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「半田滋」記者なる東京新聞記者は、署名記事を書くぐらいだから、東京新聞の中では有力な記者なのだろう。「東京新聞の有力記者」ってだけで、「お里が知れる」と言うか「多寡が知れる」と言うか、ハナッから私(ZERO)なんぞとは「宗教が違う」のは十二分に予想できる。それ故に、「半田滋の書いた東京新聞の記事・コラム・社説」に対し私(ZERO)が「異を唱える」のはごくごく当たり前で、「意見が一致した」ないし「同意し得る」なんて事が起こったら、驚天動地とは言わぬまでも、相応に「希有な事」とは言い得よう(*1)。
だが、今回「半田滋の書いた東京新聞コラム」を取り上げるのは。「主張・意見の違い」故では無い。
今回問題視したいのは「半田滋の書いた東京新聞コラムの、論理・根拠」である。それ即ち、「より根源的な問題」とも言い得よう。
早い話、「いくら新聞のコラムが、社説ほどには"肩の凝らない"モノだからって、こんな理屈付けて恥ずかしくないのか?」と言う、糾弾である。
【私説・論説室から】首相の奇妙な状況認識
2014年4月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2014042102000124.html
【1】 集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとする安倍晋三首相は「わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」と繰り返す。この言葉は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を再招集した昨年二月八日の冒頭発言で示された。
【2】 おや…、第一次政権で最初に安保法制懇を招集した際の安倍首相の冒頭発言をみつけた。「わが国を取り巻く安全保障環境はむしろ格段に厳しさを増しており」(二〇〇七年五月十八日)とある。今の言葉と変わりない。
【3】 すると「わが国を取り巻く安全保障環境」は七年前から危機的だったことになる。この状況認識は奇妙というほかない。
【4】 第一次政権で北朝鮮が核実験を行ったのは〇六年十月の一回だけ。二回目と三回目の核実験、長距離弾道ミサイルの試射に成功したのも、また中国との間で尖閣問題が浮上したのも第一次政権が終わった後である。
【5】 七年前から危機が迫っていたのなら、なぜ後任の福田康夫首相は憲法解釈の変更を勧めた安保法制懇の報告書を無視したのか。福田氏を含め自民党で二人、民主党で三人いた後任の首相はなぜ、憲法解釈の変更や憲法改正を目指さなかったのか。
【6】 安全保障環境をめぐる、安倍首相の奇妙な認識は、集団的自衛権の行使容認に踏み切ること自体が目的であり、踏み切る理由はどうでもよいという証しなのだろう。 (半田滋)
訂正。小学生レベル屁理屈
さて、如何だろうか。
パラグラフにして6つ。約800字=原稿用紙2枚ほどのコラムを以って半田滋記者の「言いたい事」を要約するならば、次のようになろう。
① 安倍首相の言に依れば、我が国安全保障環境は7年前から危機的状況だった。
② この7年間に自民二代・民主三代の首相は誰も憲法解釈変更や改憲を目指さなかった。
③ だから、安倍首相の安全保障認識は誤りであり、集団的自衛権行使を目指す憲法解釈変更や改憲は、自己目的化しているに違いない。
…要約すると、改めてその論理の飛躍ぶり、屁理屈ぶりが目立つな。その屁理屈は、上記②と上記③をつなぐ順接「だから」に集約されて居よう。この順接「だから」の背後にあるのは、「第1次安倍内閣と現行第2次安倍内閣の間の自民二代・民主三代の首相は、我が国安全保障環境認識についても安全保障政策への積極性についても安倍首相と大差ない」と言う前提であろう(*2)。
だが、私(ZERO)の見る処、上記「自民二代・民主三代の首相」の内、「我が国安全保障認識と安全保障政策への積極性について安倍首相と大差ない」と言い得るのは、麻生太郎・元首相ぐらい。「お隣の嫌がる事はしないモノでしょう」と外交関係をと近所きあいと同列視した福田なんざぁ論外だし、民主三代首相なんぞ論外以前だ。而して、麻生太郎・元首相は現行安倍政権でも副総理として入閣しており、上掲東京新聞コラムで半田滋が糾弾して止まない「集団的自衛権行使を目指す憲法解釈変更/改憲」の一翼を担っている。
となれば、「第1次安倍政権以降の首相時代に憲法解釈変更や改憲を目指さず、今現在も目指していない元首相」と断じ得るのは、最大でも「民主党三代+福田元首相」だけ。無論、「民主党三代首相」には、ルーピー鳩山と「歩く政治空白」菅を含んでいる。
鳩山や菅を含む「民主党三代+福田」の「四人の元首相が、首相時代に憲法解釈変更や改憲を目指さなかった。」事を以って「だから、憲法解釈変更や改憲は不要・無用である」と言う理屈は、小学生辺りが「クラスのみんなも持ってるよぅ!」と主張するのと、どれほど差異があろうか。その「みんな」が「民主党三代首相+福田元首相」である事を別にしても、だ。
第一、集団的自衛権は我が国安全保障上の問題なのだから、その支配要因は、正に「我が国の安全保障環境」である。上掲東京深部コラムで半田滋記者自身が安倍首相の安全保障環境認識を「奇妙」と非難しているが、「安全保障」こそが「集団的自衛権行使可否」を判定する基準で在るのだから、「他の元首相たちは改憲/解釈改憲を目指さなかった」などと言う屁理屈批難する暇があったなら、「安倍首相の奇妙な安全保障環境認識」をこそ追求すべきであろう。「何が奇妙で、何故奇妙であるか」を。上掲東京新聞コラムのタイトルにもしているんだから。
それを、あの鳩山由紀夫とは「やって居る事が違う」と言うだけ。上掲東京新聞コラムタイトル通り「奇妙な状況認識」と言うならば、鳩山由紀夫と安倍首相の「状況認識の差」こそ比較すべきであろうに、上記②と上記③を順接「だから」で結んで思考停止に終わっている…と言うより、「ハナッから思考する気が無い」=「典型的な平和ボケ」に見えて仕方がない。
忘れちゃいけないな。民主党政権は、先々回の衆院選挙で「政権交代」を果たした際、社民党と連立政権組んだおかげもあって、連立(予定)三党共通公約に「安全保障」と言う項目が、無かったんだぞ(*3)。かくも「安全保障環境認識の薄い」平和ボケ民主党が「集団的自衛権行使容認の解釈改憲/改憲を目指さなかった」とて「安全保障環境が、集団的自衛権行使容認を必要としていない」証左に何ぞ、なるモノか。
さらには、「7年前から我が国安全保障環境を危機的状況と認識し、集団的自衛権行使を目指す安倍首相」と言うのを「自己目的化」と評し得るという事は、安倍首相が第1次安倍政権以来首尾一貫「ブレていない」と言う事でもある。「ブレた」のは「現役首相時代に集団的自衛権の為の憲法解釈変更/改憲の努力を見せず、今は安倍政権に入閣している」麻生元首相であろう(*4)。
もっと言うならば、一体半田滋記者は、安倍首相の我が国安全保障環境認識を「奇妙」と断じ、集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更/改憲を不要とされる半田滋記者は、我が国安全保障環境をどのように認識されているか、是非とも伺いたいところだ。
尤も・・・鳩山由紀夫級の我が国安全保障環境認識が半田滋記者の認識として飛び出してきても、別に驚きはしないがね。
蛇足ながら、当ブログでは、「鳩山由紀夫」と言うのは、大凡人類の英知の及ぶ限り最大級の悪罵である。
<注釈>
(*1) 確か、「カンボジア国籍を取って、オリンピックのマラソン出場を目指す芸人・猫ナントカ」に対しては、意見の一致を見たので当ブログ記事にしたのでは、なかったか。(*2) ああ、無論、「文言として書かれてはいない」のであるが。全く、格好の材料を提供してくれた「星の旅」さんと「アワモリ」さんには、感謝のほかないな。(*3) その「共通公約に安全保障と言う項目が無い民主党を、県債史上最多の衆院議席数を以って「政権交代」させたのは、他の誰でもない、日本国民なんだが。(*4) 民主党が「日の出の勢い」であった当時、「自民党最後の首相」としての麻生太郎氏に、憲法解釈変更や改憲にかまける余地は、余り無かったろうが。