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仄聞するところによると、半島では日本の悪口の一つとして「島国根性」と言うのがあるそうだ。大陸的な気宇壮大さや豪放磊落さに対する、「せこさ、せせこましさ、器の小ささ」を現し、批難したものらしい。まあ、足袋の形から「偶蹄類」を意味する「ジョッパリ」を隠語陰口にするよりはまだマシな悪口であろう。
ならば、「ウリナラ半万年」を誇る半島の「半島根性」とか「半島気質」と言うのは、大陸に勝るとも劣らない豪快壮大なものかと言うと、どうも、そうでは無いらしい。
【朝鮮日報コラム】韓国ほど「歴史の清算」に執拗な国はない
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/29/2014032900806.html
【1】 世界に目を向けると、不思議なことがある。植民地としての歴史の清算を、韓国ほど執拗(しつよう)に主張する国が見当たらないという点だ。それどころか、英国の旧植民地だった国々は、独立した後も自発的に「英連邦」に残っている。英国が旧植民地に対し寛大だったわけではなく、独立後に大掛かりな支援をしたわけでもない。それでも英連邦の枠組みの中に残っているところを見ると「これでは腰抜け国家じゃないか」と思うこともある。
【2】 実際のところ、これらの国々は「戦後秩序」の下で安住していたにすぎない。第2次大戦後の歴史の清算とは、戦勝国が敗戦国の指導者に審判を下したものだった。植民地で行われた帝国主義者の悪行は、審判の対象にはならなかった。戦勝国が帝国主義の国だったため、自分で自分の首を絞めるようなことがあるはずがなかった。1951年、米国などが日本と締結した講和条約は、戦後秩序の本質を表している。条約が定義する賠償請求権は戦勝国だけのもので、植民地だった国には付与されなかった。韓国の賠償請求に対し日本が鼻であしらうのもそのためだ。「不満があるなら米国に言え」というわけだ。
【3】 しかし、そのせいだけではないだろう。日本の侵略を受けたフィリピンやベトナム、ミャンマー、インドネシアは、賠償金を受け取った後、相次いで過去を不問にした。植民地支配を受けた台湾で総統を務めたある人物は、親日的な信念を持ち続け、靖国神社にまで参拝した。
【4】 韓国のすごいところは、植民地時代を徹底的に清算しながらも、得るものを得たという点だ。「経済協力資金」という不愉快な名称だったが、日本から得た有償・無償合わせて5億ドルの金は、日本によって廃虚になった交戦国が得た賠償金と同程度だった。当時、経済企画院が家計簿を書くように作成した「請求権資金白書」を見ると、涙が出てくる。浦項製鉄所(現・ポスコ)を建設した後、残ったはした金同然の金は、貧しい工業高校生の教育を支援するため、実験器具の輸入に充てたのだ。ひとえに祖国の将来のために投資したというわけだ。当時、技術を磨いた坊主頭の生徒たちが、後に産業面で日本を追い越す立役者になったのだから、その投資は決して無駄にはならなかったというわけだ。
【5】 一方、世界に目を向けると、韓国ほど植民地支配を十分に清算した国もない。国際社会で韓国が認められたのはそのためだ。だが一方で、そのために批判されてきたという事実も受け入れなければならない。過去を克服できたにもかかわらず、なぜ今に至るまで「謝罪せよ」「賠償せよ」と主張するのかということだ。もちろん、日本が朝令暮改的な姿勢で歴史をもてあそんでいるためだ、という韓国の反論は妥当なものだ。
【6】 われわれは、日本の安倍政権に対する韓国の批判と、慰安婦問題が世界に知られていく様子を見た米国が「過去の清算」についての主張を理解するようになった、と考えることができる。だが、米国が安倍政権を批判するのは、日本の右傾化が北東アジアの安全保障に脅威を与えるという韓国の主張を理解したからだ。慰安婦問題に対し同調しているのもまた、慰安婦問題が普遍的な人権問題だという主張を受け入れたためだ。「植民地時代の清算」という韓国の視点を前面に出さなかったため、韓国は戦いに勝つことができた。
【7】 そしてこれは、逆のケースが起こり得ることも示唆している。歴史をめぐる論争が、北東アジアの安全保障を揺るがすレベルにまで達すれば、今度は韓国が批判を浴びかねないという点だ。歴史が「動力」から「重荷」へと変貌するというわけだ。そのボーダーラインはどこにあるだろうか。日本は米国が作り上げた北東アジアの安全保障体制の柱だ。日本が憎いといって、米国の作った秩序からも離れようとすれば、その瞬間、韓国は北東アジアの安全保障体制における「弱い連携」になり下がってしまう。歴史を前面に出した中国の歓待や、それに対する韓国の感情的な連帯意識は、国際社会にどのようなシグナルを送っているのか、省察する必要がある。
【8】 誰が何と言っても、韓国は「賠償せよ」「謝罪せよ」といって戦っていくことだろう。だが、その戦いの限界についてもはっきりと線引きすべきだ。汚いことでも飲み込み、悪魔ともキスするという「戦略的な自己催眠」は、統一の段階で必ず身に付けなければならない国民的な課題だといえる。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)国際部長
「ウリたちは、これだけ日本から強請り取ったニダ。ウリナラ・マンセー」と、公言できる浅ましさ
さて、如何だろうか。
さてもさても。"所変われば品変わる"と言い、「人」も「文化」も「品の一つ」と言い得るのだから、発想や価値観が国や地域で異なるのも当然だが、玄界灘を挟んだだけの半島と我が日本とで、かくも発想・価値観が異なるとは。感心するやら、呆れるやら。
多分、上掲朝鮮日報コラムを書いた記者は、上掲コラムを「韓国お国自慢」とは言わないまでも、「韓国礼賛コラム」として、好意的・肯定的・「良い事」として書いて居るのだ。それは、パラグラフ【4】で「韓国のすごいところは」として戦後賠償金額の多さを列挙し、パラグラフ【5】で「国際社会で韓国が認められたのはそのためだ。」と「戦後賠償額の多さゆえに、韓国は国際社会で認められた」と公言・断言していることからも明らかだ。
それは、言い方を変えれば章題にした通り。「ウリたちは、これだけ日本から強請り取ったニダ。ウリナラ・マンセー」と言う公言以外に何ものであろうか。さらには、その「強請り取った犯罪実績」を以って「国際社会に認められた」と断言できてしまうのだから、「盗人猛々しい」と評したら、盗人の方が怒るだろう。ああ、無論、「半島以外の盗人」に限定すべきだろうが。
「強請大国」とは、何度も繰り返す通り北朝鮮の唱える「強盛大国」が核恫喝と核兵器開発を材料にした「強請り」である事から私(ZERO)が作り出した造語だ。だが、上掲朝鮮日報コラムと言い、歴代韓国政府の「反日タカリぶり」のために、最近では韓国の方を「強請大国」と揶揄している。が、上掲朝鮮日報コラムのような発想が半島の主流であるならば、「強請大国」化は必至であり、必然であろう。
それでも、上掲朝鮮日報コラムに何らかの美点を見出そうとするならば、末尾のパラグラフ【7】~【8】で、「もう日本にタカリ続けるのはやめるべきではないか」と主張している点、であろう。
尤もそれさえも、「韓国にとって都合が悪そうだから」でしかないから、まだまだタカル気・強請る気満々という事だ。
どうも、このタカリ自慢の強請り根性が、半島根性・半島気質と言うモノらしい。
仮に韓国の戦後賠償要求が十分に正当なものであった、と考えても、「今後も韓国に都合が悪くない限り、日本にタカリ強請り続けるぜ。それが国際社会での地位向上にもつながる。でも、昨今はちょっと都合が悪くなって来たようだから、強請りタカリは休もうかな。」と公言断言して恬として恥じない(*1)方が韓国有数の有力紙朝鮮日報の国際部長殿の座にある・・・
心底思うね。
「日本人に生まれて、良かった。」と。
<注釈>
(*1) 恥じる位なら、こんなコラムを署名入りで紙面に公開しない。