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 「日本新聞業界の左半分」って言い方を、当ブログでは何度かしている。以前は「朝日グループ」とも呼んでいた「三アカ新聞」たる朝日、琉球新報、沖縄タイムス毎日が加わったぐらいのグルーピング。この「日本新聞業界の左半分」が御執心なのが、原発再稼働反対であり、特定秘密保護法反対であり、集団的自衛権行使容認反対である。つまりは、私(ZERO)とは真っ向から反する意見・異論・異説な訳だが、それ故に「日本新聞業界の左半分が反対しているなら、我が国の利益に違いない」と「類推(邪推?)」も働いてしまう。

 今回「日本新聞業界の左半分」が挙って反対しているのは、「道徳の教科化」であるらしい。
 
(1)【毎日社説】道徳の教科化 子供の何を見守るか
 
http://mainichi.jp/opinion/news/20141023k0000m070121000c.html
 
(2)【東京新聞社説】道徳の教科化 心を評価する危うさ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014102302000149.html
 
(3)【沖縄タイムス社説】[道徳の教科化]心の内 評価できるのか
    
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=87684
    
(4)【琉球新報社説】道徳の教科化 価値観押し付けを危惧する
    
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-233525-storytopic-11.html
    
 社説の中身は大凡タイトルから知れよう。事に上掲(2)~(4)では「戦前・戦中の修身教育」を否定し、上記(4)なぞ
 
(4)1〉(道徳の)教科化は、戦前の「修身」の反省の上に立つ戦後日本の教育の重大な転換点となるはずだ。
 
とまで断じる。つまりは「戦後平和教育」の反対語が「戦前・戦中の修身教育」であり、「道徳を修身にする事は許さない」と言う主張、らしい(*1)。
 
 多様な価値観は魂の自由を愛する私(ZERO)としても賛同する処である。が、戦後平和教育の弊害を数多知る私(ZERO)(*2)としては、「戦前・戦中の修身教育」を、少なくとも部分的に肯定する。偉人伝や格言等の「道徳教科書の題材候補」を「画一的」などと評する社説も上掲にはあるが(*3)、道徳教科書」として示される価値観は、日本国として統一され画一化されていて当たり前であり、逆に無秩序な程の寛容さでは困ろうが。
 
 理由の一つは、「躾も教育の一環であるから」。

 「学校教育で躾」と言うとそれだけで騒ぎ出す向きもあろうが、集団生活でもある学校で「遅刻しない」「サボらない」「騒がない」などの躾は学校教育にあって当然、無ければ不思議。「道徳以前の話」かも知れないが、人として、学生として、日本人としての規範を示すべき「道徳教科書」に「躾が含まれる」のに何の不思議・不合理・不条理があろうか。
 
 もう一つの理由は、些か逆説的ながら「教科書は、教科書でしかない」から。

 教科化される。点数が付けられる。成績を良くするためには。「教科書通りの答えをする」「教科書通りの行動をとる」…先生の見ている処で。
 
 左様、道徳教育の示す規範が画一的統一的であろうとも、その規範が学生・生徒を規制できる範囲は、最大限を考えても「教科化された」だけでは、多寡が知れている(*4)。ああ、恐らくは、戦前・戦中の修身教育が、(*5)そうであったように、な。
 
 ならば、画一的統一的な道徳教科書で道徳教育がなされる意義は何か、と問われれば、「手本と期待される事が明示される」と答えよう。その「期待する」主体が、例え日本国や日本政府や、「日本の大人」であろうとも、また、その「期待する主体自体が手本に反している」としても、「手本として期待される」事に変わりはあるまい。
 
 その「期待される手本」が、そのまま行動になる/行動規範になる訳ではあるまい。「純真な子供たち」だっていつまでも子供じゃぁない。中学・高校生ともなれば、真面な知性を持つ者は未熟だろうが無知だろうが「自ら考える」事を始める(*6)。「道徳教科書なんて、建前ばかりで下ら無い」と感じる生徒・学生も当然居るだろう(*7)し、その相当数は「道徳教科書に反発する」こともだろう。
 
 それでも、建前でも、「期待される手本」でも、一つの行動規範が示される事には意義がある。所謂「親の背中」と言うのは、正にそれであろう。
 
 アカ新聞どもが挙って反対するから、ではないが、私(ZERO)は今回の「道徳教科化」を支持・賛同する。
 但し、「アカ新聞どもが挙って反対する」様を見て、「我が意を強くしている」事は、認めないといけないな。タイトルにもした通り。
 
 ああ、「朝日新聞社説が(まだ)道徳教科化に異を唱えていない」処が、難点と言えば難点だな。
 

【注釈】

(*1) ああ、「直接文言としては書かれていない」がな。かかる教条主義的であるがある種「別の視点」を示唆して下さった「星の旅」さん&「アワモリ」さんには、感謝・多謝しかないな。
 
(*2) 断わっておくが、(信じるか否かは知らないが、)私自身が「戦後平和教育」を受けた身だ。戦後平和教育を受けつつ「殆ど生まれながら右翼」と公言断言出来る私(ZERO)自身が厳として存在するのだから、「戦後平和教
育の限界」を示すものであろう。
 
(*3) 東京新聞社説
 
(*4) 催眠術だとか、洗脳術だとか、薬物投与だとかを併用したならば、別の話になるかも知れないが。
 
(*5) 修身教育だけでは。日本が「軍国主義化」した要員の相当部分は、国際情勢によると考えるべきだろう。
 
(*6) と、「期待される」、かな。大人になっても歳喰っても、思考停止に陥るは数多居るからね。
 
(*7) 居なかったら、それこそ不思議だ。