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同じタイトルを以前に使っていたな http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/39091538.html
一般論であるが、異文化、異教、異なる発想・思想などなど「現状の自分とは異なる(と認識できる/される)モノ」は、「理解し難い」モノである。それは「カルチャーショック」にもなりえれば、「文明の衝突」ともなり得るし、下手すると戦争やら宗教戦争(*1)やらの「大変な事」にも成りかねない。
逆に「理解し難い」モノは、「現状の自分とは異なる(と認識できる/される)モノ、異文化、異教、異なる発想・思想」である(少なくとも)可能性がある。それは「異なる視点・発想の転換」をもたらしてくれる可能性が(さらに少ないだろうが)あるのだから、「仇や疎かにすべきではない」とは言い難いが「邪険に扱うのには慎重であるべき」だろう。
であるならば、中央日報が韓国経済新聞から転載した斯様な「私(ZERO)にとって不可解な記事」も、「邪険に扱うべきでは無い」だろう…多分。
<注釈>
(*1) 「戦争」と「宗教戦争」を分けたのは、「宗教戦争」は「戦争の一種」ながら、「最も厄介な戦争」且つ「異教に対する不寛容に直結している」から。特記・特出しにする価値があろう。【韓国経済新聞】ソウルに神風の映像物…日本歴史認識「無策傍観」?2015年03月12日11時22分http://japanese.joins.com/article/638/197638.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news[韓国経済新聞/中央日報日本語版]
【1】 今月10日、韓日中作家3人(ヤンアチ、小泉明朗、スィー・ジョン)の展示「微妙な三角関係」が開かれているソウル西小門(ソソムン)のソウル市立美術館3階展示室の中。薄暗い空間の左側には日本作家・小泉明朗の映像「若き侍の肖像(Portrait of a young samurai、2009)」が流れていた。日章旗をずきんにしてかぶっている日本人演技者が神風(第2次世界大戦の時、爆弾が装着された飛行機を飛ばして自殺攻撃をした日本軍の特攻隊)の出撃を控えた軍人を演じている。
【2】 初めはふざけたような感じでカメラの前に立った演技者は、作家の要求に従っていくうちに感情が激昂していく。「(お国のために)死ぬことができる私は幸せな人です」、「このように高潔な目的(自殺攻撃)のために」等、旧日本軍国主義スローガンを叫ぶ。そのうち「私の息子よ、行かないで、どうか母と留まっておくれ」という母親の絶叫を聞くと、感情がこみあげて涙を流す。
【3】 9分40秒映像を見て既視感を感じた。「実は私たちも戦争の被害者」という日本側の主張の言葉だ。日本は、自国の歴史教科書や原爆記念館などさまざまなチャネルを通じて米国の空襲と原爆投下で数多くの日本人が命を失ったり被害を受けたという主張を繰り返してきた。自ら戦争を起こし、他の国の人々の命を失わせておいて、自国も被害を受けたという論理は周辺国の共感を買うことができなかった。
【4】 小泉の別の映像作品も日本の合理化論理を思い出させた。「捕らわれた言葉(Trapped Words、2014)」には原爆で失明したある老人のインタビューが登場する。彼は死ぬ程熱く、座ることがさえできないほど人でいっぱいになった防空壕での経験を話す。
【5】 ネット上で神風展示論議が起きると、市立美術館側は11日、作家の意見をまとめた報道資料を出して釈明した。小泉は「最近、日本の若者の間で歴史に対する知識もなく神風や侍などを英雄視する風土に対して警戒心を持った。これは歴史に対する無知がどれほど危険なものかを呼び覚ますための作業」としながら「この作品は国家イデオロギーに洗脳された一個人の悲劇に光を当てている」と主張した。
【6】 引き続き「こんにち、人々は『神風』という単語をイデオロギーの重さと歴史的な背景に対する認識もなく、あまりにも軽く使っている」とし「このような状況がとても心穏やかなものでなく危険だと考える」と付け加えた。
【7】 作家の釈明にもかかわらず、今回の展示は引き続き論争が起きるものと思われる。ソウル市民が果たして自分たちの税金によって運営されている美術館で、日本人の歴史観が表現されている作品を共感して楽しむことができるだろうか。
【8】 今回の展示の大きな問題は「韓日中3国の文化地形図を探ってみよう」としておきながら、展示場のどこからもその糸口を見つけることができない点だ。ソウル市立美術館のキム・ホンヒ館長(67)は今月10日に開かれた記者懇談会で「今回の展示は歴史の中から微妙な関係を形成した三国関係の進行状況を美術を通じて解説して暗示しようと思った」と説明した。
【9】 彼の願いは届かなかったようだ。作家は自分たちの言語で話したいことだけを詠じた。それだけだった。3種類の言語は有機的に結合することも、公明でもなかった。3人の作家の作品をなぜ「微妙な三角関係」というタイトル中で解釈しなければならないのか疑問に感じる。 ※本記事の著作権は「韓国経済新聞社」にあります。
実に難解だな
まずは、報じられている事実だけ拾うと・・・
【事実1】 ソウル市立美術館の「微妙な三角関係」と銘打った日中韓三国の芸術家の展示に於いて、日本人芸術家(*1)が「日本人役者が出撃前の神風特攻隊員を演じる画像」を展示した。 【パラグラフ1】
【事実1】 ソウル市立美術館の「微妙な三角関係」と銘打った日中韓三国の芸術家の展示に於いて、日本人芸術家(*1)が「日本人役者が出撃前の神風特攻隊員を演じる画像」を展示した。 【パラグラフ1】
【事実2】上記日本人芸術家作品に於いて、神風特攻隊員役の役者は感情が激昂し、「(お国のために)死ぬことができる私は幸せな人です」、「このように高潔な目的(自殺攻撃)のために」(*2)などと叫ぶ。
また、「私の息子よ、行かないで、どうか母と留まっておくれ」という母親の絶叫に涙を流す。【パラグラフ2】
また、「私の息子よ、行かないで、どうか母と留まっておくれ」という母親の絶叫に涙を流す。【パラグラフ2】
【事実3】同じ日本人芸術家の別の作品では、原爆で失明した老人へのインタビューである。【パラグラフ4】
【事実4】上記ソウル市立美術館の「神風展示」はネット上で議論となり、市立美術館は芸術家の意見をまとめた資料を出して釈明した。同資料にて日本人芸術家小泉氏は、「この作品は国家イデオロギーに洗脳された一個人の悲劇に光を当てている」と主張した。 【パラグラフ5】
以上4つの事実に「事実以外」を要約して付け加えるならば、
【連想1】「神風映像」は「日本も戦争の被害者」と言う日本側の主張を想起させた。【パラグラフ3】
【連想1】「神風映像」は「日本も戦争の被害者」と言う日本側の主張を想起させた。【パラグラフ3】
【断定1】「日本も戦争の被害者」と言う日本側の主張は、周辺国の共感を買うことができなかった。 【パラグラフ3】
【推論1】ソウル市立美術館の「神風映像」展示は、今後も議論になるだろう。ソウル市民は「税金で賄われている美術館で日本の歴史観が展示されている」作品を楽しめないだろうから。【パラグラフ7】
【批評1】今回展示は「韓日中3国の文化地形図を探ってみよう」としながら、その糸口さえつかめないのは大きな問題だ。【パラグラフ8】
【批評2】上記【批評1】の問題は、「作家は自分たちの言語で話したいことだけを詠じた。」事に起因する。「3種類の言語は有機的に結合することも、公明(正大(*3))でもなかった。」ためだ。【パラグラフ9】
ああ、漸く筋が見えてきた。
上記【批評2】からすると、日中韓三国の芸術家の作品は「公明(正大)にして有機的に結合」すべきであり、「自分たちの言語で話したいことだけを詠じては、いけなかった。」のだ。そのために「韓日中3国の文化地形図」は「糸口さえつかめない」状態となり、今回展示の意義にさえ疑問を呈している訳だ、上掲韓国経済新聞記事は。
上記【批評2】からすると、日中韓三国の芸術家の作品は「公明(正大)にして有機的に結合」すべきであり、「自分たちの言語で話したいことだけを詠じては、いけなかった。」のだ。そのために「韓日中3国の文化地形図」は「糸口さえつかめない」状態となり、今回展示の意義にさえ疑問を呈している訳だ、上掲韓国経済新聞記事は。
で、その「糸口さえつかめない」状態の一例が「神風映像」に見られる(*4)「日本戦争被害者論=日本歴史認識」である、らしい。
何とも、凄まじい話だな。
「自分たちの言語で話したいことだけを詠じては、いけなかった。」だけでも思想統制であり「芸術に政治性を求める」所業だろう(*5)。
「自分たちの言語で話したいことだけを詠じては、いけなかった。」だけでも思想統制であり「芸術に政治性を求める」所業だろう(*5)。
そこは「ソウル市民の税金で賄うソウル市立美術館展示の統一テーマ」という事で敢えて芸術的自由を排し、目を瞑るとしても、上記【事実1】「神風映像」を上記【事実2】「旧日本軍国主義スローガン」としか解せず、上記【連想1】「日本=戦争被害者論」と直結させて批難する短絡思考は何だろう。
尚且つその「批難」が上記【推論1】「納税者であるソウル市民は楽しめない」なんて嫌味は未だしも、上記【断定1】「日本=戦争被害者論が周辺国の共感を買うことができない」事に基づく上記【批評1】「韓日中3国の文化地形図の糸口すらつかめないこと」にまで至るのだから、凄まじい。
この論理に基づくならば、「公明(正大)にして有機的に結合した日中韓三国芸術家の作品」は、少なくとも「日本戦争被害者論=日本歴史認識」を排したモノであり、恐らくは「日本戦争加害者論」に基づくモノである。否、半島自身が「公明(正大)」なんて認めるのは、「半島正史=現韓国政府”歴史認識”」のみであろう(*6)。
だが、そんな「半島正史=現韓国政府”歴史認識”」なんてのは、殆ど韓国限定で、日本はおろか、中国どころか、北朝鮮とさえ、共有できるモノではあるまい。悔しかったら、朝鮮戦争に関する「日中韓北朝鮮共通歴史認識」でも、示して見やがれ。
であるならば、上掲記事ソウル市立美術館の展示が「韓日中3国の文化地形図に糸口さえ見つけられない」のは、正にその「糸口さえ見つけられない」状態が「日中韓三国の文化地形図」だから、であろう(*7)。
即ち、上掲記事ソウル市立美術館の展示およびそれに対する上掲韓国経済新聞「批評」は「正しく」、「公明(正大)にして有機的に結合した日中韓三国芸術家の作品により、日中韓三国の文化地形図への糸口を示すべきだ」とする上掲韓国経済新聞「主張」は「正しくない」と言う事である。
と言う訳で、私(ZERO)にとって実に難解だった上掲韓国経済新聞記事は「読み解けた」、と思うのだが、如何なモノであろうか。
<注釈>
(*1) 上掲記事には「日本作家」とあるが、「作家」は普通の日本語では「小説家」などの「物書き」を指すだろう。「映像作家」何て日本語もあるが、「映像作家」を「作家」と呼ぶのには、(少なくとも私(ZERO)には)相当に違和感がある。ウイキペディアの見解は、違うようだが。(*2) 上掲記事にある通り、これらが「旧日本軍国主義スローガン」であるのは事実だろうが、「旧日本軍国主義スローガンでしかない」とは思わない。映画「300」の冒頭にて、古代ギリシャはスパルタの少年教育では「戦場での戦死は最高の名誉」と教えている。テルモピュライの戦いでスパルタ兵は「自殺攻撃」した訳では無いが、「全滅するまで戦い続けた」のは史実として、伝承として、称賛され続けている。(*3) 原文は「公明だった」だが、「公明である」何て日本語には、「創価学会員ですか?」と突っ込みたくなる。ここは「公明正大である」とか「政治的に中立である」とか言う「翻訳」が必要だろう。日本語訳ぐらいちゃんと書けよ。それで給料貰ってるんだろうが。(*4) と、上掲韓国経済新聞が主張する…「どんな目だよ!」と言う突込みには「朝鮮人の目だよ」と、答える他ないな。(*5) そりゃま、芸術どころか自然科学にまで「思想性」を求めた旧共産圏と言う大先達が居るけれど。(*6)これは「推論」である。が、相当に確信はあるな。(*7) 「半島正史しか受け付けない」者の「文化地形図」は「孤立した島」でしかあり得ない。