いや、まあ、最早カルト宗教化しつつあるように見える東京新聞の脱原発原理主義ぶりを当ブログで取り上げるのも、「沖縄二紙の反基地・反オスプレイ原理主義」を取り上げるのと同じぐらい辟易しつつあるのだが…それにしたって、こいつは酷かろう。
【東京社説】温暖化交渉 原発依存は通用しないTweet 2015年3月3日【1】 京都議定書に続く温暖化対策の新たなルールを定める国際交渉は、スイスの準備会合で、順調なスタートを切った。自主削減目標提示の期限は迫る。原発頼みの日本は、取り残されてしまうのか。
【2】 去年の暮れにペルーの首都リマで開かれた気候変動枠組み条約第二十回締約国会議(COP20)は、会期を二日間延長した。
【3】 加盟各国は土俵際で踏みとどまって、決裂を回避し、一年後にパリで開くCOP21で、先進国も途上国も応分の義務を負う、温室効果ガスの新たな削減ルール(ポスト京都議定書)を定める意思を確認できた。
【4】 新ルールは、これまでのように先進国だけに削減目標を割り当てるものではなく、各国が自主的に削減目標を宣言し、それに向かって行動し、その進展を相互に検証することになる。
【5】 リマでは、可能な限りこの三月までに、先進国も途上国も、より高い削減目標を国連に提出することなどを確認した。
【6】 各国の目標案を検証し合う事前協議の開催は、中国、米国の二大排出国が強く反対したため、見送りになった。ポスト京都の実効性には、課題と不安が残る。しかし、二十年来の懸案だった、先進国と途上国の間の溝は、世界的な異常気象への危機感もあり、少しずつ狭くなってきたようだ。
【7】 先月、スイスのジュネーブで開かれた今年初の作業部会では、各国の意見を採り入れた「交渉文書」が、すんなりまとまった。あらゆる国が参加する新ルールの原型になるものだ。今のままでいいとは誰も思っていない。
【8】 米中も目標案は公表済みだ。ポスト京都への動きが加速する中、取り残されていくのが日本である。発電時に温室効果ガスを出さない原発が止まったままでは、目標が立てられないという。
【9】 国連の潘基文事務総長からも「三月までに目標を提示するよう頑張ってほしい」と特に要請を受けた。
【10】 だが考えてみてほしい。国際社会は、なぜ温暖化に立ち向かうのか。命や暮らし、国土を守るためではないか。太平洋の島国は水没の危機にある。
【11】 原発事故は命や暮らし、自然をそれ以上に脅かす。福島の事故がその実態を世界中に知らしめた。
【12】 当の日本が原発頼みの削減目標を掲げても、国際社会の尊敬も理解も得られまい。原発に頼らない温室効果ガスの削減案を世界に問わねば、出遅れは取り戻せない。
無論、再三指摘している通り「原理主義者」なんてモノは、傍から見れば「気違い」以外の何物でもないんだが。
それにしても、いくら脱原発原理主義者だからって、今回の社説は酷いね。ああ、前回取り上げた「 愚論にして暴論―【東京社説】「原発比率 温暖化を口実にするな」は、いくら脱原発原理主義でも酷い http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/39716520.html 」に比べれば、「再生可能エネルギーを増やせば、二酸化炭素排出量は減る」と言う詐欺まがいのロジック(*1)を使わない分だけ「マシ」と言えば「マシ」だが…
1> 原発に頼らない温室効果ガスの削減案を世界に問わねば、出遅れは取り戻せない。
…「再生可能エネルギー」の「さ」の字も言わないのは、「原発を再生可能エネルギーで代替して、二酸化炭素排出量を減らせ!」と言う主張の矛盾に気付いたため、かも知れないが、「原発に頼らない温室効果ガスの削減案」何て魔法ないし超技術を、何をどうして実現しろと言うのだ。その方策の欠片すらも示そうとしないのは「一新聞の主張=社説」としては通るかも知れないが、国はエネルギー政策を策定し、実施しなければならないのだぞ。
否、「何をどうして実現するか」すら語らずに、「原発依存は通用しない」と主張することの、無責任にして厚顔無恥は、脱原発原理主義者同士か、余程の間抜けにしか、通用しないぞ。
無論、東京新聞読者および日本国民が「脱原発原理主義者」もしくは「余程の間抜け」である可能性は、充分あり得る。また、それこそ東京新聞の「望む処」かも知れない。
だが・・・再三繰り返す通り「原理主義」なんてのはある種思考停止であり、狂人であり、馬鹿であり「余程の間抜け」と実質上大差は無い。
而して、我が国は曲がりなりにも民主主義体制下にあるのだから、日本国民の相当部分が「脱原発原理主義」ないし「相当な間抜け」と言う状態は、非常に困った状態なのだがね。
如何に、国民。
ああ、現状の技術でも「原発に頼らない温室効果ガスの削減案」が、あるにはあるぞ。即ち「発電量の抑制」だ。「再生可能エネルギーの発電量」に合わせて、晴れた日中とか風の強い日以外は「なるたけ電気は使わない」事にすれば「原発に頼らない温室効果ガスの削減」も、可能かも知れない。
脱原発原理主義は、「脱原発」を至尊至高の「原理」に祀り上げているのだから、それぐらいの節電努力は朝飯前だろう。
それとも、東京新聞およびその賛同者が唱える「脱原発原理主義」は、左様な節電努力さえ惜しむ程度の「口先だけ脱原発原理
主義」かね。
主義」かね。
如何に、東京新聞。
<注釈>
(*1) 先行記事で指摘した通り、「原発を再生可能エネルギーで代替した処で、発電による二酸化炭素排出量は減らない」。原発の廃炉や新規の広大な再生可能エネルギー発電所の建設を考えたら、「発電所建設から破棄までの二酸化炭素排出量は、増えるかも知れない」ぐらいだ。それでも、「再生可能エネルギーの稼働率の低さと発電量制御不可能」に起因する電力供給の不安定化は、不可避だぞ。私の原発推進論&自然エネルギー推進論
① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術はない。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。