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【朝日社説】放射線量計 事故の教訓はどこへ2016年3月15日(火)付【1】 運転中の九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)周辺で放射線量を監視する放射線モニタリングポストのうち、ほぼ半数が高い放射線量を測れないことがわかった。運転差し止めの仮処分決定で止まった関西電力高浜原発(福井県)の周辺では、多くの未設置地点があった。
【2】 事故時に住民を避難させる必要があるかどうか、判断するためのデータが得られないことを意味している。それでも、再稼働させている。住民の安全をどう考えているのだろうか。
【3】 ポストで原発事故を監視する立地・周辺自治体は、少なくとも整備を終えるまで原発を止めるよう電力会社に申し入れるべきである。
【4】 福島第一原発事故を経て、国は原子力災害対策指針を改めている。大事故発生時に原発5キロ圏の住民は直ちに避難する。5~30キロ圏の住民は屋内退避を原則にしつつ、地区の基準ポストで線量が「1時間に500マイクロシーベルトに達したら直ちに」「1時間に20マイクロシーベルトが1日続いたら1週間以内に」避難する。いずれも指示するのは国になっている。
【5】 ポストの整備が不十分だと、地区ごとの判断が遅れたり誤ったりしかねない。ポストは一部国のお金も使いながら自治体が整備するものだから、特に立地自治体が不十分な状態で再稼働に同意したのは納得できない(*1)。
【6】 原子力規制委員会も「住民避難は権限外」と言って済むわけではない。福島第一の事故で活用できなかった放射性物質の拡散予測システムSPEEDI(スピーディ)に代えて、ポストの実測値で避難を判断することにしたのは規制委だったのだから、実際に使えるかどうか、見るべきだろう。
【7】 新規制基準を厳しくしても事故リスクをゼロにはできない(*2)から、事故が起きる前提で備えなければいけない。国際的な常識をようやく採り入れたはずなのに、避難についてここまでずさんでは、話にならない。
【8】 「住民を災害から守るのは自治体の責務」という原則には一理ある。しかし、原子力防災については、その原則によって国の役割と責任を免じるべきではない(*3)。
【9】 避難計画の実効性は国、特に専門知識を持つ規制委が十分なチェックをする仕組みに改めるべきである。立地自治体に加えて、国がダブルチェックすることで、今回のような再稼働は認めぬ仕組みにしてほしい。
【10】 住民が個人で判断できる災害もある。しかし、原発事故は違う。国と自治体の役割と責任ははるかに重いはずだ。
<注記>
(*1) 立地自治体が認めているのに、立地自治体ですらない朝日新聞が「納得できない」と主張する方が、余程「納得できない」…どころか、「理解不能」だ。一体、朝日新聞とは何様の心算だ。(*2) 「リスクをゼロに出来る」なんて言う奴は嘘つきで、それを信じるのコソ正しく「安全神話」じゃぁないか。(*3) 稼動している原発の周囲に「高い放射線を測れない放射線モニタリングポストがある」事と「稼働停止した原発の周囲に放射線モニタリングポスト未設置点がある」事だけで、良くもまぁ此処まで扇動できるものだ。感心するぞ。
本気で、正気でこの文章を書いているとは、とても思えない。が、見方を変えれば・・・
そりゃ朝日新聞記者何て人種は、私(ZERO)なんぞとは宗教が違追うし、「脱原発原理主義」と言うある種キチガイである公算大であるから「本気で斯様な主張を為してしまうほどの狂人」であっても全く不思議はない。むしろ「理の当然」ではあろうけれど…
1〉 運転中の九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)周辺で放射線量を監視する放射線モニタリングポストのうち、
2〉ほぼ半数が高い放射線量を測れないことがわかった。
2〉ほぼ半数が高い放射線量を測れないことがわかった。
「脱原発原理主義」なんて狂気に陥っていることは承知の上だが、敢えて言うならば、だ。上記2〉「高い放射線量を測れない」と言う事は、「低い放射線量なら測れる」と言う事であるし、通常は「低い放射線量を精密に測れる」と言う事だ。
更には、原発事故に至っていない原発周辺で「高い放射線量を測れない」事が、問題になる訳が無い。それを言うなら原発事故に至った福島第一原発周辺でも現状「高い放射線量を測れない」と困る場所は極めて限定的だ。
更には、原発事故に至っていない原発周辺で「高い放射線量を測れない」事が、問題になる訳が無い。それを言うなら原発事故に至った福島第一原発周辺でも現状「高い放射線量を測れない」と困る場所は極めて限定的だ。
「低い放射線量なら測れる」現行の放射線モニタリングポストが、計測された放射線量が高くて振り切れてしまい「正確な放射線量が計測出来ない」ならば問題であろうが、そんな事象が起こればそれこそ朝日新聞の一面記事だろう。左様な一面記事がまだないと言う事は、現行既に稼働している「高い放射線量を測れない」放射線モニタリングポストに、少なくとも現状「何の問題も無い」と言う事だ。
3〉運転差し止めの仮処分決定で止まった関西電力高浜原発(福井県)の周辺では、
4〉多くの未設置地点があった。
4〉多くの未設置地点があった。
…そりゃ「未設置点」があれば、それだけ「放射線計測網が粗くなる」訳だが、「仮処分決定で止まった原発」を相手に、何をどう心配しているのか、私(ZERO)の様な異教徒にはサッパリ判らない。「脱原発原理主義」に陥り「稼働していなくても原発は怖いモノ」と考えたとしても、今度は「じゃぁなんでまた稼働停止にシャカリキになるのか」判らない。稼働していても、稼動していなくても「原発怖い」であるならば、稼動させた方が電力を安価に供給できる分だけ、得であろうに…って、キチガイにはいうだけ無駄だろうが。
で、上記1〉~4〉をネタに、
5〉ポストで原発事故を監視する立地・周辺自治体は、
6〉少なくとも整備を終えるまで原発を止めるよう電力会社に申し入れるべきである。
と断言するばかりか、
5〉ポストで原発事故を監視する立地・周辺自治体は、
6〉少なくとも整備を終えるまで原発を止めるよう電力会社に申し入れるべきである。
と断言するばかりか、
7〉ポストは一部国のお金も使いながら自治体が整備するものだから、
8〉特に立地自治体が不十分な状態で再稼働に同意したのは納得できない。
8〉特に立地自治体が不十分な状態で再稼働に同意したのは納得できない。
とまで主張する。そりゃ「納得する/しない」は朝日新聞の主張で朝日新聞の勝手だろうが、「再稼働に同意する/しない」は立地自治体の勝手。その「立地自治体の同意」をひっくり返せと、上記5〉~6〉で主張する朝日新聞とは、一体何様なのだ?
「脱原発原理主義」とは弊ブログで再三繰り返す非難の言葉。
「原理主義とは、ある種(傍から見れば)気違い」と言うのは、まあ「自明の理」だろう。
であるならば、私(ZERO)が「脱原発原理主義」と断じる朝日新聞が「キチガイ」に見えるのは理の当然ではある。
「原理主義とは、ある種(傍から見れば)気違い」と言うのは、まあ「自明の理」だろう。
であるならば、私(ZERO)が「脱原発原理主義」と断じる朝日新聞が「キチガイ」に見えるのは理の当然ではある。
が…それだけ、だろうか。
左様な「ふとした疑問」を抱くのは、戦前・戦中を通じての朝日新聞が軍国主義扇動バリバリだった史実・事実を知っているから、だ。今でこそ「三アカ新聞筆頭」であり、「日本新聞業界の最左翼」を沖縄二紙と争いそうな朝日新聞だが、戦前・戦中は紛れもない「右翼だった」。その理由は(朝日新聞自身は、恐らく決して認めないだろうが)「その頃は”右翼・軍国主義の記事・論説が売れた”から」。つまりは「商業主義がジャーナリズムや”新聞としての矜持”に優先した結果」であろう、と私(ZERO)は踏んでいる。
左様な「ふとした疑問」を抱くのは、戦前・戦中を通じての朝日新聞が軍国主義扇動バリバリだった史実・事実を知っているから、だ。今でこそ「三アカ新聞筆頭」であり、「日本新聞業界の最左翼」を沖縄二紙と争いそうな朝日新聞だが、戦前・戦中は紛れもない「右翼だった」。その理由は(朝日新聞自身は、恐らく決して認めないだろうが)「その頃は”右翼・軍国主義の記事・論説が売れた”から」。つまりは「商業主義がジャーナリズムや”新聞としての矜持”に優先した結果」であろう、と私(ZERO)は踏んでいる。
ならば、今の朝日新聞の「脱原発・反安倍首相」路線が「売れなく」なれば…ひょっとすると【朝日新聞が宗旨替えする」可能性も、なしとはしない。
或いは、「朝日新聞は売れずとも、別途資金が得られる目途」さえあれば「売れなくなっても脱原発・反安倍首相」路線を続行する、可能性もあろう。
どうも、後者の可能性が高そうに思えるんだがね。
それ即ち、朝日新聞は「脱原発原理主義」と言う狂気に陥っているのではなく、冷静に「売国奴になっている」と言う疑いである。