と言う結果になっているのだろう。

 が、説明し難い、主張し難いからと言って「消極的」とは限るまい。少なくとも私(ZERO)が「我が国の国家としての君が代」を、相当に(多分、人並み以上に)肯定する理由の相当部分は「理ではなく、情」だ。

 「情」であるが故に解説も説明も難しい。だが、「情」であるが故に、「消極的」どころかむしろその逆。「激烈」とも言って良い位に肯定的である。

 と言うより、「君が代」以外の「日本国歌」なんてモノは、想像を絶する。大東亜戦争後の70年に限っても、「君が代」以上に我が国家に相応しい歌があっただろうか。芸能ネタには疎い私(ZERO)であるが、サッパリ心当たりが無い。況や、明治維新からこちらと来た日には、それ以上に対抗馬が無い。

 ならば、今から「新しい国歌」を作るか、と言うと、何をどうやった所で我が国最古の歌集・万葉集を越えるなどと言う事は、想像することすら私(ZERO)には出来かねる

 それにしても、この辻田 真佐憲なる人は、国歌と言うモノを随分軽視蔑視しているのだね。

1〉 。学校行事やスポーツの試合で、斉唱・演奏されても
2〉「
まあ、こんなものか」と思って受け入れ、次の日には忘れてしまう。

…これは、上掲記事見出しとも呼応しているのだろうけれども、本当に「日本人にして、日本国歌「君が代」を忘れてしまう」特に「聞いた次の日に忘れてしまう」何て日本人が、一体何人居るのだろうか。

 外国の国歌ならばそれもありそうだが、何度も聞いている我が国の国歌だぞ。

 ウィキペディアに依れば、この辻田 真佐憲なる人は、「軍歌研究者」らしいが、この人自身は我が国の国歌「君が代」を、「聞いた次の日には忘れてしまう」のだろうか。もしそうならば、途轍もない音痴(*1)か健忘症であって、とても「軍歌研究者」は務まりそうにない。無論、自称「軍歌研究者」ならば、可能ではあろうが。

 「統計で嘘を吐く法」とは、弊ブログでも何度か引用した覚えのある古典的名著。そのタイトルを捩って言う名ば、上掲東洋経済記事は、「統計で法螺を吹く法」ではなかろうか。一応は「統計」としての世論調査を引用し、数字を挙げ、見出しにもした通り「日本国民の、国歌君が代に対する”消極的肯定”」を”解説・分析・解明”して見せているのだが…「数字の上っ面だけ捉えた皮相的解説」に読めて仕方ない。それは、私(ZERO)自身が国家=君が代を”激烈に肯定しているから”と言う可能性を否定しきれるものではないが…

 くどい様だが改めて問おう。日本国民の、国歌=君が代に対する肯定は、果たして、消極的であろうか、と。

 無論、上掲東洋経済記事で辻田 真佐憲氏は世論調査結果と言う数字を掲げて、「消極的である」と証し、論じて居る。即ち「君が代=国歌を肯定すす支持率の高さ」と「支持理由の分散・分裂」を以って。だが、二つの点を軽視ないし忘却している様に思える。

 一つには、世論調査とは、相当程度調査法に依る、と言う事。この場合「国家=君が代を支持する理由」を調査している様だが、その「理由」の選択肢を数多設ければ、「支持理由は分散し、”消極的支持”と解釈されやすくなる」。「貴方は国家=君が代を支持しますか?Yes/No」ならば二択だが、上掲記事の世論調査結果から「支持理由」回答は少なくとも六択。尚且つ最も多いのは「その他」「わからない」である。

 もう一つには「支持する理由がわからない」あるいは曖昧である事が「支持が消極的である」事を意味するとは限らない、と言う事だ。

 支持理由が明確であり、断言する方が、そりゃ見た目にも「肯定的支持」に見えるだろう。だが逆に「良く判らない、はっきりとした理由は無いが、支持する」事が”激烈な支持”を意味することだって、ありうる。

 「何者が、おわしますかは知らねども、忝さに涙こぼるる」とは、吉田松蔭の句だが、この句は日本人の相当部分の宗教心・信仰心・崇敬心・畏怖心を端的に表わしているのではなかろうか。この句に読み取れるのは「何者がおわしますかは知らぬ」が、「知らぬが故に、より忝い、と感じる」感性であり、心情である。この感性・心情が、少なくとも日本人の一メンタルモデルであり、それこそが正に、我が国国歌=君が代に対し発揮されているのではなかろうか。

 八百万の神、付喪神。竈の神様から便所の神様まで「擬神化」してしまう日本人のメンタルモデルは、曖昧でとらえどころがない、明確明白な理由根拠が無い。それ故に骨がらみであり、ある種土着信仰であり、従って、強烈で、激烈で、逃れ難い。我が国家君が代に対する「圧倒的な支持率と、曖昧な支持理由」は、この日本人のメンタルモデルないしその類型が発揮されているのではなかろうか。もしそうならば、「一見消極的な支持」であろうとも、否、「一見消極的」であるが故に、「激烈な支持」なのではなかろうか…私(ZERO)自身が、ある程度「感じて」居る通り。

 更に付け加えるならば、所詮世論調査はアンケート調査なのだから、調査対象たる国民が「正直にありのままに答えるとは限らない」事も、無視すべきではないだろう。

 ウイキペディアに依れば、上掲記事を書いた辻田 真佐憲氏なる軍歌研究者は、「軍歌を軍事・軍国主義から分離する」研究をしているらしい。その伝で言えば上掲記事は「我が国家・君が代を、我が国・日本と分離する試み」と考える/邪推する事も出来そうだ。上記の通り「統計で法螺を吹く法」と評した通り、その試みはある程度成功している様でもある。

 だが、「軍歌を、軍事と密接であるが故に愛好している軍歌愛好家」たる私(ZERO)には、そんな法螺は通用しないぞ。


<注記>

(*1) 確か、アイザック・アシモフの雑学にあったと思うが・・・

「ある王様には専属の国歌係がついていて、国歌が演奏されると国王に起立のタイミングを知らせた」と言う。この王様、実は音痴で、「自国国歌と他の音楽との違いが判らなかったから」だそうな。

 左様な極度の音痴が存在するのならば、そこまではいかずとも「聞いた翌日に国歌を忘れてしまう」音痴と言う状態が、存在するのではないか、と、推測する。