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 「戦車を使った武道・戦車道が女性のたしなみとされる異世界」で、その「戦車道」に地道をあげる女学生たちを描いたアニメ「ガールズ・パンツァー」だの、「擬人化して若い女性として描かれる第2次大戦軍艦を以て”艦隊編成”し、”艦隊決戦”に明け暮れる」ゲーム「艦これ」など、美少女と軍事モノを結びつけたある種のカルチャーは、「日本が誇る」かどうかは大いに議論の余地あるが、「日本が発信し続けている」ことにはちょっと疑義の余地が無さそうだ。
 
 私(ZERO)はこの手の「軍事美少女モノ」は基本的に嫌いだ。この手の絵を見せられたAK-47設計者・故ミハイル・カラシニコフ氏が子供に銃を持たせちゃイカン。」とたしなめたと言うエピソードに大いに同感するモノだ(*1)。確かに艦艇も飛行機も英語では女性名詞で受けることから、「彼女」とか「女王」とか表現されることはある。だが、基本的に兵器・武器は、たとえ美しかろうとも「男らしく」あるべきと、私(ZERO)は考えている。それ故に、メッサーシュミットBf109戦闘機で言えば「瘤付き」になって「男らしくなった」G型以降が好みで、それ以前のE型なんざぁ「お釜」ぐらいにしか見えない。(*2)。
 
 そうは言っても「軍事美少女」にも通じる我が国の「美少女擬人化カルチャー」が、元来は日本人に対する悪口であった「日本鬼子」を逆手にとって日本鬼子(ひのもとおにこ)」などと言う擬人化キャラクター(*3)を実現し、痛烈な風刺・反撃になってしまうのだから、少なくとも「美少女擬人化カルチャー」、ひいては「軍事美少女」を、仇や疎かにすべきではあるまい。
 
 それでも「軍事美少女」に対し一定の距離をとっている(少なくとも心算の)私(ZERO)が、本屋店頭で見かけた、「黒地に銀縁のパンツアージャケットに身を固めた金髪の見るからに軍事美少女」が1巻の表紙を飾る本書「シェイファー・ハウンド」をほとんど衝動買いしてしまったのは・・・
 
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 背景に描かれたⅢ号突撃砲初期型が渋かったから。
 
 「Ⅲ突(さんとつ)」の愛称で知られるⅢ号突撃砲と言えば、主流・王道は長砲身(43口径)75mm砲装備のG型なのである。(*4)それが短砲身(24口径)75mm砲装備の初期型が、表情も凛々しい金髪美少女の背景に描かれているのだから、そのギャップと対比は鮮烈だ。見つけたその場で刊行されている3巻まで全て買ってしまうほどに。
 
 第2次大戦末期のヨーロッパ。「女性の戦場での運用性検証」を名目に女性(それも、当然だが不合理なことに若くて美人ばかり)のみで編成されたドイツ軍「第502猟兵大隊特務救助猟兵小隊シェイファー・ハウンド」は、悪化する戦況の中、カヤ・クロイツ小隊長代行(当然ながら不合理なことに、金髪美女。1巻の表紙を飾る)のかなり無茶な指揮の下、「任務完遂率100%」と抜群な戦功と消耗を重ねていた。
 そこへ、人命重視の理想論を唱えて左遷されたユート・ツァイスSS上級曹長が、新たな小隊長として赴任してくる。シェイファー・ハウンドを上位で指揮する「ヨーロッパで最も危険な男」オットー・スコルツェニー少佐(実在)の肝いりで。
 
 成年誌掲載のためもあろうが(*5)、初っぱなから「かに目式砲隊鏡」が映し出すのは、「略奪・暴行・強姦の限りを尽くす、レジスタンス(*6)」ドイツ親衛隊の軍服姿も凛々しい美少女たちが、ストーリーと無関係な着替えシーンやら妄想夢シーンを挟みながら、「全裸でトラックのボンネットに縛り付けて弾避けにするだの、レジスタンスの親玉」を文字通りの蹂躙攻撃で「キャタピラの錆にするだの、戦闘中の着弾衝撃で脳挫傷を負って勝利の歓声直後にゆっくりと死んでいくだの、かなり「エグい」シーンでメインストーリーは進んでいく。自らを「消耗品」と宣する美少女たち「シェイファー・ハウンド」と、その指揮官に就任した人命重視のユートSS上級曹長たちが紡ぐ物語は、やたらに美人でスタイルの良い(しかも不必要に半裸・全裸になる)女性兵士たちを背景に、戦争と正義、生と死、指揮官の義務と重圧と言う、かなりシリアスな主題を取り扱っていく。 
 
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 めったやたらと登場するマニアックなAFV(*7)や、武器操作シーン(*8)は、「マニア垂涎もの」と言えよう。詳細はネタばらしになるので省くが、3巻で見せる延々数ページにわたる台詞なし、剣対ナイフの「決闘」シーンは、駒割静止画で表現される「マンガ」という情報媒体の表現力を、改めて感じさせてくれる鮮やかさ、見事さだ。
 
 オットー・スコルツェニーが「師団長」だったり(*9)、1巻の東部戦線からいきなり2巻でフランス・ノルマンディー・西部戦線に転属されたり、大体妙齢の美少女ばかり(*10)の突撃砲まで有する小隊だったり、「日本人軍事留学生」って何だよ(*11)等々、突っ込み所はいくらもあるが、許容してしまおう。
 
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 登場するキャラクターが次々と戦死していく(*12)のは悲しくも切ないが、サム・ペキンバー監督「戦争のはらわたCross of Iron」にも通じる「戦争の真実」であろう。
 
 さらに特筆大書するべきは、メインヒロイン(多分)カヤ・クロイツ小隊長代行(後に副小隊長)が2巻以降に見せる偽悪ぶりと言うか露悪ぶりだろう。「殺すこと=死」を命じることを躊躇うユート小隊長に、とてもヒロインには見えない表情を浮かべて決意・決断を迫る、その迫力よ。

 だが、その迫力は同時に、偽悪・露悪ぶりとは対極にある「純真さ」の現れである・・・と、私(ZERO)には思われる。それすなわち、如何にもメインヒロインにふさわしい、と。(*13)
 
 「お前が全身に浴びたその返り血が、俺にはお前の涙に見える。」ーケンシロウ@「北斗の拳」ー
 
 予告編によると、第4巻ではイギリス軍特殊空挺部隊SASとの戦いになる、らしい。こりゃ続刊も、買いだな。
 Panzer! Vor!!(戦車、前へ)

 

<注釈>

(*1) 人類最多生産銃AK-47の一定部分は少年・少女兵士等の手にあることを想起しつつ。
 
(*2) 史実上、メッサーシュミットBf109シリーズの栄光の大半は、”エミール”ことE型が担っていることを認めつつ。 
 
(*3) 必ずしも美「少女」ばかりではないらしい。 
 
(*4) 砲盾は、初期の角型と後期の流線型型ザウコフといずれが好きかは、趣味による。 
 
(*5) 否。こんな表現は、少年誌・少女誌では”特別な場合”以外認められない。”特別な場合”の一例が、「はだしのゲン」である。 
 
(*6) 東部戦線なので「パルチザン」という方がぴったり来るのだが 
 
(*7) 2号戦車L型ルクスでさえ、「滅多にお目にかかれない」と思っていたら、Tー35多砲塔重戦車に至っては、声も出ない。 
 
(*8) Pzb39対戦車ライフルの装填・排夾シーン何ぞ、必見。 
 
(*9) あの人は、確か1944年末の”バルジの戦い”で第150機甲旅団長だったはずで、ノルマンディー上陸以前=1944年前半ではそれより階級は低いはずだ。 
 
(*10) たぶん、モデルは第12SS機甲師団「ヒトラー・ユーゲント」だろう。ナチ党の下部組織として青少年教育のために結成された「ヒトラーユーゲント」は、後に加入が義務化され、ついには「親衛機甲師団」の母体にまでなりおおせた。が、当然ながら「第12SS機甲師団」の将兵は、若いのも居るとは言え、男ばかりである。 
 
(*11) おまけにこれまたものの見事に美少女だ。3巻の表紙で血刀を振るっている。 
 
(*12) 敵側とは言え、グレイオックスなんぞ・・・ 
 
(*13) 無論、これは私(ZERO)の解釈である。が、芸術というモノは受け手がその価値を決定するものであり、その価値には受け手の主観・解釈が、非常に重要な意味を持つ。
 言い換えれば、この漫画「シェイファー・ハウンド」は、それだけ高い価値を、私(ZERO)に対しては有している訳だ。