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「中流の砥柱」なんて言葉を、私はこの人民網記事を読むまで知らなかった。なんでも、「中流(ちゅうりゅう)の砥柱(しちゅう) 《「砥柱」は黄河の中に柱のようにそそり立っている石で、激流の中でも微動だにしないことから》乱世にあって、毅然(きぜん)として節義を守っていることのたとえ。」だそうで、日本語に訳すならば「超特大大黒柱」という事らしい。つまりは下掲人民網記事の見出しは、「中国共産党こそが、対日戦争の主役であった!」とする「共産党救世主伝説」の一環を担っている訳だが、その中身と来たら・・・
中国共産党が抗日戦争の中流の砥柱だったことを示す米国の機密解除文書人民網日本語版 2015年08月10日09:08【1】 上海交通大学世界反ファシズム研究センターは、中国抗日戦争関連の米国の最新の機密解除文書4万点余りを系統立てて整理し、研究した。文書は中国共産党が抗日戦争の中流の砥柱だったことを十分に示している。新華網が伝えた。
【2】 1944年7月、ルーズベルト大統領の指示を受け、重慶国民政府軍事委員会と延安中共中央の同意を経て、米軍の軍事専門家100人余りが延安と晋察冀、晋西北、冀中など敵後方の抗日根拠地に入り、中国共産党およびその指導する武装勢力が人民大衆を動員して抗日闘争を繰り広げる状況を近距離で全方位的に観察した。2年半の長きにおよぶ観察で、彼らは機密観察文書4万点余りを米国に送った。
【3】 これらの文書は当時米軍の目に映った中共抗日戦争の一次歴史記録であり、米国立公文書記録管理局や軍の公文書館などに70年間保存され、最近ようやく機密を解除して公開された。
【4】 文書は次の点をはっきりと示している。中共支配下の敵後方の根拠地は米軍にとって中国での主要な情報収集源の1つだった。特に抗日戦争後期、米国は日本軍に関する正確な情報を国民党軍から速やかに得ることが困難だった。これは米軍の観察チームが延安での調査を継続した重要な理由でもある。中共は軍の活動情報、日本軍の情報を自ら米側に提供。書面報告だけで120点に達した。中共は延安と根拠地での米軍による気象観測所、無線電信網の建設に協力。その提供するデータは当時中国にあった10の気象観測所の中で最も信頼でき、米軍パイロットにより安全な飛行条件を提供し、日本本土に対する戦略爆撃任務の実施を保障した。(編集NA) 「人民網日本語版」2015年8月10日
【問題】上掲人民網記事に於ける「中国共産党の抗日戦争中の貢献」を挙げよ
久々に「国語の問題」にして見た章題であるが、如何だろうか。制限時間10分でどうぞ。
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さて、私(ZERO)の読む所、上掲人民網記事に見られる「中国共産党の抗日戦中の貢献」は、以下の3点のみである。
貢献(1) 米軍の軍事専門家100人余りが延安と晋察冀、晋西北、冀中など敵後方の抗日根拠地に入ることに同意した。パラグラフ【2】
貢献(2) 日本軍の情報を自ら米側に提供。書面報告だけで120点に達した。パラグラフ【4】
貢献(3) 延安と根拠地での米軍による気象観測所、無線電信網の建設に協力。パラグラフ【4】
実質的には「気象観測所、無線電信網の建設に協力」し、「日本軍の情報を提供した」だけ。上記「貢献(1)」は「軍事専門家の配置を認めた」だけで実質大したことはやってなさそう(*1)だし、上記「貢献(2)」で自慢している「書面報告120点」も、上掲記事にある「米軍軍事専門家100人が米国へ送った機密観察文書4万点余り」に比べると、「色あせる」どころか、「物の数では無い」。
パラグラフ【4】で自慢している「米軍パイロットにより安全な飛行条件を提供」したのは、確かに建設された気象観測所であるが、中国共産党はその「建設に協力」しただけ。貢献は間接的と言うべきだろう。
で、まあ、上記貢献(1)~(3)が、米側文書で確認された事を以って、「抗日戦争の中流の砥柱」と、大陸では言うらしいぞ。
随分安い「抗日戦争の中流の砥柱」だな。中国共産党よ。
まあ、中国共産党の「抗日戦争戦果」なんざぁ、その程度。他に何か貢献があったとしても、当時党ではあっても国では無いのだから、逆立ちしたって戦勝国に何ぞならないぞ。
まあ、中国共産党の「抗日戦争戦果」なんざぁ、その程度。他に何か貢献があったとしても、当時党ではあっても国では無いのだから、逆立ちしたって戦勝国に何ぞならないぞ。
【注釈】
(*1) 潜伏するための隠れ家を用意するとか、潜伏箇所までの輸送を担うとか、している可能性はあるが